木の葉芽吹きて大樹為す
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双葉時代プロローグ
広々とした大海原に切り立った崖の上。
断続して響く波の音を子守唄に、一匹の巨大な獣が微睡んでいた。
夕日に照らされ、真紅に染まった朱金色の毛並み。
堂々たる巨躯より生える、九本の優美な尾。
微睡んでいるせいで瞳は閉ざされ、どのような色をしているのかを判じる事は出来ない。
――だが。
それまで閉ざされていた瞼がゆっくりと開かれ、大きくて丸い瞳がぎょろりと動く。
筆で一筆引かれた様な黒い目元に栄える鮮血の色の瞳が近付いてくる人影を見据え、兇悪な輝きを放つ牙が並んだ口元が嘲る様に歪んだ。
『……またお前か、柱間。千手の頭領と言うのは中々暇そうだと見える』
げらげらと愉快そうに嗤う獣。それに、近寄って来た人間は軽く肩を竦めてみせた。
「まあ、そう言ってくれるな。日々の激務の間の気晴らしだ。悪名高い九尾の狐の元に、こうして木分身を送ったって文句は言われまいよ」
『ふん! 結局、本体は一度としてワシの元に姿を現した事がないではないか』
「なんだよ、拗ねてんのか? ミトの様に可愛い娘であれば兎も角、オレの背丈よりもデカイ狐に拗ねられてもなぁ……」
『誰がそのような事を言ったか、この大戯け!!』
長い尾が大袈裟に振るわれて、何とも言えない表情を浮かべていた人間へと落とされる。
砂塵と砕かれた岩石が辺りに散らばり、尾の直撃を受けた大地が陥没した。
「おいおい。いくら六道仙人の肉体を受け継いだオレでも、流石に今のを食らえばやばかったぞ」
『はっ!』
鼻で嗤ってそっぽを向いた獣に、人間は大袈裟に肩を竦めてみせる。
そうしてから、俄にその身に纏う空気を変えた。
「――なあ、九尾。お前は人間よりも遥かに長い時間を生きているんだよな」
獣が振り向いた先で佇む人間は、長い黒髪を海風に靡かせていた。
それまでのどこか飄々とした雰囲気を崩して、人間は真摯な光を宿した両眼で獣の鮮血の瞳を見つめる。
『それがどうした。矮小な人間の分際で不死でも望もうと言うのか?』
「いーや、そんなもんはオレはいらんね! 代わりに、お前に頼みたい事があるだけさ」
言ってみろ、と横柄に九尾が顎を揺らす。
軽く人間は苦笑して、朗々と声を響かせた。
「――九尾、オレはこの世界を変えるつもりだ。毎日の様に戦争を起こしては、嘆きと悲しみ、そして憎しみを永遠に生み出し続けている世界の無秩序な現状を……変える、いや――変えてやる」
『……出来るものか。憎しみは憎しみを生み、新たな諍いの火種を生み出すしかない。それは六道のじじいの時代から変わらない世界の真理だ』
「そうだね。そんな簡単にはいかないだろう」
あっさりと頷いてみせた人間に、言った方の獣の方が不愉快な顔をする。
獣のくせに人よりも人らしい振る舞いに、人間は苦笑すると、その両の腕を大きく広げた。
吹き抜ける海風に身を浸す様に、心地良さそうに瞳を閉じて世界を迎え入れる。
そうして、そっと口を開いた。
「一人では、多分無理だ。けどね、幸いな事にオレは一人じゃない。そうして支え、支えられ、オレは当初の目的通り、忍びの世界で最強と呼ばれる様にまでなった」
ここからが、スタート地点なんだ。
くるり、と踵を回して人間は獣へ背中を向ける。
「悠久に近い寿命を持つお前なら、この先オレがどのような道を辿るのか、文字通り長い目で見れるだろう? オレの辿り着いた先に平和がなされるのかどうか、見ていてくれないだろうか?」
『ふん……! そこまで言うのならば、お前の望む通り眺めていてやろうじゃないか。ちっぽけな人間の、その身に余る願いの果てに何が残るのかを』
――――唸る様な響きに、人間は小さく微笑んで感謝の言葉を述べた。
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