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ドリトル先生の長崎での出会い

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第八幕その六

「そう考えるとね」
「幕府はよかったね」
「奴隷なんてあっては駄目だし」
「今の価値観にしても」
「それに反対するなんて凄いよ」
「だからね」
 それでというのです。
「このことは評価出来るよ、そして当時の偏見はね」
「やっぱりあったね」
「キリスト教に対して」
「特に親戚にお坊さんがいたし」
「尚更だね」
「作品中みたいに強かったかは疑問に思うけれど」
 それでもと言う先生でした。
「やっぱりね」
「偏見があって」
「それでだね」
「蝶々さんと縁切りをした」
「そして子孫の人達が反省や後悔をしていたら」
「間違いだね」
「そうだよ、間違いであって」
 それでというのです。
「持つものじゃないよ」
「そうだね」
「本当にね」
「その人はその人」
「ご先祖のことは関係ない」
「そうだね」
「そう思うよ、若しまだ長崎におられてもね」
 それでもというのです。
「その必要はないよ、あくまでね」
「前向きにだね」
「生きるべきだね」
「そうあるべきだね」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「そうあるべきだよ」
「本当にそうだね」
「反省することはない」
「あくまで前向きに」
「そうあることだね」
「中尉の子孫の人達もそうで」 
 同じ様にというのです。
「蝶々さんの親戚の人達もだよ」
「反省も公開も必要ない」
「その人達がそうしたことをしなかったらいい」
「偏見を持たなかったらいい」
「それでいいのね」
「そうだよ、歌劇には結構差別を扱った作品もあるけれどね」
 それでもというのです。
「蝶々夫人もだよ」
「そうだね」
「まさに差別を扱っているね」
「人種的なものに」
「宗教的なものに」
「蝶々さんはその犠牲でもあるんだ」
 差別のというのです。
「実はね」
「そうなるんだね」
「偏見の犠牲でもあるんだ」
「悲劇のヒロインだけれど」
「その悲劇は何であるか」
「そう、偏見がね」
 これがというのです。
「とても大きいよ、アメリカには人種的偏見があって」
「日本には宗教的偏見があった」
「その二つの偏見があって」
「蝶々さんはああなったんだね」
「とても悲しい結末に至ったのね」
「ああした」
「そうなんだね」
「そうだよ、偏見がどういったものか」
 先生は悲しいお顔でお話しました。 
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