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無印編
第二十二話 裏 前 (アルフ、リンディ、
アルフがリニスのバインドから抜け出したのは、プレシアが姿を消した五分後のことだった。
熟練者のバインドであれば、強制的な解除など不可能に近い拘束魔法を五分で破壊したのだから、アルフとしては誇るべきことなのかもしれない。もっとも、これはリニスがアルフの師匠であり、魔法のプログラムを知っていたからこそ、できた芸当である。もし、他の魔導師のバインドならば、倍以上かかったかもしれない。しかし、いくら師匠の魔法でプログラムを知っているからといっても、五分という時間は快挙である。
しかしながら、それを誇るような余裕をアルフは持ち合わせていなかった。
「フェイトっ!!」
彼女がフェイトと呼ばれると情緒不安定になることも忘れて、アルフは心配そうな表情を浮かべてフェイトに駆け寄った。
倒れこんだフェイトを抱きかかえるアルフ。見た目の上では、外傷は見当たらない。だが、その心の中までは分からない。フェイトは何も映さない虚ろな瞳で虚空を見つめているのだから。まるで生きることを放棄したようにフェイトは、アルフが呼ぶ名前にも何も反応しなかった。これでは、まるで生きた人形のようだ、とあの思い出したくもない糞婆の言葉を思ってしまった。
そんなバカな考えを頭を振り、追い出しながら、次の行動をアルフは考えていた。
フェイトのことは気がかりだ。このままにはしておけない。だが、それと同じぐらいに気になるのは、翔太の行方だ。どうして、プレシアが翔太を誘拐する必要があったのか、アルフには分からない。確かに翔太は、プレシアが欲していたジュエルシードを集める手伝いをしていたが、それだけだ。ジュエルシードそのものを持っているわけでも、ジュエルシードを管理している時空管理局にとって重要な人物であるわけでもない。翔太を誘拐したところで彼らに何も旨みがないはずなのだ。
そして、最後に気になるのはバインドを解く直前に聞こえた叫び声だ。あの声は忘れもしない。あの白い魔導師―――高町なのはのものである。少し気になったアルフが窓の向こう側を見てみると、そこに佇んでいたのは、白いバリアジャケットに身を包まれ、幽鬼のように薄い存在感で宙に浮かんでるなのはの姿だった。もしも、アルフが魔法の存在を知らなければ、今のなのはを幽霊と勘違いしていてもおかしくはない。
見開かれた瞳は、虚空を見ており、その小さな口からは、何かをぶつぶつと呟いているように思える。口の形から察するに翔太の名前を呼んでいるようにも聞こえた。
―――まさか、プレシアが誘拐するところを見たのかい?
それは、なのはにとってどれだけの衝撃か、アルフには分からない。ただ、日頃の様子を伺っていれば、彼女が翔太になついているか分かる。それに、彼女と最初の接触で、敵に回ったフェイトをあれだけ痛めつけた少女なのだ。今は、翔太が誘拐されたショックで呆然としているような気がするが、彼女が正気に戻ったとき、どうなるか、アルフには想像がつかなかった。
―――あの糞婆、虎の尻尾を踏んでいきやがった。
いい気味だ、と思うアルフの聴力に優れた耳が、先ほどの物音を聞きつけたのだろう、この部屋に近づいてくる翔太の母親の声を捕らえていた。段々と声が近づいてくるところから考えるに彼女は、この部屋に近づいているようだった。
「さて、どうやって、説明したもんかね?」
今のフェイト―――アリシアの状況。窓の外のなのは。そして、翔太が誘拐された事実。
それらを翔太の両親に説明しなければならないということを考えて頭が痛くなるアルフだった。
◇ ◇ ◇
リンディ・ハラオウンに翔太誘拐の一報が入ったのは、事件が起きた三十分後だった。それを早いと見るか、遅いと見るかは人によるだろうが、なのはに渡していた緊急用のデバイスを使ったアルフの報告により、艦内は騒然としていた。
当然といえば、当然だった。なぜなら、ジュエルシードは既にすべて収集しており、20個のジュエルシードはアースラの艦内にあるのだから。プレシアがジュエルシードを欲しており、フェイトという手駒を送り込んできていたことを知っていたため、収集が終わった今でも第二種警戒配置にはしているが、それは収集し終えたアースラを襲撃するのではないか、という考えに基づいた警戒であり、翔太やなのはに関する警戒ではない。
だから、誰もが予想外の一報に慌てたのだ。そして、それはリンディも同様で、なのはのデバイスを使って通信してきたアルフを見たときは、フェイト―――アリシアに関して何かあるのか? 程度にしか考えていなかったのに突然、翔太がプレシアに誘拐された、などと聞かされれば、驚いてしまうことも仕方ないことだろう。艦長席で、リラックスしながら、砂糖が飽和量限界まで入った緑茶を飲んでいたリンディが、漫画のように緑茶を噴出さなかったのは、女性のたしなみ故だろう。
こほっ、こほっ、と咳き込みながらもアルフの一報を聞いたリンディは、その情報の確証を取り、すぐさま艦内全域に第一種警戒態勢―――戦闘配備を発令した。行動は、翔太の誘拐という不可解なものではあるが、今回の事件の中核であるジュエルシードを狙うプレシアが動いたのだ、一当てあると考えるのが当然だろう。
第一種警戒態勢に騒然となりながらも、各部署に連絡を取りながら動く管制塔と整然と動く艦内を心強く思いながらリンディは、管制塔の一番上に備え付けられた艦長席に身を沈ませる。半分ほど減っている先ほど飲んでいた緑茶の湯飲みを手に取り、少しだけ冷めた緑茶を口にしながらリンディは考える。
―――プレシアの目的はなに?
それは、当然のことながらアルフが考えたことと同様のことだ。
翔太という手札を手中に収めたプレシアだが、そのカードはアースラにとってエースでもなければ、ジョーカーでもない。つまり、こちら側にとって切り札足りえないのだ。確かに子どもで地元住民ということを考えれば、できるだけ巻き込みたくない類の人間だが、管理内世界の人間に比べれば、優先度は下がる。
もっとも、翔太の重要度が高かろうが、プレシアの要求に乗ることなどできやしない。なぜなら、それが弱みになるからだ。アースラだけではなく、時空管理局全体の。一度、犯人の要求に屈してしまえば、それは汚点で終わってしまう。他の犯罪者がもしかしたら、自分でも、と思ってしまえば最悪だ。ダムに空いた小さな穴のようなアースラのたった一回の行動で、時空管理局全体が瓦解してしまうかもしれないのだ。それだけは避けなければならない。だから、アースラは決してプレシアの要求に応えることはないだろう。
―――それはプレシアも知っているはず。ならば、なぜ?
覚えている限りの過去の誘拐事件等の調書等から動機を推測してみるが、しばらく考えた後、リンディは、プレシアの動機を推測することをやめた。考えても仕方ないと言うことが分かったからだ。そんな中、確信していることが二つある。
一つは、少なくとも誘拐された翔太が危害を加えられることはないということだ。誘拐という事件の特性上、人質の安全は絶対だ。誘拐事件にとって人質というファクターは、交換するものという最重要なもので、それに危害が加えられれば、せっかくの人質も意味を成さないからである。魔法が実在する以上、変身魔法や幻惑魔法等の心配も考えられるが、前者は本人しか知らないことを聞くのが当たり前になっているし、後者に関しては、映像を介した場合、揺らぎが発生するため、やはり見破る事が可能だ。
そもそも、通常、誘拐というのは綿密な計画の下に成り立っている。殺害するということは、確かに証拠を残さない上では、有効な手段かもしれないが、取り返しがつかず、ばれてしまえば、綿密な計画のために浪費した時間と金が水の泡になるのだ。よって、人質は基本的に傷つけないのが管理世界でも主流ではある。
もう一つは、焦らなくても、いずれプレシアのほうから連絡を取ってくるということである。彼女が欲しているのは、アースラの艦内にあるジュエルシードだ。それを交換するための交渉を行うためには、必ずこちらとコンタクトを取らなければ、始まらないからである。こちらから連絡を取る手段がない以上、彼女からのコンタクトを待つしかないだろう。
ちなみに、プレシアのアジトと考えられる時の庭園だが、アルフから聞き出した直後にその座標を調べたが既にその座標には何もなく、別の座標に移ったと考えたほうがいいだろう。そのため、こちらからはプレシアからのコンタクトを待つしかない状況だ。
その際、何が起きても大丈夫なように艦内全域に万全の準備をするようにという通達を終えたリンディの元に一つの通信が入る。
どうやら、アルフ、アリシア、なのは、翔太の両親、恭也、忍といった地球側の関係者が全員集まったようだった。その中で、明らかに様子のおかしいアリシアを医務室に運ぶように指示を出してリンディは管制塔に一言告げて艦長席を後にする。翔太の両親やなのは、恭也、忍に状況を説明するためだ。
管制塔を出たリンディは、地球側関係者を集めた会議室のような部屋へと向かっていた。その部屋に入った途端、その部屋にいた全員の注目がリンディに集まる。それを軽く受け流しながら、リンディは、翔太の両親の様子を伺った。母親のほうは、心配でたまらないという表情を浮かべており、父親はそれを支えるように彼女の肩を抱いていた。ただ、支えている彼も心なしか、肩が震えている。子を持つ親としては、彼らの心情は理解できる。子どもが誘拐されたなどと聞かされれば、ショックだろう。だから、彼らの心配が少しでも軽くなれば、と思い、リンディは最初に彼らに声をかけることにした。
「翔太くんのご両親ですね。今回は、翔太くんを我々の管轄のことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「いえ。あの……それよりも、ショウちゃ―――翔太は、大丈夫なんでしょうか?」
「それについては、大丈夫かと。犯人の目的ははっきりしておりますので。それを手に入れるための鍵である翔太くんを傷つけるような真似はしないでしょう」
それはある種の目安だが、絶対とはいえない。だが、それでも心配を少しは和らげることができたのであろう。彼らはリンディの言葉に少しだけほっとした表情を浮かべていた。
リンディは、それから翔太の両親に目下全力で捜査中であること、なんとしてでも無事に翔太を取り戻すことを説明した。それらに対しては、翔太の両親は、よろしくお願いします、と頭を下げるだけだった。
その後、彼らはもう一人の娘であるアリシアのことが気になったのか、彼女の行方を聞いてきた。リンディは、ここで気を揉んでいるよりも、アリシアといたほうがいいだろう、と判断して、局員の一人を呼び出して医務室に案内させることにした。彼らに自由に医務室や食堂や客室を自由に使わせることに許可を出して。
さて、翔太の両親の話は終わった。残りは、三人だ。だが、その三人が一筋縄でいくとは到底思えなかった。彼らに視線を向けてみれば、案の定、疑わしいものを見るような視線をこちらに向けていた。もしかしたら、彼らは、誘拐事件等における自分たちのような組織の行動を知っているのかもしれない。それを翔太の両親の前で口にしなかったのは彼らの優しさだろう。
「話は聞いての通りです。翔太君の捜査には全力を尽くしています」
「確実に翔太くんを助けてくれるんでしょうね?」
それは、まるで時空管理局側の態度を試すような恭也の鋭い視線だった。だが、リンディとて伊達に長年、時空管理局に勤めて、提督という地位にまで出世したわけではない。常人であれば、怯みそうな視線を微笑みと共に受け流し、「当然です」と答えた。もっとも、これは社交辞令ではない。翔太は魔法の世界である管理世界には関係なく、善意で手伝ってくれた少年なのだ。できる限り助けたいと思うのは当然だ。
しばらくにらみ合うような無言の時間が続くようだったが、やがて根負けしたのは恭也だった。
「分かりました。あなた方を信じます。翔太くんの救出をよろしくお願いします」
「はい、分かりました」
さて、とりあえずの話は終わった。あとは彼らをどうするか、である。彼らは翔太の両親のように直接関係はない。つまり、アースラにいなくても問題がないということである。この先は、きっとアースラとプレシアとの対決になるだろう。魔法が使えない彼らがいても、言い方は悪いが、この状況で部外者は、邪魔になるだけだ。だから、進展があれば、そのとき連絡するという形を取ろうとしたリンディの耳になのはの呟くような声が聞こえた。
「……ショウくんのことが一番早く分かるのはどこ?」
今まで俯いて、暗い表情をしていたなのはがポツリと漏らした言葉。彼女も心配で仕方ないのだろう。あの事件の後の部屋の様子を知っている身としては、容易に想像できることだ。それは、なのはの処遇に関して説明したとき、あの部屋の様子を映した映像を見た恭也も同じ思いだったのか、リンディと視線を合わせること数秒。お願いします、といわんばかりに軽く頭を下げていた。
翔太の誘拐に関しては、アースラ側の落ち度があったことも事実だ。全部、集まったことで気が抜けていたのかもしれない。完璧を求めるなら、彼らの安全も確保するべきだったのだ。そんな負い目があるからか、リンディは、大人しく席に座っておくことを条件に管制塔にいることを特別に許可したのだった。
それから、無駄な時間が過ぎていく。状況は待つしかないとはいえ、何も動きがない状況で待ち続けるというのは、非常に辛いものだ。アースラの艦内でも最初の三十分程度は、緊張感が保たれていたが、今ではその緊張感を保つことも難しくなってきている。その空気を読んだのだろうか第一種警戒態勢から準第一種警戒態勢へと移行させた。少しは気が休まる時間ができることだろう。しかしながら、武装隊や後方支援などの部隊はいいものの、管制塔のメインスタッフたちは今も休むことなく動いていた。
その管制塔の一番上の艦長席では、リンディが自家製の緑茶を口にしながらことが動くのを待っていた。
―――もしも、この状況がプレシアの策略なら大したものね。
一度、大きな事を起こしておきながら、次に何かあると思わせておいて、何も行動を起こさず相手を疲弊させる。疲弊しなかったとしても、一度ピークに達した緊張感は一時にしても平時よりも下がってしまう。そこを突くつもりなのかもしれない。
様々な策略の効果と相手の考えが伺えるが、どれも決定的ではなく、分かっているのは相手にイニシアチブを取られているということだけだ。
あまり芳しくない状況を考えて、はぁ、と心の中でため息を吐くリンディ。表立ってため息を吐かない、吐けないのは、彼女がこの艦内でのトップだからだ。トップがため息などはいていては、組織全体に伝播してしまう。それでは、士気を保つところではない。もしも、この状況で攻め込まれでもしたら、立て直すのにそれなりの時間が必要だろう。
気を落ち着けるためにももう一杯、と空になった湯のみを手に持ち、再度、砂糖が飽和限界まで入ったお茶を作ろうとしたリンディの耳にエイミィの鋭い声が響く。
「艦長っ!! アンノウンからの通信、来ましたっ!!」
正体不明の相手からの通信。状況を考えるに相手はたった一人しか思い浮かばない。
「繋いでちょうだい」
お茶を再度作るために立ち上がろうとした腰を再び下ろして、エイミィに通信を繋ぐように指示する。その場にいる全員が緊張した面持ちで正面に展開されるモニターに注目する。その注目の中、通信がつながれ、モニターに現れたのは、一人の女性。リンディが資料に添付された顔写真よりも若干、年を取っているように思えるが、それでも、モニターに映った彼女は間違いなくリンディたちが連絡を待っていた相手―――プレシア・テスタロッサに相違なかった。
『こんばんはぁ、アポイントメントもなしにごめんなさいね』
モニターに現れたプレシアは、どこかの暗い室内の中、嗤いながら通信に現れた。嗤っている。その状況にリンディとしては驚嘆を覚える。相手はプレシアという個人であるはずなのだ。個人で時空管理局という屈指の組織に相対しているにも関わらず嗤えるプレシアに恐怖にも似た驚嘆を抱くのだった。
だが、アースラの艦長として彼女の恐怖に屈するわけにもいかない。
「そうね、今度からは、アポイントメントをお願いするわ」
嗤うプレシアに対して、微笑みのポーカーフェイスで様子を伺うリンディ。微笑を浮かべながらも、リンディはプレシアの様子をつぶさに伺っていた。どんな変化も見落とさないように。
しばらく二人のにらみ合いのような、距離を測るような沈黙を保つ。お互いに様子を伺っているのだ。切り出すタイミングを。だが、そのタイミングを得たのは、リンディでもプレシアでもなかった。
「ショウくんを返せっ!!」
小さな女の子の少し甲高い声が、管制塔に大きく響いた。それが通信相手であるプレシアにも聞こえたのだろう。視線を艦長席から少し離れた場所に設置された特別席へと移していた。その視線の先にいたのは、白い制服に包まれたなのはの姿。プレシアの姿に興奮したのか、今までは大人しく座っていた席から立ち上がって、モニターの向こうに見えるプレシアを睨みつけていた。
そんななのはの心情を慮れば、そういいたくなるのは分かるが、いくらなんでも単刀直入すぎる。だが、翔太のことも考えれば、時間を長引かせるのも、やっかいだ、と考え、リンディは、自分を落ち着けるようにふぅ、と大きく一度深呼吸すると、強大な敵に立ち向かうように意思を持った視線をプレシアに向けた。
「そうね、回りくどいやり取りはなしにしましょうか。それで、要求は何かしら? プレシア・テスタロッサ」
最後に一言軽いジャブを放つリンディ。最後のジャブに対してプレシアの反応は少しだけ眉をしかめただけ。だが、すぐに納得したように頷いた。
『そうか、そっちにはあれがいたわね。そう、なら、話は早いわ。ジュエルシードをすべて渡しなさい。あの子と交換よ』
「その前に翔太くんは無事なんでしょうね」
要求はこちらの予想通りだったため、誰も動揺はなかった。それよりも、大切なのは、人質となっている翔太の無事だ。誘拐事件においては当然のことだ。だが、それにも関わらず、リンディの対応にプレシアは、なぜか事が上手く運んだかのようにニタァと意地の悪い笑みを浮かべた。それに嫌な予感がするリンディ。だが、それを悟らせるわけにはいかない、と微笑を崩すことはなかった。
『彼は無事よ。そうね、見れば分かるでしょう』
やけに待遇が言い。こういう場合は、交渉の一巻として、無事を見せる代わりに何かを要求するのが交渉だ。特にジュエルシードは、一個だけ存在するようなタイプのロストロギアではない。複数個から成るロストロギアなのだ。一個を渡す代わりに翔太の無事を確認させるぐらいはしそうだが。
いや、考えすぎなのかもしれない。プレシアは研究者だった。リンディたちのようなプロではないのだ。だから、交渉のやり方も知らないのかもしれない。それに何より、何もせずとも無事を確認させてくれるのだ。ここで何か言うよりも無言を保つほうが利があるとリンディは考えた。
待つこと数分、画面の端から現れたのは、一匹の使い魔。猫をベースにしたのだろう、リンディがよく知る知人の使い魔のように猫耳が頭のてっぺんに立っていた。そして、彼女が飼い犬のリードのように持っている魔法で作られた紐の先には、首輪をつけられ、後ろ手に縛られた翔太の姿があった。
「ショウくんっ!!」
それを見て最初に叫んだのは、なのはだ。しかも、管制塔一杯に響くような大声で。だから、管制塔のいた誰かが上げようとした声を上げることはできなかった。人質に目隠しや後ろ手に縛ったりすることは考えられても、まさか動物のように首輪までつけるとは。さすがにそこまで想像していなかったリンディは翔太の無事な姿に安心しながらも、絶句していた。その隙を突くようにプレシアは、畳み込むように言葉を紡いだ。
『さあ、これで分かったでしょう。この子は無事よ。ジュエルシードを渡しなさい』
プレシアの再度の要求で、リンディは我に返る。そう、次にそうくるのは当たり前だった。気を取り直したリンディは、少しだけ心を落ち着けて、プレシアに問う。
「待ちなさい。貴方はジュエルシードなんてロストロギアを何に使おうというの?」
渡しなさい、といわれて、「はい、分かりました」とはいかない。翔太の無事が確認された以上、ここから先は交渉だ。相手と自分の妥協点を見つけて翔太を返してもらう。どこまで妥協できるか分からない。最悪、条件の如何によっては、翔太を切り捨てることを考えなければならないかもしれない。もっとも、それは最悪であり、考えたくもない結論ではあるが。
だが、リンディは、忘れていた。相手は計算された誘拐の犯罪者ではなく、ただの研究者だったことを。こちらがプロだからと言って相手がプロとは限らないことを。
リンディの言葉は誘拐という事件においてはセオリー通りだっただろう。だが、プレシアにとっては、余計なことに首を突っ込んでくる言葉に聞こえたのだろう。プレシアは、嗤っていた表情を不快なものに変えていた。同時にそこから感じるのは、明らかな苛立ちだった。
『……ごちゃごちゃ五月蝿いわね。大人しくジュエルシードを渡せばいいのよ』
怒っているような低い声。その様変わりしたようなプレシアの様子にリンディは、焦る。怒りは、冷静な判断を失わせる。なによりも、この状況においては怒るには早すぎる。もっと様子を伺うと思っていたのだが。
突如として、過程を通り越して、何歩か先に進んでしまった状況にリンディの思考が追いつかないうちに状況に変化が訪れた。苛立ったようなプレシアが、使い魔を一瞥すると、その使い魔が動き出したのだ。何かするつもりなのか? と疑問符を浮かべてみていると、転がされていた翔太の後ろ手に結ばれていたバインドを解いて、そのまま天井につるしてしまった。まるで、磔にされたように空中で固定される翔太。
その行動にどんな意味が? と思っていると、翔太を空中に吊るした使い魔は、拳を振りかぶり、そのままその拳を翔太の顔面にたたきつけた。
「プレシアっ! あなた何をっ!?」
管制塔にいくつかの悲鳴が上がる。その間にも翔太は殴られ続けられていた。まさか、人質を傷つけるような行動に出るとは思っていなかったリンディは、同時にいくつも起こった違反に驚きながらも、プレシアを諌めるような口調で、無抵抗の子どもを殴るような非道に激昂し、艦長席の手すりを叩いて立ち上がりながら、叫ぶ。
だが、プレシアは、そのリンディの激昂に対して、まるで喜劇を見たように笑う。隣では、無抵抗な子どもが殴られているというにプレシアは気が狂ったように笑っていた。
『あーはっはっはっ! あんたたちがごちゃごちゃと五月蝿いからよ。素直にジュエルシードを渡せば、この子を殴るのをやめてあげる』
どう? と問いかけるプレシア。
卑怯な、と思うリンディ。だが、それに肯定することはできない。だが、目の前のモニターで繰り広げられるのは、無抵抗な子どもが殴られ続ける残酷なショーだ。思わず、分かったから、やめてくれ、と叫びたくなるのを拳を握り、耐えるリンディ。どうする、どうするべきか、どの手が最善手か、と考えるリンディ。
「艦長っ!!」
プレシアの連絡によって武装隊とのやり取りを中止してきたクロノが、リンディに何かを訴えかけるように声をだす。彼もわかっているのだろう。打つ手が少ないことに。プレシアのいる場所が分かっていれば、クロノや武装隊を突入させることも可能だった。だが、相手の座標が分からない以上、その手を取ることはできない。
『さあさあ、どうするの? かわいそうに、あなたが、ジュエルシードを渡さないから、この子も殴られ続けるわね』
まるでリンディを煽るような口調で言うプレシア。管制塔の職員の中には、モニターに映される残酷なショーに耐え切れなかったのか、モニターから視線を逸らす者もいる。早く決断しなければ、なによりも、翔太の身も危ないだろう。だが、どうする?
リンディの頭の中でいくつかの可能性とその先の結果を読み出す。だが、どの手もメリットよりもデメリットのほうが大きい。
『さあ、彼を助けたかったらジュエルシードを渡しなさい』
まるで悪魔の囁きのように続けるプレシア。その誘惑に乗りそうになる自分を必死で律するリンディ。だが、その悪魔の囁きに乗ってしまう者が一人だけいた。
「本当に? ジュエルシードを渡せば、ショウくんを助けてくれるの?」
その言葉に、その場にいた全員の注目が集まる。その言葉を発したのは、この管制塔の中にいるたった一人の子どもだ。つまり、高町なのはに他ならない。彼女は、翔太への暴行シーンが衝撃だったのか、どこか虚ろな目をして、請うような声でプレシアに問いかける。その問いに、プレシアは会得したような笑みを浮かべた。
『ええ、勿論』
そのプレシアの言葉を聞いて、ゆらぁ、と幽霊のように身体を動かすなのは。
ここにきて、ようやくリンディは、プレシアの目的が分かった。最初からリンディなど相手にされていなかった。プレシアは、時空管理局と交渉するつもりなどなかった。最初から狙いはただ一人だったのだ。
―――高町なのは。
プレシアが彼女と翔太の関係をどこで知ったのかリンディは分からない。だが、確かに彼と彼女の関係を知っていれば、翔太になにかあれば、なのはが動くのは容易に想像できるだろう。そして、同時に彼女が手に入れた力について知っているなら尚のことだ。
失策だった。最初からなのは相手と分かっていれば、遠ざけて―――いや、その場合でも何か理由をつけてなのはを連れてきていたに違いない。最初から目的はなのはなのだから。
今は、管制塔から出て行こうとしているなのはをクロノが呼び止めているが、彼女が本気になれば、クロノなど道端に転がる石ころとなんら変わりない。だからといって、このままなのはを行かせて、無策でプレシアにジュエルシードを渡すことはできない。だから、リンディは決断した。
「わかったわっ! ジュエルシードを渡します。ただ、厳重に保管にしてあるので一時間、待ってもらうわ」
『ダメね。五分よ』
「短いわ。三十分」
『十分』
「二十分」
時間について交渉を続けるリンディ。ここでできるだけ時間が欲しいのは確かだった。策を考えるだけの時間が必要なのだから。
『十五分。それ以上は待てないわ』
本当は、保管庫から持ってくることなど、リンディの権限承認さえあれば、五分もかからない。三倍の時間。これで手を打つべきであろう。
「分かりました。十五分で」
『ふふふっ、それでは、十五分後に会いましょう』
策が成ったような不敵な笑みを浮かべてプレシアは通信を切った。隣で行われていた翔太への暴行は、リンディがジュエルシードを渡すことを承諾したときに既に止まっていた。とりあえず、この場はプレシアに完敗だった。ふぅ、と力を抜きながらリンディは艦長席に沈み込む。だが、気を抜いている時間はあまりない。残り十五分で何かしらの策を考えなければならないのだから。
「艦長……」
気遣うようなクロノの声。その言葉は執務官としての言葉か、あるいは、息子としての言葉か。どちらにしても、少しだけリンディの心を軽くしてくれた。だが、同時にリンディの心をがりがりと削る視線もある。クロノの隣にどこか恨みがましくリンディを見てくるなのはの視線だ。
その目は、どうして、翔太をあんな目にあわせた? と言っているようにも思える。それに関しては、素直に謝罪するしかないのだが。プレシアがあんな行動に出るとは予想できなかった、など言い訳にしかならないだろう。
だが、参った。最初は、翔太を攫ってどうするのか、と思っていた。時空管理局にとって翔太は、エースにもジョーカーにならないというのに、と。だが、違った。ジョーカーは存在していた。高町なのはという魔力ランクSSSで、ロストロギアを操る規格外の魔導師が。そして、彼女に対するエースは、翔太だ。最初から、プレシアはそれを狙っていたのだ。プレシアが、翔太たちと接触した記録がなかったから、なのはについても知らないことが前提だったが、この策を考えるに彼女はどこかでなのはたちの関係を知ったとしか考えれなかった。
さて、それらについては、後で考えるとして、今は策を考えなければ、今ので三分も無駄にしてしまったのだから。
どうしたものかしら? と頭を捻りながら、考えるリンディ。
贋物を渡す。却下。それを予想していないほどプレシアは甘いものではないだろう。それを先ほどのやりとりで理解した。万が一にでも贋物だと分かったときに翔太に危害を加えるように何かしらの細工が施されている可能性すらあるのだから。
本物を正直に渡す。却下。それは、時空管理局という中でもご法度だ。到底受用できる案ではない。
ならば、取れる手は二つの間の折衷案である。つまり、本物を渡しながらも、それを使えないようにする。先ほどの会話から察するにプレシアはアースラに転移してくるつもりらしい。ならば、その後の転移を追えば、彼女がアジトにしている時の庭園へとたどり着けるはずである。よって、翔太を取り戻した後、すぐさま、強襲でジュエルシードを回収する。短い時間ではそれしか考えられない。
ただ、気がかりなのは、彼女もそれぐらいは予想していると考えるべきであるという点である。それならば、何らかの対策を打っていると思ったほうがいい。例えば、時の庭園ごと転移するなどだ。だが、あれほどの質量を転移させるとなれば、相当時間が必要となるだろう。あれだけの質量を転移させるほどの魔力エネルギーを一気に溜める手段がなければ。
そこまで考えて、リンディは、その魔力エネルギーを一気に溜める手段に心当たりを見つけた。つまり、ジュエルシードだ。あれほどのエネルギーを使えば、確かに一気に転移させるだけの魔力エネルギーを溜める事が可能だろう。
八方塞か、とも思ったが、諦めることなど考えてはいけない。だから、さらに考えをめぐらす。要するにジュエルシードを使って転移するつもり、あるいは、何らかの手段を使って脱出するつもりにしても、ジュエルシードが使えないようにすればいいのだ。
―――どうやって?
考え付くのは簡単だったが、それを実現するのは難しいように思えた。そう、目の前でこちらの出方を見ている少女を視界に写すまでは。彼女を見た瞬間にリンディの頭の中に単純だが、効果が見込めそうな策が思い浮かぶのだった。
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