コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十七章―双剣―#11
黒いオーガが、補修したばかりの【霊剣】を構えて、その濁った眼で私を睨みつける。
私は【誓約の剣】を使うべきか一瞬だけ迷って────結局、対の小太刀を【夜天七星】の太刀へと替える。
相手は変異種とはいえ巨大化していない2m程度の魔物で、得物も歪ではあるが両手剣だ。【聖剣】を警戒されて逃げ回られると厄介だし───場合によっては、折るよりも弾くかいなすだけの方が戦いやすい。
私は太刀を左手に携え、柄に右手を添える。それでも【聖剣】を警戒してか、黒いオーガは動かない。
ふと背中越しに人の気配を感じた。
これは────レド様だ。
僅かに首を捻って、瞳を最低限動かして確認すると、私と背中を合わせるようにレド様が後ろに佇んでいる。勿論、大剣を構えたままだ。
その正面には、距離をとって、漆黒の棍棒を右手で構えた魔獣が対峙している。
私は視線を戻して黒いオーガを見据えながら、レド様に伝えるべきことだけ報告する。
「変異種は2頭とも討伐しました。ジグにはラムルの援護に向かってもらっています。それから────【霊剣】を創ったのは魔獣ではなく、私の前にいるあの黒いオーガだと思われます。おそらく…、魔物に指示を出しているのも」
「そうか、解った」
レド様が頷いたのが、気配で判った。
「先に魔獣を片付ける」
「解りました」
私はレド様と連携できるように、念のため【把握】を改めて発動させる。
「リゼ、どちらをやる?」
いつか聞いたそのセリフにレド様の意図を悟って────私もあのときと同じように答えた。
「では、黒いオーガの方で」
魔獣がこちらへと踏み出したらしく、足元が微かに揺れた。一瞬だけ間を置いて、レド様が告げる。
「それでは───行くぞ、リゼ」
「はい、レド様」
私は、黒いオーガに向かって、【氷刃】を降らせるのではなく───胸元から真っ直ぐ放って、それを追うように奔り出す。
背後でレド様が魔獣の棍棒を受け止めたのを、その音で知る。
私が放った氷の刃は、ことごとく黒いオーガの正面に張られた【結界】に阻まれ、掻き消えた。私が振り抜いた太刀も阻まれ、黒いオーガまでは届くことはなかったが────【結界】を斬り裂くことはできた。
刀を振り下ろした隙を狙って、黒いオーガが私に斬りかかる。それを避けるために私が後ろへと跳び退くと、黒いオーガも私を追って跳ぶ。私が着地する前に、追いついた黒いオーガが、漆黒の両手剣を振るう。
「!」
さすがに速い。避けきれないと悟った私は、太刀で迎え撃つ。横薙ぎに振るわれた両手剣の衝撃を利用して、私は後方に大きく跳び上がる。
思ったよりも衝撃が大きかったので、衝撃を和らげるために空中で回転してから、予定していた地点に降り立つ。
すぐ背後では、私に背を向けたレド様が魔獣と打ち合っている。すかさず黒いオーガが距離を詰め、私に両手剣を振り下ろした。
────今だ…!
私は右足を軸に、勢いよく身体を半回転させ────同じく身体を半回転させたレド様と、位置を入れ替わった。
レド様に向けて振り下ろされた漆黒の棍棒が、私の視界を占める。私は一歩踏み出して、太刀を振り上げた。
魔獣は、私の太刀が【聖剣】ではないからか、そのまま棍棒を振り下ろす。
刃が棍棒に接触する直前────私は、太刀を抜身の【誓約の剣】と替えた。【聖剣】は棍棒に弾かれることなく、その身に食い込む。【身体強化】も発動させて、【聖剣】を振り切った。
半ばから切り離されてなお両手剣ほどの大きさがある棍棒の片割れを追って、それも【聖剣】で切断する。黒い断片が、それぞれ鈍い音を立てて地面に落ち、土砂が舞う。
【霊剣】である棍棒は、私の【聖剣】でないと斬れない。だけど、魔獣は【聖剣】を警戒していて、棍棒に触れさせないようにしていた。援護してくれる仲間たちがいない今、余計に【聖剣】を当てるのは難しい。
私が【聖剣】を携えて接近しようとしても、逃げられるだけだ。
だから、初めはレド様が相手をして、棍棒と切り結ぶ直前で立ち位置を入れ替えたのだ────“デファルの森域”で魔獣2頭を二人で相手取ったときのように。
黒いオーガを弾き飛ばしてすぐに左側から回り込んで来ていたレド様が、間髪入れずに魔獣の右腕を斬り落とした。
私は魔獣をレド様に任せ、斬られた右手が絡みついたままの棍棒も半ばから斬る。
魔獣は、短くなった右腕を天に突き上げて、痛みからか───それとも怒りからか、怒号を轟かせた。
黒いオーガが迫り来る気配を感じ取って、私は振り向きざま【聖剣】を短剣へと替えて放つ。そして、短剣によって【結界】が消えた直後を狙って、【氷刃】を降らせて───続けて、先程のように正面からも【氷刃】を射出する。
黒いオーガが戻るように後ろへ退く。
私はまた魔獣に向き直ると、右手に短剣を取り寄せて投擲する。
レド様が、未だ怒号を発している魔獣に大剣を叩きつけた。
我に返ったらしい魔獣は、突き出した左手で【結界】を張って防ごうとしたが────レド様の大剣が届くより先に、私が投げた短剣が【結界】を斬り裂く。
【結界】が消え、無防備となった魔獣の左腕を、レド様は大剣を横薙ぎに振るって斬り落とした。
レド様の攻撃はそれで止まらず、すぐさま振り返した大剣が魔獣に襲い掛かる。魔獣は大剣を止めようと、手首のない右手を突き出す。
私は、取り寄せた抜身の太刀を投げつけ、魔法で強風を起こした。強風に煽られ勢いを増した太刀が魔獣の右腕を貫き────張りかけの【結界】が解けた。
「【疾風刃】!」
魔獣は、それでも太刀が刺さったままの右手で大剣を阻もうと動かしたが────私が放った風の刃によって、魔獣の右手は二の腕から斬り落とされ、阻めない。
「【防御壁】!」
続けて───私は振り返って魔力で壁を築き上げ、再び近寄って来ていた黒いオーガを押し止める。
この能力は魔力をかなり消費するが、仕方がない。今、この黒いオーガを乱入させるわけにはいかない。
レド様は、魔獣の左脇腹に刃を食い込ませると、【身体強化】を発動させた。そして────力任せに一気に大剣を振り抜く。
切り離された魔獣の上半身が傾ぎ、そのままレド様に向かって傾れ込む。レド様は2mほど後方に跳んで、大剣を大きく振り上げる。
レド様の大剣が魔獣の首を捕らえ、あっけなく切断する。
魔獣の胴体が砂煙を上げて地面に倒れ込み、首が少し離れたところに落ちて転がった。
これで────魔獣の命は完全に潰えた。次はあの黒いオーガを討たねば、そう思ったとき─────
「っ?!」
背中越しに感じた異様な気配に、私は後ろを振り向いた。
私が張った魔力の壁の向こうにいたはずの───あの黒いオーガの姿が、何処にも見当たらない。あるのは、黒いオーガが現れたときと同じ────ぱっくりと開く、引き攣ったような空間の裂け目だけだ。
不要になった【防御壁】を消して、急いで視線を戻す。目を凝らしてみれば、崩れ落ちた魔獣の死体の向こう側に、空間の裂け目が開いている。
「!!」
その裂け目の前には────たった今、そこに降り立ったばかりと思われる黒いオーガが佇んでいた。
咄嗟に【心眼】を発動させて空間の裂け目を捉えると、すぐにノルンのアナウンスが響いた。
干渉魔法【接続】、会得しました────
“干渉魔法”?────“固定魔法”ではなく…?
そんな疑問が過るが、動き出した黒いオーガに意識を戻して────とにかく、今はこの黒いオーガを討つことだけを考える。
私は、魔獣の腕に刺さったままだった太刀を取り寄せ、同時に取り寄せた鞘に収めた後、左手に携えた。レド様は大剣を両手剣に替えて、中段に構える。
しかし、黒いオーガは、レド様にも私にも目もくれずに、魔獣の死体に歩み寄った。そして、屈み込んでその場に手を衝いた。
「っ?!」
突然、足元が微かに蠢いた。
魔獣の血が波打ち、黒いオーガの掌に吸い寄せられていく。魔獣の肉片まで震え出したかと思うと、黒いオーガの方に向かって引き寄せられていった。
魔獣の肉片はズルズルと這いずりながらも、徐々に崩れ落ちてさらに細かい肉片へと成り果てる。
私が再び【心眼】を発動させると、すぐにノルンのアナウンスが響いた。
干渉魔法【誘導】、会得しました────
この異様な光景に、何か悍ましいことが起ころうとしているのは判っていた。今のうちにあの黒いオーガを討つべきだと思うも────何故だか、この先を見届けなければならない気がした。
レド様も同じように感じているのか、動かない。
私は、一部始終を見届けるべく、一層、眼を凝らす。
魔獣の血も肉片も、黒いオーガの許へ辿り着いた傍から───その手を伝って腕、首から頭、地に着いた膝から足や腰、腹部、胸部へと這い上がっていき、果ては黒いオーガの全身に留まらず大剣すら隈なく覆い尽くして────さらに幾重にも覆い隠す。
血に塗れた肉片が溶け出して、やがて肉片はすべて血に呑まれ────表面上は、水気の多い泥のように滑らかになる。それは、“クレイアニメーション”のように、ゆっくりと形を成していき────
干渉魔法【同化】、会得しました────
ノルンのアナウンスが響くと同時に、変化は終わりを迎えた。
魔獣の死体と血が跡形もなく消え、その場に遺されたのは────奇怪な大剣を携えた、全長4mはある黒い魔獣。
オーガの姿かたちをしていることも、漆黒の毛に覆われた黒ずんだ皮膚も、闇を具現化したかのような歪な剣を握っていることも変わりはないが────その大きさだけでなく、醸し出される禍々しさが、明らかに増していた。
【魔導巨兵】
高貴エルフによって生み出された人為的な【魔獣】。造り手や元になる【奴隷種】によって性能は異なるが、一様に高い【物理耐性】と【魔術耐性】があるため、生半可な武具や【魔術】は通用しない。討伐するには【聖剣】以上の武具が必要。
【心眼】が齎した分析結果に、私は息を呑む。
エルフが生み出した、人為的な魔獣?しかも、【聖剣】でしか討つことはできない────?
それに、気になるのは────固有名称や情報があることだ。古代魔術帝国は、この特異な魔獣と何らかの関与があったということに他ならない。
敵対していたのか、それとも─────
「エルフによって生み出された人為的な魔獣────だと…?」
レド様も【解析】をしたらしく、驚愕とも疑惑ともつかぬ声音で呟いて────切り替えるように、小さく息を吐いた。そして、私に視線だけを寄越す。
「リゼ───『討伐するには【聖剣】以上の武具が必要』とあるが、あの剣は棍棒とは違うものか?」
「……いえ、素材も性能も同じようです」
「では、俺の剣が折られることはないんだな?」
「ええ、そのはずです」
レド様は視線を黒い魔獣へと戻すと、改めて両手で握った大剣を構える。
「俺があの剣を押さえ────隙を作る。リゼは止めを」
「解りました」
レド様には頷いたが、携えている太刀は、まだ【聖剣】には替えない。
不意に、黒い魔獣が雄叫びを上げた。それは、ただの声とは思えないほど空気を揺さぶりながら、辺りに轟き渡った。
眼前に聳えるその異様な魔獣を、私は改めて見上げる。
この戦いで─────いや、これまで相見えた魔獣の中でも、最強の敵─────
「では…、行こうか────リゼ」
「はい、レド様」
◇◇◇
太刀を短剣に替えようとして、止める。何故なら────これまでとは違い、黒い魔獣の正面には【結界】が張られていないからだ。
私は試しに【疾風刃】を放つ。『生半可な魔術は通用しない』という記述通り、私が放った風刃は、黒い魔獣の腕に当たったものの────傷つけることなく、掻き消えた。
黒い魔獣は、そうなることを解っていたのだろう。避ける素振りすら見せなかった。
これはすなわち、攻撃する度に【結界】を崩す必要はなくなったけど、もう短剣や魔術の波状攻撃では敵の気を逸らすことはできない、ということ────
「ッ?!」
不意に、強烈な殺気に襲われる。私は咄嗟に【身体強化】を発動して、後ろに跳び退こうとしたが間に合わない。
地を蹴った直後には、その禍々しい剣先が眼前に迫っていた。太刀を抜き放つには、距離が近過ぎる。太刀を抜身の対の小太刀へと替えて、何とか剣を受けた。
しかし、弾き返すにしろ受け流すにしろ、足が浮いている状態ではろくに力を籠められない。それでなくとも高い身体能力をさらに強化された魔獣の膂力には耐え切れず、私は吹き飛ばされた。
「リゼッ!!」
レド様の切羽詰まった声は聞こえていたが、それどころではなかった。
どうにか転倒することなく着地できた私は、追って来た黒い魔獣の大剣を対の小太刀で迎え撃つ。
「く…っ!」
【魔力循環】と【魔力結合】の効果で身体能力が上がっているのに加えて、さらに【身体強化】を発動させた上で、渾身の力を籠めているはずなのに────大剣は弾き返せそうにない。
僅かに右腕を引いて、魔獣の剣の軌道を右方向へとずらす。上半身を右方向に捻ると、ずれは大きくなり、漆黒の刃は私の右側面を横切り地面に食い込む。
私は、魔獣の懐に向かって跳んだ。それに気づいた魔獣がすぐに剣を振り上げようとしたが、右側から近づいていたレド様が魔獣の大剣を叩き落とした。
懐に潜り込めた私は、対の小太刀を【誓約の剣】へと替えて抜き放つ。
魔獣はレド様によって押さえ込まれている大剣から両手を放して、後ろへと跳び退いた。【誓約の剣】の切っ先が魔獣の腹を浅く抉り、赤黒い血が飛び散って視界を塞ぐ。
「【防衛】!」
魔獣の血を被ることは避けられたものの、魔獣にとっては恰好の隙となる。私が張った魔力の盾に、魔獣が左手を振るう。
【防衛】は魔獣の攻撃を徹すことはなかったが、その膂力に展開した【防衛】ごと圧されて───じりじりと後方へと追いやられていく。
魔獣の手を押し返すことも、かといって【防衛】を消してしまうこともできずにいると、レド様が下段から振り上げた大剣で魔獣の腕を払った。
【身体強化】を発動させて高められたレド様の膂力に、高く振り上がった左腕のせいで体勢を崩した魔獣は、後ろに仰け反った。
私は、【防衛】を消すと同時に駆け出す。今度こそ魔獣の胴体を切断するつもりで【聖剣】を横薙ぎに放った。魔獣は仰け反っていた上半身をさらに後ろに倒して、太刀を避けた。
そのまま後ろに倒れ込んだ魔獣は、地に着く前に左手を突いて、下半身を捻った。太刀を振り切った私を、魔獣の右足が襲う。
【防衛】の発動も刀を振り返すことも間に合わず、魔獣の黒ずんだ私の胴体よりも太い足から繰り出された蹴りを、まともに喰らってしまった。
「…っ!!」
その圧迫感に、一瞬息が詰まる。
「リゼッ!!」
私の身体が耐えきれずに吹き飛ばされたとき────巨体とは思えない素早さで跳び起きた魔獣が、私を眼で追うレド様に向かって右手を振るうのが眼に入った。
────レド様…!
レド様に気を取られたまま吹き飛ばされ、着地のために体勢を整えなければと思ったときには遅かった。
こうなったら着地を諦めて、何とか受け身を取るしかない。私は地面に叩きつけられる衝撃を覚悟する。
「リゼラ様ッ!!」
私の名を呼ぶ声が聞こえた、次の瞬間────想定より早く私の身体が何かにぶつかって、浮遊感が消え失せた。覚悟していたような強い衝撃はなかった。
「ご無事ですか、リゼラ様」
そう問われて、無意識に瞑っていた瞼を開けると、レナスが安堵したような表情で覗き込んでいた。どうやら、地面に叩きつけられる直前でレナスが受け止めてくれたらしい。
「ありがとう、レナス」
「いえ、間に合ってよかったです」
レナスは私のお礼にそう返しながら、私を地面へと降ろしてくれた。私は、すぐさま状況を把握すべく視線を回らす。
レド様は魔獣に叩き潰されるのは回避できたようで、今もなお振り下ろされる魔獣の拳を大剣で凌いでいる。
あれだけ打ち合ってもレド様の剣が無事なところを見ると、【聖剣】でしか傷つけられなくても、あの魔獣の打撃で剣が折られることはなさそうだ。
とにかく、急いであの場に戻らなくては─────
蹴りを受けたとき、その衝撃で【身体強化】と【魔力循環】は解除されてしまったけれど、【魔力結合】だけは機能していたので、酷く痛めたところはないみたいだ。腕も足も動くのに支障はない。
それだけ確認してから、また魔力を廻らせる。
「変異種は?」
「2頭とも討伐しました。ディンド様がお戻りになったので、後を任せ戻った次第です」
レナスが加わってくれるなら、助かる。
「あの黒い魔獣は、【聖剣】でしか傷をつけられない。だから、私が討つ。貴方は、レド様を援護しつつ、レド様と共に魔獣を押さえて」
「御意」
私は【誓約の剣】を───レナスは【冥】を携え、同時に【身体強化】を発動させて奔り出す。
近づく私たちの存在に気づいた魔獣は、素早く後方に跳び退き、大きく距離を取る。
レド様が魔獣を追おうと駆け出し、私たちも足を止めずにレド様に並んで魔獣を追う。
「?!」
突如、背後から────いや、先程のレド様と私の武具に【最適化】を施したときのように、周囲から魔獣に向かって強い風が吹き込む。
これは、ただの風じゃない。魔素と────魔物の魂魄だ。周囲に漂う大量の魔素と魂魄が、すごい速さで魔獣に引き寄せられていく。
何をするつもりなのかは分からないが、阻止した方がいい。レド様もレナスも同じ考えみたいで、私たちは魔獣に肉迫すべく奔り続ける。
あと数歩で魔獣に刃が届く位置まで辿り着き、私とレナスが太刀の柄に右手をかけ、レド様が大剣を構えた、そのとき────黒い魔獣が、咆哮を上げた。
それは雄叫びよりも高く鋭く、鼓膜を劈いた。
「「「ッ!!」」」
間近で浴びせられた咆哮が脳を揺さぶり、身体が強張ったところに強い衝撃が襲う。魔獣の手足による打撃ではなく───何か衝撃波のようなものに身体を殴打された私は、再び吹き飛ばされた。
先程よりも衝撃が強く、かなり後方まで吹き飛ばされたものの、今度は体勢を整える余裕があった。
何とか着地できた私の傍らに、同じく吹き飛ばされたレド様とレナスが着地する。
「リゼ、レナス、無事か?」
「はい。レド様こそ」
ご無事ですか────そう続けようとして、私は言葉を呑み込む。
私たちは一斉に地を蹴って、その場から離れた。直後、一瞬前まで私たちが立っていた場所を、歪な漆黒の剣が横切る。
距離を取ったにも関わらず、ゴウッ、と空を切る音が耳元まで届いた。
私たちを追いがてら、手放した大剣を拾ったのだろう。大剣の分だけ狭まっていた魔獣の攻撃範囲が元に戻ってしまった。
私は、また解除されてしまった【身体強化】を発動させて、左手に携えたままの【誓約の剣】を【聖剣ver.9】へと替える。
あの黒い魔獣が率先して狙うのは、おそらく────
「ノルン、【聖剣ver.9】を起動させて!」
───了解!【聖剣ver.9】にアクセス開始、……起動成功!───
「【聖剣ver.9】に【連結】!」
───了解!【聖剣ver.9】に【連結】開始!───
黒い魔獣は、私に向かって踏み出すと、その大きな歩幅で以て一瞬で間合いを詰める。
「リゼッ!」
何度目かのレド様が私を呼ぶ声が聞こえた。
───【聖剣ver.9】に【連結】完了!───
歪な黒い大剣が振り下ろされる。私は【聖剣】を薙刀に変えて振り上げ、魔獣の大剣を迎え撃った。渾身の力を籠めて、その禍々しい刃を断ち切る。
薙刀を振り切った私は、【聖剣】を抜身の大太刀へと変えながら、魔獣に向かって駆け出す。
魔獣は大剣を斬らせて刀を振り切った私を襲うつもりだったようだが───それは【誓約の剣】で接触距離を想定していたらしく、魔獣に僅かな隙ができる。
私は振り切った状態の腕を返して、先程とは逆向きに大太刀を振るう。
魔獣は私の動きを止めようと、短くなった黒い剣を振り下ろしたが、レド様が下から振り上げた大剣によって阻まれた。
魔獣は素早く剣を手放し、腕を振り上げた状態のレド様の胴体を掌で薙ぎ払う。左側にいたレド様が魔獣の腹を目掛けて振るった大太刀の刃に向かって傾れ込み、私は焦る。
「【防衛】ッ!」
レド様のために張った魔力の盾に大太刀が弾かれ、私は体勢を崩さないよう足に力を入れる。
魔獣がレド様と私に右手を振るったが、レナスが【冥】で弾き返してくれた。
【聖剣】以外では傷つかないとはいえ、丸腰で3人相手は分が悪いのか、魔獣はバックステップで後方へと跳ぶ。私たちも、すかさず魔獣を追って跳んだ。
魔力を消費して、【聖剣】を大太刀から太刀に変える。
【聖騎士の正装】を起動したときほどではないが、【聖剣】の形状を変えるだけでも意外と魔力を使う。これは、早いところ決着をつけなくては────
「!」
魔素と魂魄が私を追い抜くように、魔獣に向かって吹き込む。一足先に着地した魔獣が、間髪入れずに衝撃波を放った。
まだ着地していなかった私たちは正面から直撃され、再び吹き飛ばされた。
先程に比べ衝撃自体はそれほどでもなかったが、宙に浮いていたせいで身体が煽られ、体勢が大きく崩れる。何とか着地できたけど、後ろに倒れそうになって、咄嗟に屈み込んで手を突いた。
ほっとしたのも束の間、体重の差か私より先に着地していたレド様とレナスが、魔獣の大剣に薙ぎ払われた。まだ体勢を整えきっていなかった二人は、魔獣のその一振りで吹き飛ぶ。
「レド様!レナス!」
一瞬、吹き飛ばされた二人に気を取られたのが仇となった。立ち上がろうと腰を浮かせたときには、眼前に黒い魔獣が寸足らずの大剣を右手に持ち佇んでいた。
右肩につきそうなほど首を傾け、渦巻く暗雲のような濁った眼で私を見下ろす魔獣を目にして湧き上がったのは、焦りでも恐怖でもなく────既視感。
記憶の中の光景が、眼の前の光景に重なる。
ゼド兄さんから奪った両手剣を、まるで片手剣のように右手に持ち佇み────右肩につきそうなほど首を傾げて濁った眼で私を見下ろす、茶色の毛に覆われたオーガの魔獣。
倒れ込むゼド兄さんたちを護ろうとして両手の短剣で斬りかかった私は、あっさりと弾かれて尻餅をつき、立ち上がる間もなく────同じように、こうして魔獣が両手剣を振り下ろすのを見ていた。
あのときの私は、魔力を廻らせて身体能力を底上げしていても、まだ幼い身体では魔獣には対抗できないことも────両手に握った安物の短剣では、魔獣に傷を負わせることはできないことも悟っていて────もう、なすすべがなかった。
「リゼッ!!」
「リゼラ様ッ!!」
レド様とレナスの声で、私は我に返った。
記憶の中ではない───今そこにいる黒い魔獣の剣が、私に迫る。私が咄嗟に【聖剣】を掲げようとしたそのとき、右方向から突き出された大剣が、魔獣の剣を弾き飛ばした。
私の前に躍り出た二人の人物の後ろ姿が、また記憶と重なる。
あのとき、私を助けてくれたのはファルリエム辺境伯だった。共に剣を構えた辺境伯の従者は────あれは、髪型も雰囲気も違うけれど、おそらくベルネオさんだ。
「ラムル!ジグ!」
レド様が、私の前に立つ二人の名を呼ぶ。その声音には安堵が滲んでいた。
不意に魔獣が左方向に身体を反転させて、魔獣の背後から近寄っていた人物───ヴァルトさんに向かって横薙ぎに剣を振るった。黒い剣に両手剣を弾かれて、ヴァルトさんがたたらを踏む。
魔獣は手首を返して、ヴァルトさんに剣を振り下ろしたが、ヴァルトさんの足元から起ち上がった巨大な氷刃が阻んだ。氷刃は砕かれたものの、ヴァルトさんに魔獣の剣は届かない。
魔獣から距離を取ったヴァルトさん───レド様とレナス、ラムルとジグが各々の武具を構えて、黒い魔獣を鋭く見据えた。
私も立ち上がって【聖剣】を握る左手に力を籠め、魔獣を見据える。
レド様とレナスに余計な心配をかけてしまった。ラムルにも手間をかけさせた。
今ここで、あのときの記憶を思い出した意味は後で考えよう。ラムルに助けてくれたお礼を言うのも後だ。
今は────仲間たちと共に、この黒い魔獣を討つ…!
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