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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第1章 高校1年生
  バイバイ、ネガティブ。

 ――三学期が始まって、一週間ほどが過ぎた。

「見てみて、愛美! 短編小説コンテストの結果が貼り出されてるよ!」

 一日の授業を終えて寮に戻る途中、文芸部の部室の前を通りかかるとさやかが愛美を手招きして呼んだ。

「今日だったんだね、発表って。――ウソぉ……」

 珠莉も一緒になって掲示板を見上げると、愛美は自分の目を疑った。

「スゴいじゃん、愛美! 大賞だって!」

「…………マジで? 信じらんない」

 思わず二度見をしても、頬をつねってみても、その光景は現実だった。


【大賞:『少年の夏』 一年三組 相川愛美 〈部外〉】
 

「確かに愛美さんの小説のタイトルね。あとの入選者はみんな文芸部の部員さんみたいですわよ?」

「ホントだ。ってことは、部員外で入選したの、わたしだけ?」

 まだ現実を受け止めきれない愛美が呆然(ぼうぜん)としていると、部室のスライドドアが開いた。

「相川さん、おめでとう! あなたってホントにすごいわ。部外からの入選者はあなただけよ。しかも、大賞とっちゃうなんて!」

「あー……、はい。そうみたいですね」

 興奮気味に部長がまくし立てても、愛美はボンヤリしてそう言うのが精いっぱいだった。

「表彰式は明日の全校朝礼の時に行われるんだけど。あなたには才能がある。文芸部に入ってみない?」

「え……。一応考えておきます」

「できるだけ早い方がいいわ。あなたが二年生になってからじゃ、私はもう卒業した後だから」

「……はあ」

 愛美は部長が部室に引き上げるまで、(しゅう)()彼女の勢いに押されっぱなしだった。

「――で、どうするの?」

「う~ん……、そんなすぐには決めらんないよ。誘ってもらえたのは嬉しいけど」

「まあ、そうだよねえ」

 今はまだ、大賞をもらえたことに実感が湧かないけれど。気持ちの整理がついたら、文芸部に入ってもいいかな……とは思っている。

「そうだ愛美。このこと、おじさまに報告しなくていいの?」

 さやかに言われるまで、そのことを忘れかけていた愛美はハッとした。

「そっか、そうだよね。わたし、そこまで考えてなかった。ありがと、さやかちゃん!」

 愛美の夢に一番期待してくれているのは、〝あしながおじさん〟かもしれないのだ。だとしたら、この喜ばしい出来事を真っ先に彼に報告するのがスジというものである。

「きっとおじさまも、愛美さんの入選を喜んで下さいますわよ。私も純也叔父さまにお知らせしておきますわ」

「……ありがと、珠莉ちゃん」

 純也さんに知らせると聞いて、愛美は照れた。彼ならきっと、手放しに大喜びして飛んでくるだろう。

(いやいやいやいや! そんなの純也さんに申し訳ないよ。忙しい人みたいだもん)

 ちょっと遠慮がちに思う愛美だった。飛んできて「おめでとう」を言われるなら、純也さんよりも〝あしながおじさん〟の方がいい。……まだ顔も本名も知らないけれど。

(……そうだ。今回の手紙には、さすがのおじさまも「おめでとう」ってお返事下さるよね)

 普段は自分で返事の一通も書かず、必要な時には秘書の久留島氏にパソコンで返事を書かせる彼も、自分が目をかけた女の子が夢への大きな一歩を歩みだしたとなれば、何かしらのアクションを起こすだろう。

(どうしても手紙書きたくないなら、スマホにメール送ってくれればいいんだし)

 いくら忙しい身でも、メールの一通くらいは送信できるだろう。――それにしても、便利な世の中になったものである。

 ――というわけで、部屋に戻って着替えた愛美は夕食前のひと時、座卓の上にレターパッドを広げてペンを執った。


****

『拝啓、大好きなおじさま。

 お元気ですか? わたしは今日も元気です。
 それはさておき、聞いて下さい! 秋に応募した文芸部の短編小説コンテストで、わたしの小説が入選したんです! しかも大賞!
 今日の放課後、部室の前に貼り出されてる自分の名前を見ても、信じられませんでした。だって、入選した人の中で一年生はわたしだけ。しかも、他の人はみんな文芸部の部員さんだったんですよ。
 そして、部長さんにベタ褒めされて、文芸部への入部を勧められました。部長さんはもうすぐ卒業されるので、早めに返事がほしいみたいでしたけど、わたしはひとまず保留にしました。もしかしたら、二年生に上がってから入るかもしれませんけど。
 どうですか、おじさま? わたしは小説家になるっていう夢へ向けて、大きな一歩を歩み始めました。それはおじさまの夢でもあるはずですよね? 喜んで下さいますか? 
 もしよかったら、「入選おめでとう」っていうお返事を書いて下さる気にはなりませんか? もし「手紙を書くのが面倒くさい」っていうなら、わたしのスマホにメールを下さい。この手紙の最後にアドレスも書いておきますね。
 以上、初入選の報告でした☆ ではまた。    かしこ

                 一月十五日    愛美    』

****


「いくら忙しくたって、メール送るヒマもないなんてことないもんね♪」

 愛美はメールアドレスまで書き終えると、フフッと笑った。
 それでも何の反応も示さなければ、わざと無視していることになる。自分の娘も同然の存在に対して、そこまで(はく)(じょう)(ふる)()いはできないと思う。

 ――その手紙を出してから一週間が経ち、二週間が経ち……。愛美がいくら待てど暮らせど、〝あしながおじさん〟からの手紙はおろか、メールすら一通も来ない。

「――はあ……」

 愛美は今日も、スマホの画面を見てはため息をつく。

「愛美、おじさまからは一向に(おと)沙汰(さた)ナシ?」

「うん……。手紙来ないのはいつものことだけど、メールも来ないなんて」

 さやかに訊かれて愛美は、一段と大きなため息とともにグチった。

「……ねえ、さやかちゃん。いくら忙しくても、仕事の合間にメール一通送信するくらいはできるよね? わたし、手紙にメアドまで書いたんだよ」

「うん、そうだね。愛美からの手紙には目を通してるはずだし」

 果たしてどうだろうか? さやかは〝あしながおじさん〟が絶対に愛美からの手紙を読んでいるはずだと思っているようだけれど、愛美は彼のことを信じきれなくなっていた。

「それでもさあ、意地でも返事しないってことは、わたしのことわざと無視してるってことじゃないの? 人ってそんなに平然と相手のこと無視できるもんなのかな?」

 自分が嬉しかったことを、〝あしながおじさん〟にも一緒に喜んでもらいたいと思うのはワガママなんだろうか? 
 いくら甘えたくても、相手に知らん顔されていたらどうしようもない。

「愛美、それは考えすぎだよ。愛美のこと大事に思ってくれてるから、おじさまは助けてくれてんでしょ? 無視なんかするワケないじゃん。きっと体調崩してるとか、そんなことだと思うけどな」

「……さあ、どうだろ。わたし、もう分かんない。おじさまが何考えてるのか。わたしのことどう思ってるのか」

 吐き捨てるように、愛美は言った。一旦入ってしまったネガティブスイッチは、なかなか元に戻らない。

「もしかしたら、わたしのことウザいとか面倒くさいとか思ってるかも。私の手紙に迷惑がってるとか」

「そんなことないよ。絶対ないから!」

 さやかが諭すように、愛美を励ます。

「……ありがと、さやかちゃん。でもね――」

「ほらほら! 眉間にスゴいシワできてる! あんまり深刻に考えないで、ドッシリ構えてなよ。――ほら、もうすぐ学年末テストもあるしさ。それでいい報告できたら、おじさまもなんか返事くれるかもよ?」

 さやかに励まされ、愛美は少しだけやさぐれかけていた気持ちが解れた気がした。

「……うん、そうだね。ありがと」

 向こうの事情もまだ分からないのに、一人でウダウダ悩んでいても仕方ない。あとはひたすら待つしかないのだ。

「さて、今日はウチの部屋で一緒にテスト勉強する?」

「うん。とか言って、ホントはわたしに教えてもらいたいだけなんでしょ?」

「……うっ、バレたか。ねー愛美ぃ、お願い! 珠莉も愛美に教わりたいって。ねっ、珠莉?」

「……えっ? ええ……」

 突如巻き込まれた珠莉は一瞬戸惑ったけれど、実はさやかの言った通りだったらしい。

「もう。しょうがないなあ、二人とも。じゃあ、寮に帰ろう。着替えたらすぐ行くから」

 やり方は不器用ながら、二人は懸命に自分を励まそうとしてくれている。それが分かった愛美は、二人の親友の提案に乗ることにしたのだった。


   * * * *


 ――それから一週間が過ぎ、学年末テストも無事に終わった。
 けれど、愛美の体調は無事ではなく、テスト期間中から(のど)をやられているのかゴホゴホと咳込んでいた。

「大丈夫、愛美? カゼでも引いた?」

「ううん、大したことないよ。ちょっと喉の調子が悪いだけ」

 ムリしてさやかに笑いかける愛美だけれど、実は喉の痛みだけでなく頭痛にも悩まされていた。

「そう? だといいんだけどさ。――それにしても、愛美はやっぱスゴいわ。今回はとうとう学年でトップ(ファイブ)に入っちゃったもんね」

「……まあね」

 今度こそ、〝あしながおじさん〟に自分の頑張りを褒めてもらいたくて、愛美は必死に頑張ったのだ。たとえ、少々体調が(すぐ)れなくても。

 ただ――、体調が悪い時、人とは得てしてネガティブになるもので。

(もし、これでもおじさまに褒めてもらえなかったら……? もしかしてわたし、やっぱりおじさまに迷惑がられてる?)

 少なからず、愛美には自覚があった。
 考えてみたら、勉強に関することはほとんど手紙に書いたことがない。身の回りに嬉しい出来事や何かの変化があるたびに、手紙を出しては彼を困らせているのかもしれない。
 最初に「返事はもらえない」と、聡美園長から聞かされていたのに……。

(わたしって、おじさまにとっては迷惑な〝構ってちゃん〟なのかも)

「――愛美、どした? 具合悪いの?」

 一人で黙って考え込んでいたら、さやかが心配そうに顔色を覗き込んでいる。

「ううん、平気……でもないか。わたし、ちょっと思ったんだよね」

「ん? 何を?」

「おじさまは、いつもわたしの出した手紙、ちゃんと読んでくれてるのかな……って。もしかしたらうっとうしくて、読みもしないでゴミ箱に直行してるんじゃないか、って」

 こういう時には、最悪の展開しか思い浮かばなくなる。

「秘書の人からは返事来てたけど、おじさまからは一回も来てないんだよ? もしかしたら、秘書の人は読んでくれてても、おじさまは読もうともしてないとか――」

「……愛美、怒るよ」

 愛美のあまりのネガティブさに、さすがのさやかも見かねたらしい。眉を吊り上げ、静かに愛美のネガティブ発言を遮った。

「おじさまは、あんたの一番の味方のはずでしょ? あんたが信じてあげなくてどうすんのよ? 大丈夫だって! おじさまはちゃんと、愛美の手紙読んでくれてるよ! んでもって、一通ももれなくファイルしてあるよ、きっと!」

「ファイル……って」

 最後の一言に、愛美は()(ぜん)とした。いくら小説家志望の彼女も、そこまでの発想はなかったらしい。

(……そういえば、園長先生もさやかちゃんとおんなじようなことおっしゃってたっけ)

 このデジタル全盛期の時代にあって、〝あしながおじさん〟が愛美にメールではなく、手紙を書くことを求めた理由。それは、愛美の成長ぶりを目に見える形で残しておきたいからだと。

「まあ、それは発想が飛躍しすぎてるかもしんないけど。とにかくあんまり一人で深刻になんないことだね。グチだったらあたし、いっくらでも聞いてあげるからさ。あたしになら好きなだけ甘えていいよ」

「……うん、ありがと」

 愛美はためらいながらも頷く。けれど、心の中では密かにある決意を固めていた。

(さやかちゃんの気持ちはすごく嬉しいけど、わたしは誰にも甘えちゃいけないんだ。だから、もう決めた! こうなったら、とことんまで〝構ってちゃん〟になってやる! おじさまが根負けして返事を下さるまで!)

 〝構ってちゃん〟で結構。――愛美はもう開き直っていた。向こうがそう思っているならなおさら、それで押し通すつもりでいた。

(おじさまも血の通った人間なら、さすがに最後は()をあげるでしょ)

 ――それはともかく、愛美はまた咳込んだ。

「愛美、あんまりムリしちゃダメだよ? ただのカゼじゃないかもしんないし、明日は学校休んで病院でちゃんと診てもらった方がいいよ」

「うん、分かった。ありがとね」

 ――寮に帰った愛美は、今日も郵便受けに何も来ていないのを確認してから、どうすれば〝あしながおじさん〟がアクションを起こすのか考えた。

(コレなら、おじさまだって無視はできないよね♪)

 彼がロボットでもない限り、何かしらの反応があるはず。
 怒るかもしれないし、愛美に愛想(あいそ)を尽かすかもしれない。――でも、この時の愛美はそんなことを考えもしなかった。体調が悪いせいで、思考回路まで不調をきたしていたのかもしれない。


****

『拝啓、田中太郎様

 もしかして、あなたはわたしのことを迷惑だと思っていませんか? 「女の子なんて面倒くさい」って、相手をするのもばからしいって無視してるんじゃないですか?
 わたしがあなたをニックネームで呼ぶのも、本当はイヤなんですよね?
 そうでなかったら、あなたは何の感情も持たないロボットと同じです。名前さえ教えてくれないような、冷たい人に手紙を書いたって、わたしには張り合いがありません。
 わたしの手紙はきっと、あなたには読まれていない。秘書さん止まりで、あなたは読みもしないでゴミ箱に放り込んでるに決まってます。
 もしも勉強のことにしか興味がないのなら、今後はそうします。
 学年末テストは無事に終わりました。わたしは学年で五位以内に入って、二年生に進級できることになりました。    かしこ

                二月二十日    相川愛美    』 

****


 ――こんなバチ当たりな手紙を出した(むく)いだろうか。愛美はこの手紙が投函された翌日、四十度の高熱を出して倒れ、付属病院に入院することになってしまった。


   * * * *


「――愛美、具合はどう?」

 入院してから十一日後、愛美の病室にさやかがお見舞いにやってきた。
 看護師さんにベッドを起こしてもらっていた愛美は、窓の外を眺めていた。今日は朝から雨だ。

「うん、まあボチボチかな。食欲も出てきたけど」

「そっか、よかった。――コレ、今日の授業でとったノートのコピーね」

「さやかちゃん、ありがと」

 愛美はお礼を言いながら、さやかがテーブルの上に置いたルーズリーフの束を取り上げた。

 ――愛美は四日前には体温も三十七度台まで下がり、点滴も外してもらって、お(かゆ)だけれど普通食を食べられるようになった。

 でも……、一つ気がかりなことがあって、それ以上病状がよくなってはいなかった。 

「さやかちゃん、……郵便受けには今日も何も?」

「うん、来てないよ。あれからもう四日経つよね。そろそろおじさまも、何かアクション起こしてもいい頃だと思うんだけど」

「そっか……」 

表情を曇らせて答えるさやかに、愛美はガックリと肩を落とす。

 ――愛美は医師の診察の結果、インフルエンザと診断された。入院してから数日は高熱が続き、おでこに冷却シートを貼られて点滴を打たれていた。
 四日前にやっと熱も下がってきて、起き上がっても大丈夫になったので、〝あしながおじさん〟に自分が今インフルエンザで入院中だということを手紙で書き送ったのである。前回、あんなひどい手紙を出してしまったことへの謝罪も兼ねて。
「あんなことを書いたのは、病気で神経が参っていたからだ」と。
 その手紙をさやかに出してきてもらい、もう四日。さやかの言う通り、そろそろ返事か愛美の容態(ようだい)を訊ねる手紙でも来ないとおかしいのに……。

「……わたし、おじさまにとうとう愛想尽かされちゃったかな」

「ん?」

 愛美がポツリと呟く。彼女はある可能性を否定できなかった。
 〝あしながおじさん〟はあの最悪の手紙に腹を立て、自分のことを見限ったんじゃないか、と。
 こんな失礼なことを書くような子には、もう援助する価値もないと。
 愛美自身、その自覚がある。今となっては、どうしてあの時にあんなバカなことを書いてしまったんだろうと後悔している。
 甘え下手にもほどがある。他にいくらでも書きようはあったはずなのに……。

「さやかちゃん、わたし……。おじさまに見捨てられたら、もうここにはいられなくなるの。他に行くところもないの。取り返しのつかないことしちゃったかもしれない」

「大丈夫だって、愛美! おじさまはこんなことで、愛美のこと見捨てたりしないよ! そんな器の小さい人じゃないはずでしょ? それは愛美が一番よく知ってるはずじゃん?」

「うん……」

 まだ〈わかば園〉にいた頃、中学卒業後の進路に悩んでいた愛美に手を差し伸べてくれた唯一の人が〝あしながおじさん〟だった。他の理事さんたちは、誰一人として助けてくれなかったのに。
 高校入試の時にも、高校に入ってからも、彼は愛美に色々な形で援助をしてくれている。
 そんな(ふところ)の深い人が、こんな小さなことで愛美を見放すわけがないのだ。

「まあ、あたしもまた小まめに郵便受け覗いてみるから。あんまり悩みすぎたらまた熱上がっちゃうよ。愛美は早く病気治して、退院することだけ考えなよ。……あんまり長居するのもナンだし、あたしはそろそろ失礼するね」

「うん。さやかちゃん、毎日お見舞いに来てくれてありがとね」

「いいよ、別に。インフルエンザならあたしはもう免疫できてるし、親友だもん。珠莉も一回くらい来りゃあいいのに」

 さやかは口を尖らせた。
 愛美が入院してから、彼女は毎日病室に顔を出しているけれど、珠莉は一度も来ていない。理由は、「インフルエンザのウィルスをもらいたくないから」らしい。

「予防接種くらい受けてるはずじゃん? 友達なのに薄情なヤツ!」

「……ゴメン、さやかちゃん。わたしも予防接種は……。注射が苦手で」

 きっと珠莉も注射が苦手だから、インフルエンザの予防接種から逃げていたんだろう。愛美にはその気持ちが痛いほど分かる。

「えっ、そうだったの? ゴメン、知らなかった」

 自身は注射を打たれてもケロリンパとしていられるさやかが、知らなかったこととはいえ愛美に謝った。

「じゃあ、また明日来るね」

 さやかが病室を出ていくと、愛美は個室に一人ポツンと残された。「インフルエンザは感染症だから、(かく)()が必要」ということでそうなったのだ。
 同じ一人部屋でも、寮の部屋とはまるで違う。寮なら隣りの部屋にいるさやかと珠莉が、ここにはいない。
 こうしてお見舞いには来てくれるけれど、帰ってしまうと一人ぼっちになってしまうのだ。

「まだ降ってる……」

 窓の外をじっと見つめながら、愛美は呟いた。朝からずっと降り続いている雨は、今の愛美の心によく似ている。

(さやかちゃんはああ言ってくれたけど、ホントにおじさま、わたしに愛想尽かしてないのかな……?)

 こんな天気のせいだろうか? 愛美の心もすっきり晴れない。

 ――と、そこへ一人の看護師さんがやってきた。赤いリボンの掛けられた、やや大きめの真っ白な箱を抱えて。

「――相川さん。コレ、お見舞い。ついさっき届いたんだけど」

「……えっ? ありがとうございます……」

(お見舞い? 誰からだろ?)

 箱を受け取った愛美は、首を傾げながら箱に貼られた配達伝票を確かめる。――と、そこには信じられない名前があった。

「田中……太郎……」

 秘書の〝久留島栄吉〟の名前ではなく、〝あしながおじさん〟の仮の名前がそこには書かれている。しかも、直筆で。 

「送り主は、あなたの保護者の方?」

 先に名前を確かめたらしい看護師さんが、愛美に訊ねた。

「はい。――あの、開けてもいいですか?」

「ええ、もちろん。どうぞ」

 リボンをほどいて箱のフタを開けると、そこにビッシリ入っているのはピンク色のバラの花。

「フラワーボックスね。キレイ」

「はい……。あ、メッセージカード?」

 思わず感動を覚えた看護師さんに頷いた愛美は、バラの花の上に乗っている小ぶりな封筒に気づいた。

 
『相川愛美様    田中太郎』


 表書きの字は、伝票の字と同じで右下がりの変わった筆跡だ。


****

『相川愛美様
 一日も早く、愛美さんの病状がよくなりますように。回復を祈っています。
           田中太郎より  』

****


 二つ折りのメッセージカードには、これまた封筒の表書きと同じ筆跡でそれだけが書かれていた。

(おじさま、わたしの手紙、ちゃんと読んでくれてるんだ……)

 カードの文字を見つめていた愛美の目に、みるみるうちに涙が溢れてきた。

 もちろん、この贈り物が嬉しかったからでもあるけれど。〝あしながおじさん〟のことが信じられなくなって、あんな最低な手紙を書いてしまった自分が情けなくて、腹立たしくて。

(……わたし、バカだ。おじさまはこんなにいい人なのに。返事がもらえないことも分かってたのに、あんなことして、おじさまを困らせて)

 愛想を尽かされても仕方のないことをしたのに、お見舞いのお花に手書きのメッセージカードまで送ってくれた。――愛美は今日ほど、〝あしながおじさん〟の存在をありがたいと思ったことはない。

 愛美はそのまま、看護師さんが困惑するのもお構いなしに、声を上げて泣き出した。
 泣くのなんて、〈わかば園〉を巣立った日以来、約一年ぶりのことだ。あれからの日々は、愛美に涙をもたらさなかった。もう泣くことなんてないと思っていたのに。

「ほらほら、相川さん! あんまり泣くと、また熱が上がっちゃうから」

 オロオロしつつ、看護師さんがボックスティッシュを差し出す。それで涙と鼻水をかむと、数分後には涙も治まった。

「――あの、看護師さん。ペンとレターパッド、取ってもらってもいいですか?」

 気持ちが落ち着くと、愛美は看護師さんにお願いした。

「お礼の手紙、書きたくて。他にも書かないといけないことあるんで」

「……分かった。――はい、どうぞ。じゃあ、私はこれで。お大事に」

「ありがとうございます」

 看護師さんが病室を出ていくと、愛美はテーブルの上のペンをつかみ、レターパッドを広げた。
 〝あしながおじさん〟にお礼を伝えるため、そしてきちんと謝るために。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 今日は朝から雨です。
 お見舞いに来てくれたさやかちゃんが帰ってから、ブルーな気持ちで外の雨を眺めてたら、看護師さんが病室に、リボンのかかった大きめの白い箱を持って来てくれました。「届いたばかりのお見舞いだ」って。
 箱を開けたら、キレイなピンク色のバラのフラワーボックスで、そこには伝票と同じ個性的な、それでいて人の()さがあらわれてる筆跡で書かれた直筆のメッセージカードが添えてありました。
 わたし、それを読んだ途端、声を上げて泣いちゃいました。このお花が嬉しかったのももちろんありますけど、おじさまを信じられなかった自分を(ののし)りたい気持ちでいっぱいになって。
 おじさまはわたしの手紙、ちゃんと読んで下さってたんですね。返事が頂けなくても、いつもわたしが困った時には助けて下さってるんだもん。
 おじさま、ありがとうございます。そして、ゴメンなさい。もう〝構ってちゃん〟は卒業します。それから、ネガティブになるのもやめます。わたしには似合わないから。
 さやかちゃんが言ってました。おじさまは絶対、わたしの手紙を一通ももれなくファイルしてるはずだって。だからこれからは、ファイルされても恥ずかしくないような手紙を書くつもりです。
 でも、こないだの最低最悪な一通だけは、ファイルしないでシュレッダーにでもかけちゃって下さい。あの手紙は、二度とおじさまの目に触れてほしくないですから。書いてしまったこと自体、わたしの黒歴史になると思うので。
 おじさま、もしかして「女の子は面倒くさい」なんて思ってませんか? では、これで失礼します。

                    三月三日    愛美    』

****


 ――翌日、さやかにこの手紙を投函してもらった愛美は、胸のつかえがおりたおかげでみるみるうちに元気になり、その二日後には退院することができた。
 〝(やまい)は気から〟とはよくいったものである。

「――さやかちゃん、珠莉ちゃん! ただいま!」

 二週間ぶりに寮に帰ってきた愛美は、自分の部屋に入る前に、隣りの親友二人の部屋にやってきた。
 元気いっぱいの声で、二人に笑いかける。

「おかえり……。愛美、もう大丈夫なの!?」

「うん、もう何ともないよ。さやかちゃん、毎日来てくれてありがとね。心配かけちゃってゴメン」

 ビックリまなこで訊ねたさやかに、愛美は安心させるように答えた。

 あのフラワーボックスが届いた日に流した涙が、愛美の中の(わだかま)りやネガティブな心を全部洗い流してくれたのかもしれない。

「愛美さん、一度もお見舞いに伺えなくてゴメンなさいね」

「いいんだよ、珠莉ちゃん。わたしも分かるから。注射が苦手だから、予防接種受けてなかったんでしょ?」

「……ええ、まあ」

(やっぱりそうなんだ)

 愛美はこっそり思った。
 つい一年ほど前に初めて会った時には、冷たくてとっつきにくい女の子だと思っていたけれど。こうして自分との共通点を見つけると、ものすごく親近感が湧いてくる。

「――もうすっかり春だねぇ……。そしてもうすぐ、あたしたちも二年生か」

「そうだね。もう一年経つんだ」

 暖かい日が少しずつ増えてきて、校内の桜の木も(つぼみ)を膨らませ始めている。

 一年前、希望と少しの不安を抱いてこの学校の門をくぐった時は、愛美は独りぼっちだった。頼れる相手は、手紙でしか連絡を取れない〝あしながおじさん〟たった一人。もちろん、地元の友達なんて一人もいなかった。

 でも、今はさやかと珠莉という心強い二人の親友に恵まれた。他にもたくさんの友達ができた。
 もう一人でもがく必要はない。何か困ったことがあれば、まずはこの二人に話せばいい。それから〝あしながおじさん〟を頼ればいいのだ。

「――あ、そうだ。四月からあたしたち、三人部屋に入れることになったからね」

「えっ、ホント!? やったー♪」

 愛美はそれを聞いて大はしゃぎ。二学期が始まる前に、愛美とさやかとで話していたことが実現したらしい。

 さやかの話によれば、愛美の入院中にさやかがその話を珠莉にしたところ、「それじゃ私も一緒がいい」と珠莉も言いだしたのだという。
 そして、ちょうど具合のいいことに、同じ学年で三人部屋を希望するグループが他にいなかったため、空きが出たんだそう。

「来月からは、三人一緒だね。わたし、嬉しいよ。一人部屋はやっぱり淋しいもん」

「うん。あたしも珠莉も、愛美とおんなじ部屋の方が安心だよ。もうあんなこと、二度とゴメンだからね」

 愛美が倒れた時、発見したのはさやかと珠莉だった。女の子二人ではどうしようもないので、慌てて晴美さんと男性職員さんを呼んできて、車で付属病院まで連れて行ってもらったのだった。
「一緒の部屋だったら、もっと早く気づけたのに……」と、さやかも落ち込んでいたらしい。

「うぅ…………。その節はありがと。でも、もうわたし、一人で悩んだりしないから。もうネガティブは卒業したの」

「そっか」

 今は心穏やかでいられるから、悩むこともない。愛美は生まれ変わったような気持ちになっていた。

(バイバイ、ネガティブなわたし!)

 愛美は心の中でそう言って、後ろ向きな自分に別れを告げた。

 そして愛美の高校生活は、もうすぐ二年目を迎える――。  
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