戦国異伝
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第八十九話 矢銭その九
「是非共な」
「だからこそ堺にでしょうか」
「無論それだけではない。わしはじゃ」
「松永殿は?」
「織田家の他の者に言っても信じぬな」
こう前置きしての言葉だった。
「だが言ってもよいか」
「はい、どうぞ」
言っていいとだ。羽柴も返す。
「仰って下さい」
「そうか。では言おう」
羽柴の了承の言葉を受けてだ。そのうえでだった。
松永は確かな顔になり一呼吸置いてからだ。こう言ったのである。
「わしは殿が好きじゃ」
「殿をですか」
「そうじゃ、好きじゃ」
こう言ったのである。唇の端をほんの少しばかり綻ばさせて。
「ああした方ならば天下を、そして」
「嘘だな」
彼が言おうとするとだ。すぐにだった。
ヨハネスがだ。否定の言葉を言ってきたのだった。
「貴殿のその言葉は嘘だ」
「そう思うか」
「貴殿が真実を言うとは思えない」
だからだというのだ。
「その言葉は嘘だ」
「やはりそう言うか」
「殿が何故貴殿を用いておられるのかはわからぬ」
信長の真意はわからないというのだ。ヨハネスもだ。
「だがそれでもだ。私は貴殿を信用しない」
「では何かあればじゃな」
「斬る」
まさにだ。そうするというのだ。
「覚悟しておくことだ。その時をな」
「織田家というのは厳しいところじゃな」
「少なくとも貴殿に対してはな」
「わしの過去故か」
「それ以外に何がある」
ヨハネスの言葉それ自体が剣だった。今は。
その剣を露わにしたままだ。彼は言うのだった。
「違うか、貴殿のこれまでしてきたことは否定できるのか」
「するつもりもない」
そのだ。否定をだというのだ。
「全くな」
「だからだ。私は貴殿を信じることはない」
「わしの今の言葉もか」
「当然だ。そして私は冗談も嘘も言わない」
「と、なるとか」
「その時は覚悟しておけ」
本気の言葉だった。何の偽りもない。
「少しでもおかしな動きを見せればその時はだ」
「いや、待て」
羽柴がそのヨハネスを止めに入る。その大柄な彼の前に来て。
「これから堺に入って話をするのに物騒な話は止めようぞ」
「羽柴殿は甘いぞ」
「甘いと言われてもじゃ」
それでもだとだ。羽柴は返すのだった。
「松永殿も折角織田家に入ったのじゃ」
「だからだと仰るのか」
「少しだけ心を落ち着けてじゃ」
「それで堺に赴けと」
「何なら茶をどうじゃ」
先程松永と話していた茶の話をだ。ヨハネスにもしたのである。
「茶を飲んでじゃ。そのうえでゆっくりとしてはどうじゃ」
「茶。あれはいいものだな」
茶と聞くとだ。ヨハネスもだ。
少し考える顔になって小さく頷きだ。それから言ったのだった。
「飲むと美味なだけでなく心が落ち着く」
「そうであろう」
「しかも目も冴えて頭の動きがよくなる」
目覚めてそうなるというのだ。
「それだけにいいものだな」
「だからじゃ。その茶を飲みじゃ」
「今は落ち着けというのか」
「堺は茶も盛んじゃ。どうじゃ」
「そうだな。この男は監視していくが」
松永を見ることは忘れない。だがそれでもだというのだ。
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