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無印編
第九話 後
幸いにして動物病院は公園のすぐ近くにあったようだ。
今は、携帯電話に搭載されたGPS機能ですぐに自分の場所と行きたい場所が分かるのだから至極便利になったものだと思う。
近くの動物病院の名前は槙原動物病院。僕たちは、そこにイタチのような動物を連れ込んだ。
さらに幸いなことに診察の待ちの患者さんの姿はなく、僕たちが抱えているイタチ(?)を見てすぐに診察してくれた。
診察の結果、衰弱こそ激しいものの怪我自体は大したものではないらしい。
その診察結果を聞いて僕たちはほっ、と安堵の息を吐いた。
これで、もしも、もう手遅れです、なんて言われたら数日は必ずネガティブな状態が続いてしまっていただろう。
何はともあれ、イタチ君が軽い怪我だったことは喜ぶべき結果だろう。
診察自体はすでに終わって、これからのことになった。
そういえば、イタチが倒れて、酷く衰弱していたから、動揺して思わずつれてきてしまって、全然後のことを考えていなかった。
これが無責任の結果ということだろうか。拾ったところで飼えるかどうか分からないイタチを拾ってしまった。ならば、衰弱しているイタチをその場に放置したほうが正解とでもいうのだろうか。いや、それは違うような気がした。確かに無責任に拾って病院に連れてきたことは拙かったかもしれないが、この行為が間違いだとは思わない。
さて、連れてきた行為の良し悪しは後で考えるとして現実的なその後だ。
とりあえず、衰弱が激しいので、この病院で一日預かるような形になるらしい。一日もすれば元気になるらしいが、その際、誰が引き取るか考えて欲しいとのことだ。
僕たちは一瞬、顔を見合わせて困った顔をしたが、はい、といわざるを得なかった。それが連れてきた僕たちの責任というやつだろう。
そして、イタチを連れてきた僕たちのもう一つの責任は―――
僕は、塾の時間を思い出したアリサちゃんたちに急かさせるように動物病院を出たが、その直後、アリサちゃんには先に行くように言って僕は病院の中に引き返した。
「あの」
「あら? さっきの子じゃない。どうしたの? 忘れ物?」
僕は先生の言葉に首を左右に振ると用件を切り出した。
「お金、お幾らぐらいになりそうですか?」
そう、お金だ。
病院は慈善事業ではない。薬にしても包帯にしても診察にしてもお金がかかっているのだ。しかも、動物に対しては保健がきかない。最近は動物に対する保健もあるようだが、当然拾ってきたイタチにそんなものがあるはずがない。つまり、ここで僕が払わなければ、この動物病院に対する収入が一つ減るのだ。子供だからといって、いや、子供だからこそ容赦するべきではないと僕は思うのだが―――
「そんなこと心配しなくてもいいのよ」
槙原動物病院の先生は膝を曲げ、僕に目線を合わせて優しい声で言ってくれる。誰もが甘えそうな優しい声。この声で動物たちを診ているのだろうか。だとすれば、動物が大人しく診察されるのも、なるほどと納得できる。
「君がしたことはとても尊いことなの。その気持ちを忘れないで。それが私にとって一番の報酬なんだから」
そういって、僕の頭を撫でてくれる。
先生の言葉を綺麗ごとだ、と断じるのは簡単なことだろう。確かに僕が動物を拾って病院まで運んで来たことは尊いことかもしれない。だが、それで彼女はご飯が食べられるわけではないのだ。イタチを助けた薬や包帯に使ったお金が降ってくるわけでもないのだ。
現実的にいうなら、僕はお金を親父か母さんからお金を借りてでも払うべきなのだろう。だが、そんなことは言えなかった。先生の優しい笑みと声に騙されたと言えばそうなのかもしれないが、これ以上何かを言うことは駄々をこねている子供のようで。彼女の優しさを無駄にしているようで。
だから、僕は、「はい」と素直に頷くことしかできなかった。
しかしながら、彼女の目的が「生き物を助ける心を持つこと」とすれば、これ以上の教育はないだろう。僕が仮に真っ当な小学生だったなら、いや、その仮定は無駄だろう。今の僕でも立派に思っているのだから。
次も動物や人を見たら絶対に助けよう、と。
その後、僕は思い出したようにアリサちゃんの後を追ったのだが、どうやら先生と話していた時間が長かったらしい。塾には遅刻してしまったのだった。
◇ ◇ ◇
塾も終わり、時刻は夜。晩御飯もすでに食べ終わり、後は学校と塾の宿題をやって、少し自分を時間を使って、寝るだけという時間だ。
僕は、学校の宿題である計算ドリルを殆ど間もなく次々と解いていく傍らで、塾でのノートを使った会話を思い出していた。
当然、あのイタチ(?)のことである。明日、誰が連れて帰るか、という問題である。
アリサちゃんの家は、犬が大量にいるので無理。週に最低一回は英会話教室のために通っているので僕も知っている。あの大型犬がいるなかにイタチ君はきついだろう。いつ、彼らの胃袋の中となるか分からない。
すずかちゃんの家も問題ありだ。アリサちゃんの家が犬なら、すずかちゃんの家は猫だ。しかも、大量の猫。さて、あの大きさなら少し大きなネズミとして追いかけ回されてもおかしくない。
さて、最後に僕の家。あまり問題がないように思えるが、最大の問題がある。秋人のことである。最近は一歳と半年。最近はどこでもここでも這いずり回っている。少し目を離せば、姿が消えているのだから家族みんなで心配の嵐である。もっとも、僕のように新聞と睨めっこしているわけではないので至って健全な子供である。
さて、イタチをどうするか、結局、結論が出ることはなかった。
飼い主を探すか、あるいは誰かが妥協して飼うかは別として、何かしらの対処を考えなければならない。
いや、待てよ。あのイタチ、小さな宝石を首から下げていたような。そう、それで僕はペットだと思ったんだ。なら、もしかして、本当の飼い主が別に―――っ!?
いるのか? と思考をめぐらしたところで、突然、頭の中に割り入るように聞こえる声。しかも、聞き覚えがある声だ。そう、忘れもしない塾に行くとき、イタチを見つける前に聞いた声にそっくりだった。その声は塾の帰りと変わらず、助けを求めていた。
―――僕の声が聞こえるあなた。お願いです! 僕に力を……僕に少しでいいですから力を貸してください! ―――
力を貸してください、といわれても困る。この身はただの小学生。多少、普通の小学生よりも知識があるだけの人間に過ぎない。財力があるわけでも、腕力があるわけでもない。助けを求められても何ができるというわけでもない。
―――お願いします! 時間……が―――
ブツンと突然、頭に入ってきた声は、始まりが唐突であれば、終わりも唐突である、といわんばかりに話の途中でバッテリーが切れた電話のようにプツンと切れてしまった。
さて、最後まで助けを求めていた声であるが、どうしたものか。
当然、ここで僕が助けに行く義理はない。この声の正体は確かに気になるものの、一晩寝てしまってもう一度声が聞こえることがなければ、数年後に怪談話として思い出せるぐらいだろう。
そもそも、僕が昼間予想したように幽霊だとすれば、この声はもう助けとと助けを請うものの、もう助けられる状況にない。確か、僕が読んだ限りでは死ぬ間際の無念で地上に縛られる幽霊のことを自縛霊といっただろうか。その類であろう。
ならば、僕が声の主を見つけたとしても助ける術は既になく、この年になって仮に霊感に目覚めていたとしても、漫画のように突然霊力の使い方に目覚めるはずもないので僕では何の役にも立たない。
そう、冷静に考えれば、ここで僕が「助けて」と請う声に応える義理は何所にもなく、このまま宿題を終え、昨日読みかけの本を読み、就寝するのが一番であると理性の部分は訴えている。
だが、だがしかし、夕方の先生の優しい声と笑顔がどこかで再生される。
―――君がしたことはとても尊いことなの。その気持ちを忘れないで。それが私にとって一番の報酬なんだから。
あのときの気持ちを「助けて」という声に誘発されて思い出してしまった。
どうやら、僕はこのまま布団の中に入ったとしても、この声が気になって眠ることはできなくなってしまったらしい。
もしかしたら、僕と同じように超常現象の類で、超能力者がテレパシーとか使って助けを求めているかもしれないから。その彼が次の日の朝刊に載っていたら気分が悪いから。動物病院の先生の笑顔を裏切ったような罪悪感に悩まされたくないから。
一瞬で浮かぶ、かなり無理矢理な理由。だが、そんなこじつけの理由でもなければ、僕は夜の街に繰り出そうとは思わなかっただろう。
僕は、弟の秋人の世話でてんてこ舞いになっている両親に外出する旨を告げ、薄暗い夜の町に飛び出した。
◇ ◇ ◇
僕は夜の街を走る、走る、走る。
昼間の人通りが多い時間とは違って、住宅街であるこの近辺は夜になると人通りが殆どなかった。その恐怖を紛らわせるためか、助けてという声に心が急かされているのか、走っていた。
しかしながら、僕は一体どこに向かって走っているのだろう。
放課後や休日のサッカーや野球で運動をしているといっても遊びのレベル。そこら辺の小学生よりも体力はあるだろうが、ずっと街中を走れるほどの体力を持っているわけではない。はっはっ、と肩で息をしながら、僕は走っている。声がしたであろう方角に向かって。
むろん、聞こえてきたのは頭の中であり、声の方角が正確にわかったわけではない。今、僕は確実に勘だけで走っている。女の勘は鋭いと聞いたことはあるが、男の勘も鋭いのだろうか。いやいや、しかしながら、ありえない声が聞こえる僕だ。超能力者やそれに匹敵するだけの勘があっても変な話ではない。
とにかく、僕は何かに突き動かされるように走っていた。
そして、たどり着いたのは――――
「槙原動物病院? ―――っ!?」
なぜここなんだ? と疑問に思っていると、突然不思議な耳鳴りに襲われた。まるで黒板を爪で引っかいたような生理的に嫌悪感を感じさせる音。そして、その音が聞こえた刹那、時が止まった。
いや、そう形容するのはおかしな話である。時は不可逆で、止まることなど決してありえないのだから。だが、そう形容するしかなかった。
まず、自然の音が消えた。いくら人通りが少ないといっても車通りがまったくないわけではない。つまり、車の排気音、家庭から聞こえてくる音、庭先の犬が吼える音、野良猫が威嚇しあう音。街中に出るだけで普通は音にあふれている。それらが一斉に止まった。まるで、時間を止めたように。
―――どうなってるんだ?
さすがに自分自身が輪廻転生という不可思議な現象を体験しているとはいえ、この状況に追い込まれれば焦りもする。もしかしたら、僕はとんでもないことに首を突っ込んでしまったのでは? と思っていると、唐突に訪れた静寂を切り裂くようなこれまた突然の爆発音。
「……今度は一体何が起きたんだ?」
幸いにして僕が超常現象で慌てる時間は短かった。この状況に慣れてくれば、大体のことは許容範囲内だ。
そして、音がした病院の敷地内を覗いてみると、そこには折れた木と木の上に立っている昼間のイタチと折れた木の下敷きになっている得体の知れない真っ黒い何か。
―――なんなんだ? あれは。
僕は知らず知らずのうちにそれに恐怖を抱いていた。
蔵元翔太という人間に残っている本能が警告を鳴らしていたのかもしれない。黒い何かが持つ得体の知れない強大な力を。
僕が得体の知れない何かの持っている力に戦いていると、まるでそれを無視したかのように首から下げた赤い宝石を揺らしながら僕に飛び込んでくるイタチ。突然のことに僕はイタチを反射的に受け取ってしまった。
「ありがとうございます。来てくれたんですね」
そして、そのイタチは礼を述べた。
「……助けてください、って言われたら来ないわけにはいかないからね」
もう、この程度では驚かない。今更、イタチがしゃべったところで驚く理由はない。
それよりも、再起動した思考が問題だった。僕の本能は間違いなくあの黒い何かから逃げることを推奨している。ちなみに、理性も全会一致で逃走案を可決している。
「とりあえず、何か言いたいこともあるだろうが、逃げながらでいいかな?」
もちろん、返事など聞いていない。なぜなら、下敷きになってもがいていた黒い何かは、僕を十人足しても足りないであろう重量の木を下から持ち上げて立ち上がろうとしていたのだから。
僕は、イタチの返事を聞くことなく、一目散にその場から逃げ出した。
◇ ◇ ◇
逃げながら聞いた話では、どうやら彼(?)は、何かを探してこの町に来た異世界人らしい。宇宙人とは違うのだろうか、と思ったが尋ねるような余裕はない。しかし、その探し物は、彼自身の力だけでは集めることができず、夕方や今のように助けを求めていたらしい。
もしかして、集められる目算もなくきたのだろうか。いや、それよりも、誰かの助けを借りないと見つけられない探し物ってなんだろうか。人海戦術なら分かる。だが、あの得体の知れない何かを見た後では、そんなことは言えない。話の流れから明らかに彼があの得体の知れない何かに勝ることができなかったとわかるから。
「つまり、君はあれに勝る力を持つ誰かを探していた、ということかな?」
「そうです」
いとも簡単に言ってくれる。だとすれば、完全に僕ははずれだ。確かに、輪廻転生という超常現象と体験したという意味では常人とは異なるかもしれないが、あの得体の知れない何かに勝るような力を持っているわけではない。いわゆるサイキッカーやパイロキネシスならまだしも、僕はただの知識が同年代よりも多いただの小学生だ。あるいは、戦国時代の軍師のように知略で勝てとでもいうのだろうか。
「残念ながら、当てが外れたようだね。僕は、何の力も持たない小学生だよ。君の期待に応えることはできない」
「いえ、そんなことはないはずです。僕の声に応えてくれた貴方には力があります。魔法の力が」
もう驚かないと思っていたが、その考えはいともあっさりと覆された。
―――魔法の力。
魔法。それは、御伽噺の中でしか使われない言葉。もしも、自由にこんなことができたらいいのに、という人々の願望によって生まれた妄想の産物。現代で魔法が使えますと言おうものなら、笑いものになるか、本気で心配されるかのどちらかだろう。
だが、僕には一笑することができなかった。輪廻転生という超常現象を体験している僕としては。
「でも、残念ながら僕にそんな力があったとしても、今すぐに使いこなせるわけがないよ」
そう、いくら力があっても使い方が分からなければ宝の持ち腐れだ。
電気にしても、家電製品の類がなければ、ただのそこに存在するだけのエネルギーに過ぎないのだから。
「ええ、分かっています。だから―――」
彼が、その次の言葉を紡ぐことはできなかった。
なぜなら、唐突に気配を感じたから。足音を聞いたとかそんなものではない。なんとなく感じたのだ。ただの男の勘だ。だが、その勘を否定することはできなかった。
自分の上空に気配を感じて反射的にその場の地面を強く蹴って、道路の真ん中から端っこにイタチの彼を抱きかかえながら、転がるように移動する。我ながら奇跡的な反応に近いと思った。もう一度やれといわれても無理だろう。
そして、その刹那、先ほどまで僕が立っていた場所にはあの黒い得体の知れない何かが道路のアスファルトを抉って埋まっていた。
―――なんて馬鹿げた力。
一体、アスファルトを抉るなんて芸当がどうやったらできるのだろうか。道路の工事といえば、ドリルのような掘削機をつかってようやく削れる程度。それを一瞬で抉るのだ。そこに秘められた力がいかほどのものか、僕の頭では計算することはできない。ただ、生身の人間が相対すればすぐさまミンチになるような力であることは理解できた。おそらく、あと一瞬、遅ければ、僕はあの抉れたアスファルトの下でミンチになっていただろう。
それを想像すると今更のように恐怖が腹の底から這い出していた。
「無理だろ。あれに勝る力なんて……」
「そんなことはありません! 貴方の持つ魔法の力とこのレイジングハートがあれば」
そういって、イタチくんは、首に下げていた宝石を器用にくわえて僕に渡してきた。小さな丸い宝石。だが、不思議と鼓動していて生きているようにも思える。
今度は鉱物生命体か……?
だが、答えは違った。デバイスといわれる魔法を使うための魔力を制御する道具らしい。つまり、これを使えば、お手軽簡単に魔法使いになれるということだ。
だが――――
「やっぱり、無理だよ」
「どうしてですか!?」
実に慌てたようにイタチくんが聞いてくる。だが、聞かずとも分かるものだろう。僕は、今まで平凡な小学生をやってきたのだ。前世にしても平凡な学生までしか経験していない。戦うといっても子供の喧嘩程度だ。それは戦いとも呼べないものだ。
そんな僕に急にあの得体の知れない何かと戦ってくださいといわれても無理な話だ。そう、たとえ魔法という名の武器を与えられたとしても、だ。それは、戦場で有名なデザートイーグルを一丁渡されて、さあ、戦って来いといわれているに等しい。そんなことで戦えるはずがない。
それを告げると、イタチくんは何かを決意したような顔になった。
「―――分かりました。無理を言ってごめんなさい」
「いや、こちらこそ申し訳ない。何もできなくて」
そう、申し訳ない気持ちで一杯だ。助けて、という声に反応してきたのに何もできないなんて。
だが、そんな僕の申し訳ない気持ちを汲んだのか、イタチくんは首を左右に振ってくれる。
「いえ、もともと僕が無理な申し出だったんです。だから、ここから先は僕が何とかします」
「何とかします、ってできるの?」
だが、答えはなかった。おそらく、彼自身も何とかできるとは思っていないのだろう。
「命は賭けてみるつもりです。でも、それでも……もし、何とかできなくて僕が死んでしまったら、貴方は今すぐこの街から逃げてください。これは魔力を持つものを追っています。僕の念話に反応があったのは二人。貴方ともう一人。おそらく、僕が死ぬと、貴方ともう一人の元をこれが襲撃するでしょう」
――――っ!?
「ごめんなさい。僕のせいで」
心底申し訳なさそうにイタチ君が謝る。
だが、よくよく考えれば、イタチくんが謝る必要はない。むしろ、僕はお礼を言わなければならないのではないだろうか。
「いや、君のせいじゃないよ。君が言うことが本当なら、どちらにしても、僕はこれに襲われていただろうからね」
そう、イタチ君が仮に助けを呼ばなかったとしても、これにやられていただろう。あの怪我の具合から見ても間違いない。森にイタチの死体が一つでき、そして、その後、僕も襲撃されるのだ。そして、何も知らない僕は無残な屍を晒していただろう。
ならば、むしろ、彼が助けを呼んでくれたことは、感謝すべきことだ。こうして何も知らないままやられるよりも対抗手段を示してくれたのだから。
「そもそも、君のせいじゃない。君を助けようとしたのは僕自身が決めたことなんだから」
そう、これに巻き込まれたからといって僕は彼を責めるつもりはない。彼を助けに行こうと決めたのは僕なのだから。イタチくんが助けを求めたから、と責めるのなら、最初から助けになどいかなければいいのだ。そうすれば、何も巻き込まれることはなかったのだから。もっとも、イタチくんの言うことが本当なら、助けに行かなくても巻き込まれていたみたいだが。
どちらにしても巻き込まれるのなら、抗うしかないだろう。
先ほどまでの恐怖感を飲み込んで僕は覚悟を決めた。いや、決めざるを得なかっただけだが。先ほどまでは逃げるという選択肢があったが、もう逃げるという選択肢は取れないのだから。背水の陣にでもなれば、人間肝が据わるものだ、と記憶だけなら三十年近くなる人生の中で初めて知った。
「それで、これはどうやって使うの?」
「まずは、契約が必要です。僕の言葉に続けてください」
言われたとおりに僕は、イタチ君の後に続けて言葉を紡ぐ。
―――我、使命を受けし者なり。
契約の下、その力を解き放て。
風は空に、星は天に。
そして、不屈の心はこの胸に。
この手に魔法を。
レイジングハート、セット・アップ! ――――
真面目に考えれば恥ずかしい言葉。だが、そんなことは言っていられない。僕とイタチくんの命がかかっているのだから。
さて、呪文を言い終わったのだが、まるで芸人のギャグがすべった時のようにひゅーという風が吹いた様な気がするだけで何も起きなかった。
何か嫌な予感がしたが、僕は意を決してイタチくんに尋ねた。
「……これで契約は終わり?」
だが、答えは返ってこない。しばらくイタチくんは考え込むような仕草をして、申し訳なさそうに再度頭を下げた。
「いえ……ごめんなさい。貴方に魔法の力はあるんですが、レイジングハートとは適正がなかったようです」
「つまり?」
「失敗ということです」
項垂れるイタチ君。いや、項垂れたいのは僕だ。せっかく覚悟を決めたというのに、決めた直後に契約に失敗して魔法は使えないという。もしかしなくても、大ピンチという奴である。
しかも、間の悪いことに先ほどまでアスファルトに埋まっていた黒い何かがアスファルトを抉ったときの衝撃でばらばらになっていた自身の再構成を終えようとしていた。
「……とりえあず、逃げようか」
「はい」
僕とイタチ君は、頷くと同時に駆け出した。
◇ ◇ ◇
どうする? どうする?
僕は背後から追ってくる恐怖を意図的に無視して考えながら走り続ける。どうやら、黒い何かは移動こそそれなりに早いものの思考能力は低いようである。曲がり角になるとどちらに曲がったか、必ず一度立ち止まって考える。つまり、スピードが一瞬ゼロになるのだ。その瞬間を狙って、僕は減速なしで走り続けている。
しかし、この方法も永久的に続くわけがない。体力という名の限界があるのだから。
「さて、本当にどうしたものかな?」
ここまで手詰まり感があると他に手が中々思いつかない。
だが、このままでは、本当にミンチになって死んでしまう。それだけは避けたいのだけれども……。さて、本当に手がないのだが。
そう思っていたところで、先ほどまでずっと考え込んだ表情をしていたイタチ君が口を開いた。
「……もう一人の方に助けを求めましょう」
「もう一人?」
「ええ、僕の念話に反応があったのは二人です。貴方ともう一人」
「その人に助けを求めるって?」
なるほど、手がないなら、他から持ってくるしかないということだろう。
この場を打開するためには、いい考えだとは思う。さらに他の人を巻き込んでいいのか? いや、放っておいたところで、どうせ襲われるのだか今、巻き込んでも問題ない、という思考が生まれ、躊躇したが、それも本当に一瞬だった。
なんだかんだと理由を立てているが、正直に言うと、僕は他人を巻き込んでも死にたくないのだ。一度、輪廻転生という超常現象を体験し、死んでいると過言ではないものだが、死というものは抗いがたい恐怖を生み出す。そして、その死という恐怖から逃れられる手があるなら、僕は躊躇なく選択するだろう。それが、たとえ他人を巻き込むものであっても。
巻き込んだことについては後で謝ろう。幾ばくかの御礼をしよう。
ああ、なるほど、イタチくんと同じ選択を取るしかない状況でようやく彼の心境が分かったような気がした。確かにこんな状況になれば、誰かに助けを求めてもおかしくない。それが助かる希望の光なら尚のこと。
「それじゃ、今度は僕に言わせてもらえるかな?」
「え? 念話ですか? 起動しなかったとはいえ、認証パスワードで貴方もゲスト権限は持っていると思うので、念話程度ならできるでしょうが……」
その念話というのがあの頭に直接響いた声の正体というのなら、僕にも可能らしい。イタチくんが慌てていたのは分かるが、あれでは誰も助けに来ないだろう。むしろ、不審者だ。できれば、身元がしっかりしていたほうが助けに来てくれる確率は上がるだろう。
「これを持って、話せば良いの?」
僕は渡されたままの赤い宝石をイタチくんに示した。
「はい、それで大丈夫です」
なら、助けを求めるとしよう。
できることなら、僕よりも年上で、男性で、荒事に慣れていて、度胸がある人が来てくれればいいんだが、それは高望みがすぎるだろうな。
そんなことを思いながら僕は、赤い宝石を握って助けを求めた。
◇ ◇ ◇
助けを求めて、一体どれだけの時間逃げただろうか。そろそろ体力の限界が近かった。
曲がり角に曲がっては、電柱の裏に隠れて時間を稼ぐといったことの積み重ねて休み休みで足を誤魔化してきたわけだが、そろそろ本当に限界に近かった。
しかし、助けが来てくれる様子はない。もしかすると、もう一人の人はやはり魔法というものを信じてもらえず来てくれないのだろうか。
そんな絶望が一瞬浮かんだからだろうか。しっかりと地面を踏みしめていた足が、一瞬、力を失い、もつれてしまった。体勢を立て直すこともできず、結果、転倒。アスファルトの上をヘッドスライディングのように滑ってしまった。
「いつつ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
転んだ僕を心配してくれるイタチくん。幸いにして転び方がよかったのか、打ったところが痛いものの怪我の類はないようだ。
大丈夫だよ。と言おうとしたところで街灯に照らされていた僕の顔を遮るように影ができた。
「え?」
ふと、見上げるとそこには見たことある顔が。
「高町……さん?」
ようやく獲物を見つけたとでも言うがのごとく叫ぶ黒い得体の知れない何かにまったく怯むことなく、高町さんが冷静な目で僕を見下ろしていた。
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