コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#9
※※※
「ヴァルトさん、下がって!」
リゼラの言葉を受けて、ヴァルトが床を蹴って後方へと跳ぶ。
リゼラに気を取られている2頭の魔獣が、ヴァルトに追撃することはなく───ヴァルトは難なくセレナとハルドに合流した。
「【疾風刃】!」
リゼラの足元に魔術式が展開し、光を放つ。
魔術式に照らされた───冷徹なようでいて、清廉な美しさを感じさせるリゼラのその横顔に───セレナもハルドも、そしてヴァルトでさえも見惚れずにはいられなかった。
リゼラの前に生まれた光の奔流が風となって、2頭の魔獣へと向かう。
それは、巨大な鎌のごとく、魔獣の太い首を刈り取った。牛に酷似した頭が飛び、頭を失った魔獣の身体が大きく傾ぐ。
リゼラの足元に新たな魔術式が広がり、魔獣の身体と首が忽然と消えた。その巨体が前方を塞いで邪魔にならないよう、【遠隔管理】で異次元収納庫へと送ったのだ。
「リゼラ様!」
ディンドが駆け寄って来た。どこか痛めているのか、少し前屈みになっている。
「レド様は?」
「後を俺に任せて、階段に向かった者を追いかけて行かれました」
「…そうですか」
「ルガレド様が不在の今───リゼラ様に従います。どうか、ご指示を」
「解りました。それでは、一旦、全員下がらせて回復させます。────ジグ、ラムルとアーシャが退却する際の援護をお願い」
「御意」
ジグが、対魔獣用武器である弓───“フェイルノート”を取り寄せて構えると───ジグの弦を掴んでいる右手に、50cmほどの刃を削ぎ落した剣身のような───矢羽根もないシンプルで平らな矢が現れる。
ベースは月銀で、随所に聖結晶が嵌め込まれた純白の弓と矢が、ジグの両手から魔力が流れ込み淡い光を纏う。
ジグの準備が整ったことを察したリゼラが、ラムルとアーシャに【念話】で退却を命じた。ラムルとアーシャが、魔獣からバックステップで距離をとる。
追撃しようとした魔獣に、ジグが矢を放った。
矢は光を迸らせながら、宙を裂くように飛んでいき────魔獣の眉間を正確に貫く。魔獣の硬い皮膚を突き破った矢は、そのまま深く食い込み、魔獣の命を摘み取った。
地響きを立てて────命を失った魔獣が倒れ込んだ。
4頭の巨大化した魔獣がすべて討たれ───今まで遠巻きに見ているだけだった残った魔獣たちが、こちらに向かって奔り出したラムルとアーシャを追いかけるべく、動き出した。
リゼラは、数歩だけ前に出ると───魔獣たちに服従を命じるごとく、唱える。
「【重力操作】」
リゼラの足元に展開した魔術式と連動して───魔獣たちの足元に、すべての魔獣たちが収まるほどの巨大な魔術式が現れた。
魔術式が光を発すると、魔獣たちは、まるで視えない何かに上から押さえつけられでもしたかのように、一様に膝をついた。
そして、ラムルとアーシャがこちらに合流できたところで───【重力操作】を発動したまま、リゼラは続けて新たな魔術を発動させた。
「【雷光波】」
リゼラの正面に、弾けるような音を立てて火花が散ったかと思うと───それは稲光となって膨張し、稲光はさざめく波のように広がりながら、動きを封じられた魔獣たちに襲い掛かった。
稲光がその全身に纏わりつくと、魔獣は次々に倒れ伏していった。
殲滅までは至らず、後方に免れた魔獣が数頭いるようだが───前方を陣取っていた魔獣には死から逃れられたものはいなかった。
生き残った魔獣が打って出てくるには、この魔獣たちの死体を越えなければならない。それには、少し時間がかかるはずだ。
「リゼラ様!」
「リゼ姉さん!」
ラムルとアーシャが、口々にリゼラの名を呼ぶ。その表情は、他の仲間同様、深い安堵が見て取れた。
「皆───持ち堪えてくれてありがとう。今、回復するから」
リゼラの方も、安堵に表情を緩め────神聖術を施すべく口を開く。
「【快癒】」
リゼラを中心に、仲間たち全員を囲う大きな魔術式が、瞬く間に展開する。
魔術式から迸った柔らかい光が、全員の身体を優しく包んだ。魔獣との戦いで負った大小の傷や不調が、霧が晴れるように消えていく─────
「え…、魔力が────魔力も、回復している…?」
セレナが呆然とした声音で呟いた。
セレナは、魔力や魔素を感じ取ることはできないが───【魔力炉】を変え魔力量が大幅に増えて以来、自分の魔力があるかどうかだけは、体調で推し測らずとも、何となく判るようになっていた。
「え、本当ですか?」
回復を施した当のリゼラにとっても、それは意外なことで───リゼラは反射的に問い返す。
「…確かに、皆の魔力も回復していますね」
リゼラは仲間たちを見回して、少し考え込んでから────ディンドに振り向いた。
「ディンド卿───残った魔獣3頭の討伐、ディルカリド伯爵とその息子二人、そしてドルトの捕縛。お任せできますか?」
ハルドの父ウルドと兄コルドが入っていないのは────この騒ぎの中で、二人とも死亡しているからだ。
「は、お任せください」
ディンドは躊躇うことなく頷いた。
先程の状況とは違い───魔獣の残りも少ない上に、仲間たち全員が、体調、魔力どちらも全快している。躊躇う理由はない。
次いで、リゼラはここにはいないノルンに向かって告げる。
「ノルン───ラムルの【魔力炉】と【魔術駆動核】を私のものに繋げて」
───解りました、主リゼラ。配下ラムルの【魔力炉】、【魔術駆動核】を、主リゼラの【魔力炉】、【魔術駆動核】へと【連結】します───
念のため、リゼラの魔力を消費することを控え───ラムルだけでなく、ジグ、レナス、カデア、ラナの【魔力炉】は本人の魔力で起動するよう切り替えてあった。
ジグの【魔力炉】は、すでにリゼラのものに連結し直している。
「ラムル───ディンド卿の補佐をお願いします。魔力のことは気にせず、状況に応じて、魔術、神聖術、固有能力を使ってください」
ラムルの魔力量は少ないため、自身の魔力だけでは術の発動はかなり限られる。特に、ラムルの固有能力は強力な分、魔力が必要で───魔力が全快の状態で短時間しか発動できない。
「かしこまりました」
ラムルがいつもの優雅な仕種で一礼するのを見届けたリゼラは、仲間たち全員に眼を向けた。
「私は、レド様の許へ向かいます。魔獣討伐、伯爵たちの捕縛をお願いします。ですが───決して無理はせず、何かあったら、すぐに離脱してください」
【管制室】にはもうリゼラはいないが、支給した【ポーション】でしのぎ、後でリゼラに回復してもらうことはできる。
「ネロ───皆に何かあったら報せてくれる?」
リゼラが何処へともなく問いかけると、リゼラの使い魔である黒猫が忽然と姿を現した。
「いいよ」
「ありがとう、ネロ。お願いね」
首を傾げて応えた黒猫に、微かに口元を緩めてお礼を述べた後───リゼラは表情を引き締め直して、再び仲間たちに視線を戻す。
「それでは皆さん────後をお願いします」
リゼラの言葉に、皆一様、主の命に応える決意を浮かべ、恭しく頷いた。
◇◇◇
リゼラがジグを伴い、ルガレドの許へ向かって────しばらくして、夥しい魔獣の死体を乗り越えた3頭の魔獣が、こちら側へと辿り着いた。
内訳としては───1頭はオーガ、2頭はブラッディベアだ。
ディンドは、こちらに向かって歩いて来る魔獣たちに視線を留めたまま、ラムルに問いかける。
「ラムル、伯爵たちの動きは?」
ラムルは【索敵】を発動させ、前方をじっと見据えた。
魔獣の死体の向こうに、ディルカリド伯爵とドルトが佇み、息子二人は座り込んでいるようだ。
「ディルカリド伯爵、子息二人、ドルト───誰にも動きは見られません」
「そうか。ご苦労だった」
ラムルの報告を受け───ディンドは、後ろに控える仲間たちに視線を移した。
「まずは、あの魔獣3頭を片付ける。ディルカリド伯爵たちの捕縛は後だ。魔獣の連携を防ぐため───俺、ヴァルト、アーシャで、1頭ずつ相手をする。先程同様───ラムルとセレナは、俺たちの援護を。ハルドは、セレナの護衛と補助を頼む」
仲間たちが、了承の意を湛えて頷く。
ディンドは魔獣に視線を戻して────告げた。
「それでは────行くぞ」
魔獣たちは、すでにすぐそこまで近づいている。
セレナが牽制のため魔術を放ったのを皮切りに───ディンド、ヴァルト、アーシャ、ラムルが一斉に奔り出した。
氷刃を浴びて立ち止まった3頭の魔獣に、ディンド、ヴァルト、アーシャが、それぞれ斬りかかる。
ラムルだけは、援護すべく、少しだけ距離を置いて待機する。
相対する魔獣は、魔物よりは強いが、どれも変貌も巨大化もしていない。先程の巨大化していた魔獣に比べれば、状況的にも大して苦戦はしないはずだ。
魔獣さえ倒してしまえば、後は残った人間たちを捕縛するだけだ───と、誰もが考えていた。
失念していたのだ。その捕縛する人間の一人が────復讐の為ならば、命を弄ぶことさえ厭わない男だということを。
魔獣と交戦し始めて、直後────不意に、轟音が鳴り響いた。
それは───この空間の奥の方で発せられたらしく、反射的に眼を向ければ───魔獣の死体の向こうに、天井まで届く竜巻が5本、柱のように立っている。
竜巻は、烈しく音を立てて豪風を渦巻かせながら、ゆっくり前進したかと思うと、魔獣の死体を無残に切り刻んでいく。
(あれは────魔術、か?だけど、一体何のためにこんなことを…?)
困惑するディンドだったが、何だか嫌な予感に駆られて────呆気にとられたままの仲間たちに叫ぶ。
「今のうちに魔獣を討て!」
今なら、魔獣たちも竜巻に気を取られている。これから起きる何かに対処するためにも、魔獣は屠っておかなければならない。
ディンドは、自分の目の前で呆けているブラッディベアの首を、大剣で一撃のもと刎ね飛ばした。
ディンドの言葉で真っ先に我に返ったのは、アーシャだ。
アーシャは【身体強化】を発動して、対峙するオーガに一気に距離を詰めると───まずはオーガの腰を狙って双剣を閃かせた。リゼラによって魔剣となっている双剣は、いとも容易くオーガの身体を斬り裂く。
アーシャは、すかさず床に倒れ込んだオーガの首を落とした。
生命力が強い魔獣は身体を切り離してもすぐには死なずに反撃してくることもあるので、確実に息の根を止めておくのが肝要だ。
アーシャより一瞬遅れたものの───ヴァルトも我に返り、ブラッディベアの脳天目掛けて両手剣を叩きつけた。
ディンドたちが魔獣を屠って、再び視線を向けると────すでに竜巻は消えていた。
魔獣の死体は、竜巻によって細かく切り刻まれ、そこかしこから血を垂れ流している。
そして───男が二人、奥の方から歩いて来て、竜巻によって魔獣の死体が寄せられて空いた中央で、立ち止まった。
一人は───肩を越す程度に伸ばした淡い茶髪を項で括っている、痩せた中年の男だ。眉間だけでなく、眼の下にも、はっきりとした皺が走っている。
表情は無く───その冷めた眼差しは、冷淡というよりも、ただ他人を否定して見下しているように見えた。
もう一人は───対照的に筋肉質で大柄の老年の男だった。
白髪が大半を占める紅髪を短く刈り上げ、貼り付いたような険しい表情が気難しそうな印象だ。
背中には両手剣を背負っていて、何処かヴァルトに似ている。
この大柄な男が、ヴァルトの兄でありハルドの祖父ドルトで───痩せた男が、セレナの父ディルカリド伯爵だろう。
「…お父様」
「じいさん…」
セレナとハルドのそれぞれの唇から、思わずといったように零れる。
二人の声は小さかったためか────ディルカリド伯爵にもドルトにも反応はなかった。
ドルトは、ディンドたちの視線など気にならないらしく───両腕それぞれに抱えていたものを、無造作に床へと放り投げた。
それは────2つとも、冒険者たちが持つような粗末な布袋に見えたが、それにしては何だか妙だった。それに────小刻みに蠢いている。
「バレス、と───デレド…?」
セレナが唇を震わせて呟く。
バレスとデレドとは────セレナの弟たちの名だ。
よくよく見てみれば────確かに、それらには人間の頭らしきものがついている。
布袋と勘違いしたのは、彼らが纏っているボロボロになった服のせいだけではない。バレスもデレドも────両の手足がないのだ。
平らな断面から見て、服ごと斬り落とされたとしか思えなかった。
しかも───傷口の状態から見るに、斬り落とされたのは最近ではなく、かなり時間が経っているようだ。
「まさか────逃がさないために、手足を斬り落としたのか…?」
ディンドは、無意識に出た自分の言葉に───その意味に、ぞっとした。
仲間たちも、絶句して立ち尽くしている。
皆が呆然と佇む中───ディルカリド伯爵の不可解な一連の行動の真意に気づいたのは、セレナだった。
バレスとデレドの動きが、何処か苦しんでいるように見えて────セレナは、はっとした。
(もしかして…、二人とも魔力を吸い取られている…?)
父が、弟たちを留めておく理由は一つしかない。二人の魔力を利用するためだ。
それに────父が放ったであろう先程の魔術。
魔獣の血に塗れた床を見て、セレナは思い出した。
同僚となったラナと初めて一緒に休憩をとったとき、ラナは自分がどんな仕事を担っているのかセレナに教えてくれた。そして───今はリゼラに習って魔玄を作る訓練をしているのだということも。
ラナは────彼女は、あのとき何て話していた?
魔玄づくりは、魔物や魔獣の血に溶け込んだ魔力を操るのが肝だ────と、そう言っていなかったか?
(魔物や魔獣の血には、魔力が溶け込んでいる…。先程の魔術は、魔獣の死体を片付けるためだけではなく────魔獣の血を流させるためだったとしたら────)
それでは────その魔力は何のために必要なのか。
バレスとデレドの下には────あの魔獣たちの血に塗れた個所には、どんな魔術陣あるいは魔導機構が敷かれていた?
(魔物や魔獣────人間でさえも隷属させる魔術…!)
そこまで思い当たったセレナは、未だ呆気にとられたままの仲間に向けて叫んだ。セレナとハルド以外、皆、魔術の範囲内にいる。
「皆、そこから離れて───早く…!!」
仲間たちはセレナの声で我に返ったものの、その意味が理解できなかったらしく、ただ驚いたようにセレナの方に顔を向けただけだった。
セレナが再び仲間たちに警告をしようとした瞬間────それは、発動した。バレスとデレドを起点として、瞬く間もなく────巨大な魔術陣が、光を迸らせながら床を席巻する。
仲間たちは逃れようと動き出したが、すでに遅く────咄嗟に範囲外まで跳び退くことができたラムルを除き、魔術陣に囚われた。
ディンド、ヴァルト、アーシャの三人は、魔術陣の光に侵され、力が抜けたように膝をつく。
「ああ…、そんな───ヴァルト…!」
今まで何があっても傍にいて励ましてくれた、この世で一番大事な人が囚われたという事実に────セレナは目の前が真っ暗になった。
自分の隣で、ハルドが烈しく動揺していることにも気づかない。
「二人とも────何をしている。呆けている暇はないぞ」
セレナとハルドは、俯けていた顔を反射的に上げた。ハルドが、声の主の名を呼ぶ。
「あ───ラムルさん…」
いつの間にか、側にラムルが立っていて────セレナとハルドを見下ろしていた。
ラムルだけは、あの魔術陣から逃れることができたのだった───と、セレナとハルドは思い出す。
「旦那様とリゼラ様が戻られる前に、すべてを終えなければ。あの魔術をどうにかしたいところだが───ディンド様たちが魔術にかかり、その魔術もどういったものか詳細が解らない。リゼラ様がおられない今、下手なことはしない方がいい。よって───ディルカリド伯爵をどうにかするしかないな」
ラムルの言葉は現状を打開する具体的な案ではなかったが────それでも方向性を示されることで、セレナとハルドの停止していた思考が廻り始めた。
そうだ───ラムルの言う通り、呆けている場合ではない。
ヴァルトを───仲間たちを助け出さないといけない。助け出せるのは自分たちしかいないのだ。
セレナとハルドの双眸に光が戻る。
「あの魔術陣が発動している限り、ディルカリド伯爵に近づくことはできない」
ラムルの言わんとすることを悟って───セレナは躊躇うことなく、ラムルに向かって宣言した。
今回の件に父が関与していると知らされたときから────ルガレドにこの件に関わる意志があるか訊かれたあのときから、すでに覚悟はしている。
「お父様は────ディルカリド伯爵は…、私が倒します」
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