コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十七章―双剣―#12
≪この魔獣には、剣も魔術も効かない。リゼの【聖剣】で倒す。ジグはリゼを護れ。ヴァルトは戻らず俺たちと共にリゼの援護を───セレナはディンドたちの援護を頼む≫
レド様の指示に従うべく────私たちは、一斉に黒い魔獣に向かって地を蹴った。
距離が近かったヴァルトさん、レド様、レナスが先に魔獣へと辿り着く。魔獣はレド様たちを一遍に薙ぎ払おうと、両手で歪な大剣を握り直して、横一線に振るう。
まずは一番間近にいるヴァルトさんが魔獣の大剣を迎え撃った。魔獣の膂力に圧されてヴァルトさんが後ろに押し出されたところに、レド様が大剣を───レナスが太刀を叩きつけ、魔獣の大剣が留まる。
魔獣の両腕に太い血管のようなものが浮き出たかと思うと、レド様たちが魔獣の大剣に圧され始めた。そこへ遅れて辿り着いた───【回帰】を発動したままのラムルが大剣を叩きつけ、また魔獣の大剣が留まった。
私はその攻防を横目に、【認識妨害】を発動させて、右方向───魔獣にとっては左側から回り込む。
魔獣が間合いに入ったところで、一旦しまっておいた【聖剣ver.9】を左手に呼び寄せ、右手を柄にかける。そして、【聖剣】を振り抜こうとした瞬間────魔獣が大剣を引き上げて後方へと跳んだ。
レド様たちが───勿論、私も───魔獣の後を追う。
対多数では分が悪いというのもあるだろうけど、今のは明らかに【聖剣】を抜こうとした私に気づいて、魔獣は跳び退いた。
【認識妨害】で存在をくらませても、触れることなく【聖剣】を察知できる鋭敏な魔獣には悟られてしまうだろうと思いつつ、念のため試してみたが────やはり駄目か。
私たちからある程度離れた魔獣は、魔素と魔物の魂魄を引き寄せ始めた。あの衝撃波を放つつもりに違いない。その前に何とか魔獣に辿り着きたかったが、魔獣が衝撃波を放つ方が速かった。
またもや吹き飛ばされた私たちは、後退を余儀なくされる。
前回より発動までの時間が短かったせいか、威力はそれほどでもなく、私たちはさして体勢を崩すことなく次々に着地する。
すぐに魔獣に向かおうとして、思い止まる。魔獣の周囲を豪風が取り巻いている。衝撃波と同じ───魔素と魔物の魂魄から成る豪風だ。あれでは近寄れない。
固定魔法に似ているが、起点のようなものは見当たらないところを見ると、あの黒い魔獣が動かしているだけなのだろう。
私が創った【霊剣】や【魔剣】は魔法も斬ることができるが────おそらく斬ったとしても、あの豪風を止めることはできなさそうだ。
この豪風で私たちを遠ざけることはできるけど、これでは魔獣も私たちを攻撃することはできない。絶対に何か手を打ってくるはずだ。
魔獣が行動を起こす前に、この豪風をどうにかしないと────
「?!」
すぐ傍らで不自然な魔素の流れを感じて振り向くと、レド様が魔術を発動させていた。これは────【疾風刃】?
【疾風刃】は、魔獣に引き寄せられて吹き込む魔素を取り込んで、規模を増していく。
いや、魔素ではなく“精霊”?
それに、それだけじゃない────魔物の魂魄まで取り込んでいる。
“精霊王”と称されたアルデルファルムを従えるレド様は、周囲を漂う精霊を無意識下に従わせてしまう。
魔物の魂魄がレド様に従って取り込まれるということは────魔物の魂魄は、“精霊”もしくはそれに近い存在だということ…?
ある程度大きくなったところで、レド様は魔術を解除した。レド様の前で渦巻いていた魔力の風が霧散する。
「やはり、か」
レド様はそう呟いた後、決意を湛えた眼差しを私に向けた。
「リゼ───あの風は俺に任せてくれ」
「…攻性魔術を発動させるおつもりですか?」
確かに、今の結果から見ても────レド様が攻性魔術を発動させれば、この周辺一帯に漂う精霊や亜精霊、それに魔物の魂魄は、魔獣ではなくレド様に引き寄せられるはずだ。
そうなれば、魔獣を取り巻く豪風も消え、あの衝撃波も放てない。
「勿論、魔術を放出するつもりはない。先程のように寸前で解除するつもりだ」
「解りました」
「ノルン、サポートを頼む」
───ですが、主ルガレド、状況を鑑みるに魔術はかなりの大規模になると思われます。サポートするには、専念する必要があります。
そうすると、使い魔ネロ、配下ディンド、配下セレナ、配下アーシャ、配下ハルドのサポートができません───
「ノルン───ネロとディンド卿、セレナさんのサポートというのは【索敵】に関してだよね。アーシャとハルドのサポートというのは?」
───配下アーシャ、配下ハルドは心身ともに疲労状態に達しています。私のサポートなくして、【身体強化】や【防衛】を行使するのは困難です。
それと、配下セレナは【索敵】で得た情報で標的を定めて的確に魔術を撃ち込んでいるため、それも不可能となります───
スタンピード前方に群がる魔物の数は大分減ってはいるものの、殲滅できてはいない。まだアーシャとハルドの戦力は必要だ。
それに、【索敵】の件も───セレナさんなら【索敵】の情報がなくても魔術を放つことはできるだろうけど、レド様も私も魔力が残り少なくなってきている今、標的を絞ってもらえた方が助かる。
だけど────レド様が攻性魔術を行使するのにも、ノルンのサポートは不可欠だ。私もレド様のサポートはできるけど、私には【聖剣】で魔獣を討つという役目がある。
「ルガレド様、俺がやります」
不意に聞こえた宣言に、どうするべきか考えを回らせていた私は顔を上げた。宣言したのは────ジグだ。
「俺が────ルガレド様を補助します」
ジグは、今までとは───地下遺跡で前世の記憶が甦る以前とは異なる口調で、改めて宣言する。
レド様は、眼を見開いて驚いている。今までのジグには、そんなことができるような片鱗もなかったのだから当たり前だ。
「お前が?」
「ノルンと同じことはできませんが────魔術を暴走させないよう、ルガレド様が精霊や亜精霊を制御する手助けなら、俺でもできます」
「そんなこと────できるのか?」
レド様の問いに、ジグの口角が上がって、笑みを形作る。レド様やラムルが浮かべるそれによく似た────不敵な笑みだ。
「できます」
そう答えたジグの声音には、揺るぎがなかった。レド様の表情から驚愕の色が消えて、毅然としたものに戻る。
「解った。俺のサポートはジグに任せる」
「御意」
「レド様、ラムルとセレナさんへの魔力供給は私が担います」
「頼む」
「ノルン、お願い」
───はい、主リゼラ───
本当はすべての魔力供給を引き受けたいところだけど、あの黒い魔獣を討つためには魔力が必要だ。
レド様は、状況を見守っていたラムル、レナス、ヴァルトさんに振り向いた。
「聴いた通りだ。俺とジグがあの風を取り払う。引き続き、リゼを援護して魔獣を」
レド様がそこまで言いかけたとき────不意に、私たちの眼前の空中一面に幾つもの蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
亀裂が放射状に広がるにつれ、それに引っ張られたかのように中心が口を開き────淡い光を帯びた魔力の礫のようなものが一斉に飛び出す。
「ッ!!」
これは、仲間たちが施す【防衛】では防げないと直感する。【防御壁】は間に合いそうもない。【防衛】で防ぐには範囲が広すぎるけど、それでもやるしかない。
「【防衛】ッ!!」
できるだけ大きく───そして、傾いた庇のごとく、頭上に向かって魔力の盾を築き上げる。
「皆っ、私の後ろに…っ」
私が言い切れないうちに、魔獣によって放たれた礫が落下し始めた。仲間たちは、それでも私が言いたかったことを理解してくれたらしく、私の後方へと次々に飛び込む。
私が創り出した直径5mほどの魔力の盾に、まるで“火の玉”のような礫が降り注ぐ。
【防衛】を発動し続け、耐えていると────しばらくして、魔力の盾を叩き続ける無数のそれが疎らになり、やがて途絶えた。
「リゼ、助かった」
「いえ───皆、無事ですか?」
ラムルとヴァルトさんは初動が遅れて、幾つか礫が身体に当たっていたはずだ。
ラムルもヴァルトさんも、ラムルの頬にできた一筋の切り傷以外に目立つ外傷はないものの、装備のおかげで外傷にはならなかっただけで、腕と足に数ヵ所強打されたところがあるみたいだ。
ケガをした二人には申し訳ないけど、今は抜けられては困る。幸い、切り傷と打撲だけのようなので、ポーションを飲んでもらった。
レド様、レナス、ジグにはケガがないことと、ラムルとヴァルトさんが動けるようになったことを確認してから、魔獣の方に目を向けると───相変わらず豪風が取り巻いていて、その中心にいるはずの黒い魔獣の様子は目視することはできない。
レド様は【千里眼】を駆使しているようで、険しい表情でそちらを視ている。
「魔獣はじっとしているが────魔力が蠢いている。また同じ攻撃をしてくるつもりかもしれないな」
あれは、おそらく干渉魔法【接続】によって、なされたものだろう。
わざわざ距離を取って、近づけさせないようにしてから行使したことを鑑みると、【転移】と同じく集中しないと発動できないか───もしくは、発動させるのに時間がかかるのかもしれない。
もし、そうなら────レド様の発案通り、あの豪風を取り払ってしまえば、先程の攻撃はできなくなる。
「レド様、攻性魔術の起ち上げを手伝います」
「ああ、頼む」
とにかく、一刻も早く、魔獣が利用している精霊や魔物の魂魄を何とかしなければ─────
※※※
壁となって魔物の進攻を押さえている、最前列に並ぶパーティーの隙を掻い潜って、こちら側へ入り込んできたオークを、すぐ後ろに陣取っているCランクパーティーが迎え撃つ。
護りに入ってから、結構、経つが────攻撃に転じる合図はまだない。
先程から、変異種の雄叫びらしきものが何度も響き渡っていることに、ガレスは懸念を抱いていた。
(アレドたちに何かあったわけじゃないよな…?)
今のところ、最前列を担うBランクパーティーのメンバーに動けなくなるほどのケガを負った者はなく────矢やナイフなどの補充で束の間の交代はあったものの、幸いなことに実力不足の低ランクパーティーを駆り出す破目にはなっていない。
(だが、それもいつまでもつか…)
ガレスが、戦況から眼を離さずにそんなことを考えていたときだった。
『リブルの集い』と『栄光の扉』の僅かな合間から、コボルトが飛び出した。続いて、『栄光の扉』と『高潔の剣』の合間からも、2頭のコボルトが出て来る。どちらも、慌てて飛び出したように見えた。
今回、コボルトはオークに指示を出すのみで、参戦していなかった。前線に出ることはせずに、オークやオーガの後ろに隠れていた。
そのコボルトが、追われるようにして飛び出してきたということは─────
「攻撃だ────攻撃に転じろ…ッ!!」
ガレスは、あらん限りの声で叫ぶ。
アレドからの合図は来ていないが────何故か、今ここで打って出ないといけない気がした。
「護るのは終わりだ!魔物を狩り尽くすぞ!」
※※※
「リゼ───俺が行使できる魔術の中で、一番規模が大きいのはどれだ?」
ルガレドが訊ねると、リゼラは少しだけ考える素振りを見せて────答えた。
「そうですね…。一番規模が大きいのは【流星嵐】という魔術ですが────発動させるつもりがないのならば、【雷光波】を行使する方がいいと思います」
【流星嵐】は、魔力で空中に創り出した無数の岩石を敵に浴びせる魔術だ。寸前で解除しても、創り出した岩石が残ってしまったら大変なことになる。
それなら、多少規模が小さくなってしまっても【雷光波】の方がいい────ということらしい。
「解った。では、【雷光波】を行使することにする」
リゼラはルガレドの言葉に頷いて、続ける。
「レド様───私とジグの【魔術駆動核】をレド様のものに繋げます。三人で一つの魔術式に一斉に魔力を注ぎ込めば、【雷光波】を一気に起ち上げることができるはずです」
ラムルとレナスの能力や魔術の起ち上がりが遅いのは、魔術式に魔力を行き渡らせるのが不得手だからだ。
この【雷光波】という魔術は、規模も威力も大きい分だけ魔術式も大きくて複雑で、他の魔術より魔力を隅々まで行き渡らせるのに時間がかかる。
しかし、三人同時に魔力を流し込めば、その分だけ起ち上がるのも速いはずだ。
「なるほど…。解った」
「ノルン、お願い」
───はい、主リゼラ───
「それでは────始めよう」
ルガレドが告げると、リゼラとジグは頷いた。そして────ルガレドとリゼラ、ジグは視線を交わして、同時に口を開いた。
「「「【雷光波】」」」
三人の足元に一つの魔術式が展開する。それぞれの足元から魔力が魔術式に流れ込み、魔術式が光を帯びていく。
多少の速度の差はあったが───ルガレド、リゼラ、ジグの足元から広がった魔力が波紋のように広がっていき、魔術式の隅々まで魔力が満遍なく行き渡った瞬間、眩い光を迸らせて、魔術が起ち上がった。
途端に、精霊や魔物の魂魄が強い風となって、ルガレドを目掛けるように吹き込んで来る。魔術式が精霊と魔物の魂魄の風を取り込み、一層眩い光を放つ。精霊と魔物の魂魄の風は留まることなく、引き寄せられては魔術式に呑まれていく。
こういった大規模魔術の魔術式は、単純な魔術式を組み合わせることで成り立っているらしく───精霊と魔物の魂魄を呑み込んだ個所にそれぞれ組み込まれている魔術式が、勝手に作動し始めて───以前、試しに発動させてみたときよりもかなり早く、ルガレドの手に負えない状態となった。
リゼラが徐に片膝をつき、魔術式に手を触れた。
すると────リゼラの掌が淡く光を帯び、その光が魔術式に伝って徐々に広がっていくにつれ、幾つもの魔素溜まりとなっていた精霊や魔物の魂魄が魔術式全体へと押し流され、すべての魔術式が作動することで、暴走が止まった。
「リゼ───今、何を?」
「これは、先程あの黒いオーガが行使した───新たに会得した【誘導】という魔法です」
リゼラはルガレドの問いに答えながら、立ち上がる。
「レド様───これは一時的な処置です。おそらく、またすぐに部分的な魔素過多による魔術式の暴走が始まります」
リゼラの言葉に、ルガレドは意識を切り替える。
そうだ────精霊や魔物の魂魄は、未だに途切れることなく押し寄せ続けている。今のうちに対策をしなければ、また魔術式の制御を失う破目になる。
ノルンのサポートを受けられたのなら、魔術式の制御を手伝ってもらうところだが、それは無理だ。
だったら、ジグの言う通り────魔術式を暴走させないように、精霊や魔物の魂魄を従わせるだけでなく完全に制御するしかない。
(だが、どうすべきか…)
ルガレドが精霊や亜精霊を従わせると言われても、正直、自覚がない。
一度だけ、精霊だという聖結晶を制御というか───抑えることはできたが、あのときは無我夢中だったため、どうやったのかは自分でも定かではなかった。
完全に制御するにはどうすればいいのか────何も思い浮かばない。こうして考えあぐねている時間が惜しく、リゼラとジグに意見を求めようと、ルガレドは顔を上げた。
「!」
吹き込む精霊や魔物の魂魄から成る風の合間に、はっきりと漆黒の毛色をした魔獣の姿が見える。魔獣を取り巻いていた風が消え失せていた。
今なら────魔獣に近づける。
「リゼ───後は俺とジグでやる。リゼは魔獣の許へ向かってくれ」
リゼラも魔獣を取り巻く風が消えたことに気づいたのだろう。その澄んだ蒼い双眸に強い光を湛えて頷く。
「解りました。レド様───後を頼みます」
リゼラは、続けて、ジグの方に振り向いて声をかけた。
「ジグ、後を───レド様をお願い」
「お任せください」
リゼラの声音にはジグに対する信頼が籠っていて────表情には出していないが、ジグが内心喜んでいるのがルガレドには解った。
「それでは、私は行きます」
リゼラはそう言い置いて、魔術式から踏み出した。そして────待機していた他の仲間たちの許へ駆け寄ると、迎え入れた仲間たちと共に奔り出す。
ルガレドは、リゼラと共に行きたい衝動を堪えて、その背中を見送った。
「ほら───置いて行かれた犬のような顔をしてないで、とっとこれを何とかしましょう、ルガレド様」
「誰が“置いて行かれた犬”だ。…リゼにお願いされて浮かれていたくせに」
「リゼラ様にお願いされて、喜ぶのは当然でしょう」
しれっと返すジグに、ルガレドは諦めたように一つ溜息を吐く。どうせ、ジグには何を言っても無駄だ。
「とっととこれを何とかして、俺たちも加勢するぞ」
「そうですね」
「それで?この───吹き荒れる精霊たちを制御するにはどうしたらいい?」
ルガレドは、単刀直入にジグに訊ねる。
自分で打開策を見出せないことに情けなさを感じるものの、今はどうにかすることの方が先決だ。
「自我のない精霊や亜精霊が、ルガレド様やあの魔獣が魔力を使って何かしようとすると従ってしまうのは───簡単に言えば、ルガレド様や魔獣が魔力に課した命令を勝手に感じ取って、それを実行しようとするせいです」
「だから、勝手に魔術式に飛び込むのか」
ジグが何故それを知っているのか────疑問が湧いたが、隅に追いやる。
「ルガレド様は、【神眼】で視えるから精霊や亜精霊の存在を何となく感じているだけで───はっきりと認識していないのではありませんか?」
「確かに────そうかもしれない」
何か眼で見えざるものを探る場合、ルガレドは【神眼】を使う。【神眼】で視認して、そこに存在するのをぼんやり感じたら───それ以上は突き詰めて確認しない。
「だから、精霊や亜精霊の存在をしっかりと認識して、ご自分の魔力の一部として扱えばいいんです」
「どうやればいい?」
ルガレドは利用できそうな能力や魔術を自分でも考えつつ、ジグに重ねて訊く。
「ほら、ルガレド様が使える力の中に利用できそうなものがあるじゃないですか。リゼラ様に【共有】させてもらっている【測地】という技能────あれなら、精霊や亜精霊が持つ魔素を感じ取れるはずですよ」
「ああ…、あれか!」
あの【技能】なら、験したことがある。ルガレドでも、地中の魔素や植物に宿る魔素をはっきりと認識することができた。
「この吹き荒れている精霊や亜精霊は諦めて、魔術式に取り込まれたものだけを認識して対処しましょう。ご自分の魔力として制御するのが無理なら、先程リゼラ様が見せてくださった魔法────【誘導】でしたか。あれを験してみましょう。リゼラ様が会得されたのなら、ルガレド様も行使できるはずですよね?」
「ああ、そのはずだ」
ルガレドは、左手の薬指で光るリゼラが創ってくれた指環に眼を遣る。
(本当に────リゼには助けられてばかりだ)
孤独だったルガレドの人生に突然現れた────相棒とも伴侶とも半身ともいうべき、かけがえのない存在だ。
そのリゼラがしていたように────ルガレドは片膝をついて魔術式に左手を突く。【測地】を発動させると、【つがいの指環】が光を放った。魔術式に蓄積された魔力や魔素が、まるで立体的に浮かび上がるがごとく、はっきりと感じ取れる。
三人分の魔力と、取り込まれた精霊や魔物の魂魄に含まれる魔素だ。
それに加えて、ジグと会話しているうちに取り込まれたものに、今現在取り込まれているものが次々に積み重なっていく。
はっきり認識してみれば、ルガレドの最大魔力量に届きそうなくらいある。
(これは、自分で制御するのは無理だな…)
時間が惜しいルガレドは、早々に【誘導】という魔法を使うというジグの案に切り替える。
(リゼは、あの魔獣が先程見せた魔法だと言っていたな)
【誘導】という名称からすると、おそらく、最初に戦った魔獣の死体を取り込む際に使っていたものだろう。
通常は魔術名や能力名を特に声に出したりしないが、初めて行使する魔法なので、確実に発動させるために声に出すことにする。
「【誘導】」
先程同様、指環が煌き────魔力が掌へと流れるのを感じる。
何となく、リゼラと“クッキー”を作ったときのことが思い浮かんだ。めん棒で生地を均すように、偏った魔素を比較的少ない箇所へと押し遣るイメージをする。
淡い光が掌から魔術式に伝い、波のごとく広がると共に、余剰となっていた魔素も流されていった。
不意に───何かが勢いよく弾ける音を響かせながら、ルガレドの眼前に幾筋もの小さな閃光が走った。それは徐々に膨張して、やがて稲光となって、左に右にとルガレドの視界を横切る。
(そろそろ限界だな)
魔術式の隅々まで十分すぎるほど魔力───魔素が行き渡り、すでに、この魔術式を構成するすべての魔術式が作動してしまっている。
通常なら、ここで術者が魔術の規模を調整すれば、魔術が完成する。
だが、今回は発動させるつもりはない。もう、これ以上精霊や魔物の魂魄を取り込ませるのは無理だ。魔術を解除した方がいい。
ルガレドがそこまで考えたとき────
「ッ!」
傍らのジグが息を呑んだことに気づき、ルガレドはジグを見上げた。ジグの横顔からは焦燥が感じ取れ、ルガレドは立ち上がって────ジグの目線を辿る。
そこには、たった一人で黒い魔獣と対峙するリゼラの姿があった。
リゼラと共に向かった仲間たちの姿を探すと────少し離れたところに、ラムル、レナス、ヴァルトが地に伏している。
リゼラは、魔獣の眼を逸らすつもりなのか、倒れ伏す仲間たちとは逆の方向に奔る。
魔獣はたった2歩踏み出しただけで、リゼラとの距離を詰める。そして────右腕を振り被った。
魔獣の右手は黒い何かに覆われていて、まるで巨大なメイスを腕の先に括りつけているみたいに見えた。それをリゼラへと振り下ろす。リゼラは【聖剣】である太刀で迎え撃つ。
リゼラの【聖剣】は、その右手を覆う黒い何かを斬り落すには至らず、ただ表層を削ることしかできなかった。
そこへ、右手と同じく黒い何かで覆われた───魔獣の左手が振り下ろされる。
「リゼ…!!」
ルガレドは思わず叫んだ。
リゼラは後方へと跳んで回避するが、すぐに魔獣はリゼラを追って、まずは右手を───続いて左手を振るう。
リゼラは、交互に───あるいは同時に振るわれる魔獣の黒い手を何とか凌いでいるが、あれではいずれ─────
「ジグ!魔術を発動させる!時間を稼げ!」
「御意!」
ジグはルガレドに応えながら、リゼラに創ってもらった対魔獣用武器【フェイルノート】を取り寄せて構える。
すぐさま純白の矢がジグの右手の中に現れた。ジグの魔力が弓矢に流れ込み、瞬く間に淡い光を纏う。それだけでなく────周囲を飛び交っている精霊や魔物の魂魄が引き寄せられ、【フェイルノート】へと取り込まれる。
大量の魔素を注ぎ込まれて、矢を彩る淡い黄金色の光が白銀色に染まったかと思うと、その輝きが一気に増す。
ジグが右手を放すと、光り輝く白い矢は、黒い魔獣目掛けて、白銀の光を靡かせ飛んでいく。
その結果を見届けることなく、ルガレドは魔術の調整に入る。
(このまま、ただ発動させるだけでは駄目だ)
【疾風刃】のような魔術なら、規模だけでなく、刃の形態なども設定できるが────こういった広範囲向けの大規模攻性魔術は、規模を多少調節することしかできない。
規模を抑えたとしても、そのまま魔術を発動させては、リゼラや他の仲間たちをも巻き込んでしまうだろう。
では、魔獣だけに撃ち込むには、どうすれば─────
「?!」
突然、足元が波打ち、ルガレドは思考を中断する。
視線を魔術式へと落とせば、周囲を吹き荒ぶ精霊や魔物の魂魄が、何故か先程よりも勢いを増して魔術式に飛び込んでいる。もしかしたら、ルガレドの感情に呼応しているのかもしれない。
【誘導】で治まったはずの暴走が再び始まってしまった。
(くそっ、今はこんなことをしている時間はないというのに────!)
怒りにも似た強い思いが込み上げ────ほとんど無意識に、ルガレドは魔術式に両手を突いて一息に大量の魔力を注ぎ込む。
魔術式に堆積する魔力と魔素に、自分の魔力を溶け込ませるようにして一体化させて────知覚すると同時に制御下に置き、先程は【測地】と【誘導】で行ったことを一挙にやり遂げる。
ルガレドの意思に従って魔素が均されるにつれ、徐々に暴走が治まっていくのを感じる。ある程度まで治まったところで、不意にその速度が速まった。
───主ルガレド、サポートします!───
「ノルン!」
───スタンピード前方の魔物は殲滅しました!主ルガレドのサポートに専念できます!───
ノルンが、ルガレドの疑問に先回りして答える。
「助かる!俺は」
───把握しています!主ルガレドは魔術の発動に専念していてください!───
「ノルン!魔術の形態を変えたい!広範囲ではなく、魔獣だけに撃ち込みたいんだ!」
───了解!それでは、魔術式の暴走を治めつつ、雷を発生させるものと放出するのに必要な魔術式だけを残して、それ以外の魔術式を切り離します!主ルガレドは魔術の形態と規模を定めてください!───
「頼んだ!」
それだけ返すと同時に、ルガレドは魔術の形態を考え始める。
他の魔術を参考にしようかと思ったが、ルガレドはリゼラほど魔術を熟知していないから、すぐにはイメージが固まらない。剣や槍といった武具をイメージする方がいいだろう。
ふと、何射めかの白い矢を放つジグが眼の端に映る。
(弓矢か…。いいかもしれない)
弓矢ならば、遠くまで飛ばして撃ち込むというイメージが容易にできる。
ルガレドは、そのイメージを強化するために、弓を取り寄せた。番えると右手に矢が現れる。
ルガレドの正面に幾筋もの稲光が走って、それが球を成し、周囲を行き交う稲光を吸収して徐々に棒状となって────やがては矢の体を成した。
形成が終わったにも関わらず、雷の矢は周囲の稲光を吸収し続けて────ついには、大剣より幅も全長も上回る巨大な矢となった。
(まだだ────あの魔獣には生半可な魔術は効かない。もっと凝縮させなければ────)
広範囲に放つべき雷を、余すことなく、眼前に浮遊する黄金の矢に結合させる。
そうして魔術を完成させたルガレドは、弓矢を構えて、魔術を待機させた状態のまま────リゼラと魔獣の攻防を眼で追い、機を窺う。
ジグの援護のおかげか、リゼラにケガをしている様子はない。
黒い魔獣が右手を振り上げる素振りを見せた瞬間─────
(今だ────!)
魔獣の右手に狙いをつけて、ルガレドは弦と矢を放った。
黄金色に輝く巨大な雷の矢が、さらに煌く火花を纏って、ルガレドの放った矢を物凄いスピードで追いかける。
そして、瞬く間に矢に追いつき呑み込むと、そのまま止まることなく────まるで吸い寄せられるかのように、魔獣の禍々しい手を目掛けて飛んでいく。
役目を終えた魔術式が、ルガレドの足元から音もなく消え失せる。
「ジグ、行くぞ!」
「御意!」
ルガレドは、ジグを伴い、リゼラの許へと向かうべく駆け出した。
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