木の葉芽吹きて大樹為す
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双葉時代・エピローグ
落ち着いた色合いの深緑の色無地の和服を纏い、静謐な空気に包まれている背の高い人影が一人、集落の向こうに見える山脈の間に沈み行く夕日を眺めていた。
一際強い斜光が、人影の目を射抜く。
眩しそうに目を細めた人影は、背後から近寄ってくる気配に、ゆったりとした動きで振り返った。
振り返った先にいたのは長い黒髪を綺麗に括って、垂らした前髪で左目を隠した女だった。
女は人影の前に膝を付いて、恭しい仕草で両手を差し出す。
――――女が差し出した物を目にして、人影が驚いた様に目を見張る。
僅かに躊躇う様な仕草を見せた人影に、女が固い声で告げた。
「お察しの通り、これはうちは一族からの返書です。日向の白眼でも確認致しました。この書に不審な所はございません」
「――……中身は?」
「いいえ。まだ、誰も」
それきり口を噤んだ女に、人影は視線を巻物へと移動させる。
黒に近い紺色に、赤と白の『うちわ』の紋。そっと、その巻物へと人影が手を触れる。
軽く息を詰めてから、勢い良く結び目が解かれた。
広げた紙上へと視線を落とし、内容を流し見て――微かに眉根を寄せる。
巻物の最後の部分にまで視線を流した後、人影の肩が落ちた。
「頭領、うちははなんと……?」
「……兼ねてから返事の芳しくなかった例の件に関して……うちはも同意してくれるそうだ」
「っ! つまり、我らと同盟を結ぶと?」
人影の零した囁きに、女が驚いた様に目を見張る。
女の懐疑混じりの驚愕の声に、人影は巻物を元の形に戻しながら頷いた。
どこかひやりとした風が、人影の長い黒髪を背後へと靡かせながら吹き抜けていく。
人影が乱れた黒髪を掻き揚げる。その手の隙間から覗いた表情は、固い。
「あれほど頑だったうちはの頭領が? 信じられません」
「――……あいつも頭領だった、って事だろうな」
軽く溜め息を吐いて、人影が踵を返す。
慌てて後に従った女の方を振り返る事無く、人影は淡々とした声を上げる。
「桃華。――――オレはこの申し出を受けるぞ」
「……一族の者達を連れて行かれますか?」
「ああ。全員、連れて行く。皆に支度をする様に告げてくれ。――明朝、立つ」
「全員!? それではあまりにも……」
抗議の声を上げた女に、人影が眼光も鋭く振り返る。
声を荒げられた訳でも、叱咤された訳でもないのに、女の肩が震える。ややあって、女は恥じ入った表情で視線を落とした。
「申し訳ありません、頭領。しかし、何事も無かった様にうちはに接するだなんて……」
「分かってる。だが、それは向こうとて同じ事。あちらも千手に対して隔意を抱く者は多いだろうよ」
深緑の和服の袂が大きく翻る。静かな声がその場に響き渡った。
「それでも、彼らがこの申し出を受けたのは、うちはの者達もまた長引く戦乱の世に疲弊していると言う事に他ならない。彼らもまた、平和を望んでいる」
空の一角が赤い光で染め上げられる一方、その反対方向では空は群青色に変わっていた。
だからこそ、と人影の唇が小さく動く。
「――だからこそ……千手とうちはが和解したと、皆に示さなければならない。そのために、会談場所へは一族全員で向かう」
「分かりました。皆に伝えてきます」
「頼んだよ、桃華」
女の姿が残像を残して掻き消える。
三度風が吹いて、人影の纏う衣類と黒髪を大きく巻き上げた。
「一つの時代が、これで終わる事になるな……」
――――密やかな囁きは、誰の耳にも留まる事無く風に攫われる。
強い意思を秘めた眼差しが真っ直ぐに、沈み行く夕日を射抜いた。
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