その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~
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#08 "let\'s go to excursion!"
Side ダッチ
「………仕事を頼みたかったんだが、ちょっと無理そうだな」
オフィスのドアを開け室内に入るなり、ソファーに横たわるベニーの姿がサングラス越しの視界に飛び込んでくる。思わず呟いてしまったが、コイツがここまで酔い潰れるのも珍しいっちゃ珍しい。
「ああ、今日はそのまま寝かせておいてやってくれ。昨日の晩なんだが『イエロー・フラッグ』で エダに絡まれてな。相当飲まされてたよ」
声のする方へと振り返れば、奥からゼロがやってくる。手には水の入ったグラスを持って。それをベニーに渡した後、此方に向き直る。
「彼女も随分"仕事熱心"でな。うちにかなり興味があるようだったよ」
ニヤリと笑いながら、んな事を言いやがる。
けっ。よく言うぜ。
「あの女が興味あんのは"うち"じゃなくて、 特定の"誰かさん"なんじゃねえか」
俺もニヤリと笑いながら答える。
しかし『暴力教会』のエダか。
エダの"仕事"に関しちゃ詳しくは知らん。ただの能天気女じゃねえ事くらいはさすがに分かるがな。やたら"街の事情"を気にしてるようだが、そんな奴は珍しくねえ。
こんな街だからな。どこに火種が転がってるか分からん。気を配るのは当然だ。ただあの女は自分の為ではなく、"何か他の人間"の為に動いている節がある。ヨランダの指示って可能性もあるが………
「ベニーはああいうタイプは苦手なのか? 学生時代にトラウマでも植え付けられたか」
「……うう、思い出させないでよ…」
ベニーと話してるゼロの後ろ姿を見ながらエダの思惑に思考を巡らす。
この街の事情を探ってりゃ、確かにゼロの事は気になるだろう。バックに組織がついてるわけじゃねえし、派手な動きをしてるわけでもねえ。ただ"何となくは気になるんだよな"。
街でデカイ事件が起これば、必ず噂が出回る。突拍子もねえものから、信憑性の高いものまで様々なやつがな。そして噂の大半には出てくるんだ。"ゼロ"という名前が。
ゼロがカルテルのボスを撃ち殺した。ゼロが港で張の旦那と話してた。ゼロが倉庫で麻薬の取引を指示してた。ゼロがバオを背中におぶって走ってた。ゼロがバラライカと一緒にビルの爆破されるところを眺めていた。ゼロが、ゼロが、ゼロが……
全く大したもんだ。こんなもんが全部本当だとしたら、コイツはこの街の支配者を名乗れるぜ。
中には明らかな嘘ってのもある。何しろコイツはラグーンのクルーだからな。不在証明ってわけじゃないが、噂通りの時間帯には俺達と一緒に海の上にいた。なんて事はざらだ。にも関わらずコイツは街の人気者だ。噂には変わらず登場し続けている。
まあ、満更嘘ばかりでもないんだろう。
バラライカと一緒にいた、なんてのは充分あり得る話だな。さすがに"あれ"と殺り合ったなんて噂だったら信じられんが。
張の旦那との噂なんて益々真実味がある。何せ"古い馴染み"だからな、あの二人は。話くらいはするだろう。どんな話かはともかくな。
「そう言えばダッチ? 仕事の話があるんだったか」
ベニーとの話を終えたか、再び振り向いて俺に訊ねてくるゼロ。
改めて思うが、俺はおもしれえ奴を仲間に持ったぜ。こんな奴とはそうお目にかかれんだろう。こんな"不思議"な奴とはな。
「ダッチ?」
「ああ、すまん。 仕事の話だったな」
ゼロが怪訝そうに聞いてくる。いかん。仕事の話をする時には集中せんとな。
「いくつか廻ってほしいところがある。ベニーに車で行ってもらおうかと思ってたんだが、な」
そこで一旦言葉を切ってソファーに横たわるベニーに目を遣る。
唸りながら横たわったままの姿は、いつものクールなベニー・ボーイとはあまりにかけ離れ過ぎている。これじゃあ全く使い物にならんな。
「車が必要というだけなら、俺が代わりに行くとしよう。ベニー、構わんだろう?」
ゼロが訊ねるが返事をする気力もないようだ。片手をヒラヒラと振り了承の意を示してくる。
「持ち主の許可は得た。じゃあ、そういう事で構わないか?」
「ああ、よろしく頼むぜ」
哀れなベニーから視線を外して、ゼロに行き先を書いたメモを渡す。
しかし、ベニーがこれでは今日の予定を練り直す必要があるな。
毛の無い頭を撫でながらそんな事を考えていれば、事務所の出口付近でゼロが振り返って訊ねてきた。
「ダッチ、今日はもう仕事にならんだろう。レヴィとロックを借りてもいいか?」
レヴィとロックを連れていく?
「そりゃ構わんが、何か考えがあるのか?」
コイツが意味もなくそんな事を提案してくるとも思えんが………
「なに、悩める青年に少し手助けをしてやろうかと思ってな。アンタにばかり苦労を掛けさせるのも忍びないんでな」
悩める青年?ロックの事か。最近鬱ぎ込んではいたようだが。
「まあ、俺が楽を出来るなら文句を言う筋合いでもないな。良いぜ、お前に任せた。好きなようにやってくれ」
理解ある上司を持って俺は幸せ者だよ、ボス。
そう笑いながら言い残し、ゼロは部屋を出ていった。
ロック、か。
アイツも中々おもしれえ奴だからな。どういう選択をするか知らんが、良い方向に転がる事を願うぜ。
頼んだぜ、ゼロ。
Side レヴィ
「ふぁぁぁぁ、眠み………」
車の後部座席で大欠伸を一つ。ああ…まだ頭ぼんやりしてんな… そういやまだ今日は吸ってなかったっけ。え、と…火ぃは、と。
「ロック。レヴィに火を貸してやれ」
「え、あ、ああ」
運転席でハンドルを握ってたゼロが助手席のロックに声を掛ける。
相変わらず何処見てんだか解んないような顔で、よく周りを見てる野郎だ。
「レヴィ」
「ん?」
助手席からロックが身体を捻りながら、火を差し出してくる。アタシもシートから腰を浮かして、前の椅子の背を掴みながら、二人の間に顔を突っ込むようにして差し出された火にタバコを近付ける。
深く一息吸い込んだ後シートに座り直し、車の天井に向かって煙を吐き出す。
そうする事で漸く頭が目覚めてくる。頭ん中に巣くってたゴミやらホコリやらが煙と一緒に追ん出ていくような感覚。吐き出した煙は走ってる車ん中から開きっぱなしの窓を通し、流れ出ていく。
………いい天気だな、今日も。
朝からゼロとロックの奴が二人して部屋まで起こしに来た時は何事かと思ったけどな。三人仲良く車でダッチのおつかいとはね。まあ、たまにはそういうのもいいか。
「レヴィ、済まなかったな。気持ちよく寝てるところを起こしてしまって。正直俺一人でも問題はないんだがな」
ハンドルは握ったままでゼロの奴が前の席から話し掛けてくる。コイツの運転も久し振りだ。
何でも本来はベニーが行く筈の仕事だったらしい。実際今アタシらが乗ってんのもベニー御自慢の愛車だしな。
ところが、昨日の夜にエダの馬鹿に酔い潰されちまったらしい。あのアバズレ………アタシがいねえ時に好き勝手やりやがって。
「別に構わねえさ。どうせ暇もて余してる身だ。相棒に付き合うのも悪くない。 けど、ロックも一緒に連れてくんだな。何かダッチに言われたのか?」
チラッと助手席に目を遣りゃ、ロックの奴は相変わらずネクタイみてえな首の締まるもん巻いて大人しく座ってやがる。
何度か、んな暑苦しいスーツなんぞ脱いじまえって言ってやったんだが聞きゃしねえ。
よくやるよ、割合頑固だなコイツも。
ん?今、ロックの奴ルームミラーでアタシの事見たか?
「ロックを連れてきたのは俺の判断だよ。うちの取引先と顔合わせをさせとこうと思ってな。後はまあ、社会見学も兼ねてるかな」
社会見学? 何だそりゃ?
眉をしかめたアタシの表情を読み取ったんだろう。ゼロが言葉を足した。
「日本の学校じゃあ子供たちに、工場やら地元の旧跡を訪ねるっていう授業をたまにやってるらしい。机に座り込んでるだけじゃ分からない事を実際に目の当たりにさせて教えよう という目論見らしい」
へえ、またつまんなそうな事やるんだな。
タバコをくわえたままぼんやりと、ゼロの話を聞く。
そういやコイツ、何でそんな事知ってんだろうな? 日本のガキどものお勉強内容までな。 ダッチもそうだけど、変な事に詳しいんだよな。 ベニーはコンピューターフリークだからまだ分かるけどな。一体どんな経験してきたんだ、コイツ?
「今回はそれをロックに適用しようというわけさ。知らない事は知らないままでいる方がいい 場合もあるが、知っておいた方がいい場合もあるだろう。特にロックの奴はちょっと危なっかしい ところがある。お前もそう思わないか?」
ああ、確かにな。目を細めて前に座ってる馬鹿のド頭を見る。
コイツは何にも分かっちゃいねえ。"ここ"がどういう場所か。"アタシら"がどういう人間か。コイツは全く分かっちゃいねえ。今もテメエの話をされてるってのに、ぼおっとしやがって。窓から外を見るわけでもなく、ただ前向いて大人しく座ったままだ。
はん!覇気のねえ野郎だ。
何となくイライラしてきたアタシの耳にゼロの声が再び届く。
「俺やお前が常に守ってやれれば、それが一番なんだがそういうわけにもいかんしな。 ロックにも成長してもらわなきゃいかん。行った先で色々と話を聞かせてもらえば有意義な時間になるだろう。一人で悶々と考え込むよりはな」
助手席のシート越しに見えるロックの肩が、微かに震えた。一人で悶々と、ねえ。
視線を前に座る新入りの日本人から外し、車の窓から流れていく街を眺める。
街はいつもと変わらねえ。薄汚れた建物にやたら派手な看板。厚化粧の女どもに群がる男たち。安酒の匂いに混じった腐ったドブの香り。ラチャダ・ストリートに入ったか。
って事は最初の目的地はローワンの店だな。
「ゼロ、この辺は坊やには刺激が強すぎないか。まだおしゃぶりが必要な坊やにはな」
「子供ってな、こっちが想像する以上に早く成長するものさ。でかすぎる服も成長すりゃ似合うようになる。
第一コイツはどうしたってこの街じゃ異質な存在だ。どうせどこに連れていっても場違いなら、どこでも連れていってやるさ。保護者同伴でな」
アタシの顔は外に向いたままだったから、ゼロがどんな顔してたかは分からない。もっとも運転席にいる以上はミラー越しにしか確認できねえけど。それにどうせいつもの無表情だろ。
短くなったタバコを人さし指と中指で挟み、窓から手を伸ばして放り捨てる。
………来るんじゃなかったかな、やっぱ。
「着いたぞ」
車は予想通りローワンの店の前で止まる。ゼロはドアを開けさっさと降りていく。ロックの奴も少し遅れて助手席のドアを開け、おずおずと降りていく。
ちっ、いちいちビビってんじゃねえよ。
アタシは勢いよくドアを開け、足下にあった安酒の瓶を思いきり蹴り飛ばす。
驚いてこちらを振り返るロックの後頭部を一発張り飛ばして店に向かい、そのまま振り向く事なく軟弱野郎に告げる。
「ぼおっとしてんな。とっとと入るぜ。ゼロが待ってる」
あの野郎、アタシに子守押し付けてさっさと行きやがって。一言文句言ってやらなきゃ気が済まねえ。
足音高くローワンの店に踏み込んでいったアタシの後ろから、もう一つの足音が聞こえて来る。
アタシは特に気にする事もなく足を動かし続けた………
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