八条学園怪異譚
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第十六話 柴犬その十二
「これは狂骨っていってかなり怖い妖怪だから」
「井戸の中に引きずり込むとか?」
「そういう祟る妖怪なの」
聖花はこの妖怪のことを愛実に話した。
「この学園の中にはいられない様なね」
「怖い妖怪なのね」
「井戸の妖怪はそういうのもいるから」
「怖い場所でもあるのね」
「そうなの。流石に今井戸はないから」
二人にしても井戸はもう過去のものだ。それで愛実も今言うのだ。
「実感はないけれどね」
「そうよね。私も井戸はね」
「愛実ちゃん使われてる井戸見たことある?」
「それがないの」
神戸生まれの神戸育ちだ。ある筈がなかった。
「今でも山奥のお寺とかで使ってるらしいけれど」
「私もね。そうした井戸はね」
「聖花ちゃんも見たことないのね」
「ちょっとね。井戸はね」
「もう田舎でもないわよね」
「ないわよ、もう」
聖花も首を傾げさせて答える。
「流石にね」
「汲み取りのおトイレはあってもね」
「五右衛門風呂とかもないわよね」
こうしたものは二十世紀、第二次世界大戦になってから急に姿を消していった。文明の進歩でそうなっていった。
「薪割りとかもなくなったし」
「田舎でもなくなってるわよね」
「まだあることはあるが」
日下部はそうしたものについて話す二人に述べた。
「薪にしてもな」
「けれど井戸や五右衛門風呂はないですよね、もう」
「そういうのは」
「私が若い頃はまだあった」
何時の間にか若き日の喋り方になっておりその喋り方で彼のそうした時代、戦前の話をするのだった。
「海軍でも風呂は滅多に入らなかった」
「いや、それ戦前のお話ですから」
「私達の時代の話じゃないですよ」
「大体日下部さんって三年前に九十でお亡くなりになられたんですよね」
「若い頃って普通に戦前じゃないですか」
「それはそうだが」
日下部もこのことは否定出来ない。何しろ海軍経理学校を出て海軍将校になったことが彼の誇りだからだ。
「だが。まだ三十年前位はあった」
「五右衛門風呂とか井戸とかがですか」
「まだあったんですか」
「確かにそういうものは田舎にしかなくなっていた」
都市部では高度成長期以降急激に姿を消していった。
「だがそれでもだ」
「あることはあったんですか」
「田舎にはまだ」
「この三十年でも日本はかなり変わった」
高度成長でも変わったがこの三十年でもだというのだ。
「八十年代にはまだ色々なものが残っていたのだ」
「八十年代ですか」
「その頃は」
二人がまだいない頃のことである。だからこの話には実感が湧かないといった顔で日下部に述べたのである。
「私達いませんし」
「その頃の田舎も」
「知らなくて当然だな。最早昭和も過去になった」
その八十年代、昭和では五十年代もだ。
「近鉄バファローズが連覇し阪急ブレーブスでブーマーが活躍していた頃だが」
「また懐かしい球団ですね、どっちも」
「私達阪急も知らないですけれど」
このチームも二人が生まれる前の存在だ。
「私達阪神ファンですけれど」
「懐かしいチームですね」
「そうだ。私の青春時代は影浦だったがな」
「あっ、戦前の選手ですね」
「戦死したっていう」
「残念なことにだ。だが本当jにまだ八十年代はそういうものがあった」
日下部は話を戻してきた。その井戸等の話に戻る。
「井戸もまだあった」
「それが急にですか」
「なくなっていったんですね」
「まず都市部からなくなり田舎からもなくなった」
日下部の言葉には寂寥があった。
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