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コントラクト・ガーディアン─Over the World─

作者:tea4
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第一部 皇都編
  第二十六章―黎明の皇子―#6


 ビゲラブナ伯爵がおじ様の隣席に座り込むのを待ってから、おじ様はこちらに向き直って口を開いた。

「本来ならば、防衛大臣であるビゲラブナ伯爵が話を進めなければならないところですが───ビゲラブナ伯爵は事態を正しく認識できていないようですので、引き続き、私が進めることにします」

 おじ様がそう宣言すると、ビゲラブナ伯爵はまた怒りに顔を真っ赤に染めたけど───悔し気に歯を食いしばるだけで何も言わなかった。

「集落が発見された経緯は、先程、私が語った通りです。ヴァムの森に入った冒険者が集落を発見し───ギルドに報告した。集落が築かれている場所は古代魔術帝国の遺跡である可能性が高く、これまで遺跡自体が発見されなかったのは何らかの魔術が作用していたと考えられること。そして、今回、発覚されるに至ったのは、住み着いた魔物のせいでその魔術が停止したからではないかということ────」

 おじ様は、ビゲラブナ伯爵が乱入する前に語っていた内容を簡潔に繰り返した。これは、地下遺跡のことを公表するわけにはいかないので用意した、表向きの“見解”だ。

「集落の規模や様相など詳細を説明する前に────ファルリエム子爵」

 おじ様に突然名を呼ばれ驚いたが表情には出さず、私はおじ様の方へ顔を向ける。

「貴殿には、ルガレド殿下の親衛騎士としてだけでなく、“Sランカー冒険者”として────この会議に参加していただきたい」

 おじ様の言葉を受けて、テーブル席の後方で微かなざわめきが起こった。おそらく、私の噂を鵜呑みにしている貴族たちだろう。

 レド様の方を窺うと、レド様は小さく頷いた。

「解りました」

 予め準備していたに違いない。すぐに侍従がイスを運んできて、レド様とガレスさんの間に据えた。

≪ハルド───リゼの剣を≫

 レド様が【念話(テレパス)】でハルドに指示を出す。

 私は腰に提げていた【夜天七星】の対の小太刀をベルトから外して、ハルドへ渡す。ハルドは、レド様の剣を持ったまま、私の小太刀を両手で受け取った。

 レド様の席がこの位置だったのは、このためだったのか────と思いながら、侍従が引いてくれたイスに、私は腰を下ろした。

「さて、ご存知でない方が多いと思われるので、簡単に紹介させていただきましょう。ルガレド殿下の親衛騎士───ファルリエム子爵は、イルノラド公爵家の息女として生まれながら───冒険者として最上位ランクに昇り詰めただけに留まらず、複数の特許を持つ、冒険者と商人の間では知らぬ者はいない才媛です。これまで、幾度となく魔物の集落潰しや魔獣討伐に携わって、幾つもの功績を残し───つい最近も、大規模の集落潰しで指揮を執り成功させています」

 おじ様の言葉に、ざわめきが大きく沸く。

 私はと言えば、思わず吹き出しそうになった。

 いや、レド様が陣頭指揮をとるかもしれないこと、私も戦いに参加することを考えれば───ここで私の経歴を明かしておいた方がいいというのは解る。

 だけど、話を盛り過ぎじゃないですか?『冒険者と商人の間では知らぬ者はいない才媛』とか、詐称の域ですよ…。

「それから────冒険者ギルド皇都支部ギルドマスターのガレス殿。ガレス殿は、数多の功績を残したAランクパーティーのリーダーを勤め上げた元Aランカー冒険者で、その実績と才覚を買われ、この冒険者ギルド皇都支部の統括を任されている実力者です」

 続けて、ガレスさんのことも簡単に紹介する。

「それと、第四皇子ジェスレム殿下と彎月騎士団団長ゲスミル伯爵ですが───ジェスレム殿下は先日教会で起こった魔獣騒ぎで精神的にお疲れとのことで欠席、ゲスミル伯爵は皇都不在のため欠席となっております」

 最後に、ジェスレム皇子と彎月騎士団団長がこの場にいない事情を話して、おじ様は本題へと入った。



「それでは、集落の規模と様相について────ガレス殿、お願いします」

 ガレスさんが立ち上がる。貴族たちのざわめきが消え、辺りが静まり返った。

「まず───集落の広さですが、皇都の平民街に相当します。囲いのようなものはありません。石造りのあばら家が満遍なく建ち、見張り台や物見(やぐら)の類はありません。オーガ、オーク、コボルト、ゴブリン───4種の二足歩行の魔物が共存しており、魔獣化していると思しき巨大化したオーガが1頭───それと、オーガ、オークそれぞれに、複数の変異種を確認しています」

 “コボルト”は、狼とも犬ともつかぬ頭を持つ、二足歩行の魔物だ。

 ゴブリンに比べれば大きいが、人間の成人女性より一回りほど小さい。その体格から、やはり単体ではオーガやオークには敵うべくもないが────動きは素早く、鼻も利く。

 その上、オーガを上回る知性を持ち、数によってはオーガやオークより手こずることもある。

 私が初めて集落を偵察したときは目につかなかったけど、後で改めて【立体図(ステレオグラム)】をつぶさに確認してみると、コボルトも集落内に存在していた。

 オーガやオークに比べて数がいないことと───それに、どうやらこの集落の斥候役を担っているらしく、あのとき、大半のコボルトが集落の外に出ていたから、目につかなかったようだ。

 おそらく【隠蔽(ハイディング)】が消失したために、斥候に出されていたのではないかと思う。集落を監視している冒険者から、幾つかのコボルトの集団が、日が沈む頃合いに集落へと入っていったと報告があったそうだ。

「魔物は動き回っているため、正確に数えることは不可能ですが───オーガが(およ)そ200頭弱、オークが凡そ300頭ほど、コボルトが凡そ50頭ほどだということは判明しています。ゴブリンについては、10頭以上いるのは確かですが、大雑把な数でさえ不明です。それから、先程も言った通り、オーガやオークそれぞれに変異種が複数───そして、巨大化を遂げたオーガの魔獣が1頭、確認されています」

 この数字は、斥候役の冒険者が報告した数だ。

 今朝、【立体図(ステレオグラム)】を更新した際に、もっと正確な頭数が判明してはいるけれど───ガレスさんの説明にもあったように、動き回る魔物を精確に数え上げるのは難しい。集落の規模が大きければ猶更だ。

 正しい頭数を上げるのならば、私たちの能力を明かさなければならなくなる。

 集落の広さで前回潰した集落の3倍ほどだと印象を持ったが、魔物の総数だけで考えると5倍近い。


「何だ────大げさに言うから、どれほどのものかと思えば…。オーガが200だのオークが300だの、その程度でこんなに大騒ぎをしているのか」


 不意に嘲るような声が、緊張が張り詰めた静けさを破った。

 声の主は────ビゲラブナ伯爵だ。

「フン、たかだか500程度の魔物で、大騒ぎして────冒険者というのは、本当に無能な連中だな。何が『民を護るのは国の責務』だ。単に自分たちの手に負えなかったから、泣きついて来ただけではないか」

 先程の仕返しのつもりか、ビゲラブナ伯爵はこちらを煽るように思いきり鼻を鳴らして言い放つ。

「ビゲラブナ伯爵の言う通りですな。たかが500程度とは────緊急会議を開くほどでもない」

 ビゲラブナ伯爵に追従(ついしょう)して誰かが呟くと、貴族側で小さなざわめきが起こる。

 呟いたのは皇妃一派の者だと思うが、他の貴族もその意見が尤ものように思えたらしく、張り詰めていた緊張が緩んでしまった。

 魔物や魔獣と関わらずにいられる貴族には、数千数万の騎士や兵士が動員されるような戦争などに比べたら、大した数には感じられないのかもしれない。

 これは────非常にまずい流れだ。

 その雰囲気に気を良くしたらしいビゲラブナ伯爵は、目元と口元を歪ませて────醜悪な笑みを浮かべる。そして、駄目押しとばかりに続けた。

「しかも、貴族令嬢としての義務を怠った我が儘娘に最上位ランクを与えるなど───組織としても腐っていると見える。おい、ギルドマスターとやら、はした金でも積まれたのか?それとも───その我が儘娘の情夫にでも成り下がったのか?そんな小娘、我々正統な貴族からしたら出来損ないでしかないが───お前のような下賤な者には、それでも上等に思えるのだろうな」

 ビゲラブナは醜い表情で嘲笑いながら、ガレスさんに侮蔑の言葉を吐く。

「…っ」

 自分が悪し様に言われることは予想していたし、その覚悟はしていた。

 仲間たちに嫌な思いをさせるかもしれないと懸念もしていたけれど────こんな風に自分のせいで親しい人が実際に侮辱されるのは、考えていたよりもずっと悔しくて────心の底からガレスさんに申し訳なかった。

「たかが支部の一つを任されただけの小物のくせして、この私に」


「───黙れ」


 それは────決して、大きな声量ではなかった。だけど、その声は、広いはずの室内にはっきりと響き渡った。冷ややかな沈黙が降りる。

「あのような────え?」

 頭の回転が悪いのか────先程同様、ビゲラブナは、すぐには状況を理解できなかったようで、一拍遅れてから訊き返した。

「黙れと言っている。その汚い口を閉じろ────ビゲラブナ」

 間抜け面を晒すビゲラブナに、一瞬で身体の芯まで凍り付かせるような声音で応えたのは────立ち上がり、全身に怒りを湛えたレド様だった。

 まるでレド様に同調するように───背後のジグとレナス、ハルドからも強い怒りが立ち上るのを感じた。

「な────」

 言い返そうとして、レド様に眼を向けたビゲラブナは、レド様の怒りの程を目の当たりにして、言葉を呑み込んだ。

 血の気が引いたらしく、その頬が弛んだ見るに堪えない顔は見るからに白い。それでも、何とか悪態をつこうと口を開いた。

「お、皇子といえど、なんて無礼な────」
「無礼なのは貴様だ、ビゲラブナ。ファルリエム子爵は、いずれ皇子である俺の妃となる身であり───俺が命を預けた親衛騎士だ。貴様ごときが侮辱していい存在ではない」

 レド様の静かだけれど圧し潰すような剣幕に、ビゲラブナは、ひっ、と悲鳴のような声を漏らしたが────レド様は構うことなく、畳みかける。

「言っておくが───ファルリエム子爵が単独で、魔物の群れを殲滅するところも、魔獣を討伐するところも、俺は何度もこの目で見ている。つい先日にも、ファルリエム子爵は商隊を襲った魔獣を討伐した。目撃した者も多い。ファルリエム子爵の実力は少し調べればすぐに判明するはずだ。それを…、国の重責を担う立場でありながら───調べもせず、憶測とも言えない貴様の妄想だけで、このような公の場で侮辱するなど───しかも、大陸最大の組織である冒険者ギルドを貶めるなど…、一体どういうつもりだ」

 一言発する度に、レド様が纏う怒りは増していく。

 ようやく思考が廻り始めた私は、レド様を止めるべきか迷う。

 私とガレスさんのために怒ってくれるそのお気持ちは嬉しいし───冒険者ギルドを敵に回さないためにも、この場でビゲラブナを叱責することは必要ではある。

 だけど、これではレド様がビゲラブナに───皇妃一派に反感を買うことになる。

 そう逡巡していたそのとき────不意にロビンから【念話(テレパス)】が入った。

≪姫────シュロムが『止めるな』と言っています≫
「!」

 おじ様がそう言うのなら────このまま止めない方がいいのだろう。

 おじ様がレド様を悪いようにするはずがない。
 私は、おじ様を信じて────レド様を止めないことに決める。

 レド様は、その怒りに塗れた右眼をビゲラブナに見据え、続けた。

「それに、500頭もの魔物が大したことがない────だと?魔物は、人間を相手にするようなわけにはいかない。コボルトでも、1頭に対して兵士なら最低2人。オーク1頭に対して、騎士でも最低3人。オーガならば、最低でも騎士5人を割り当てることを想定しなければならない。変異種となれば、その2倍から3倍の人数が必要となるし────魔獣ともなれば、下手をすれば5倍以上だ。単純に計算しただけでも、確実に殲滅するには、騎士を約2000人投入しなければならない事態だというのに────大したことがない、だと?長いこと騎士と兵士を采配する立場についていながら────何故、そのような発言が出る?」

 レド様の声音には、聞く者が耳を傾けずにいられない重みがあった。

 付け焼刃などではなく────“一度目の人生”での将軍としての経験に裏打ちされた重みだ。

 瞬く間に、緩んでいた空気が緊張感を取り戻す。

 レド様はそこで一度言葉を切り、向かい側───イルノラド公爵、ガラマゼラ伯爵とその隣の空席を一瞥してから、再びビゲラブナを睥睨した。

 ビゲラブナは蛇に睨まれた蛙のように、ひっ、とまたも声を漏らして息を呑む。

「そもそも────これはどういうことだ」

「は、ぇ、な、何が」

「何故────護国を司るはずの騎士団が、どれ一つとして動かせる状態になっていない?不測の事態に備えて、必ず騎士団の一つは皇都で待機させておかなければならないはずだ。ましてや、辞令式まで1ヵ月を切ったこの時期に、何故────どの騎士団も待機させていない?」

「な、何で」

「状況を鑑みれば判ることだ。虧月(きげつ)騎士団、偃月(えんげつ)騎士団所属の兵士は、現在、この皇城にはいない。虧月騎士団団長のイルノラド公爵、偃月騎士団団長のガラマゼラ伯爵だけがいるということは、何処かに派遣されていて、騎士団上層部だけが辞令式のために戻って来たということだろう。逆に───彎月(わんげつ)騎士団所属の兵士は皇城に詰めているのに、団長のゲスミル伯爵は皇都にすらいない。この緊急会議に空席ということは、副長、団長補佐も同様に不在なのだろう?これでは────いくら彎月騎士団所属の騎士や兵士が皇城に詰めていたとしても、上層部が不在では動かせない」

「へ、兵士がいるかどうかなんて、何故」

「忘れたのか?俺に下級兵士用調練場以外での鍛練を禁じたことを。俺は早朝、下級兵士用調練場に赴き、鍛練をしている。だから────どの騎士団の兵士がこの皇城にいるのか、ちゃんと把握している」

 ビゲラブナは口を“鯉”のようにパクパクと何度も開けては閉めるけど、言い訳が思いつかないのか、言葉は出てこない。

「もういい。────イルノラド公爵、ガラマゼラ伯爵、騎士団の現状はどうなっている?」

 レド様はビゲラブナを見限り、向かいに座るイルノラド公爵とガラマゼラ伯爵に視線を移す。

 冷静に考えたら、成人したばかりで役職も与えられていないレド様には何の権限もない。

 けれど────今のレド様には、従わずにはいられない威厳があった。

 この場にいる者は────少なくとも、ビゲラブナやテーブル席につく者たちは圧倒され、呑まれていた。

「我が虧月騎士団、並びにガラマゼラ伯爵率いる偃月騎士団は、エリアエイナ地帯に駐在しております。殿下のご推察通り、私を始めとする虧月騎士団上層部、ガラマゼラ伯爵を始めとする偃月騎士団上層部は、一部を除いて、辞令式に出席するため一時的に皇都に戻って来た次第です」

 イルノラド公爵が立ち上がり、代表して答える。

「エリアエイナ地帯に?二つの騎士団が常駐しなければならない程の事態なのか?そんな情報は入っていないが。────宰相?」
「いいえ、私にもそのような情報は入っておりません」

 レド様が立ったままのおじ様に視線を遣ると、おじ様はすぐさま答える。

 エリアエイナ山脈の麓に広がるエリアエイナ地帯はエルダニア王国時代からこの国の領土となっているが、エリアエイナ山脈に棲まう土着の民ドヴェルグ族もこの地帯の支配権を主張して────もう数百年以上、小競り合いが続いている。

「辺境伯軍は何をしている?」
「グリムラマ辺境伯軍は、2年前───ドヴェルグ族に大敗を喫して以来、未だ立て直しができておらず機能しておりません」
「2年経っても立て直しができていない────だと?その状態を追及することもせず、唯々諾々と騎士団を差し出しているのか?」

 レド様に睨まれ、ビゲラブナの血の気が引いた顔に脂汗が流れた。

 レド様は怒りを逃がすように、一息()いて、続ける。

「…今は集落の件だ。────イルノラド公爵、彎月(わんげつ)騎士団の現況については知っているか?」
「はい。現在、彎月騎士団団長ゲスミル伯爵以下上級騎士は漏れなく休暇をとり、皇都を離れております」
「休暇?────どういうことだ、ビゲラブナ。この時期に休暇をとることを許したのか?」

「ぁ、う、わ、彎月騎士団は────そちらの何もしない虧月騎士団と偃月騎士団とは違い、この一年ずっと働き詰めだったので────し、新年度が始まる前に休息をとらせたのです!」

「…何もしない?虧月騎士団と偃月騎士団は、グリムラマ辺境伯軍の尻拭いのためにエリアエイナ地帯に駐在しているようだが?」
「そ、それは────何もしないから、年度の最後くらい勤めを果たすよう、私が強引に行かせたのです!」

「何もしない────つまり、命じても動かないということだろう?それなのに、強引に行かせることなどできるのか?そもそも、貴様の言い分が真実であるならば────貴様は防衛大臣でありながら、騎士団の采配もできない無能だということになるが?」
「なっ────わ、私は無能ではない!その男が、公爵という身分を笠に着て、私の言うことをきかないだけだ!」

 イルノラド公爵が、身分を笠に着て────何もしない?

 ビゲラブナの苦し紛れのその言い訳に、沸々と込み上げるものがあった。

 これは────怒りだ。

 だって────私は調べたから知っている。

 今年だけでなく、この十数年────イルノラド公爵は、あちこちに行かされていた。ファルリエム辺境伯が亡くなり、辺境伯家門が解体されてしまってからは、落ち着いて邸に滞在する暇もないほどだ。

 タイミングもあるかもしれないが、実際、この10年一度として───あの邸で、私は公爵を見かけたことはない。

 私が置かれていた状況にイルノラド公爵が気づかなかったのは、公爵が私にあまり関心がなかったからだと考えているのは────燻る怒りが消えないのは、今も変わらない。

 それでも────自分でも不思議なほど、ビゲラブナの言い様は許せなかった。

「それは、おかしいな。見る限り、虧月(きげつ)騎士団と偃月(えんげつ)騎士団の兵士は、いないことの方が圧倒的に多い。珍しく戻って来たと思っても、すぐにいなくなる。逆に、彎月(わんげつ)騎士団の兵士が不在であることはめったにない。ごく偶に見かけないことがあっても、数日で戻って来る。毎回、兵士たちにケガした様子も装備が大して劣化している様子もないから、近場の安全地帯で軽く演習でもして来たのだろうと、俺は考えていたのだが。まさか、彎月騎士団は、虧月騎士団と偃月騎士団の兵士を連れて行っているのか?」

 レド様の反論に、ビゲラブナは醜いその顔を引きつらせて絶句した。

 レド様はビゲラブナに向けていた鋭い視線を逸らし、イルノラド公爵へと向き直る。

「イルノラド公爵、ガラマゼラ伯爵────今回、連れ帰った騎士はどのくらいになる?」
「は───辞令式に出席すべき上級騎士を連れ帰りはしましたが…、現在、ビゲラブナ伯爵の命により、ほとんどの者が再び皇都を出ております」
「何だと?────どういうことだ?」
「ビゲラブナ伯爵より一部貴族の送迎を命じられまして、向かわせた次第です」

「護国を担うべき騎士を…、一貴族の迎えに向かわせた────だと?」

 ビゲラブナの脂汗に塗れた顔は、これ以上ないくらい蒼白になっている。

 大方、その貴族というのは───ベイラリオ侯爵家門、もしくは傘下の貴族なのだろう。

 そもそも、この国に仕える貴族でありながら、辞令式まで1ヵ月を切ったこの時期に、まだ皇都に入っていないことも問題だ。

 本来ならば、遅くとも辞令式の1ヵ月前までには皇都入りするのが決まりなのだ。

 そして、任じられた業務や領地の状況など───最終報告を上げなければならない。その報告によって最後の調整をすることになっている。

 だけど────これで腑に落ちた。

 この場が思ったほど紛糾しないのは、ベイラリオ侯爵家門や傘下の主だった貴族が不在だったからなんだ。

 いたら、きっと誰かしらビゲラブナをもっと擁護していたはずだ。


「つまりは────この事態にあって、動かせる騎士団は一つもないということか」

 レド様の現状確認ともとれる重々しい呟きに、沈黙がさらに深まる。

「宰相────ビゲラブナの不手際の追及については、後を任せる」
「かしこまりました、ルガレド殿下」
「中断してすまなかった。進めてくれ」

 イスに座り込んだレド様の手を、周囲から見えないようにテーブルの下でそっと握る。レド様はすぐに握り返してくれた。

≪ありがとうございます、レド様≫
≪俺がリゼを護るのは当然のことだ≫

 握る手に一瞬だけ力を入れてから────名残惜しかったけれど、手を放す。会議はまだ終わっていない。



 おじ様がこちらに背を向け、高い位置に座す皇王陛下を振り仰いだ。

「陛下───此度(こたび)の件、ビゲラブナ伯爵に任せるには、荷が勝ち過ぎているように思われます。ルガレド殿下は魔物や魔獣に関する知識をお持ちのようですし、魔獣討伐のご経験もあります。ルガレド殿下にお任せしては────いかがでしょう?」

「そうだな。────ルガレド」

 陛下が、レド様をひたと見据えて────その名を呼ぶ。

「は」

 レド様は表情を改めて引き締め、再び立ち上がる。

「指揮権を与える。万難を排して、平定せよ」

「謹んで────承ります」

 レド様が片膝をつき、皇王陛下に向かって、深く(こうべ)を垂れた。

 私にはその背中しか見えなかったが、応えた声音は揺るぎなく────レド様の確かな決意が覗えた。
 
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