リリカルってなんですか?
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
無印編
第十八話 裏 前 (アルフ、フェイト、プレシア)
前書き
注意:フェイトさんが酷い仕打ちを受けているので、罵詈雑言、暴力が嫌いな人はこの話を読み飛ばしてください。次回でも状況は説明します。少々気分を上げて読むことをお勧めします。
アルフは、言いようのない怒りを抑えながら、主であるフェイトの湿布を変えていた。
「いたっ」
「ああ、ごめんよ、フェイト」
湿布を変えている途中、怪我をしている部分に触れてしまったのだろう。フェイトが痛そうな素振りを見せ、アルフが申し訳なさそうな声を挙げる。フェイトに湿布を張っている部分は、一番手ひどくやられた右肩。そのほかの部分も打ち身やら擦り傷やら満身創痍だったが、一番酷い右肩に比べればそれほど酷いとはいえなかった。
一番手ひどくやられた右肩は、バリアジャケットが功を奏したのか骨に異常はなかったが、それでも相当打ち付けられたようで、未だに肩より上に腕が上がらない状態だった。
「なあ、フェイト……あんな鬼婆のためにまだ続けるのかい? こんな怪我しても連絡一つよこしてこないヤツのためにフェイトが頑張ることないって。それにまたあの白いヤツに遭遇したら、今度はこんな怪我じゃすまいかもしれないよ。ねえ、二人で逃げようよ。あたしは、フェイトがいてくれればいいんだから」
怪我をしているフェイトの肩に包帯を巻きながらアルフが進言する。
主であるフェイトが怪我をしてもジュエルシード探しを諦めないのは彼女の母親のためだ。だが、アルフはフェイトの母親―――プレシア・テスタロッサ―――が好きではなかった。フェイトに魔法の勉強を強要したにも関わらず、寂しがっているフェイトに顔さえ見せない母親。そんな母親のためにフェイトが傷ついてまで何かする必要があるとは到底思えなかった。
アルフの進言を聞いたフェイトは少し困ったような顔をしてアルフの頭を撫でる。元来が狼だったこともあってだろうか、頭を撫でられるのが気持ちいいアルフは目を細めてフェイトの手を受け入れていた。
「ごめんね、私がしっかりしないからアルフに心配掛けちゃう」
アルフに向けていた視線を少し上の棚に向けるフェイト。そこには一つの写真たてがあった。フェイトの母親であるプレシアと今のフェイトよりも幼い感じの少女が並んで立って写っている。その写真に写ったプレシアは少女の肩に手を置き、穏やかに微笑んでいて、傍目から見ても娘を愛している母親だと分かる。
その写真を一瞥してフェイトは、でも―――と続けた。
「私は母さんの願いを叶えてあげたいんだ。母さんのためにも、そして、多分、私のためにも」
それはアルフも分かっている。フェイトが彼女の母親の笑みをもう一度取り戻すために、そのために必死に頑張っていることを。夜、眠る時間も削って広域探査を行い、ジュエルシードを必死に探し、慣れない地球での生活を送っていることを。
だが、そんなに必死に頑張っているフェイトだったが成果はまったく上がっていなかった。現在、フェイトの手持ちのジュエルシードは0個。必死に探しているのに、努力しているのに一つもジュエルシードを得ることは叶わなかった。いや、正確には何度か機会はあったのだが、ことごとく邪魔が入ってしまったのだ。
一つ目は、ある家の庭で猫に憑依しているのを見つけ、封印までは上手くいったのだが、現地の人間に邪魔されて結局、ジュエルシードを得ることはできなかった。そのときは、フェイトは丸一日半眠り続けて、アルフはこのままフェイトが死んだら、と生きた心地がしなかった。
二つ目は森の奥で見つけた。近くに温泉といわれる施設があり、フェイトと一緒に入浴し、ジュエルシードも見つけることができた。だが、そのジュエルシードは昨日戦った白い魔導師に奪われてしまった。
アルフが昨日の戦闘で見た光景は身の毛がよだつ光景だった。
白い魔導師は、バインドでフェイトを拘束しながらデバイスを誘導弾でお手玉のように上空に打ち上げ、止めとばかりに収束魔法の発射準備に入っていた。もしも、あそこでアルフが割って入らなければ、現在自己修復中のバルディッシュは粉々に砕け散っていただろう。そして、一番恐ろしかったのは、バルディッシュを守った後に見た白い魔導師の表情。彼女の表情からは敵意しかなく、その目は何物も吸い込みそうな深い闇の色を浮かべていた。
あの白い魔導師は、バリアジャケットがそこそこ煤けていたとはいえ、フェイトを満身創痍にしてしまうような魔導師だ。おそらく、時空管理局の執務官クラスなのだろう。そんな魔導師がどうしてこんな管理外世界にいる? そんな疑問が浮かんだが、逃げること最優先でこのアジトに逃げてきたのだ。
アルフの狼としての本能に従った結果だったが、帰って来てフェイトの怪我の具合を見ると、それは正解だったようだ。あのまま、アルフが勝負を挑んでも負けは確実。フェイトと共にやられていたのはほぼ間違いないのだから。
アルフは、フェイトと一緒に逃げたかった。おそらく、ジュエルシードをこれからも探す以上、あの白い魔導師と戦うことになるだろう。だが、アルフとしてはもう二度とあの白い魔導師とは戦いたくなかった。フェイトを容赦なく叩き伏せた相手だ。今度も同じ、いやもしかするとそれ以上の結果になるかと思うとぞっ、とする。
だからこそ、アルフは、この件から逃げることを進言するのだ。主であるフェイトの願いが分かっていながら。なぜなら、アルフが望むのはただただ主であるフェイトの幸せ。彼女が心の底から笑っている姿なのだから。
◇ ◇ ◇
フェイト・テスタロッサは、不安と喜びの間で揺れていた。
不安は、母親から言われたジュエルシードの回収が一つも叶えられていないこと。喜びは、久しぶりに母親と会えることだ。どちらが強いとも言えない。久しぶりに母親の声が、顔が見れることに喜びを感じる部分が多いときもあれば、一つもジュエルシードが得られなかった、と告げて悲しむ母親を思うと不安になる部分もある。
だから、それらの不安な部分を和らげようとフェイトは、使い魔のアルフと一緒に買い物に行っていた。
「しかし、こんなものであの人が喜ぶかね?」
フェイトが大切そうに持っていた袋を持ち上げ、不思議そうな顔をする。
袋の中身は、近所で有名なお菓子屋さんで買ったシュークリームだ。おいしいと評判だから、きっと母さんも気に入るはずとフェイトが時の庭園に行く前に買いに行ったものである。
使い魔であるアルフはどうやら母親のことが嫌いらしい。それがフェイトにとっては悲しかった。自分は、こんなに母親のことが大好きなのに。アルフのことも大好きだからこそ、フェイトは母親のことも大好きになってほしかった。
―――今回のことで少しでもアルフが母さんのこと好きになってくれたら良いな。
そう思いながら、フェイトは母親が待つ時の庭園への扉を開いた。
◇ ◇ ◇
プレシア・テスタロッサは、目の前で震えている少女が口にした言葉が信じられなかった。そう、いくら失敗作とはいえ、そこまで酷いはずがない。ただの聞き間違いだろうと思い、もう一度、聞き返す。
「ごめんなさい、フェイト。母さん、ちょっと聞こえなかったみたい。もう一度、答えてくれるかしら? ジュエルシードはどうしたの?」
尋ねるプレシア。だが、目の前の流れるような金髪をツインテールにした少女はオドオドと俯き、身体を震わせるばかりで、何も答えない。いや、答えてはいる。かすかに口を開いているのが分かる。だが、その声は聞こえない。聞こえるほど大きな声ではない。
「聞こえないわ。フェイト」
ツカツカと近寄ると、フェイトと呼んだ少女の顎に手を当てて無理矢理、俯いていた顔を上に向け、まっすぐフェイトの目を覗き込むようにしてもう一度問いかける。
「ジュエルシードはどうしたの?」
しばらく覗き込むが、フェイトの瞳は左右に振れ、不安に揺れていたが、やがてゆるゆると口を開いた。
「……一つもありません」
ようやくフェイトが口にした言葉の意味を理解した瞬間、反射的にプレシアの手は動いていた。
パシィンと頬を叩く音がプレシアとフェイトがいる空間に響き渡る。反射的に動いた手で力の限り叩いた結果、成人女性とはいえ十に満たない幼い女の子が耐え切れるはずもない。プレシアが叩いた衝撃で、フェイトは後ろに飛ばされ、床に倒れこむが、すぐに女の子座りで叩かれたせいで赤く腫れた頬を押さえながら、何かをぶつぶつと呟いていた。
一方、思わず反射的とはいえ、全力を出して叩いてしまったプレシアは、肩で息をしていた。それは怒りのせいか、あるいは、彼女が病に冒された身体で急に全力で動いたためか分からない。しかし、それを気にした様子もなく肩で息をしながらも怒りの形相でプレシアはフェイトを見下していた。
フェイトが呟く言葉は耳を澄ませば聞こえてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい―――」
まるで壊れたテープレコーダーのように「ごめんなさい」を繰り返すフェイト。だが、それがプレシアの癇に障る。プレシアが聞きたいのは謝罪ではないのだから。だから、プレシアは怒りに満ちた厳しい声を出しながら問う。
「どうしてなのっ!? どうして、ジュエルシードを取って来れないのっ!?」
半ばヒステリックな声にびくっ、とフェイトが体を震わせるが、それでも震える声でかろうじてプレシアの問いに答えた。
「……魔導師がいて……負けました」
「まけ……た?」
先ほどまでのヒステリックな声はどこにいったのやら。今度はプレシアが気が抜けたような声で呆然と呟くようにして声を出した。
実際、プレシアは気が抜けてしまったのだ。フェイトが口にした事実を信じられなくて。ジュエルシードが広範囲に散ってしまって見つけられなかった等の言い訳ならまだ信用できただろう。だが、にわかには信じられなかった。それを信じてしまうことは、つまりプレシアが彼女のために使う時間と命を削ってまで育てたフェイトに意味をなくしてしまうからだ。
だが、無情なことにフェイトがいった言葉を真実だと結論付けるだけの証拠が彼女の肩から覗いていた。真新しい白い包帯。怪我を負った証拠だろう。おそらく、彼女が言う魔導師につけられた傷。彼女が負けたであろう証拠。
それを結論付けてしまったとき、抜けてしまっただけの怒りに匹敵する。いや、それ以上の怒りがプレシアの底から浮かんできた。
「巫山戯たこといわないでっ!!」
ツカツカとフェイトに近づいたかと思うと、胸元を掴み上げ、無理矢理立たせると再び先ほどと同じように今度は逆の頬を叩く。プレシアの急な行動にフェイトになす術もなく衝撃で倒れこむ。そんなフェイトに向かって、いつの間に用意したのかプレシアは、鞭を片手に振り上げていた。そして、それを振り下ろす。ぴしっ! という音と共に鋭い鞭が幼い少女の柔らかい人肌に赤い筋を残す。
鞭が振るわれるたびにフェイトの痛みに耐えるような声が響く。
それを何度も、何度も繰り返しながらプレシアは無限に胸の奥から湧き上がってくる怒りをフェイトにぶつけていた。
そう、本当に巫山戯た話だ。管理外世界の惑星にいる魔導師に負けた? そもそも管理外世界に魔導師がいる可能性は殆どない。あるとすれば、犯罪者が身を隠すために潜んでいる可能性や、犯罪組織がアジトにしている可能性だが、そんな場合も考えてフェイトを一流の魔導師に育ててきたのだ。
だが、フェイトが告げた結果は、それをすべて無駄にするような結果だった。プレシアが『彼女』のために、『彼女』のためだけに使うはずだった時間と魔力を使ってまで育てた結果だった。
もしかしたら、プレシアはフェイトにそれなりの期待をしていたのかもしれない。『彼女』と顔立ちが同じだから。声が同じだから。瞳が同じだから。外見は同じだから。それでこそ、お人形のように。だから、彼女の面影を追ってプレシアはフェイトに期待していたのかもしれない。
しかしながら、その期待も肩透かしだ。しょせん、失敗作は失敗作でしかないことの証明にしかならなかったというだけの話だ。
その結論に達したとき、プレシアは鞭を振るのをやめていた。
もう終わった? と伺うように身体中に赤く腫れた筋のような鞭の痕を残しながらフェイトは顔を上げる。そんな彼女の前髪を近づいたプレシアはがしっと鷲掴みにするとそのまま彼女の体を荷物のように引きずる。
前髪を無理矢理引っ張られるためだろう。痛みを堪えるような表情をしながらもフェイトはプレシアが引っ張る方向に向かって足を動かしていた。
プレシアは痛みを堪えるような表情をしているフェイトを一切気にする様子はなかった。なぜなから、もはやプレシアにとってフェイトは失敗作という烙印を押された本当の人形でしかないのだから。
これからプレシアが連れて行こうと思っている場所は、彼女に真実を告げるための場所。本当は、彼女にとって神聖な場所にこんな失敗作を連れて行くのは気が咎める。だが、このまま失敗作を捨てるのはプレシアの気が収まらない。失敗作を育てるためにプレシアは失敗作から母さん呼ばわりされるのを我慢してきたわけではないのだ。
プレシアは、フェイトの勘違いした瞳が嫌いだった。母さんと呼びかける声が嫌いだった。愛おしい彼女に似ている顔立ちが嫌いだった。だが、それでも彼女のためと我慢してきたのだ。しかしながら、その我慢も先ほど失敗作が、自らを失敗作と証明したところで限界を超えた。
このまま掴んだ手の先で痛みに顔をゆがめている失敗作を捨ててしまうのが正解なのだろう。だが、プレシアは少しでも彼女が勘違いしたままなのが許せなかった。フェイトがプレシアの娘だと思っているのが許せなかった。なぜなら、プレシアの娘は『彼女』一人だけなのだから。
だから、これから向かう場所は、プレシアにとって神聖な場所だが、フェイトの勘違いを正すための場所なのだ。失敗作を失敗作だと自覚させる場所だ。
フェイトの髪の毛を引っ張ったまま誘導すること五分程度。いつもプレシアがいる部屋のさらに奥にフェイトを誘導する。ここはフェイトを一度も入れたことがない場所。入らないように言いつけている場所。そんな場所につれてこられて驚いているようだったが、プレシアはそれを気にすることなく、フェイトを奥に連れて行く。
そして、連れてきた場所は、プレシアにとって神聖な場所。唯一、彼女を見ることができる場所だった。
「……あ……あ……」
髪の毛を離した瞬間、フェイトはどさっ、という力を抜けたような音を立てながら床に女の子座りで座りながら、呆然とした様子で目の前にある水槽を見ていた。
フェイトが目にしている水槽の中に浮かんでいるのはプレシアにとって最愛の娘。フェイトと同じような金髪を水槽の中で泳がせながらたゆたう眠り姫。
呆然としているフェイトを余所にプレシアは、彼女が入った水槽に近づき、愛おしそうに水槽の壁面を撫でる。
「……わ、私?」
目の前に現れた自分とそっくりな人間を目の前にしてフェイトが呟く。だが、呟いたフェイトにプレシアは鬼をも殺せそうな鋭い視線をフェイトに向け、彼女をひっ、と怯えさせる。
「馬鹿なこと言わないでっ! あなたのような失敗作とアリシアを一緒にしないでっ!!」
「アリ……シア?」
フェイトがプレシアにとって最愛の娘であるアリシアと失敗作であるフェイトを同一視することが許せなかった。フェイトとアリシアではまったく違うものなのだから。
「そうよ。私の唯一の娘、アリシア。あなたのオリジナルよ」
「え……?」
まるで意味を理解してないような声でフェイトが呟く。
―――ああ、これだから失敗作は嫌いだ。
そう思いながら、次にフェイトが浮かべるであろう絶望の表情を思い描き、プレシアは嗤いながらフェイトに事実を告げた。
「まだ分からないの? あなたは私が作ったアリシアの贋物。アリシアを蘇らせようとした私が作った失敗作よ」
「にせ、もの? しっぱいさく?」
プレシアの口から聞かされた事実が大きすぎたのか、フェイトの口から出てくる言葉はもはや抑揚はなく、彼女の目はどこか焦点があっていなかった。
だが、そんなフェイトを目の前にしてもプレシアの口はとまらない。むしろ、フェイトを追い詰めるためにさらに言葉を続ける。
「そうよ。せっかく、あなたにはアリシアの記憶をあげたのに全然ダメだった。だから、失敗作」
プレシアはフェイトを見ようともせずにアリシアだけを見つめ、水槽の奥にあるアリシアの頬に当たる部分をフェイトに一度も向けたことのないような愛おしそうな表情をしながら撫でる。
「アリシアはもっと優しく笑ってくれた。アリシアは時々、我侭も言ったけれど、私のいうことをよく聞いてくれた。アリシアは私にもっと優しかった」
プレシアはここで改めて向き直り、もはや「あ、あ、あ」という音しか出さない失敗作を見ながら今まで手駒として使うために口に出さなかった言葉を口にした。
「ねえ、フェイト。あなたは私の娘なんかじゃないの。アリシアが蘇るまでの間、私が慰みに使うアリシアによく似たお人形。それ以外の何者でもないの」
ここまでは先ほどまで思っていたこと。だが、今はそんな風には思っていなかった。フェイトを見る目を愉快なものを見る目からまるで汚物でも見るような見下すような鋭い目をして、さらに言葉を投げつける。
「でもね、主の言うとおり踊らないお人形はいらないの。ねえ、分かってる? フェイト、あなたに言ってるのよ。私がジュエルシードを手に入れさせるために使わせた魔力も時間もすべてが無駄。あなたに母さんと呼ばれるたびに虫唾が走るのを我慢したのも無駄。我慢してあなたを娘としてあなたの名前を呼ぶのも無駄。ああ、違ったわ。あなたの名前はただのあなたを作ったプロジェクト名よ。名前ですらないわね」
少しずつ目の前で項垂れているフェイトの瞳が色をなくしていくのを見ながらプレシアは愉快そうに嗤っていた。フェイトが、最愛の娘であるアリシアの姿が同じだけの失敗作を壊すのが、勘違いしている失敗作が壊れていくのが少しずつ壊れていくのが愉快でたまらなかった。
だから、最後の最後にプレシアは今のフェイトの評価を告げた。
「いえ、お人形としてすら踊れないなら、あなたはもはやお人形以下ね。ただのゴミだわ」
そう、お人形は主が思うように踊ってこそ価値があるのだ。持ち主の思うように喋らない、踊らない人形はただのゴミである。だから、捨てるしかない。
フェイトを捨てれば、プレシアには手駒ないことを分かっていながらプレシアはフェイトを捨てることに躊躇しなかった。これ以上、彼女を使うことをプレシアは許容できなかったのだ。
天才ともいえる頭脳はフェイトを捨てることを良しとしていないのに、プレシア・テスタロッサという個人感情では、もはやこれ以上、フェイトを使うことを許容しなかったのだ。
よほどショックだったのか、フェイトはプレシアの言葉を聞くとバタッと倒れた。それを見てもプレシアは一切、動揺を見せずに言い放つ。
「ゴミが。ここは、アリシアが眠る場所よ。汚れるでしょうが」
目の前に横たわるゴミを捨てようとフェイトに浮遊魔法を掛けようとした瞬間、その闖入者は声を荒げ、拳を振り上げながら乱入してきた。
「この糞ババアァァァァァっ!!!」
ふぅ、とゴミの使い魔はやっぱりゴミね、と思いながらプレシアは瞬時にシールドを張るのだった。
◇ ◇ ◇
フェイト・テスタロッサは今、目の前に広がっている光景が信じられなかった。
時の庭園で迎えたのは、母親であるプレシアの憤慨だった。無理はない。ジュエルシードを回収してこいといわれて一つも回収できなかったのだから。だから、フェイトは甘んじてプレシアからのおしおきを受けた。
これが終わった後、ジュエルシードをたくさん回収すれば、きっと母さんは優しく笑ってくれるから。私にもきっと優しくしてくるから。アルフにもきっと優しくしてくるから。
そう信じていた。だが、その信じていたものは目の前の光景で粉々に砕け散っていた。
「……あ……あ……わ、私?」
目の前に浮かぶ水槽の中の少女。それは、彼女が姿見で見る自分と瓜二つだった。だが、その言葉を母親であるプレシアは鬼の形相で持って否定した。
「馬鹿なこと言わないでっ! あなたのような失敗作とアリシアを一緒にしないでっ!!」
「アリ……シア?」
フェイトが初めて聞く名前だった。あの少女の名前だろうか。だが、あの少女と自分が同じ姿をしている理由は一体なんだろう? 様々な疑問がフェイトの中で生まれてくる。だが、そのことを聞く前にプレシアが口を開くほうが早かった。そのとき、プレシアはフェイトが記憶の中を探って見た事ないほどに歪んで嗤っていた。
「まだ分からないの? あなたは私が作ったアリシアの贋物。アリシアを蘇らせようとした私が作った失敗作よ」
「にせ、もの? しっぱいさく?」
フェイトはプレシアが何を言っているか理解できなかった。いや、理解しているが、理解したくなかったといったほうが正解かもしれない。彼女の中に眠る本能ともいうべき部分が、プレシアの言う言葉を理解することを拒否していた。
だが、フェイトが拒否しようとプレシアの言葉は止まらない。
「そうよ。せっかく、あなたにはアリシアの記憶をあげたのに全然ダメだった。だから、失敗作」
プレシアが口にした言葉は、つまり、フェイトという人間の全否定だった。今までフェイトが信じてきたものの全否定だった。
それを理解した、理解してしまった瞬間、フェイトの心の中の床がすべて崩れ落ちたような錯覚を感じてしまう。
今、プレシアがいった言葉を全部嘘だといってほしかった。信じたくなかった。拒否したかった。
だが、そんなフェイトの心を弄ぶかのようにプレシアは言葉を綴った。
「アリシアはもっと優しく笑ってくれた」
―――私は母さんの前で優しく笑えなかったのか。
「アリシアは時々、我侭も言ったけれど、私のいうことをよく聞いてくれた」
―――私は母さんの言うことを聞けなかったのだろうか。
「アリシアは私にもっと優しかった」
―――私は母さんに優しくなかったのだろうか。
プレシアがアリシアというフェイトが知らない少女と比べるたびにフェイトの中の何かが少しずつ削られていくように感じられた。
それは、フェイトにとっての存在意義。今まで、母さんの笑ってくれるように、母さんが自慢できるような娘になれるように、と頑張ってきたのに。たった今、プレシアはそのフェイトの思いをすべて否定した。目の前で眠っているような少女に劣るとはっきり口にした。
フェイトの記憶の中に残る母さんはそんなことは言わなかった。いつでも優しく笑って、フェイトにも優しく接してくれて、愛してくれた。いや、だが、その記憶さえも贋物。アリシアという目の前の少女の中から抜き出されたものに過ぎない。
―――なら、私は何を信じたらいいんだろう?
もはやはっきりした言葉を口に出すことすら叶わないフェイトの思考回路。彼女の思考回路は、もはやどうして? 私は何? という疑問と今まで信じていたプレシアから告げられる心を削る言葉に絶望と悲しみしか感じていなかった。
「ねえ、フェイト。あなたは私の娘なんかじゃないの。アリシアが蘇るまでの間、私が慰みに使うアリシアによく似たお人形。それ以外の何者でもないの」
この言葉でフェイトの『心』という鏡はパリンという高い音を立てて粉々に砕け散った。
今まで母親であるプレシアに認められるために、ただそれだけのために生きてきたフェイトが張本人であるプレシアから存在を否定された。存在意義を失った心が壊れるのも無理もない話しだった。
「でもね、主の言うとおり踊らないお人形はいらないの。ねえ、分かってる? フェイト、あなたに言ってるのよ。私がジュエルシードを手に入れさせるために使わせた魔力も時間もすべてが無駄。あなたに母さんと呼ばれるたびに虫唾が走るのを我慢したのも無駄。我慢してあなたを娘としてあなたの名前を呼ぶのも無駄。ああ、違ったわ。あなたの名前はただのあなたを作ったプロジェクト名よ。名前ですらないわね」
まるで、粉々になったガラス片をさらに靴で踏みつけて粉にするようにプレシアの言葉はフェイトの中に響いてくる。聞きたくなかった。耳をふさぎたかった。これ以上、心を壊さないで、と叫びたかった。
だが、それさえも億劫なほどにフェイトの中は空虚だった。心というガラスを割られた中身は空っぽだった。
「いえ、お人形としてすら踊れないなら、あなたはもはやお人形以下ね。ただのゴミだわ」
―――あはははは、私、ゴミだって……。
もはや、なんの感慨もなく、フェイトは自己の評価を受け入れた。プレシアからの言葉はもはや空虚を埋めることなく、ただ風のように通り抜けていくだけだった。
その言葉を聞いてフェイトは身体に力を入れることも億劫になり、ばたりと倒れた。鞭で打たれた傷口が熱を持っており、ひんやりとつめたい床だけが、フェイトを癒してくれそうな気がした。
「ゴミが。ここは、アリシアが眠る場所よ。汚れるでしょうが」
―――もう、どうでもいいかな。
母親に人形と、無駄と、ゴミといわれ、フェイトは自暴自棄になっていた。もはや母親に認められることはなく、生きる意味もない。だから、捨てるという言葉を聞いても抵抗することもなかった。このまま、安らかに眠れればいい。
そう思い、フェイトは目を閉じるのだった。
◇ ◇ ◇
アルフは、突如流れ込んできた絶望と悲しみに涙を流すことで耐えながら必死に時の庭園を走っていた。
フェイトとアルフは確かに主従の関係で、精神リンクで繋がっており、感情を共有することもある。だが、それは少しの話で、微々たる物だ。だから、涙が流れるほどに大量の感情が流れてくるということは、よほど大きな絶望と悲しみをフェイトが感じていることが分かる。
だから、アルフは主のフェイトを探していた。
感情が流れてきた瞬間、フェイトが入るはずの部屋に殴りこんだアルフだが、そこにフェイトの姿なかった。仕方なく、精神リンクでフェイトの魔力を追って、走っているところだ。
そして、たどり着いたのは、いつもはフェイトと共に入ることを禁じられた部屋。そこには確かにフェイトとアルフが気に喰わないプレシアの気配を感じた。
―――きっと、あの婆がフェイトに酷いこといったんだ。
そう決め付け、突入しようとしたアルフの優秀な聴覚が聞き取ったのはプレシアの声だった。
「ゴミが。ここは、アリシアが眠る場所よ。汚れるでしょうが」
その言葉を聞いた瞬間、アルフの中で堪忍袋が盛大に破れた。もはやフェイトの気持ちも何もかも気にせず、ただただプレシアのいけ好かない顔を殴ることだけを決意し、部屋に殴りこむ。
「この糞ババアァァァァァっ!!!」
アルフにとって渾身の一撃だったはずだ。だが、それをプレシアは―――過去に大魔導師と呼ばれた魔導師は、いとも容易くシールドで受け止めてしまった。バリアブレイクの性質を持っているアルフの拳をだ。
だが、それでもアルフには言いたいことを言えるのは変わりない。
「どうしてだよっ!! フェイトは頑張ってきたじゃんかっ! どうして、あんたはそんなフェイトをゴミなんて言うんだよっ!!!」
心からの叫びだった。母さん、母さんとフェイトが頑張っているのを知っている。だからこそ、きつく当たられているフェイトが不憫で仕方なかった。認めてやらないプレシアが嫌いだった。そして、ゴミ扱いするプレシアに殺意すら覚えていた。
だが、その言葉にプレシアが動揺することもなく、ただ、はぁ、と億劫そうにため息をはくだけだった。
「ゴミの使い魔はゴミということね。頑張ってきました、褒めてください? 結果が伴わない努力に意味はないわ。ただそれだけよ。ゴミはゴミらしく消えなさい」
ただ、それだけを言うとプレシアはシールドを張りながら攻撃魔法を用意する。プレシアが、フェイトが得意とする雷系の魔法だ。しかも、その進路上にはアルフだけではなく、フェイトもいる。だが、プレシアにとって一石二鳥の結果であれ、躊躇する理由にはならないようだった。
このまま、攻撃の寸前までバリアブレイクでプレシアのシールドを解析して、シールドを破り、殴る方に賭けるか、それとも、殴るのは諦めてフェイトを護るか、の二択がアルフの中に浮かぶ。
だが、その結果は考えるまでもなかった。アルフは使い魔だ。フェイトがいる限り護るのが使い魔だ。
だから、アルフはフェイトを護るようにフェイトに覆いかぶさり――――
「根性だけは認めてあげるわ」
『Plasma Smasher』
紫の雷がアルフの背中を貫く。焼けるような痛みを感じながら、アルフは組んでいた魔法を起動させる。その魔法は転移の魔法。もっとも、場所までは正確に固定できなかった。ただ、ジュエルシードが落ちたであろう海鳴という街の中のどこかには設定できたのだが。
―――フェイト。フェイトは絶対あたしが護るからっ!!
フェイトを腕の中に抱きながらアルフは、必死に雷に耐え、時の庭園から転移するのだった。
ページ上へ戻る