ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第112話 辺塞到着
前書き
お疲れ様です。
ようやく辺境に到着しました。出撃は次話になりますね。
オリキャラがいっぱい出てきますので、ご注意ください。
宇宙暦七九一年 一〇月 シャンダルーア星域アルエリス星系
ハイネセンよりエル=ファシル攻略作戦時に使用した演習宙域のあるエレキシュガル星系を超え、辺境航路を進むこと二二日と一三時間。第一〇二四哨戒隊は全艦無事に、駐留基地となるシャンダルーア星域アルエリス星系内にある第五四補給基地に到着した。
いうまでもなくド辺境にして最前線。前方に展開するのはフォルセティ星域とファイアザード星域。さらに奥には帝国軍が根拠地を築いていると思われるパランティア星域がある。今世における父アントン=ボロディンが戦死したのもパランティアで、ダゴン、アスターテと並ぶ、帝国との古戦場の一つでもある。
俺の率いる第一〇二四哨戒隊は、それら三つの星域と後方となるルンビーニ星域を合わせた四つの星域・二八〇余の星系を哨戒管理範囲とする、第三辺境星域管区の所属となる。他にもイゼルローン方面の正面となるダゴン・ティアマト・アスターテ・ヴァンフリート星域は第一、フェザーンに接しているパラトループ星域は第二の管轄となっていて、それぞれの集団に少将の司令官が当てられている。三つの集団司令部を纏める辺境星域総管区司令官という官職はなく、全て統合作戦本部長の直轄となる。
ちなみに第二辺境星域管区がパラトループ星域のみの管轄になのは、フェザーン回廊を通って帝国軍が侵入してきた場合の事を想定していた時代の名残と、パラトループ星域の後方が第三辺境星域管区司令部のあるルンビーニ星域だということからだそうだ。もう一つフェザーン回廊に接する同盟領のポレヴィト星域は、ハイネセンとフェザーンを結ぶ中央航路が通っている関係で人口もそれなりに多く、既に単独の星域管区司令部が存在している。
ともあれ三つある辺境星域管区ではあるが、根拠地がエルゴン・ドーリア・エル=ファシルといったそれなりに安定した有人惑星を有する第一辺境星域管区とは違い、第三辺境星域管区はかろうじて人間が住んでいるといったレベルでしかない。第一〇二四哨戒隊が駐留することになる第五四補給基地は、そんなルンビーニ星域のさらに先。浮遊惑星改造型『基地』であって、イゼルローン要塞のように多数の民間人が居住できるようなスペースなどない。「社会資本? なにそれ、美味しいの?」レベルで、一応行政府があるだけマーロヴィアの方が民間経済は発展していると言っていい。
もちろん星域管区内には二八〇も星系があるので、中にはカプチェランカのような貴重な鉱産物を算出する惑星も、風光明媚?な特徴ある変光星も、さらには僅かなテラフォーミングで居住可能なレベルの惑星もあるという話だが、帝国軍の危険が大きすぎる上、ハイネセンなどの中核星域との絶望的なまでの距離の為、資本を投下しての開発は行われていない。むしろフェザーンの方がはるかに近いが、フェザーン商人もまた投資に対しては及び腰だ。
いずれにしてもここは最前線。補給基地より先にある同盟の設備は無人の偵察衛星のみ。訪れる客は同族か、同族異種。ここから出て行くには二年の期日を生き残るか、運よく死なない程度に戦傷するか、脱走するか、戦死するか。確かにここはアル=シェブル艦長の言うように戦う者にとっては地獄に極めて近い場所だが、そうでない者にとってはそうとは限らない……
最初から、悪い予感がなかったわけではない。任務拝命を喜んでいたこと。なのに部隊編制以来、任務に怠りないものの、俺とはあまりにビジネスでドライな関係であること。ビューフォート副長をはじめとした戦艦ディスターバンスの乗組員とも交流が薄い事、など。
艦の仕切りをビューフォート副長に任せ、接続されたタラップを通って第五四補給基地のターミナルに脚を下ろした時のこと。出迎えに来た基地参事官に着任の挨拶と、交代で帰還する前任の哨戒隊司令の予定を聞く時だった。俺の右後ろにいたドールトンから嘆息が上がり、それに対して基地参事官は俺への敬礼より先に笑顔を浮かべて小さく手を上げる。なるほどそういうことかと、俺は納得せざるを得なかった。
そいつは六年前から階級は変わらず、容姿もさほど変わっていない。いかにも女受けするようないけ好かない笑みを浮かべている。顔と口先だけは一人前で、俺がこれまで見知った後方参謀の中では、おそらく最も器量と能力に乏しい奴……
「久しぶりだな。ボロディン“中尉”」
「どうも、ご無沙汰しております。オブラック中佐“殿”」
一応相手が先任だから先に敬礼はしたが、誰もいないところであれば間違いなくブッ飛ばしている物言いをするミシェル=オブラックの顔を見て、俺はこれから二年間にわたる赴任期間に、些か面倒な問題がさらに積み重なったと思わざるを得なかった。
それでも任務なのかそれともドールトンの手前か、オブラックは俺とドールトンを補給基地司令のところまで案内はしてくれる。ただランドカーで五分、そこからエレベーターを二度乗り継いでいる間すらも、二人は俺の目の前で思い出話に花を咲かせている。着任早々に隊司令が暴行で謹慎というのは避けたかったので、何も言わずずっと二人の背中をシラケた目で眺めていた。が、やはり文字通り一歩下がった視線というのは、物事を俯瞰的に観察するのに適しているらしい。
ランドカーは明らかに点検していないと思わせるくらいに異常な走行音を立てている。共用スペースの清掃は複数のゴミ箱が溢れるくらい行き届いていない。司令スペースまでにすれ違った将兵の数は少なかったが、俺達への敬礼もおざなりで、服装も薄汚れている者が多い。それが容儀よりも任務を優先するような粗野な連中だからかと言えばそうではなく、いずれも無反応というか諦観に近い表情を浮かべていて、士気は明らかに低い。
そうかと言えば司令部スペース内の床は機械清掃のおかげかまったく汚れていない。その上、明らかに私物と思われる品物が廊下に置かれている。そして何故か司令部スペースと他の区画の境界に、拳銃ではなく抜き身の小銃を持った衛兵が立っている。そんな異様な空間を歩くこと二分。ようやく俺は補給基地司令に会うことができた。
「この度、第一〇二四哨戒隊司令を拝命いたしました、ヴィクトール=ボロディン中佐です」
「よろしく。第五四補給基地司令のガネッシュ=ラジープ=レッディ准将だ」
身長は俺と同じくらいだが、胴回りの恰幅がいいインド系。定年のことを考えれば、年齢は限界ギリギリの六〇代だろうか。額に寄る皺の多さは爺様の比ではない。いかにも好々爺といった笑顔を浮かべているが、俺を見る瞳はこちらを値踏みするようでいて、その奥には猜疑心がちらついている。
そんな彼の年齢以上にしわがれた手を笑顔で握りつつ、周辺視野に入る部屋の内装を確認する。なんら変哲もない、ごくごく普通の司令官個室。なのになぜか違和感がぬぐえない。ピラート中佐の執務室のように『イロイロな』モノがあるわけでもないし、床も壁も天井も実に綺麗だ……むしろ綺麗すぎる。
「君の直接の上官は、ルンビーニ星域にいる管区司令官閣下ということになるだろうが、我々の間でも友好を育むことは決して悪いことではあるまい」
「閣下の仰る通りです。哨戒隊の任務達成は、給糧・給兵・整備いずれも補給基地の支えがあってこそです。是非ともこれからよろしくお付き合いいただければと」
「ははは。そうかね。船乗りの方からそう言ってくれると、心が洗われるようだ」
上機嫌で握手を上下させながら言うレッディ准将の言葉に、さらに俺の腹の中の不信感は増幅していく。
哨戒隊はレッディ准将の言う通り補給基地の隷下部隊ではなく、第三辺境星域管区司令部直属の部隊であって、基地を根拠地にしているのはあくまでも「間借」という形だ。哨戒隊のスケジュールに関して、補給基地側からの干渉は出来ない。
これは第三辺境星域管区内にある四つの補給基地と、一二〇近い哨戒隊との運用による。哨戒隊は決められた補給基地に係留地を持つが、あまりにも広大な哨戒範囲をカバーする為に、複数の補給基地で補給や整備を受けられるようにした方が何かと便利だからだ。
もし哨戒隊が補給基地に隷属する形となると、哨戒範囲を四つに区分けすることになり『縦割りの弊害』が生まれ、範囲を超えた追跡ということが出来なくなる。哨戒範囲の巡回をさらに数を減らした哨戒隊で巡視するよりは、全体を常に七〇近い哨戒隊で範囲をカバーした方が、移動時間分の遊兵が少なくなる。
故に哨戒隊と補給基地は宿屋と旅行者のような関係だ。「あちらこちらで遊び歩いて怪我して帰ってきた他所の人間の入院費用をなんでウチが出さなきゃならない」という声と、「命も張らず、戦うわけでもなく、疲労困憊で戻ってきたら要らぬ小言をネチネチ言う恥知らず共」という声の、宿命の対立と言っていい。
だがそんなどこにでもある対立も、お互いに戦えるだけの気力があればこそだ。俺が僅かに見た限り、この補給基地にはその気力すら感じられない。
「駐留哨戒隊の先任指揮官であるムワイ=ギシンジ大佐は、現在任務に就いている。五日後には帰投予定とのことだ。哨戒隊の任務に関しては、貴官の前任のローレンソン中佐に聞くといい。今ならたぶん第三整備ドックにいるはずだ」
准将の握手が解かれた後、オブラックはそう言って俺に遠回しの退席を促してくる。まるで痴呆が始まったホーム入居者と口の悪い介護士だなと、准将に失礼なことを思いつつ俺は二人に敬礼して退席する。ドールトンも同じように二人に敬礼するが、後ろ髪を引かれるような雰囲気が体から漂っているのは一目瞭然だった。
そして端末に従ってオブラックに言われた通り第三整備ドックに赴くと、展望室に設置された薄汚れたラウンドチェアに仙骨座りになって、満身創痍の戦艦を眺めている初老の中佐がいた。声をかければ、首だけ廻し、小さく敬礼してくる。
「交代の隊司令どのか。ようこそ地獄へ」
席を立つわけでもなく、抑揚のない語り口。まるで悪魔か何かに精気を吸い取られてしまったような無気力さが中佐を包んでいる。顔の肌は薄く、瞼は重く、口に締まりがない。だが俺の顔をしばらく見た後で、小さく細い眉を上げてた。
「若いな。幾つだ?」
「二七になります。ローレンソン中佐は?」
「五〇だ。先月でな」
溜息交じりにそう応える中佐は、再び戦艦へと視線を戻す。俺も何も言わず、座っている中佐の右脇に立って目の前の戦艦を眺めた。右舷艦首から艦中央にかけて長い傷があり、焼け爛れた衝撃吸収材がそこからはみ出し、一部内壁が露出している。艦首主砲塔の右舷上に複数の大きなへこみがあり、そこから伸びる引っ掻き傷のような跡が何本も伸びて、舷側レーザー砲数か所を巻き添えにしている。
「よく生きて帰ってこれた、と言いたげだな」
まさにそれ以外の感想が出てこない惨状だ。長い傷は間違いなく艦砲の直撃。あともう少し艦の中心軸に寄っていたら、内壁を貫通し艦の与圧内部にエネルギー流が侵入し、核融合炉が誘爆、間違いなく轟沈だろう。
「敵駆逐艦の至近砲撃だ。右舷スラスター全開で躱したつもりだったが一発貰った。お返しで奴らの船体半分を吹き飛ばしてやったんだが、なぜか爆発しないでそのまま慣性則で右舷衝突をかましてくれた」
「右舷乗組員は……」
「艦首右舷側砲要員はほぼ死んだ。吸い出されたか、潰されたか、焼かれたか。いずれにしろ苦しんで死んだ」
そう言うとローレンソン中佐は目を瞑り、笠木に後頭部を預け、深く溜息をつく。
「交代前最後の哨戒任務だった。ハイネセンで編成された三三隻のうち、二五隻が健在だった。それが今はたった七隻だ」
それは死亡フラグとか、思っていても到底言えるわけがない。もし俺達が一ケ月早く着任していれば、失われた一八隻の乗組員は生きて帰れたかもしれない。だが密度はともかく訓練は規定日数通りであり、ここまでの運航にロスはなかった。本当に運が悪いとしか言いようがない。
「第一三〇八哨戒隊、総戦死者・行方不明者数三二五三名。兵員損失率八〇.三パーセント。全滅せず、帰還で来た哨戒隊の中でも、これはワーストに近い。全て私の責任だ」
「……」
「せっかくドックまで来てもらったのに悪いが、今日は勘弁してくれ。明後日には資料を揃えて、君の艦にお邪魔させてもらう。君の艦(ふね)は?」
「戦艦ディスターバンス。Aバース八八に係留しております」
「了解した。明後日には必ず伺おう。それと着いて早々こんな話を、君に引き継ぐのは実に悲しい事なのだが……」
ゆっくりと立ち上がり、肘掛けに掛けていた軍用ベレーを手に取ってかぶり直したローレンソン中佐は、俺ではなくかなり離れたところに立っているドールトンに視線を向けて言った。
「この補給基地にいる間、婦人兵は必ず三人以上の団体で行動するか、男性士官と一緒に行動することを強く薦める。もちろん補給基地の要員全てではないが、どうやら軍人の皮を被った小鬼共が、この基地には潜伏しているようなのでね」
確かに新任の隊司令の最初の引継ぎ内容がそれでは悲しいよなと、引き攣った顔で敬礼するドールトンを横目に見ながら、思うのだった。
◆
そして到着早々にそんな警報を出したおかげかわからないが、着任一週間で第一〇二四哨戒隊の婦人兵に犠牲者は出ていない。だが女性に限らず哨戒隊の将兵の誰もが、第五四補給基地に違和感を覚えていた。
まずもって雰囲気がおかしい。前線司令部にありがちな暴力性の発露がないのは幸いだが、逆にスラム街のようにジメジメとしてカビが生えてきそうな陰湿な空気がある。どの共用酒保もそれぞれの艦や所属先ごとにまとまっていて、マフィアのように互いを敬遠している。
特に哨戒隊乗組員と補給基地要員の間の精神的な溝は深い。その溝が下級兵士の間であるならば、まだわからないでもない。だが指揮・人事権を有し、対立を掣肘すべき士官の間ですらそれは顕著に表れている。
「この補給基地の連中は、腰抜けと役立たずの吹き溜まりさ」
ドールトンの出した珈琲をがぶ飲みし、戦艦ディスターバンスの司令会議室に我が物顔で座る、駐留哨戒隊先任指揮官であるムワイ=ギシンジ大佐は、そう唾を飛ばしながら吐き捨てた。
「基地司令は耄碌爺。副司令は精神をやられたとかでルンビーニの軍病院に入院中。参事官はどうしようもない女たらし。補給廠の補佐官達は揃いも揃って渋チンだ。マトモなのはドック長ぐらいなもんよ」
俺の横に立つドールトンの、後ろに回した両手が強く握られていることなど知る由もない。もしかしたら次に出されるおかわりの珈琲には、雑巾のしぼり汁が含まれるのではないかと俺は気が気ではないが、二メートル近い身長とそれに見合った筋肉の鎧を纏う大佐なら、きっと胃袋もそれに見合っているだろうと信じるしかない。
「一〇年前。俺が一介の駆逐艦艦長としてきた時はこんなではなかった。六年前、第五二補給基地に配属された時も、ここはまだマトモだった。あの女たらしは居たが、まだ上官がマトモだったからな。三回目の辺境勤務で先任になってアイツの上官になっててよかったぜ。あれは下半身以外、本当に役に立たねぇ」
確かに大佐はこう言ってはなんだがモテるような顔つきではないが、そこまでオブラックを目の敵にする必要があるのか。口を開く度にドールトンのヘイトがどんどん溜まっていくのを横で感じつつ、俺は珈琲の残りを少しずつ傾けながら、ギシンジ大佐を見つめる。
第五四補給基地を係留地とする哨戒隊は総勢二八個。その最先任である大佐であれば、基地司令に対してもモノを言えるはずだ。一個哨戒隊には約四〇〇〇人が乗り組んでおり、だいたい半数の哨戒隊が任務に就いているとはいえ、少なくとも五万六〇〇〇人の乗組員が補給基地に駐留している。整備兵を含めて三万六〇〇〇人しかいない補給基地側により強く出られるにもかかわらず、こうやって部下の艦で愚痴をこぼすしかないのはどういうわけだろうか。
補給基地側の武器は、艦船整備と補給の二面だ。小規模な修繕以上はドックのある補給基地でしかできない。彼らの機嫌を損ねて整備に手を抜かれたら事だ。それにミサイルも撃てば当然なくなるものだから補充は必要で、唯一製造できる艦船用燃料以外の戦闘物資の大半はルンビーニからの輸送に頼っている。その補給物資の管理を任されている補佐官達の匙加減一つで、物資が得られないとなれば確かに問題だ。
「おいおい奴らの使い方は分かるようになる。ところでローレンソンから哨戒範囲と手順の話は聞いているか?」
「一応、一通りは」
他の四つの補給基地に所属する哨戒隊と順番交互に、割り振られた巡回ルートをほぼ四週間かけて一回りして二週間休む。この二週間の休みは半舷休息になるが、巡回ルートを三回こなした次の二週間は船をドック入りしての全舷休息となる。これら全て合わせて一八周間で一ローテとなり、二年一〇四週間のうちで五回ないし六回、繰り返すことになる。つまり任期中の出撃回数は計算上、一八回。
ただしそれはあくまで何事も起きないという理想的な一年が送れた場合の計算。哨戒ルートは当然帝国の哨戒ルートとも重なっていて、遭遇戦となれば被害は出る。大概は同規模の哨戒隊が相手とは言え、ローレンソン中佐の第一三〇八哨戒隊のように部隊の過半を失うような不利な状況も発生する。そうなるとローテに穴が開くことになり、半舷休暇の切り上げが行われることになる。そのあたりの管理は第三辺境管区司令部が差配する。
さらに言えば、エル=ファシル奪回戦のような規模の戦いが辺境領域で発生すれば、隠密偵察に駆り出される。アスターテ星域会戦のように事前にフェザーンからの情報が入るような艦隊規模の戦闘が予想される場合も同様だ。そしてイゼルローン要塞攻略のように辺境領域奥地で複数規模の決戦が行われる場合、さらに主攻略部隊の補給路を支える為にほぼ全ての哨戒隊が、戦略輸送艦隊の護衛に駆り出される。
「近々での艦隊決戦はないって話だ。取りあえず、お前の隊は予定通り四日後。Bコースで回ってくれ。俺の勘では、恐らく敵とは遭遇しないだろう」
「勘でありますか? それまでの遭遇統計から導かれる統計とかではなく?」
「おうよ。勘って言うのもなかなか馬鹿にしたものじゃねぇぞ?」
積み重ねた経験と僅かな気配察知の両方から導き出される勘はバカにできるモノではない。特に大佐は都合五年、この第三辺境星域管区に勤務している。信じるわけでも頼りにするわけでもないが、オブラックよりはまともにコミュニケーションを取ろうとしているのは間違いないだろう。
「大佐にそう言ってもらえると、少しだけ安心できますね」
「ローレンソンはマトモな奴だったからな。代わりのお前が早々くたばっては俺が困る。なにか問題があれば俺に言え。出来る範囲で協力する。それと……」
椅子から立ち上がって一度、俺の背後にいるドールトンに視線を向けた後、大佐は手振りして近寄った俺の肩に手を廻すと顔を寄せて囁いた。
「あの副官。アレ、お前の女か?」
一瞬、回りそうになる首を、僅かに首を傾げるだけにとどめる。一体どうしてそんなことを聞くのか。口には出さず視線だけで大佐に問うと、大佐は右唇を小さく吊り上げて応えた。
「俺がお前と話している間、ずっと俺を睨んでいやがった。生意気な小娘だが美人だし、そういう女は嫌いじゃねぇ」
「……後で厳しく、躾けておきます」
「そうしとけ。俺以外もあんな目を向けてるようだと、ここじゃ長生き出来ねぇからな」
そう言うと、ドンと強く俺の左胸を大佐は拳で叩く。痛いことは痛いが、尾を引くような痛さではない。ちゃんと加減している挨拶だとわかる。能力的には未知数だが、致死率二〇パーセントの任務をここまで2回半こなしていると考えれば、大佐は全くの無能とも思えない。
背を向けて手を振りながら大佐が会議室を立ち去ったあとで、少しだけ未来に希望が持てる要素が見つかって安堵して席に座り直すと、それはそれは怖い顔をしたドールトンが正面に立って、俺に向けて冷たい視線を放っている。
「ドールトン中尉」
「私は 隊司令の 女などでは ありませんが?」
文節ごとに区切って応えるドールトンの怒りは半端ないが、俺としては後日淹れられる珈琲以外に怖いものはないので、座ったまま天井に向かって一つ大きく溜息をついた後、紙コップを片付ける手を止めさせ、指でテーブルを挟んだ向かいの席に座るよう指図する。
とりあえずは何も言わずその指図通りドールトンが席についたので、一度自分を落ち着かせるよう目を瞑って深呼吸する。彼女に話さなければならない話は多いが、まずはこれからだろう。
「中尉。大佐に対し貴官が『俺の女』のように匂わせたのは理由がある」
どんな理由だよと、上官反抗罪に相当する表情でドールトンは睨んでくるが、八重歯を剥き出しにしてキレているアントニナや、無表情でトマホークを握っているブライトウェル嬢に比べれば、春の微風同然に温い。
「ああ言っておかなければ、この基地で貴官の安全は保てないからだ……副官の任務には基地司令や各隊司令間の連絡業務もあるだろう?」
着任早々の今は、俺が顔合わせも兼ねて一緒に動いているが、忙しくなる今後はそうも言ってられない。
だいたい憲兵は一体何をしているんだと言いたいくらいの治安の悪さだが、憲兵隊の指揮者は入院中の副司令なので、今は基地全体の秩序回復より、基地司令部の維持・防衛に主軸を置いているように見える。年齢より若く見える美人の女性士官が、もし単身で共用スペースを歩いているのならば、不埒な小鬼の格好の標的になりかねない。
それくらいは流石にドールトンも分かっているようなので、唇以外整った顔の怒りは少しだけ軽減される。
「大佐は駐留する機動哨戒隊の先任だ。彼の口から哨戒隊全体に伝わることで、より早く貴官の安全は確保されるのはわかるだろう?」
「しかしそうだとしても、『隊司令の女』などという言い方はないと思います。セクハラだと思いませんか?」
「では『オブラック中佐の女』と言った方が良かったかな?」
「!! しかし、それは……」
「わかってくれて何よりだ……少しでも安全の確率を高めるのであれば、警戒する相手は基地要員だけにした方が良いだろう」
本来であればナンバー三である参事官のオブラックが、副司令に代わって憲兵隊を指揮して基地内部の秩序回復に勤めなければならないはず。越権行為を恐れるならば、管区司令部に許可を取ればいい。この高級軍人としての積極性と責任感のなさが、『マジ』なのか『わざと』なのかわからないが、不作為であることは確かなのだ。
「俺は貴官にオブラック中佐と付き合うなとか言うつもりはない。この副官任務を志願したというのが、ここで勤務するオブラック中佐が目的だったとしても、特段何とも思わない」
「……」
「ただ第一〇二四哨戒隊隊司令付副官としての任務を、着実に果たしてくれる事だけ、俺は貴官に臨んでいる。その為にはまず貴官の身の安全が、とにかく一番、重要なんだ」
「……」
「だから言うまでもないと思うが、『隊司令の女なのか?』と見知らぬ誰かに問われたら笑って誤魔化せばいい。邪な意思を持つ相手なら、それで十分手控えるはずだ」
「ですが、それでは……それでは、隊司令にもご迷惑がかかるのではありませんか?」
心配半分・迷惑半分と言った表情で、ドールトンは殊勝なことを言う。想像以上に内心が表情に出る副官に俺としては別な意味で心配になってくるが、確かに言う通り、事実ではないにしても『副官を愛人にする隊司令』というのは十分なスキャンダルになりうる。クーデターを鎮圧した救国の英雄ですら、問題にされるのだから、辺境勤務の中佐如きであれば致命傷になりかねない。
この補給基地の治安回復は急務だ。この件についてはギシンジ大佐も当てにはならない。そして今の俺には、手を付ける余裕はない。むしろ中佐を拘束できる権限のある監察官が中央から送られてくれるのならば僥倖だ。ムライみたいな人であれば、デマに惑わされることもなく、補給基地内の大掃除を手伝ってくれるかもしれない。
「大切な部下の安全の為に悪評を引き受けることなど、大して苦じゃないさ。もっとも、あんまり長いことになると困るけどね」
俺がなんとか表情筋を駆使して、優し気な笑顔を浮かべてそう応えると、ドールトンの目は点になり口も半開きになった。それから数秒もせずに意識は回復したみたいだが、今度は視線が左に右に不規則に振れ、表情に落ち着きがなくなっている。
「ドールトン中尉?」
そんな挙動不審が三〇秒も続いたので声をかけると、ドールトンは文字通り伸びていた背筋を震わせながら椅子から立ち上がった。
「あ、えっと……その……ボロディン中佐?」
「なにかな?」
「わた……小官は、その中佐の大切な部下、なんでしょうか?」
「当然だろう」
正直言えばハイネセンで即チェンジしたかったのだが、一度部下になった以上はどんな人間であろうと俺にとっては大切な部下だ。問題があれば更迭もするし教育もするが、今のところドールトンには副官任務として問題もなければ、別段教育する余地も今のところはない。ここまでの航海で航法士官としての才も十分確認できたし、今更ハイネセンから同レベルの新しい副官を呼ぶのは時間の浪費だ。
だが言われたドールトンの表情はおかしい。身長は俺の方がかろうじて高いくらいなのに、立っていながら首を前に垂らし、上目遣いで俺を見ている。
「その、ボロディン中佐のご厚意は大変嬉しいのですが……やっぱり……」
僅かに頬を染めて組んだ両手の親指をクルクルと回転させているので、何かやはりドールトンを誤解させてしまったのは間違いない。なので俺は目を閉じて優しい笑みを浮かべて、はっきりと
「ドールトン中尉は私の好みじゃないから、本当に押し倒されるとか心配しなくてもい……」
いんだよ……と言い終える前に、左頬を衝撃が襲い、俺は椅子から体勢を崩して床に倒れ込む。いきなりなにが起こったか分からず本能のまま呻き声を上げ、倒れたまま顔を上げると、既に会議室にドールトン中尉の姿はなく、扉は開け放たれている。
しばらく頬を擦りつつ、この日何度目になるか分からない溜息をついて立ち上がると、開いた扉から余所見をしながらビューフォートが端末を持って入ってきた。
「今、そこで泣きながら走って行くドールトン中尉を見ましたが、なんかありましたかい?」
「あぁ……まぁ、ちょっとね」
残っていたギシンジ大佐と俺の分の紙コップをテーブルの端に寄せながら俺が顛末を話すと、端末を置いてマシンで珈琲を淹れていたビューフォートは、『バカじゃねぇの、お前ら』と俺の耳にようやく届くくらいの小声で吐き捨てた。
「で?」
上官侮辱罪を適用するにはあまりにも自分が情けないのが分かっていたので、差し出した珈琲を右手で受け取ってから聞くと、カッコつけんなと言わんばかりの小馬鹿にした視線を向けながらビューフォートは俺に応えた。
「ドックは他部署と違ってマトモですな。航海中に確認できた左舷姿勢制御スラスター一二番の交換も、すぐにやってくれた。模擬テストも異常なし。他の航行前テストも順調に進んでいる」
「あとでドック長に礼を言っておく。他の部署は?」
「補給廠担当官がケチなのはどこもかしこも変わらないが、誘導兵器の在庫がヤバいらしい。隊司令に会ったら『なんで補給船団を連れてこなかったんだ』と抗議してくれとのことだ。いま、言ったぜ」
そんな抗議は俺ではなく管区司令部か統括補給本部に言ってくれと言いたいが、言った結果が無しの礫というのが実情だろう。
「すると中性子ミサイルも機雷もしばらくは七分隊頼みか」
「後は帰り道に他所の補給基地に寄って補充するかでしょうが、ま、管区の他の補給基地も大概変わらんでしょうな」
どうしたって補給は制式艦隊の方が優先される。それからより中央に近い警備艦隊、巡視艦隊。星系内に独自の兵器廠を持つ星域ならば余裕はあるだろうが、このシャンダルーア星域にはない。ルンビーニ星域に小規模な工廠があるが、生産品を巡って各補給基地同士で争いが起こっていることは想像に難くない。仮に余裕があっても他補給基地駐留の哨戒隊には、おそらく気安く譲ってはくれない。
「艦内の士気はどうだ? 俺の見る限り、さほど問題はなさそうだが」
「来たばかりですからね。隊司令の腕前次第でこれから上がるか下がるか、見物ですよ」
肩を竦めてまるで他人事のように応えるビューフォートに、俺は呆れた。
「俺の指揮が貴官の想像以上にヘボだったら、死ぬのは貴官だぞ?」
「おや。操艦に関しては小官に、ほぼ一任してくれるんじゃないんですかい?」
俺が許可するまでもなく勝手にさっきまでドールトンが座っていた席に脚を組んで座ると、ビューフォートは不敵な笑みを浮かべつつ、紙コップを俺に向けて掲げて言った。
「小官が操艦する限り、絶対に艦(ふね)は沈みませんよ。命を賭けてもいいですぜ?」
そりゃあ沈む時は命を失うんだから、そもそも賭けになってないだろうと、俺は左頬の痛みを噛み締めつつ、喉の奥にしまい込むのだった。
後書き
2024.11.06 更新
当落次第で、次回以降の投稿は変化いたします。
ページ上へ戻る