ドリトル先生の長崎での出会い
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第八幕その四
「それはその人だけのことだよ」
「どうして子孫の人達に罪があるのか」
「その人達がした訳じゃないのに」
オシツオサレツは二つの頭で思い言いました。
「それでもね」
「罪の意識なんて持つものじゃないよ」
「そうだよ、色々事情があっても」
それでもと言うホワイティでした。
「反省や後悔をしなくていいよ」
「その人がしたことじゃないなら」
ジップも言うことでした。
「悪いと思ったら駄目だよ」
「原罪ってあるにしても」
トートーはキリスト教のこの考えをお話しました。
「このこととは別だね」
「原罪は人間には悪の部分もある」
ガブガブは先生が昔教えてくれた言葉を思い出しました。
「そういうことだよね」
「こうしたことは原罪でないでしょ」
ポリネシアも指摘しました。
「また別よ」
「そうだよ、原罪については僕はこう考えているよ」
神学者でもある先生は皆にお話しました。
「アダムとイブは楽園を追放されたけれど」
「それは知恵を備えたからで」
「かえってよかったかも知れないね」
「人が知恵を得たなら」
「そうであるなら」
「うん、そしてね」
そうなってというのです。
「文明にも辿り着けたしね」
「色々学べる様にもなったし」
「よかったかも知れない」
「そうだっていうよね」
「先生は」
「そう、そしてね」
そうであってというのです。
「原罪は人間には善悪があって」
「その悪の部分だね」
「最初は白紙でね」
「サルトルさんが言っていたけれど」
「そこから生きていって備える」
「そうしたものだね」
「そう、そしてね」
そうであってというのです。
「原罪は人の悪の部分だってね」
「その様にだね」
「先生は考えているね」
「それは誰もが持っているから」
「だからだね」
「そう、本当にね」
だからだというのです。
「蝶々さんの親戚の人がしたこととは別だよ」
「そうだね」
「あの人達の行動が問題でも」
「子孫の人達に罪はない」
「反省も公開もする必要がないね」
「全くね」
それこそというのです。
「中尉の子孫の人達と同じで」
「全くだね」
「その人達がしたことじゃないから」
「あのお坊さんの子孫でもね」
「することはないよ」
「そうだよ、若しね」
それこそというのです。
「僕がその人達にお会いしたら」
「そう言うね」
「悪いと思うことはない」
「反省も後悔も必要ない」
「その人達は」
「そうだよ、その人達がそうしたことをしなかったら」
それならというのです。
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