コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第二十五章―過去との決別―#6
※※※
「いかがなさいましたか、ルガレド様」
眉を寄せたルガレドに気づいたらしいディンドに声をかけられ───ルガレドは神眼を解いて、振り向いた。
「いや───奴らを観察していたのだが…」
「何か?」
「やはり、リゼの言う通りかもしれない」
「と───仰いますと?」
「魔物───魔獣かもしれないが…、隔離されているわけでも拘束されているわけでもないのに───奴らを襲いもせず、ただ、じっとしているんだ。それに、セレナの弟たちやハルドの肉親たちもだ。何だか動きが妙で───本当に、リゼの言う通り、何か───相手を操るような…、そんな───魔術か、魔導機構か、使っているのかもしれない」
もし、そうなら────それがどんな代物なのか不明である以上、ディルカリド伯爵の捕縛は、慎重にならざるをえない。
「ルガレド様の神眼でもお解りにならないのですか?」
「床に巨大な魔術陣らしきものが視えるから、何らかの魔術が行使されていることは判るんだが、それがどんなものなのかまでは解らない」
「【解析】を併用しても駄目なのですか?」
傍で話を聴いていたレナスが口を挟む。
「ああ、情報が出てこない。おそらく、ディルカリドが使っているのは、魔術にしろ、魔導機構にしろ───古代魔術帝国のものではないのだと思う。
リゼによると───【解析】で解明することができるのは、古代魔術帝国の【記録庫】で照合できるものに限るみたいだ。リゼの【心眼】で分析するなら、何か解るかもしれないが────俺では無理だ」
ディンドは少し考え込んでから、口を開いた。
「では────明らかな情報だけでも整理してみましょう。まず、魔物あるいは魔獣────隔離や拘束をされているわけではないのに、ディルカリド伯爵たちを襲わないことから、何らかの方法で隷属させられていることは間違いない。そして、セレナの弟二人と、ハルドの父と兄────こちらも、こんなことに加担するような性質でないことから、何らかの方法で強制的に協力させられている可能性がある。ここまでは、よろしいですか?」
「ああ」
レナスとラムルだけでなく───いつの間にか、セレナとヴァルト、ハルド、それにアーシャがこちらに顔を向け、耳を傾けている。
「状況を見るに───ディルカリド伯爵は、多数の魔物もしくは魔獣を隷属でき、かつ人間をも操れる────と想定できます」
「そうだな」
「ですが、そうなると────何故、この魔術もしくは魔導機構を復讐に使わないのか。────もしかしたら…、使えないのではないでしょうか」
「ありえるな…。確かに、あれだけの数を隷属させられるからには───魔術陣、あるいは魔導機構だとしても、大掛かりな装置になるはずだ。とすると────簡単には持ち運びできないだろう。奴らが今いる場所に施されている可能性が高い。
それに────魔物や魔獣、セレナの弟たちやハルドの肉親が魔術陣らしきものの範囲内から出ないところを見ると───魔術陣上しか効果がないと考えられるな」
ディンドの推測に、ルガレドは思考を廻らせ────呟く。
「ならば────回り込むことができるかもしれないな」
先んじて討伐または捕縛することを躊躇っていたのは、相手が人間と魔獣・魔物の混成集団だからだ。【認識妨害】は知能の低い魔物や魔獣には効かない。
教会へと繋がる階段は、入り口とは反対側───つまり、ルガレドたちからすると奥の方にある。だから、下手に追い詰めて、教会ひいては平民街に逃げ込まれることを恐れ、手を拱いていた。
だが───その魔物や魔獣が、ディルカリド伯爵に隷属して、じっとしている状態ならば────
「【認識妨害】で姿をくらませ────魔術陣あるいは魔導機構を避けて、階段前まで回り込むことができるのではないか?」
もし───回り込むことができれば、教会へ逃げ込むことを恐れることなく、修復を待たずして討伐または捕縛が可能だ。
「そうですね────それは…、現状では最善かもしれません」
ルガレドは、先程、リゼラが創ってくれた腕時計で時間を確かめる。
この事態では、懐中時計だと手間になるので即席で創ってくれたのだ。時間もなかったため、デザインはラムルのものと完全に同じで、【認識妨害】と【往還】だけしか施されていない。
【最新化】完了まで────まだ30分以上ある。
「神眼で視て、魔術陣もしくは魔導機構の範囲が特定できるようなら───潜入を開始する」
「かしこまりました」
ルガレドの宣言に、ディンドが応え、仲間たちは一様に頷いた。
◇◇◇
隷属の魔術あるいは魔導機構の魔術陣らしきものは中央に広がり、端の方までは及んでいないことを神眼で確認することができたルガレドは───仲間と共に、【認識妨害】で姿をくらませた状態で、教会へと繋がる階段に向かっていた。
ルガレドの読みは当たり────魔獣あるいは魔物は、こちらに気づいて目を向けはするものの、襲っては来ない。
「旦那様───何だか、様子が変です。魔術陣の光が薄くなってきています」
中程まで来たとき、珍しく慌てた口調でラムルが進言する。
ルガレドは足を止めず、視線だけを遣った。ラムルの言う通り───確かに魔術陣の光が先程よりも弱くなっている。
それは何故か────考えを廻らせたルガレドは、はっとした。
これだけの規模の魔術だ。行使に必要な魔力量もそれなりに多くなる。
あの魔術は、おそらくエルドア魔石を精製する際に使われるものであることは間違いない。
あの魔術を自分の魔力で発動したら、大量の魔力を消費してしまうことになる。そうなると、魔物に魔力を注ぐことなどできない。魔術の発動には、別の魔素を使うはずだ。
それでは────魔素は何処から得る?
「まずい…!」
「ルガレド様?」
「魔獣の隷属が解ける…!」
リゼラは、この施設の動力は地中の魔素を利用していると言っていた。
今、この地下施設の【最新化】のために、予備炉まで作動させて【魔素炉】を最大限に稼働させている。当然、地中の魔素はかなり減少しているはずだ。
この魔術あるいは魔導機構が、地中から魔素を集めているのか、この施設の動力を流用しているのかは判らないが────魔術を発動させ続けるほどの魔素が得られなくなってきているのだろう。
「魔術陣が消えた…!」
アーシャが漏らした声に、ルガレドは思考を中断させて立ち止まる。
見ると───魔術陣は完全に消え失せていた。
隷属されていたと思しき魔獣や魔物、ハルドの肉親たちは、未だにぼんやりと座っている。魔術の効果はすぐには切れないらしい。
それならば────間に合うかもしれない。
「魔獣たちは、まだ正気に返っていない!急ぐぞ!」
ルガレドが告げると───我に返った仲間たちは、表情を引き締めた。そして、再び奔り出す。
「ルガレド様、階段は何処に…?!」
かなり奥まで来たのに、階段が見えないことに焦れたのか────並走するディンドが叫んだ。
「あの突起があるところだ」
壁にハンドルが取り付けられている箇所を指さす。そこまで、まだ少し距離がある。
「ルード!」
そこへ、不意にネロが現れた。足を止めないルガレドに、ネロも奔り出し、傍を走りながら叫ぶ。
「皇子が教会に来たって!」
「ジェスレムが…?!」
(くそ、こんな時に────何てタイミングだ…!)
魔物や魔獣、ハルドの父や兄を、横目で窺う。
少しずつ、正気に返り始めている。いち早く正気に返った個体が、動き出すのが見えた。今、階段の方へ行かれたら間に合わない。
ルガレドは腹を決めて────立ち止まる。そして、つられるように足を止めた仲間たちに告げた。
「【認識妨害】を解除しろ!奴らをこちらに引き付ける!」
ルガレドの言葉を受けた仲間たちが、次々に【認識妨害】を解除する。突然現れた集団に、敵側から微かに驚く気配がした。
ルガレドは、背負った両手剣ではなく、ハルバードを取り寄せて構えた。
レナスも、リゼラが創った対魔獣用武器である、一振りの“太刀”を取り寄せ、左手に携える。他の仲間たちもそれに倣い、それぞれ携えていた武具を手に取って構える。
すると───魔獣や魔物が牽かれるように、こちらへと気を向けた。
ここにいる魔物のほとんどは、オーガだ。
武具を扱う魔物は人間の武具に惹かれる習性があるため、こちらに引き付けるというルガレドの目論見は、ある程度は成功した。
仲間たちには、力を出し惜しみせず魔術や神聖術を使用するようにと、予め言い含めてある。危うくなったら、何を置いても【往還】で【管制室】に離脱するようにとも。
【管制室】にはリゼラがいる。生きてさえいれば、必ず回復してもらえるからだ。
「行くぞ…!」
「「はっ!」」
「「「はい!」」」
「応!」
すでに【魔力結合】に加え【魔力循環】で強化しているルガレドは、さらに【身体強化】を発動させて駆け出す。
同じく、【身体強化】を発動させたレナスとラムルが両脇を並走する。
一拍遅れて───セレナと、セレナの護衛を務めるハルドをその場に残して───ディンド、ヴァルト、アーシャが駆け出した。
セレナが突き出した杖に魔力を流し───“氷姫”を発動させて、魔術を放つ。ルガレドたちが交戦する前に、氷刃が魔獣あるいは魔物を襲った。
広範囲に降り注いだ氷刃は、魔獣たちを一撃で倒すことはなかったものの、確実に傷つけ、足や手を止めさせるには十分だった。
そこへ辿り着いたルガレドたちが、容赦なく武具を振るう。
ハルバードの斧刃で3頭目の魔物の首を刎ねたとき────ルガレドは、階段に向かって奔る男の姿を眼の端に捉えた。
あれは───ハルドの兄だ。
(まずい!階段への扉を開けられたら、魔獣が逃げ込む…!)
「ディンド!後を任せる!」
「はっ!」
ルガレドはそれだけを言い置いて、階段の方角へ奔り出す。言わずとも、レナスが随従する。
ハルドの兄は、壁に取り付けられたハンドルを回し始めた。
がしゃがしゃ───という耳障りな音に伴って、壁が少しずつ持ち上がっていく。
それを止めなければと気が急くが、ルガレドの前方を無数の魔獣あるいは魔物が阻んだ。
ルガレドは、攻性魔術を使うべきか迷ったが────すぐにその考えを切り捨てる。
ルガレドが行使すると通常より魔術の威力がかなり増すため、ノルンのサポートなしでは、まだ完璧には制御することができない。万が一のことを考えると、使うには仲間たちとの距離が近過ぎる。
「セレナ!」
名を呼ばれてルガレドの意を汲み取ったセレナが、ルガレドの行く手に魔術を放った。ルガレドの前方にいる魔物や魔獣たちは、氷刃を浴びせられ、動きを止める。
「ルガレド様、ここはオレが!」
「任せる!」
レナスが前に出て───鞘に納めた“太刀”を左手に持ち、腰を低くして右手を“太刀”の柄に添える。“太刀”にレナスの魔力が流れ込む。
魔力が“太刀”に行き渡った瞬間、レナスが“太刀”を素早く抜き放って、その勢いのまま振る。
“太刀”から放たれた魔力の刃が、まるで膨張するかのように巨大な刃となって、行く手を阻む魔獣たちの首や胸元を一斉に斬り落とした。
「ひっ、こっち来るな────くるな…っ!」
前方でそんな叫び声が聞こえ────魔獣たちが倒れて開けた前方を見ると、ハルドの兄が、2頭の巨大化したオーガの魔獣に襲われていた。
ハルドの兄は逃げ出すこともできず、両手剣を振り回し応戦しているが、腰が引けている上に、相手が2頭もの巨大化した魔獣ではどうしようもない。
すぐに、ルガレドはレナスを伴い駆け出したが、魔獣や魔物の死体が邪魔をして、思うように進めない。
「ぎゃあぁぁああっ、やめっ、たすけ───がは…っ───ぁ、が…」
そうこうするうちに、叫び声は悲鳴に替わり、やがて消えて───駆け付けたときには遅く、すでに、ハルドの兄の命は潰えていた。
2頭の魔獣は───壁はまだ人間の成人男性が潜れるほどしか開いていなかったものの、その先に空間があることが解ったらしく、開ききっていない壁をその膂力で以て壊して、すでに通り抜けた後だった。
「…っ」
目に入ったハルドの兄の───その無残な姿に、ルガレドは一瞬だけ気を囚われたが、2頭の魔獣を追うことに意識を切り替える。
無辜の人々から犠牲者を出さないためにも────魔獣を追わなければならない。
「行くぞ、レナス」
「はっ」
崩れた壁を潜り抜ける。そこには、意外にも───先程いた空間ほどではないが、かなり大きな空間が広がっていた。
「魔獣は────いた…!」
2頭の魔獣は、空間の真ん中で────何故か蹲っている。
そのことを疑問に思うより先に、魔獣たちが立ち上がった。そのまま大股で2歩動いただけで階段下に辿り着くと、すぐさま階段を上り始める。
巨体の割に動きが早い上に、歩幅が比べ物にならないため、ぐんぐん距離が離れていく。
「くそ、まずい…!」
ルガレドとレナスは、魔獣を追って空間を縦断する。
そして────その中央部分に踏み込んだ瞬間だった。ルガレドは、自分の魔力が凄い勢いで足元に流れるのを感じ取った。
「!?」
ルガレドの魔力が床に傾れ込み───まるで獲物を捕える蜘蛛の巣のように、巨大な魔術式が瞬時に展開する。
ルガレドとレナスの今いる場所が、先程、魔獣たちが蹲っていたところだったと思い当たったときには、もう遅かった。
魔術式が発動し────ルガレドとレナスは、瞬く間もなく眩い光に包まれた。
「…っぐ」
烈しい頭痛に襲われ、ルガレドは膝をつく。傍にいるはずのレナスを気にする余裕もない。耳の奥で、心臓の鼓動が鳴り響いている気がした。
そんな中、不意に思い浮かんだのは────少し癖のある艶やかな銀髪を項で括り、片手剣を手に微笑む女性。
ああ、これは────母だ。
自然にそう考え、すぐに違和感が湧く。
(そんなはずがない───母上は脆弱で、剣を振るうことなどできなかった)
では、この人は誰だ?今は亡き母によく似た────この女性は?
そんな疑問を抱いたのも束の間────今度は、何処かの邸宅が思い浮かぶ。ルガレドとリゼラが帰るべきあの邸とは比べ物にならない────贅を凝らした大きな邸。
ラムルではない───朗らかに笑う執事と、何人もの侍女と侍従が並んで、ルガレドを丁重に出迎える。
ああ────これは、俺の生まれ育った邸だ。
またもや、そんなことを考え────すぐに打ち消す。
(違う────俺が生まれ育ったのは、リゼと暮らすあの邸だ)
次々に甦る、身に覚えのない────けれど、知っている記憶。ルガレドが生きる今とは、まるで違うようで────何処か似ている。
父と母、それに皇妃と異母兄、第三側妃と異母弟───皆に祝福される中で臨んだ───契約の儀。ファルリエム辺境伯家門の男爵令息を親衛騎士に迎え───何事も起きることなく、交わされた契約。
その3ヵ月後の辞令式で、父である皇王より賜った────護国の将軍となった証である宝剣。
そして、その5年後────
(ああ…、そうだ────俺は、皆に見送られて皇都を出立した。突如、侵略してきたミアトリディニア帝国軍を迎え撃つために────)
ルガレドは、なすすべもなく、昏く澱む記憶の濁流に呑み込まれていく。
意識が途切れる直前────その唇から、愛しい少女の名が零れたが、ルガレドに自覚はなかった。
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