コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#13
牛のような魔獣の頭が飛び────跪いた魔獣の身体が、静かに崩れ落ちた。床に転がる魔獣の頭や、頭を失った身体から白い靄のようなものが漂い出したかと思うと────煙のごとく、宙に溶けていく。
これは────もしかして、魂魄だろうか。【聖剣】で斬ったから…?
確かに、解析した限りでは、【聖剣】は『魂魄をも斬れる』と解説があったけど────それは【霊剣】も同じだ。
でも、これまで【霊剣】である【夜天七星】で魔物や魔獣を斬っても、こんな状態にはなったことはない。
「リゼラ様!」
レナスが駆け寄って来る。魔獣に吹き飛ばされたにも関わらず、見た感じ、ケガをしている様子はなく───ほっとする。
「これは────」
魔獣の死体を見て、レナスは困惑気味に呟いた。
「私にも解らない。おそらく、【聖剣】で斬ったからだとは思うけど」
「リゼラ様」
レナスに答えていると、ジグも寄って来る。
検証は後にしよう。
まだ────やらなければならないことがあるのだから。
「役目を果たせず、申し訳ございません」
ジグが片膝をついて、私に首を垂れる。
「いいえ───あれは、ジグのせいじゃない。確認せずに、突入した私がいけなかった。本当にごめんなさい…」
魔獣に後れを取るようなレド様ではないと解っていたのだから───他に、倒れるような何らかの原因があるかもしれないと考えるべきだった。
【心眼】を発動していれば、すぐに判ったはずなのに。
「それから───助けてくれてありがとう」
ジグが放ってくれた矢がなかったら、まともに魔獣の攻撃を食らう破目になっていただろう。
私が口元を緩めて感謝を述べると、私に向かって応えようとしたジグにレナスがジト眼を向けた。
「……本当にいいところばっか持っていくよな、てめぇは」
「今回いいところを持っていったのはお前だろうが。今日は───俺がリゼラ様の護衛だったのに」
『俺』?────ジグの言葉に違和感を覚える。ジグの一人称は『自分』だったはずだ。それに、表情とか口調とか───いつものジグに比べたら荒い気がした。
レナスも何だか怪訝そうにしている。
そこで────ジグにも前世の記憶が甦ったのだということに思い至った。あの魔術は『魂魄を損傷する』と明記されていたことも思い出し、私は俄かに不安になる。
「二人とも───あの魔術のせいで前世を思い出したんだよね?体調は大丈夫なの?レナスは、魔獣の一撃も受けていたし───ケガはない?」
外傷はなさそうだったから無事だと判断してしまったけど、もし内臓に損傷でも負っていたら────
「いえ、大丈夫です。あのとき───【覚醒】で身体を強化していたので、吹き飛んだだけで済みましたから」
「俺も、大丈夫です。ご心配ありがとうございます───リゼラ様」
「それなら、良かった。でも、念のため【快癒】をかけておくね」
【快癒】をかけてから、ジグとレナスを【心眼】で視る。二人とも、目に見える不調はない。
魂魄の損傷については────レド様も含めて、後で確認しよう。白炎様やアルデルファルムに視てもらう方がいいかもしれない。
「どうやら、向こうも決着がついたようですね。争いの音が止んでいる」
ジグの言葉に耳を澄ましてみれば───確かに、先程まで断続的に聞こえていた騒音は止んでいる。
私は表情を引き締めて───改めて、ジグとレナスに向き直った。
「レナス───【管制室】にいるレド様を、お邸に連れ帰って休ませてもらえる?」
「かしこまりました」
「ジグ───私は、まだやらなければならないことがある。悪いけど、引き続き護衛してくれる?」
「御意」
本当はレド様のお傍についていたいし、ジグのことも休ませてあげたいけれど────レド様が動けない今、私が先頭に立って事の収拾を図らなければならない。
私は感情を振り払い、仲間たちの許へ向かうべく、踵を返した。
◇◇◇
ジグを伴って、隣の広間に戻ると────ラムルが、ディルカリド伯爵と思しき痩せた男を、後ろ手に縛り上げているところだった。
ディルカリド伯爵は首筋に浅い切り傷がある以外にケガしている様子はなかったが、跪いて項垂れていて────妙に大人しい。
ディルカリド伯爵の足元には、ヴァルトさんに似た切り傷だらけの大柄な男が倒れている。
少し離れたところに、ディンド卿、アーシャ、ヴァルトさんが───ディルカリド伯爵と同様に俯いて座り込んでいることに気づいて、不安が湧き上がった。
ラムル、セレナさん、ハルドの三人は無事なようで────それだけは安堵する。
「リゼラ様、ご無事で何よりです。────旦那様は?」
私たちに気づいた三人は、ほっとしたように表情を緩ませたが───レド様の姿がないことにラムルが一瞬不安気な表情を見せた。
「実は────」
私は、隣の区画に施されていた魔術式のこと────それによって、レド様はおそらく前世の記憶を思い出しているだろうことを打ち明ける。
「……そうですか。思い出されてしまったのですね」
「ごめんなさい…、ラムル」
「何故、リゼラ様が謝られるのです?」
「私が…、昨日のうちに【最適化】を済ませておけば────こんなことにはならなかった…」
改めて、後悔の念が込み上げ────声が震えた。
レド様の事情を知らないセレナさんとハルドは、私の様子に戸惑ってはいるものの、口は挟まなかった。
「いいえ、リゼラ様のせいではございません。旦那様が記憶を取り戻すことは、旦那様にとって───私どもにとって、必要なことだったのでしょう」
ラムルはそう言ってくれたけど────もし、その通りだとしても、レド様が辛い思いをすることには変わりがない。
「旦那様は、レナスが?」
「…はい。お邸に連れ帰ってもらいました」
「まあ、気を失っているだけだというなら、旦那様にはレナスがついていれば大丈夫でしょう。お疲れのところ、申し訳ございませんが────リゼラ様、旦那様に代わって、ご指示をお願いします」
「解りました」
後悔を押し込めて、ラムルの言葉に頷く。
そうだ────私はそのために、レド様をレナスに任せて、ここに戻って来たのだから。
「それでは、現状を説明してもらう前に───先に彼らを捕縛してしまいましょう」
ケガで動けないハルドの祖父───ドルトも念のため捕縛してから、セレナさんの弟たちがいる個所へと向かう。
近づくにつれ鮮明になるセレナさんの弟たち────バレスとデレドの手足を斬り落とされた無残な姿に、私は足を止めて息を呑んだ。
「リゼラ様、貴女は───これ以上は近づかない方が良いかもしれません」
同じく足を止めたラムルが言う。
私が無残な姿にショックを受けるからといった理由などではなさそうだ。
未だ座り込んでいるディンド卿たちのこともある。私は───ラムルに説明を促した。
「隷属の魔術陣───ですか…」
そういったものがあるであろうことは予測を立ててはいたし、レド様から【念話】で、それらしいものがあることは連絡を受けていた。
それと────【解析】では情報を得られなかったことも。
魔術陣は、もう完全に停止している。私たちが戻る直前に、消えたとのことだった。
私がバレスとデレドに近づくことを懸念したのは、私の魔力を取り込み、再び魔術陣が発動することを恐れたかららしい。
私は【心眼】を発動させて、魔術陣が敷かれている床を凝視する。しばらくして、情報が浮かび上がってきた。
【催眠誘導】
対象を催眠状態にする魔術式。催眠状態となるまで時間を要するものの、催眠状態となってしまえば、例外なく命令に従うようになる。【禁術】に指定されている。
「これは───魔術陣ではありませんね。古代魔術帝国の魔術式のようです」
「では、何故、【解析】では解らなかったのですか?」
ラムルが首を傾げた。
確かに、どうしてレド様では調べられなかったのだろう。ただ魔術式を判別するだけなのだから───【解析】どころか、【鑑識】でも判りそうなものだけど。
「もしかして────閲覧制限がかけられてる…?」
【禁術】と指定されている魔術だ。その存在自体が秘匿されていてもおかしくはない。
でも、それならば何故、私には閲覧できるのか────疑問が出てくる。
この施設の管理者であることは───レド様も同じなのだから、理由にはならない。
他に何か、考えられる要因は────
「あ────私が、“超級魔導師”だから…?」
後でノルンに確かめてみよう。おそらく、【案内】であるノルンならば知っているに違いない。
【心眼】で視る限り、ディンド卿、アーシャ、ヴァルトさんは“催眠状態”までは陥っていないようだった。
今は朦朧としているが、しばらくすれば意識がはっきりするはずだ。
私がそう告げると、セレナさんが目を潤ませて呟く。
「良かった…」
ハルドも安堵しているのが覗えた。
そこに、バレスとデレドを抱えたラムルが戻って来た。ラムルは、二人を床に下ろすと────神妙な表情で口を開く。
「一人は魔力切れで気を失っているようです。もう一人は────事切れておりました…」
「デレド…」
セレナさんがショックを受けたような表情で、呟く。亡くなってしまったのは、デレドのようだ。ハルドも血の気が引いた顔で、デレドの亡骸を見つめている。
バレスもデレドも、髪はろくに手入れがされておらずパサパサで、頬はこけていて────かなり酷い扱いを受けていたことは明白だ。
「いかがいたしますか、リゼラ様」
「ディルカリド伯爵とドルトは、おじ様───ロウェルダ公爵に任せます。バレスは…、お邸に連れ帰ります。その前に、バレスとドルトに応急処置をしておきましょう」
バレスは、両手両足を失っている。食事や排泄など世話が必要だ。おじ様に負担をかけることになるし───そもそも、バレスは被害者である可能性が高い。私たちが預かった方がいいだろう。
それに───こちらとしても、おじ様を介してではなく直に、今回の件やこの地下施設の情報が欲しいところだ。
魔物や魔獣の死体をアイテムボックスに収納し、ハルドの父と兄、デレドの遺体を隅に並べ終えたとき────ようやく、ディンド卿、アーシャ、ヴァルトさんの意識が戻った。
ハルドとセレナさんには、バレスを連れて、先にお邸に帰ってもらった。
ディンド卿たちには悪いが、ディルカリド伯爵とドルトを引き渡す手伝いをしてもらうため、まだ休んでもらうわけにはいかない。
万が一、逃げられてしまったら───大変なことになる。
念のため、ディンド卿たちに【快癒】をかけ───ネロに使いを頼み、おじ様からの連絡を待っていると、ラムルがおもむろに口を開いた。
「リゼラ様───もう一つ、報告がございまして」
「何ですか?」
ラムルは、ディルカリド伯爵と交戦したときの詳細を語り始める。
「…セレナさんの髪色が変わった?」
「はい。水色から───青い髪色に」
「でも…、先程は水色でしたよね?戻ったということですか?」
「はい。少し間を置いて───まるで色が抜けるかのように」
「………」
一体、何が原因だろう。集落潰しのときや鍛練では、そんなことは起きなかった。
以前とは桁違いの大量の魔力を、体内に循環させ続けたから…?
それとも────“氷姫”にはそういった現象が起こる何かがある…?
これは────後で検証してみた方がいいかもしれない。条件だけでなく、セレナさんへの影響があるかどうかも────
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