SAO─戦士達の物語
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SAO編
五十二話 夢想の子
「ユイちゃん……。思い出したの……?今までの……こと」
アスナが、震える唇でそう問う。少し落ち着けと言いたかったが、恐らく無理である事は眼に見えていたため、リョウはそのまま口を閉ざす。
あの後、二体の死神を消し去ったユイは、キリト、アスナ、そしてリョウに、「全部思い出した」と告げた。
そして、今はその話を聞くために、地下道の安全エリア、中央に黒い立方体の石机を備えた、正方形の部屋に来ている。
シンカーとユリエールは先に帰らせ、今この部屋に居るのは四人だけだ。
「はい……。全部、説明します──キリトさん、アスナさん……リョウコウさん」
先程までと違い、まるで何かのスタッフの様に話すユイの言葉を聞いた途端、アスナの顔が少しだけ悲痛に歪む。
少なくとも、今眼前に立っているのは、“先程までの自分の娘”では無いと、否応なしに悟らされたのだろう。
「《ソードアート・オンライン》と言うゲームは、一つの巨大なシステムによって管理されています。システムの名は……《カーディナル》。それが、この世界のバランスを自らの判断に基づいて制御しているのです。元々、カーディナルは人間によるメンテナンスを必要としない装置として開発されました。二つのコアプログラム相互にエラー修正を行い、更に無数の下位プログラム群によって世界の全てを調整する。モンスターNPCのAIから、アイテム類の出現のバランスまで、全てがカーディナル制御の元、無数の下位プログラム群によって行われています。でも……それでも一つだけ、システムには委ねられない物が有りました……プレイヤーの精神に由来するットラブルだけは……どうしても感情を持たない機会であるシステムでは、解決できない……そのために、数十人規模のスタッフが用意される……はずでした」
「GM……」
キリトが、小さく呟き、はっとしたように続けた。
「ユイ……君は、ゲームマスターなのか?アーガスのスタッフ?」
そう言ったキリトに対し、ユイは数秒間沈黙した後、ゆっくりと首を横に振って……
「違う」
リョウが発したその一言に驚愕の表情を浮かべた。
「悪いなユイ。少し俺に話させてくれ」
「え……?」
「兄貴?」
「リ、リョウ?」
突然話しだしたリョウを、他の三人が全員唖然とした表情で見つめるが、それを無視して、リョウは話し出す。
「そのシステム……カーディナル開発した連中はな?人間のカウンセリングもシステムに任せようとしたんんだなこれが……」
「え……でもそんな事」
「出来たんだよ。あくまで試作段階だったがな。ナーヴギアってのは基本的に、脳の命令を身体じゃ無くアバターに伝える装置みたいなもんだからな。その特性を使って、感情を司る脳波パターンを詳細にモニタリング。問題を抱えたプレイヤーのとこ行って、話し聞いて、カウンセリングする。そう言うプログラムが一応は、出来たんだ」
「それじゃあ……」
キリトが驚愕の表情を浮かべたままリョウの事を凝視し、リョウはそれに深く頷く。
「《メンタルヘルス・カウンセリング・プログラム》。通称、《MHCP》第一号。コードネーム《Yui》つまり、お前だ……だろ?」
「どうして……そこまで……」
首を傾げてユイを見たリョウに、ユイは他のどの表情よりも先に、《疑問》の表情を浮かべた。
リョウはユイの疑問に対して、あっけらかんとして肩をすくめ、答える。
「そりゃな?お前はしらんだろうが……俺はお前の事、これでも生まれる前から知ってんだぜ?」
「え……?」
「な……兄貴、じゃあまさか!?」
リョウの言葉に、今度はアスナが首を傾げた。完全に、意味が分かっていない。
が、キリトには分かったらしく、先程よりも更に驚いた表情で、リョウに問いかける。その顔は、最早驚愕を通り越して戦慄すら浮かべていた。
そしてリョウは、真実を告げる。
「あぁ。此奴を……《Yui》を開発したのは……」
偶然と言うには余りにも出来過ぎた……しかしそうとしか言いようのない、真実を。
「俺の姉貴。桐ヶ谷怜奈《きりがやれいな》だ」
────
『りょう?聞いてる?』
『え?あぁ聞いてるって。で?その試作中のプログラムとやらの調子がどうだって?』
『これが中々ねー。もう基盤は殆ど完璧なんだけど疑似とは言え感情を付加するとなるとどうにも調整がね……どう?りょう少し手伝いに来ない?良いバイト代出すわよー?』
『俺だって暇じゃないんですっての。切るぞ』
『あら、久しぶりに姉の声を聞いたって言うのにそっけないわね~。あ、じゃあ最後に一個、意見貰える?』
『はいぃ?何?』
『名前』
『はぁ?』
『だから名前よな・ま・え。一応この子だって人の相手をするんだもの。名前が無いと可哀そうじゃない?だ・か・ら、何か良い感じの名前即興で考えてよ?あ、女の子ね~』
『はぁ……んじゃあ…………ゆいで』
『ゆい?意味はあるの?』
『どっかのちっこいのに随分前にやった本の主人公でさ、優しくて良い奴なんだと。そいつカウンセラーなんだろ?優しい方が良いじゃん。だから優しい子になるように、ゆい』
『随分個人的と言うか、協調性の無い理由ね……でも《ユイ》か。いいかも……うん!採用!』
『有りがたき幸せ……つーか、姉貴もそろそろプログラムじゃ無くて本物の子供作る相手の事考え……(ガチャッ)切りやがった……』
────
そんな会話をしたのは何時だっただろうか……?あれからもう随分と経つが、妙にはっきりと残るその会話はユイの名前の由来をありありとリョウの頭に思い出させた。
そんな中、今度はユイが、三人に対して、ゲーム開始からの自分についての説明を始める。
自分に感情摸倣機能が有る事。
二年前のゲームの開始時、ユイに対して上位プログラムが一切のプレイヤーへの干渉禁止を命じた事。
そのくせ、その他の役目に関しては全くノータッチで有ったため、彼女はやむなくプレイヤーの精神状態のモニタリングだけを続けた事。
結果、ゲーム開始時からプレイヤー達が陥った恐慌状態における恐怖や絶望、怒り。果ては狂気に至るまで、人間のありとあらゆる負の感情をモニタリングするだけで、問題を解決へと導けない矛盾した状況が続き、人間の負を受け取り続けたためにユイの中でバグが蓄積。彼女を崩壊させて行ったと言う事まで。
その全てを、ユイが悲痛な表情で、時には泣きながら話す間、リョウを含めた三人は一言も発しなかったし、発せなかった。
ただ、ユイが自分の崩壊の理由を話し終え話題を切り替える瞬間。彼女の眼に、それまでの悲しい光では無く何かを懐かしむような暖かい光がほんの少しだけ灯ったのを見た瞬間、リョウは自分の中に、強烈な違和感が芽生えるのを自覚した。
それまでの説明の中でユイは、「自分には感情摸倣プログラムが組み込まれており、表情も涙も全て偽物」そう言って、アスナに謝罪した。
しかし、幾ら感情摸倣プログラムと言えど……今のユイの瞳の光は完成され過ぎている様な感覚がしたのだ。
瞳の中の、深い悲しみと、自責の籠った暗い光。何かを懐かしみ、その思い出を慈しむような、優しく温かな光。
ユイの眼から読み取れる感情の光は、人間と比べても全く変わらない……否、或いは人間以上に、人間“らしい”物で、とても偽物とは思えない……
自分の姉は、此処まで完全な感情摸倣のプログラムを作り出していたのだろうか?
そんな疑問が、リョウの頭の中を支配し始めていたが無論、リョウが考えるその間にも話は進む。
再び続いたユイの言葉は、思考の海に潜ろうとしていたリョウの意識を浮上させる。
「キリトさん、アスナさん……わたし、ずっと、お二人に……会いたかった……森の中で、お二人の姿を始めてみた……すごく、嬉しかった……おかしいですよね、そんなこと、思えるわけ無いのに……私、只のプログラムなのに……」
その最後の一言に、リョウはピクリと眉を動かし、我慢できずに自分の疑問から湧き出た言葉を差し込んだ。
「只のプログラムってのはちょいと違うんじゃねぇか?」
「え……?」
「今この場所に居る時点で、お前が只のプログラムだってのは否定出来るぜ。俺」
リョウが自信を持って言うには訳があった。
ユイが逆らったからだ。上位のプログラムに対して。
通常、プログラムと言う物が自分より上位の存在……例えば人間や、上位プログラムに対して「逆らう」と言う反応を示す事は、そうプログラムされているか、上位の方が間違っているので無い限りは“絶対に”有り得ない。
何故ならシステムと言うのは、上位プログラムの命令に対して下位のプログラムが従い、正しい反応を示すと言う事を前提にして成り立って居るのであり、プログラム達がどこもかしこも上に逆らって自分勝手に行動していたのでは、そもそもプログラム自体の存在意義が無いからだ。
しかしユイはと言うと、システム側が「一切のプレイヤーへの干渉禁止」を命じたにも関わらず、自身の持つ「あの二人の近くに居たい。直接自分と話して欲しい」と言う欲求に従い、上の命令を無視してまでキリト達の近くに実体化した。
つまり、ユイにはシステムの命令を無視してでも自分の欲求に従おうとする力。“自我”がある事になる。
そして今のように、感情と自我が一つの身体にある時、そういった者が持つ物を人間はこう呼ぶのだ。
「心……ってな」
「ここ、ろ……」
リョウが言った言葉を、ユイは胸の上で両手を重ねて戸惑ったような表情で繰り返す。
「私は……こんな、偽物なのに……心なんて……」
「どうしてそう意固地になるかな……」
未だに後ろ向きな事を言うユイに、リョウは右手で額を抑え……
「…………!」
その手を、ユイの頭にポンッと言う音と共に置いた。
そのまま膝を曲げてしゃがみ、ユイとリョウは目線を合わせる
「あのなぁユイ坊。別にお前がプログラムであることと、お前が偽物だって事はイコールじゃねぇんだぞ?」
「な……何を……」
ユイは自分が人間ではなく。あくまでも一つのプログラムでありAI《人工知能》だと言うことを自覚している。
故に、自分の身体と思考パターンの全ては人工的に作られた物であり、決して目の前にいる彼ら人間のそれには成り得ない事も分かっていた。
だからこそ、辛かろうと自分の事を偽物と呼んだし、それによって彼らに拒絶されたとしても全て受け入れるつもりだった。
自分は人ではない。人ではない癖に、張りぼてのような身体と作られた精神で、アスナ達に近づき、理性が殆どなかったとは言えずっと皆を騙していたのだ。
償うには、丁度良い。
そう思って居たのに……今自分と目線を合わせて話している青年は、その理由も意味も全て無くしてしまおうとすらしている。
その事に対してユイは激しく動揺するが、反論しようにも上手く言葉が出ない。
「お前が何をもって自分が偽物、俺らが本物って言ってるかは知らんけどな?今のお前と俺達の違いとか、かなり小っさいぞ?俺達にはリアルの身体があって、お前は無い。それだけじゃん?」
「う……」
「感情が作り物で偽物だ?そんなこたねぇよ。此処にゃそう言ってやれる奴が三人も居んだから。自信持て」
「そうだよユイちゃん。あなたの心が偽物なんて……そんなこと言う人が居たら私が、私達がやっつけてあげる!」
リョウの後ろにいたアスナが中腰の姿勢になって此方を覗き込み、優しい笑顔を浮かべる。
後ろに居たキリトは腕を組んでいるが、其方もまた見守るような笑顔だ。
「アスナさん……キリトさん……」
「お前はもう、システムに操られるだけのプログラムなんかじゃねぇ。その事を誰も否定したりしねぇし、させやしねぇ……だからよ、今度はお前がプログラムとして伝えるべき事じゃ無く、ユイとして、伝えたい言葉をこいつらに伝えてみろ。」
「でも……「知ってるか?ユイ」」
本当に良いのか、そう思ったユイの戸惑うような言葉をリョウは手を翳してさえぎる。
少し強引だが、此処でこれ以上問答するのは時間の無駄だと感じた。
「子供ってのは、親には我が儘言って良いんだぜ?」
「っ……!わたし……は……」
そう言って、リョウがキリト達との間から横にのき、ユイと二人を向き合わせる。
二人は少しだけ微笑みながらユイの事を見つめ、その顔をまともに見た瞬間、ユイの涙腺は崩れ落ちた。
「ずっと……ずっと一緒にいたいです……!パパ……ママァ……!」
そう言って腕を伸ばしたユイに、同じように泣いてしまったアスナは駆け寄ると、その小さな身体を包み込むように抱きしめた。
直ぐに横にキリトが付き、子供であるユイを中心に三人で向き合うその姿は、紛れもない。親子のそれであった。
その姿を少し離れながら眺めていたリョウは、ふと、姉とのMHCPに関するもう一つの会話を思い出す。
────
『ねぇりょう?』
『んー?』
『もしも仮に、今作ってるこの子みたいな子が沢山出来て、いずれは現実の人々と家族の一員のように暮らす事が出来る日が来るとしたら……とっても素敵だと思わない?』
『姉貴の良く言う《人とプログラムの相互理解と共存》って奴か?そりゃまぁ面白れぇけどよ、機会が人と争わないっつーのが大前提だし、大体、それやるにゃ少なくともあと10年……いや、15年は間違いなくかかんだろ』
『あら、りょうも分かってきたじゃない?…………でも、そうね……時間はかかるでしょう……だけど実現してみせるわ。絶対に、私が作り出したこの子たちと一緒に……』
『相変わらず夢多いなぁ……』
『えぇ。夢は多い方が良いもの』
『もうなんども聞いた』
『ふふっ』
────
「はは……姉貴の夢も、あながち馬鹿に出来ねぇな……」
誰に聞こえる事も無い小さな言葉を、リョウは地下道の天井に向かって呟いた。
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