戦国異伝

　　　　　　　　　　　　　　　　　　第三十五話　　奇妙な砦
　今川出陣の報はすぐに伝わった。それは武田でも同じだった。
　甲斐の己の館においてだ。信玄は唸る様に言った。
「危ういな」
「はい、確かに」
　主の今の言葉に応えたのは山本であった。その片目の顔での言葉だった。
「今川殿は。あれでは」
「敗れるな」
　こう言う信玄であった。
「できればだ。今はだ」
「攻めるべきではありませんでした」
「乗るかどうかはわからぬがだ」
　信玄は言う。
「織田と争うには攻めては駄目だ」
「少なくとも尾張に入ってはなりませぬ」
「己の領地に引き込んでそのうえで地の利を活かして戦をするべきだが」
「自身から攻め入ってはです」
「罠の群の中に飛び込む様なものじゃ」
　それが今の今川だというのだ。
「危ういな、まことに」
「して殿」
　山本はここでだった。
　己の主に対してだ。あることを尋ねた。その尋ねたこととは。
「どうされますか」
「駿河のことか」
「今川殿に何かあればその時は」
「氏真殿も出陣しておるな」
　信玄は彼の出陣のことを山本に問うた。
「そうされておるな」
「はい、親子共々です」
「若し義元殿だけでなく氏真殿にも何かあれば」
　その場合はどうするか。信玄は考えていた。
　そしてその考えをだ。山本に対して述べたのであった。
「義信のことが生きるぞ」
「義信様の奥方は義元様の娘様であります故」
「それが生きるな。よいことじゃ」
「幸い北条殿は相変わらず関東にかかりきりです」
「気になるのは越後よ」
　彼の宿敵上杉謙信である。この男のことは何があろうとも忘れられなかった。
「あの男が動いてはな」
「幸い高坂殿が守ってくれていますので」
「源五郎はやってくれておる」
　その高坂のことをだ。信玄は強い信頼の言葉で語るのだった。
「海津をよく守ってくれておる」
「あれだけの兵があればおいそれとは陥ちませぬ」
「そうじゃな。しかしじゃ」
「油断はなりませぬか」
「駿河が空き城になればさして兵はいらぬ」
　こう言うのであった。
「その場合は誰かに兵を預け入らせようぞ」
「問題は誰かですが」
「幸村はどうじゃろうかのう」
　信玄はこの男の名前を出した。
「あの男に。さらに経験を積ませたいのだがな」
「幸村ですか」
「あれは凄い男になる」
　信玄のその見事な目がだ。幸村のその素養を見抜いていた。既にだ。
「だからよ。どうじゃそれは」
「よいことですな」
　山本もだ。主のその考えに賛成の言葉を述べた。
「今二十四将は迂闊に動けませぬ」
「駿河に出すこともどうもな」
「はい、斉藤が気になりますし」
　武田は美濃も見ていた。美濃の斉藤は信濃と接しており彼等から見れば目を離すことのできない相手だったのである。