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ああっ女神さまっ After 森里愛鈴

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終わりからの始まり
  覚醒

 天上界。ティールの私室。
 今の彼は背が高くて金髪碧眼の美青年の姿をしていた。
 備え付けられたソファに座って物憂げだ。
 妻であるアンザスが、ちょっと心配そうに声をかけた。
「どうしたのですか?あなた」
「ん……ああ、いや、娘を送り出す父親がこんなにも寂しいものかと思ってな」
「そうですわね」
 でも、とアンザスは続けた。
「螢一くんなら必ずあの娘を幸せにするでしょう」
「ああ、信頼しているよ」
「あと、娘はまだ二人いることを忘れないでくださいな」
 ああ~そっかぁ、と頭を抱え込むティール。
「私たちの母親、父親としての役目はまだ終わっておりません」
「そうだったな」
「それに……」
 アンザスは来ている衣服を脱ぎ捨てた。
「もう一人ぐらい、欲しくありませんか?」
 ティールの横に全裸で座り、しなだれかかる。
「君から誘うなんて珍しいな」
「お嫌ですか?」
「とんでもない。大歓迎さ」
 地上界ではとんでもない騒ぎになっていることなど、つゆとも知らずに睦み合い始める二柱の神であった。

「終末の闇」(アポカリプス)そうね、どう表現したらいいかしら。実態のない闇、霧かな。質量反応が無いから物理的な手段でシャットアウトすることが出来ない上に、電子機器も破壊、人間程度なら包まれただけで瞬時に絶命するわ」
 闇に触れたあらゆる生きとし生けるものは、瞬時に生命活動を停止する、凍ったりしないが、その遺骸はまるで液体窒素につけたかのごとく、少し触れただけで、粉々に砕け散ってしまうのだ。
 リンドが先程とはまるで違った鉄面皮で問う。
「法術とか魔術で封じ込めることはできないのか?」
「法術も魔術もあくまで自然の法則に理を上書きして実行されるもの。でも、終末の闇は自然の法則から逸脱した存在。ゆえに封じ込めることはできないのよ」
 このままでは地上界が滅ぶ。
「本当なのか。魔属は平気で嘘をつく、なればこその魔属だ」
 続けるリンドに。
「さあ……どうかしらね。私は嘘を言っているのかもしれない。もしかしたらなにもしなくても、閉じなくなった門は消えてなくなるかもしれない。──なんてね、これは紛れもなく事実よ」
「いま、ユグドラシル(天上界中央管理システム)のメモリーを探りましたけど、終末の闇にあたいする記録はどこにも存在しませんでしたわ」
 ペイオースの言葉にヒルドは唇の端をつりあげた。
「そうでしょうねぇ。天上界ではティールとアンザス、魔界では私と側近のふたりぐらいしか知らないことだもの」
「あんた、側近がいたんだ!?」
「ウルドちゃん、なに驚いているの?いっくら私でも、広大な魔界全土を一人で支配できないわよ」
 魔属としてはハガルたちに劣るが、「統治する」ことについては遥かに凌ぐ。つまるところ今回の「大魔界長の失職騒動」はあくまでもハガルたちの独断専行だったのだ。
「あ……」
 螢一は突然声をあげたベルダンディーに。
「どうしたの?」
「私、思い出しました。幼い頃、お父さまが同じ事をおっしゃてました。当時は「おとぎ話」としか捉えていませんでしたが」
 ユグドラシルのメモリーではなく自分の記憶にあったと。
 ユグドラシルは女神たちの管理をしているが、あくまで表層の一部であって女神個々の記憶や感情までは管理していない。
「ベルダンディーが言うなら」
「お姉さまの言葉なら」
「間違いありませんわね」
 続けて頷くウルド。どうやら女神たちの認識は共通のものになったようだ。
「なーんか、腑に落ちないわねぇ」ヒルドは苦笑する。
 それにしても、とウルドは考えた。
「質量反応が無い。物理的な手段でシャットアウトすることが出来ない。電子機器も破壊、人間程度なら包まれただけで瞬時に絶命。えぇ……と、あっ!ガタノゾーアだわ」
「いきなりなんですの?」
 ペイオースの質問に。
「怪獣よ、怪獣。ウルトラマンティガのラスボス怪獣。それがね、「シャドウミスト」って闇を吐くのよ。「シャドウミスト」の特徴そのままだわ。でね、世界が闇に覆われちゃってティガは……」
 特撮オタクのウルドであった。
 あぁーはいはい。
「その続きはあれが片付いたらたっぷり聞きますわ」
 閉じなくなった魔界への門=今は空間に空いた「次元の穴」を指差した。
 マーラーが「私たちも手を貸したほうが」と進言するも。
「だめよ。これは女神の、神属の落ち度。大昔に契約を結んだのよ。これもその契約の内」
 死んだ魚のような目でヒルドは答えた。次に笑顔になって。
「心配ないわよ、螢一くんがいるんだもの」
「は……あ。そのようなものなのですか?」
「そ・う・よ」
 の後ろで、ものすごく落ち込んでいるリンドである。
「私がもっとちゃんと「修復法術」を使えていたら」
「リンドがいたからこそ私たちは無事に地上界に戻れたんです」
 と、ベルダンディー。
「ですから自分を攻める必要なんてありません。今はあの門を閉じることを優先しましょう。──ヒルド」
「なぁに、ベルちゃん」
「終末の闇が発生するまでの正確な時間を教えて下さい」
「えーっ、ヒルドちゃんわかんなーい」
 とおどけてみせるも、ベルダンディーの瞳をみて。
「冗談よ、あと十分ね」
 怒らせた時の迫力は魔界で味わっているはずなのに、懲りないというのか、むしろヒルドは面白がってる?
 時間は十分にある。
 リンドの戦斧が舞い。
「とにかく壊して、壊して」
 ペイオースが法術を掛ける。
「復元するだけですわ!!」
 しかしは何度やっても魔界への門だったもの=「次元の穴」は歪んだ形で再生されてしまう。
 ベルダンディーやウルドが再生に加わっても歪んだままだ。既に二十回を越えているがもとに戻らない。
「こんなにやっているのにどうして……?」
 困惑する女神たち。その後ろでただ状況を見ることだけしか出来ない者が二名。
「お姉さま、がんばって……」
 スクルドの表情にも悲壮感が漂いはじめた。
 一方、螢一は思考の海にいた。
 直しても直しても元に戻る。直しても元の形戻らない。元の形……元の形……あ!! そうか!!
 名前を呼ばれて振り返ったベルダンディーは、螢一がスクルドに見えないように、妹を指差しているのに気がついた。
 え?
 スクルド? 壊す、直す、元の形。
 螢一がサムズアップしている。
 ……あ!!
 柔らかな微笑みを女神は彼に贈った。
 以心伝心。これだけで通じ合う二人。なんとも羨ましい限りである。
 ベルダンディーは離れて立っているスクルドを呼び寄せた。
 スクルドと同じ目線の高さまで身をかがめ。
「今からあなたに真実を伝えます」
「え、しん……?」
「はい。真実です。私の名前において嘘偽りではありません」
 ウルドが慌てたように二人の間に入ったが。
「姉さんの気持ちはわかります。ですがスクルドももう真実を知っていい頃でしょう。これはこの娘自身のためでもあるのですよ」
 ベルダンディーの迫力に押されてしまう。
 数瞬、考えを巡らせていたウルドだがやがて。
「いつまでも足踏みをさせてはいられないか……わかったわ」
 二人の姉の会話にスクルドはついていけない。今から告げられることが真実であることだけは理解したけれど。
「いいですか?よく聞いてください。あなたは法術を使えないんじゃない。使えていたのよ」
 ベルダンディーの言葉に思考が止まる。
「あなたの法術は詠唱を必要としない常時発動型。魔界でばんぺいくんを組み上げたのはあなたの法術の力なのよ」
 続けてウルドがさらに衝撃的なことをつげる。
「法術を使えない?とんでもない。あんたはそう思い込んでいただけ。だから「機械」を造ることに逃げた。「機械」に頼ってしまった。「機械」に頼るがゆえに、法術が限定されてた。あんたは自分を信じていなかった。信じる力こそが法術の根源なのよ」
 スクルドの思考がぐるぐると回る。
 機械……法術……機械……え?法術。
 巡り巡る思考の中で湧き上がってきたのは憤りだ。
「どうして誰も教えてくれなかったの!? どうして誰も道を示してくれなかったの!!」
 螢一が告げた。
「それはね、みんながスクルドのことを好きだからだよ。君の紋章は未来。未来という光の種を大切に育てたかったからなんだ」
 ペイオースの両腕が後ろから抱き込んだ。
「あなたはまだ幼い樹のようなもの。幼いがゆえに強風が吹けば折れて曲がってしまうこともある。だからこそですわ。だからこそみんなは黙っていたのです。やがてあなたが大樹となって立派な花を咲かせるように」
 そう、歪んで育てば取り返しのつかない事になりますわ。大天界長ティールと女神集合体代表取締役アンザスの娘であるがゆえに。
 ペイオースは胸の内をつげることなく、小さな女神を優しく抱き続けた。
「えーと、暑苦しいから離してくれない?」
「あ、はい」
 ペイオースが身体を離すとスクルドは髪をかきあげて。
 ジト目がちに螢一を睨んだ。
「で、今、私に打ち明けたってことは、あれに関係することなんでしょ」
 「次元の穴」を指差した。
「成功するか賭けみたいなものなんだけど、君の力が必要なんだ」
「私?」
 螢一は頷いた。
「あの穴が修復しても元に戻らないのは。あの形が元の形として記憶されたからなんだと思う」
 ベルダンディーはなんだか誇らしげだ。
 虚を突かれたような、ウルド、ペイオース、リンド、そしてマーラー。
 ヒルドはクスクスと含み笑い。
(ネタさえ判ってしまえば、誰がやっても同じなんだけどねぇ。この際だからスクルドちゃんを成長させようってことね)
 小さい女神は少し混乱している。
「チョット待って、ちょっと待って、ちょーっとまって……えーと、あの歪んだ形が元の形になった、……のね?」
「だから今度は「修復」ではなく「正しい門の形に変形」させなくちゃいけないんだ」
「え……でも、私の神力じゃ、とてもそんなことは出来ないわよ」
「うん、スクルド一人じゃ出来ない。ここにいる女神全員が力をあわせないとね」
 原因さえ判明すれば、「正しい門の形に変形」にするだけならば、一級神一人でも出来る。
 彼の言葉に意を唱えようとしたリンドは、ベルダンディーが唇に人差し指をあてていることに気がついて、思いとどまった。
 ウルドが言ったではないか。「いつまでも足踏みをさせてはいられない」と。
 なるほど、そうか。
 螢一は続ける。
「ウルドとリンドとペイオースが君に神力を注ぎ込む、その上でベルダンディーが神力の流れを制御するんだ。これはスクルドに最も近しいベルダンディーにしか出来ないことだと思う。問題は──」
「私なら大丈夫ですよ。地上界に出ると同時にユグドラシルへのリンクも復活しましたから」
 ベルダンディーはこんな風にと「戦衣」に着替えて見せた。
 魔界で消耗した神力も地上界に出ることで元に戻ったようだ。
「後は、あなたしだいですよ」
 後はスクルドが法術を使うのだが。
 小さい女神は叫んでしまった。
「できない、出来ない、出来っこないわよ!!」
「あんたねぇ、そんなんだからいつまでたっても……!!」
 ベルダンディーは喰って掛かりそうな姉を片手で制すると。
「私は信じていますよ。あなたなら出来るって。あなたを信頼する私が信じられませんか?」
「お姉さまを信じる……」
 スクルドは遠い目で遥か天空見ていた。
 信じる……。
 信じること。
 お姉さまが信じてくれている。だったら。
 やがて瞳に覚悟が灯る。
「ノーブル・スカーレット!!」
 背中に可愛らしい天使が現れた。
「どうせやるしかないのでしょう?だったら、さっさとあれを片付けるわ!!」
 「次元の穴」に右腕を伸ばし手の平を開く、左手は右手首に。
「螢一さん、カウントダウンをお願いします」
 ベルダンディーに頷く螢一。
「3……2……1……ゼロ!!」
 声とともにスクルドの中に膨大な神力の奔流が流れ込んだ。
 ベルダンディーが神力の奔流を一点に絞り込む。
 スクルドは激流に押し流されまいと必死で抵抗しながら、「正しい門の形に変形」することを願う。

 変われ、変われ、変われ、変われ、変われ、変われ、変われ、変われ、かぁぁぁぁぁわぁぁぁぁぁれぇ──!!

 スクルドはその時、自分の中でずれていた歯車がガッチリと噛み合うような「感覚」を味わった。
 見事に「次元の穴」は魔界への門に戻り、消え去った。
 賞賛と喜びの声をあげる女神たちと螢一。
「あんたにしてはよくやったわね」
 と、ウルドに頭を撫でられるも、スクルドは呆然としていた。
「これが……本当の法術」
 湧き上がる本当の神力。女神の力。
 私ははじめから間違っていたの?
 違う、違うわ。ばんぺいくんができた時、友だちができたみたいで嬉しかった。シーグルを組み上げる時、妹が出来るとワクワクした。私は回り道なんてしてない。無駄なんかじゃない。私の辿る道は、すべてが私の糧になる。
 底意地悪そうにヒルドが覗き込む。
「あらあ、もっと誇っていいのよぅ。あなたは世界を救ったんだから」
「そうね、でも、女神なら当然の事だわ」
 一点の曇りもない最高の笑顔。
「なーんだ、つまんない。マーちゃん帰るわよ」
 さっさと転移するヒルドを「待って下さい」と呼んでマーラーも後に続いた。
 事件も片付いたし天上界へのゲートも無事に再開通した。
「では、螢一くん、ベルダンディー。しばしのお別れだ」
「今度は休暇で訪れますわ」
 握手を交わす螢一とリンド。ペイオースとベルダンディー。
 !!
 突然、ベルダンディーは夜空の一点を見上げた。
 虹色の法術陣が浮かんでいた。直下に光の通路を描きながら。光は一同のすぐ前の路上を照らしている。
「天上界から誰か降りてきます」
「なんだか今日は慌ただしいわねぇ」
 ジト目で呟くウルド。
「そんな、まさか。この波動は……」
 驚くベルダンディーの呟きが終わらないうちに、二人の女神が地上に降り立った。
 一人は背の高さがスクルドと同じぐらいで金髪のお団子頭で短いツインテール。「音の調律」プログラムで騒ぎを起こした、システム管理神(オペレーター)、クロノである。彼女は管理神の制服を着ている。
 もう一人は、螢一の初めて見る女神だった。
 背の高さはベルダンディーとスクルドの中間ぐらいだ。漆黒の黒髪が真っ白い肌に印象的である。髪は眉毛のところで綺麗に切りそろえられ、紋章はよくわからない。癖のない真っ直ぐな髪は胸元まで伸びてこれも綺麗に切りそろえていた。衣装は白衣に赤袴、巫女のような衣装だが、要所要所に神属特有の文様が細い白金色で刻まれている。うりざね顔の端正な顔立ち。もっとも印象的なのはその眼だろう。黒目がちな黒曜石を思わせる蠱惑的な瞳がこちらを見ていた。
 薄紅色の小さな唇から言葉が発せられた。
「一級神二種非限定、兼お助け女神事務所代表取締役、メイプル降臨」
 メイプルの後ろに控えるクロノも挨拶をした。
「……あなたがどうして」
 驚く女神たちを前にして、胸に手を当て優雅に一礼をすると。
「まずはベルダンディーさん、森里螢一さん。ご結婚おめでとうございます」
 挨拶をされたことで、ベルダンディーは驚きの表情をやっと崩した。
「あ、はい。ありがとうございます」
 続いて螢一も礼を述べる。
「ペイオースさんにリンドさん。ウルドさんにスクルドさんも息災なようでなによりです」
「お助け女神事務所代表取締役のあなたがどうして地上界にいらしたの?」
 疑問を呈するペイオースに螢一が聞いた。
「え?彼女が降りてくるのって珍しいの?」
「そうですわね……今の状況を地上界の会社に例えるなら、大会社の社長、部長クラスの人が外回りの営業に直接出る──みたいなものですわ」
「は……あ」
 言われても大学五年生で会社務めの経験のない彼は、いまいちピンと来なかった。
 ともかく。とベルダンディーが質問する。
「なにか緊急事態でも起こったのですか?」
「うーん、そうよねぇ……螢一さんもいることですし、初歩の初歩から説明しましょうか。時間がかかりますがよろしいですか?」
 クロノが余計な口を挟んだ。
「ほんとは地上界のお菓子が目的なんです。以前、ここに降りてきて帰る時に頂いた、お菓子の詰め合わせを食べたときから、メイプルさまはすっ!!」
 メイプルの裏拳がクロノを吹き飛ばした。勢いでコンクリートの塀にクロノは激突し、塀は覆いかぶさるように崩れた。
(いまはコンクリートの塀なんて殆ど見かけないよね)
 何事もなかったかのように崩れた塀の残骸から立ち上がるクロノ。流石はワルキューレ候補生である。
「もう……メイプルさまは相変わらずです」
「余計なことは言わないでよろしいですわ──場所を移しましょう」
 他力本願寺の山門を指差した。
 寺の境内に入る一同。
 無残に変形した「森里屋敷」の姿に、視線を交わすベルダンディー、ウルド、ペイオース、リンド。
 螢一は呆れ顔である。
「そうだった。忘れてた」
 大丈夫、私に任せて。とスクルドが名乗り出た。
「今度は私一人でやってみる」
「ほほぅ、大きく出たわねぇ。あんた一人で本当になんとかなるの?」
 挑発するウルドに「そうね」とだけ答える。
 いつもなら壮大な口喧嘩から実力行使にうつるはずなのだが。
 スクルドは両腕を広げ大きく深呼吸をすると、背中の天使に呼びかけた。
「いっくわよぉ、ノーブル・スカーレット!!」
 両腕を「森里屋敷」に向けて突き出す。
 法術が奔流のごとく溢れ出した。黒髪が風に煽られたように乱れる。
 「歪んだ森里屋敷」が舞い上がりながら分解し、残骸は地上に降りて再構築した。もとの「森里屋敷」に。
「ありがとう、大好きよ」
 天使に微笑みを贈った。
 天使はスクルドの頬に己が頬を寄せると、背中から消えた。
 静寂を破ったのはメイプルの拍手だった。
「凄いわ、スクルドさん。神力をあげたわね」
「ありがとうございます」
 でも、ちょっと疲れた。と、その場にへたり込んでしまった。
 そんなスクルドの前に、ウルドが背中を向けてしゃがみこんだ。
「?」
「なにしてるの?はやくお家に入るわよ」
「え……うん」
 一同は「みんなのティールーム」に入ったのだが、流石に、螢一、ベルダンディー、ウルド、スクルド、ペイオース、リンド、メイプル、クロノの人数が入ると八畳間では手狭に感じる。室内にはちゃぶ台やテレビ、水屋タンスなど家具も置かれているのだ。ちゃぶ台を挟んで螢一、ベルダンディーの二人とメイプル、少し後ろに下がってクロノ。螢一から見て右手にはスクルド。左手にはリンド。狭いのでウルドとペイオースは、それぞれスクルドとリンドの斜め上の空中に浮かんでいる。
 完全に帰るタイミングを外してしまった。と、心のなかで呟く、ペイオースとリンド。
 ベルダンディーたち三女神は戦衣から普段着に着替えていた。
「さて、私が地上界に降りてきた理由を話す前に……って、この家はお客さんが来たのにお茶菓子の一つも出さないのですか?」
 とんとん、と指先でちゃぶ台の表面を叩く。
「え?そ、そうですね」
 ベルダンディーが腰を上げて台所にある冷蔵庫からカップアイスを持ってきた。
 ああ、それあたしの、と抗議の声をあげるスクルドに、螢一がまた後で買ってきてあげるからとなだめる。
 カップアイスを堪能して。
「ん──、やっぱり地上界のお菓子は美味しいですわね!」
 ご満悦である。
「さて、それじゃ、帰りましょうかしら」
「あんたなにしにここに来たの!?」
 怒鳴るウルドに、右手の人差指を上に向けて胸の前で振る。
「冗談よ、冗談です」
 こほん、とひとつ咳払い。
「まずは螢一さん、あなたに天上界がどのような形で運営されているかを知ってもらわなければなりません」
「はぁ……」
 螢一の生返事。
「一番上に大天会長ティールさんが存在します。主神とも言いますね。次に女神集合体代表取締役アンザスさん。その下に大法院、さらにその下に戦闘部隊のワルキューレと各種行政機関が存在します」
「行政とか立法とか、って大法院てなんですか?」
「平たく言えば政の中枢ですね。日本で言えばティールさんとアンザスさんは天皇、皇后と言った立場でしょうか。私たち「お助け女神事務所」とライバルの「アースお助けセンター」はアンザスさんの直轄になります」
 メイプルはここで一拍置くと。
「ここまではよろしいですか?」
「はい」
「では、続けます。「お助け女神事務所」、女神の仕事には大きく分けて三つが存在します」
 メイプルは顔の前で右手の人差指を立てた。
「一つ目は地上界の監視です。困っている人がいないか、幸と不幸のバランスが崩れている人がいないか、女神は監視しています」
 さらに中指が立てられた。
「二つ目は地上界への女神の派遣です。幸と不幸のバランスが崩れている人の望みを女神は一つだけ叶えます」
 薬指が立てられた。
「三つ目はユグドラシルの管理、調整です」
「いっちばんつまんない仕事よねぇ」
「あら、ウルドさん。仮にも神属のあなたがそれをおっしゃいます?」
 ユグドラシルは高次元生命体である神属が地上界に顕現するにおいてとても大事な役目を担っている。自然の精霊や妖精、はては自然そのものの力を変換して「女神の肉体」を構成しているのだ。
「もともとは私たちも三次元の存在でした。長い長い時間と努力で肉体を捨て、高次元生命体に至ることが出来ました。ですが、そこで問題が発生したのです。肉体がない。これは私たちにとって大きなストレスとなりました。矛盾していますよね。望んで肉体を捨ててなお、肉体を求めるなんて。そこで私たちはユグドラシルを作り上げました。高次元生命体でも肉体を得られるように……」
 どうやって作ったかは割愛しよう。本編とは関わりが薄いからだ。
「これがユグドラシルの存在する理由です。おっと、話がそれましたね」
 メイプルは薄く微笑んだ。
「ところで螢一さん、女神はどうやって救済する人の選別をしていると思いますか?」
「どうやって、て……幸と不幸のバランスが崩れている人ですか?」
「それは基本中の基本です」
「それ以外にあるの?」
 スクルドの問い。
「いくらバランスが崩れていても、「世界の破滅」を望むような方の元には女神は降りません。また、天上界は女神と人の交わりを厳しく制限しています。故に「女神と交わりたい」と望む方にも女神は降臨しません」
 メイプルはため息をついた。
「これは本当なら告げてはならないことなのですが、契約者の願いは予めユグドラシルが予測演算しています。契約者がどんな人柄でどのような趣味嗜好でどのように育ったのか。判断基準は多岐にわたります。ですが私たちは派遣する女神に「どんな願いであるか」を告げたりはしません。これは女神の心理的抵抗を少なくするためです。人の願いを叶える……正面から見ればとても素晴らしいことのように見えます。ですが、裏から見ればそれは人間の欲望に直接触れるものです。幸せを与える女神が与えたことで不幸になるとしたら、それって矛盾しているでしょう?故にごく一部の神属は女神の仕事を軽蔑されています。ですが私たち女神は人間の願いを叶え続けます。なぜだかお解りですね、ベルダンディーさん」
「願いを叶えた方の笑顔が素敵だから、でしょうか」
 メイプルは頷いた。
「人の願いを叶えることで女神も幸せになること。人と女神が一緒に幸せになること。これが「女神の救済システム」の本質です」
「私、はじめて伺いましたわ。ですがなぜ今その話をしたんですの?」
 ペイオースは驚いていた。
「ですから、はじめに告げてはならないことと言ったはずです──それにしても、螢一さんの「お願い」はユグドラシルの予測演算から完全に外れていました」
「え!?……そう、なんですか?」
「はい、あの時は慌てましたわ」
 ウルドが口を挟んだ。
「つまり、螢一のお願いは「内角低めのぎりぎりストレート」だった、ってこと?」
「そこ、茶化さないように。ですからやむを得ず螢一さんの欲望を制御したのです。後で調べたのですが、予測が外れたのは前例がありませんでした」
 ふう、とため息を一つ。螢一に向けたものだったのか、それともこれから話す内容にか。
「さて、ここからがペイオースさんの質問の答え、私が地上界に降りてきた理由、本題です」
 黒曜石の瞳がベルダンディーを真っ直ぐ見つめた。
「あなたは女神の仕事を今後どうなさるおつもりですか?」
「え?……あ!!」
 螢一はここではじめてベルダンディーが「仕事」として地上界に降りてきているのに気がついた。
 ベルダンディーもメイプルを真っ直ぐに見つめている。
「私は螢一さんを幸せにするために地上界に降りてきました。あなたは言いましたね。人と女神が一緒に幸せになることが「女神の救済システム」の本質だと。ですから、これも私の仕事です」
「それは詭弁です。あなたは地上界にいることを「仕事」とは思ってはないでしょう。仕事でないなら私は今すぐにでもあなたの地上界勤務を解いて天上界に連れ戻します」
「……!!」
「仕事と思ってないことを続けさせるほど、うちの事務所は甘くはありませんよ」
 鋭い言葉にベルダンディーは混乱した。いや、進退窮まった。
 私は仕事としてここにいる。それは本当。でも、私の螢一さんに対する気持ちも嘘じゃない、本当のこと。私は……どうしたら。どうしよう、どうしたらいいの? このままでは私は天上界に連れ戻される。
「そこでひとつ、私から提案です。ベルダンディーさん、あなたは「女神の仕事」を休職なさい」
「え、いいのですか?」
「いいもなにも、これしかないでしょう。……本当はこんな回りくどいやりかたをしたくはなかったのですが、女神事務所という形をなしている以上、どうしても本人からの申請が必要なのです。それにあなた、ご自分のお母さまの役職をお忘れですか?」
 クロノが口を挟む。
「女神集合体代表取締役ですよね」
 あ、そうか。といった表情をする一同。
 ベルダンディーは笑顔で。
「はい! では、一級神二種非限定女神ベルダンディー、お助け女神事務所に休職を申請しますっ!」
「お助け女神事務所代表取締役メイプル、申請を受理します」
 一拍開けて、やれやれ、と言った感じで首筋に手を当てるメイプル。
「ですが事務所のエースが抜けるのはいささか寂しいものですね……と、スクルドさん」
「え!? わ、私?」
「あなたですよ、一級神になるつもりはありませんか?」
 私が一級神? と今度はスクルドが混乱していた。
 続けるメイプル。
「そうですねぇ、私の見立てではこのまま真面目に真剣に修行を続けたなら、五年後ぐらいには昇給試験を受けられるようになります」
 スクルドはしばらく考え込んでいた。
 やがて。
「わかった。やってみる。一級神になるわ」
「本気なのね」
 声をかけてきたウルドを見上げて。
「だから、私に修行をつけて」
「おやまぁ、明日は槍でも降るんじゃないのかしら」
「真剣に言ってるんだからふざけないでよ」
 ごめん、ごめん、とウルド。
「だけどどうして私なのよ」
「ペイオースやリンドはいつまでも地上界にいるわけいかないし、新婚のお姉さま二人の邪魔をするほど無粋じゃないわ。言ったでしょう「お姉さまと螢一がなにをどうしようと、もう口を挟まない」って。だから消去法でウルドしかいないのよ。お願いできるのは」
「消去法って、まいいわ。私は厳しいわよついてこられる?」
「望むところよ」
 不敵に笑い合う二人。
 ベルダンディーがその間に口を挟んだ。
「一級神になるということ、大きな力を得るということは、その力に値した義務と責任も負うことになります。あなたにはその覚悟がありますか?」
「正直に言ってしまうと「大きな力」だとか「義務」とか「覚悟」だとかまだ私にはわからないの。でもこれでだけははっきりしているの。「お姉さまのような素敵な一級神になる」これがずっと前からの私の目標だったの」
「ですが、一級神になってしまえば天上界での業務が待っています。仙太郎くんとは会えなくなりますよ」
「ねえ、お姉さま。……私、今回の二人を見ていて気付いたことがあったの。解ったことがあったの」
「解ったこと、ですか?」
「縁」(えにし)とは結ばれるものではなく自らが結ぶもの、だって。だから私が天上界に戻っても仙太郎くんとはまたきっと逢えるわ」
 私と仙太郎の仲を裂きたいのなら反陽子爆弾でも持ってきなさい、と胸を張った。
 ウルドは胸の中で呟いた。
 だけどこのまま交際を続けていたら、やがてこの娘と仙太郎くんは「裁きの門」を通らなければならなくなるわね。この二人にそこまでの覚悟があるのかしら、──でもそれは、もっとずっと先の話よね。私はこの娘がりっぱな一級神になるまで教え導くだけだわ。
「よし、明日から修行をつけてあげるわ、だけど今日のところは……」
 顎の先に人差し指をあてた。
「螢一の誕生会ね!!」
 びしぃっ、とばかりに指をさす。
「披露宴もいたしましょうか」
 ノッてきたペイオースにウルドは難色を示す。
「それは……螢一のお父さんとかお母さんの都合もあるし、今日のところは「誕生会」だけにするしかないわね」
「しかし、この場所ではいささか狭いな」
 小首をかしげるリンド。に対して。
「本堂なら広いわよ」
 とスクルド。
 なら決まりね。とハイタッチするペイオースとウルド。
 しかし今の季節、人間の螢一にとっては「本堂は寒い」のだ。
「ならば結界を張りましょう」
「飾り付けは私たちが」
「後は料理ね、ベルダンディー、お願いできるわね」
「はい、もちろん」
 メイプルが手を上げた。
「私も手伝いましょうか」
「え、いいのですか?」
「いいもなにも、本来ならもっと人数は少ないはずではなかったのかしら」
「ええ、ちいさなお誕生会を開くつもりでした」
「いきなり八人に増えてしまって、さすがのあなたでもお手伝いが必要でしょう。私は材料の生産と下ごしらえ、ベルダンディーさんはそこから先の「お料理」でいいかしら」
「はい! 助かります」
 いまさらっと凄いことを言わなかったかメイプルは。材料の生産、一級神ならありなのか?
 ベルダンディーも作り出せるだろう、しないのは一日に使える神力の総量が限られているためだ。
 ちなみに、女神たちも食事は出来る。基本的にはユグドラシルから活動源を得ているが、人間のように食事から活動源をえる事もできる。食べれば排泄となるのだが、女神たちは人間よりはるかに優れた消化器官を持っているため、回数と量もずっと少ない。
 森里屋敷の炊事場。
「にしても、あなたはよくこのような前時代的な設備で食事を作っておりますね」
 煮炊きは薪、ちいさな冷蔵庫と極めつけは、手押しで組み上げ式のポンプ。食器戸棚なども古ぼけていて小さい。
 ニッコリとベルダンディー。
「かまどで炊くごはんって美味しいんですよ」
「認めますが、最新式の炊飯器も負けてはいませんよ。包丁を見せていただけますか?」
 メイプルは三徳包丁を受け取ると。
「よく磨き込まれていますね。螢一さんへの愛を感じます」
 ベルダンディーは何やら考え込んでいるメイプルに不審そうな顔をしている。
 やがてメイプルは。
「わかりました。これは私からのプレゼントです」
 天に掲げた右手の平から閃光と共に法術が解き放たれた。
 光が晴れると炊事場は「キッチン」に様変わりしていた。明るい照明が照らし出す銀色のシンク。水道はお湯と水が混じりあって出てくる形に。電子レンジと以前よりも大きくなった冷蔵庫。炊飯器。ガスコンロの上にはレンジフード。シンクの下には収納のスペースがいっぱいで、まぎれて食器乾燥機などもある。古ぼけていた食器戸棚も以前より大きくなっていた。なにからなにまで新品だった。
「まあ……これは」
「素晴らしいでしょう。地上界の時間で最新式のものばかりですよ」
 誇らしげなメイプルに、ベルダンディーは困ったような微笑みをむけた。
「これでは私が何が何処にあるかわかりません。あと、このお家は和尚さんから借り受けているものですよ」
「場所は今から二人で料理しますからすぐに覚えられるでしょう。それとこの屋敷を和尚さんに返却することは起こり得ないと断言します」
「……!! なぜですか?」
「時が来ればわかります、ではお料理をはじめましょうか」
 重力遮断フィールドで空中に浮かせた大きなトレイの上に、誕生日ケーキとその他様々な料理が並べてあった。
「完成しました。ありがとうございます、メイプルさま」
「で、キッチンの使い心地はどうですか?」
「このキッチンなら螢一さんに、以前よりももっともっと美味しいごはんが作れます」
「気に入っていただけたようで何よりです」
「では、本堂に運びましょう」
 お食事が出来ましたよ。
 本堂の扉を開いたベルダンディーは、驚きの声をあげた。
 正面の扉以外は紅白の垂れ幕がかかり、床には巨大な欧風の絨毯が敷き詰められていた。天上からはシャンデリアが下がっていて、内部をこれでもかぐらいに明るく照らしていた。丈は低いが大きな座卓と、周りを囲んでコの字を描くように座布団。極めつけは寺の本尊が鼻眼鏡をかけていることだ。
 さらに、リンドがペイオースと瓜二つの衣装を身にまとっている。
「地上界に降りる途中でペイオースと話をしたのだ。戻ってきたら私がペイオースの衣装を身に着けようとね。──それで、どうだろうか?螢一くん」
「いや、それはその」
 ペイオースほどに胸は大きくないが、腰もしっかりくびれていて、ヒップラインもキレイで足も長い。
「悪くはないと思うけど、やっぱりリンドにはいつもの白い戦衣が似合うと思うよ」
「そうか。君がそう言うのなら、そうなのだろうな」
 地上界(こっち)の服を着た姿もみたいな。と頭の隅で考える螢一だった。
 一升瓶を片手にウルドが歓迎の声をあげる。
「待ってたわよ、ベルダンディー」
「それじゃあ、螢一さんのお誕生会をはじめましょうか」
 と、ペイオース。
 かくしてにぎやかに執り行われる「誕生会」
 料理やケーキもなくなり、楽しい時間はあっという間だ。
 本堂の内装をもとに戻して境内に揃う一同。
「では、こんどこそ私たちは天上界に戻る」
「ごきげんよう、そして、お幸せにですわ」
 ペイオースとリンドは天上界に戻っていった。
 私たちは帰らないんですか?とメイプルに質問をするクロノ。
「まだまだ、地上界の甘味を味わい尽くしていませんもの」
「まだ食べるんですか?ですが私たちこっちのお金は持っていませんよ」
「そうそう、ですからぁ」
 ウルドに視線を向けて。
「ウルドさんが出してくださいな」
「なんで私が」
「あらあ、知ってますよ。土地や株式相場に手を出してかなり預金額を増やしていること。たしか現在は三億八千万ぐらいでしたか」
「姉さんどうしてそんなにお金を」
 ベルダンディーの問にメイプルが答える。
「援助するつもりなんでしょ。もし将来、妹夫妻がお金に困った時に──恩を感じてるのよウルドさんは、自分が世界の終末の引き金にならなかったことにね」
「──!! なっ、余計なことを!」
 真っ赤になるウルドの顔。
「恩だなんて俺たちは……」
「もちろんウルドさんも百も承知のことよ、螢一さん。そのうえでいざとなったら力になりたいって気持ち、妹を持ってる貴方にもわかるでしょ……それにしてもウルドさん、あなたのやっていることは黒に近いグレーゾーンですねぇ。事務所としては株式に手を出せないよう手配することも出来るのですが、どうしますか」
 ウルドは渋々と言った感じで何処からか財布を取り出すと。
「ほら!三万円!! これだけあれば充分でしょ!」
 押し付けられるように渡された紙幣に、メイプルはにっこりとして礼を述べた。
 浮き上がるメイプル。
「では、いきますよ。クロノ」
「この時間だとファミレスかコンビニぐらいしか……って、待って下さいよぉ!」
 慌ててメイプルに追い付き、先程から思っていた疑問を口にした。
「本当にベルダンディーの地上界勤務を解くつもりだったんですか?」
「まっさか!!」
 コロコロと笑った。
「天上界の最高位である二人の意思を覆すなんて、出来るわけないでしょう──ちょっとした悪戯みたいなものです。……そんなことより食べますよ。大福、あんころ餅、フルーツパフェにみたらし団子……」
 「女神の仕事」を休職したことにより天上界でも魔界でも、ベルダンディーからの「幸運の値」はカウントされなくなった。
 メイプルの本当の狙いはこれだったのだ。
 森里螢一、あれだけの数の女神に愛されて。まったく不思議な男だねぇ。 
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