コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#5
※※※
<何だ、我が神子ではないのか…>
孤児院の【転移門】に跳んだカデアは、北棟に踏み込んだ瞬間、矢のように一直線に飛んできた白い鳥に激突された。
カデアを以てしても避けきれないほどのスピードでやって来た白炎は、カデアだと気づいた途端、がっかりした口調でそう呟いた。
そのまま黙って戻ろうとする白炎を、カデアは慌てて呼び止める。
「お待ちください、鳥…、あ、いえ───ええっと、鳥───お鳥様…!」
<一体どういう呼び方だ!小童といい、小娘といい、本当に、ガルファルリエムの小僧の配下はろくでもない…!>
カデアの咄嗟の呼びかけに、ぷんぷんと擬音が聞こえそうなほど腹を立てた白炎が、凄い勢いでこちらへと舞い戻る。
「申し訳ございません。どうお呼びしていいか判らなかったものですから。そんなことよりも、お鳥様────リゼラ様より、伝言がございます」
<何、我が神子からの伝言だと?>
「はい」
リゼラの伝言と聞いて、白炎の態度が切り替わった。
カデアは、この先にある教会───ひいては、この平民街に魔獣が放たれる危険があることを、簡潔に話す。
<相分かった。それでは、我は───その魔獣から、ここにいる子ら、それに小娘を護れば良いのだな?>
「ええ───どうか、よろしくお願いいたします」
この孤児院の子供たちは、カデアにとっても、もはや他人ではない。リゼラに頼まれたからだけではなく、自分の願いも込めて、白炎に頭を下げた。
<しかし、我が神子は何故、我に直接伝えなかったのだ?>
「それが───今、リゼラ様がいらっしゃる場所は、どうやら念話の類ができないようなのです」
<それは、まことか?魂魄が繋がっている我らでも?>
白炎はその事実に驚いたらしく、ホバリングしている状態にも関わらず、器用に身じろいだ。
<────確かに、我が神子の存在が感じられぬ。繋がりが切れているというよりも────何かに阻まれているようだ>
リゼラに連絡をとろうと試みているのだろう────白炎が呟く。
<我が神子と連携がとれぬのは、ちと厄介だが────仕方がない。とにかく、ここは我に任せるがいい>
「お願いいたします」
カデアはもう一度、頭を下げた。
白炎を肩に乗せて、塔を経由して南棟へと赴くと、ラナが子供たちと共に、厨房で昼食の支度をしていた。
根菜を切り刻んでいたラナは、カデアに気づき、傍にいた子に後を任せてから、こちらへと駆け寄って来た。
「カデアさん!」
子供たちから距離をとるべく、二人は連れ立って、厨房から少し離れる。
「それで───どういうことになったんですか?」
「今は説明している時間はありません。私は教会に行って来ます。先程も言った通り───貴女は、ここから決して出ないように。そして、子供たちをここから絶対に出さないように」
「解りました」
ラナは緊張した面持ちで、頷く。そんなラナの肩に、白炎が飛び移った。
<ふふん、安心するがいいぞ───小娘。ここには、この白炎がいるのだからな>
「わたしたちの代わりに餌になってくれるんですか?」
満足してくれるかな────と、ラナは中々恐ろしいことを言いつつ、首を傾げる。勿論、ラナは冗談のつもりのようだが、そういった人間の機微に疎い白炎に判るわけがない。
<そんなわけがなかろう!おぬしは神を何だと思っておるのだ!>
「冗談に決まっているじゃないですか。ほらほら、怒ってもただ可愛いだけですよ」
ラナは悪びれもなく笑い、揶揄うように言う。
幼い頃から何かと不遇を強いられ、神というものに期待していないラナは、どうも白炎をリゼラのペットのようにしか思っていない節がある。
これは早いところ、退散した方が良さそうだと悟ったカデアは、怒り心頭の白炎が言葉を発する前に急いで口を開く。
「では───子供たちのことは任せましたよ、お鳥様、ラナ」
<………任せるがよい>
怒りの発散を邪魔されて不服そうにしながらも、白炎はそう応えてくれた。
「あ、カデアさん───お気をつけて」
「ありがとう、ラナ」
ラナの言葉に頷いて、玄関へ向かって歩き出したカデアは────何かあったらネロに連絡するよう伝え忘れたことに気づかなかった。
◇◇◇
今、孤児院に残っている子供たちは、全員、昼食の準備のために厨房にいるので、玄関とその周辺には誰もいない。
カデアは、リゼラが創ってくれた腕時計の【認識妨害】の範囲を広げると、孤児院を出た。
一応、侍女服ではなく、庶民らしい格好に着替えてきてはいるが───万が一のことを考え、教会への潜入だけでなく、道中の段階から姿をくらませた状態で行くことにした。
孤児院がある貧困層が住むエリアは、ひっそりとしていた。
人は皆無ではないが───ほとんどいない。それが進むにつれ、段々と道行く人が増えてきた。よく見ると、家の中や庭先にも、ちらほらと人が見える。
貧困層では、子供も総動員して働かなければ日々暮らしていけないが───この辺りに住む者は、平民とはいえ、所得に余裕があるから、妻子は働く必要がないのだろう。
特に教会の近辺は高所得者エリアということもあって、ちょっと見回しただけで、何人もの女性や子供、あるいは母子の姿が目に入る。
それに───外に出ておらず、家の中で過ごしている人だっているはずだ。
(これは、マズいかもしれない。もし、魔獣がここに解き放たれたら───被害は相当なものになる…)
カデアは、改めてそう実感して────ぶるりと身震いした。
どうにか止めなければ────そんな強い思いに突き動かされ、カデアは足を速める。
ルガレドが神託を受けた際に同行はしたが、あのときは皇城から馬車での訪問だったので、予め皇都の【立体図】で場所を確認してきたカデアは、迷うことなく教会へと辿り着いた。
(まずは────エデルを探さなくては)
門を潜り、辺りを見回してみると────重厚な石造りの教会の向こうに広がる庭に、ちらりと墓石が見えた。先に墓地を確認しようと、そちらへ向かう。
教会に墓地が併設されているのは珍しく、大抵の町や村は、郊外の山や丘に墓地がある。
城壁や建物に囲まれているからか────カデアには、これまで見たことのある墓地に比べて、ここの墓地は狭く感じた。
墓地には墓参りに訪れている者はいないようで、閑散としていた。念のため、奥まで行ってみると人影が見え、カデアは足を止める。
(あれは、ゾアブラを護衛していたという男の一人…。確か、皇妃の元専属騎士で───名はペギル=ラス・オ・バヤギル)
見覚えのある男が、教会の壁に寄りかかって寛いでいた。
まあ、見覚えがあるといっても────実際に会ったことがあるわけではく、リゼラが自身のオリジナル魔術【描写】で、記憶からゾアブラとその護衛二人の容姿を描き出してくれたため、容姿を把握しているだけであるが。
ペギルは、バヤギル子爵の三男だが───騎士を免職された際に除籍されて、現在は平民となっている。
辺りを探ってみたものの、護衛していたもう一人の男は、見当たらない。
ペギルのことを少し観察してみたけれど、何も得るものがなさそうなので、カデアはその場を後にした。
教会に入る前に建物の周囲を回ってみたが、出入り口は正面玄関のみらしい。貴族も訪れるせいか、玄関には、簡素な印象だがよく見ると繊細な彫刻が彫り込まれた───分厚く、重そうな観音開きの大きな扉が設えられている。
扉は限界まで開かれた状態で、ちょうど参拝に来たらしい貴族の集団が中へと入っていくところだった。
玄関前に横付けされた馬車が、墓地とは逆方向の庭に設けられた待機所へと向かって走っていった。
(馬車の家紋から見るに───今、参拝に訪れたのは…、アルゲイド侯爵家)
アルゲイド侯爵家は、ガルド=レーウェンの側近が興したレーウェンエルダ皇国としては古参の貴族で────反皇妃派の筆頭の一つだ。
確か、三女となるご令嬢が成人したはずだから、参拝をするのはそのご令嬢だろう。
参拝者がご令嬢の場合───大抵、参拝には両親が付き添う。
先程の集団にアルゲイド侯爵とその夫人らしき人物がいたことを、カデアは見逃さなかった。
(坊ちゃまの為にも───アルゲイド侯爵が、命を落とすことだけは避けなければ────)
反皇妃派が弱体化してしまうのは困る────そんなことを考えながら、カデアは扉を潜って教会内へと踏み込んだ。
他にも参拝者がいるかもしれないと思い、アルゲイド侯爵家の一団の後を追って聖堂に向かう。
ルガレドが6歳の時分に訪れて以来だから、18年振りとなる聖堂内を見て、カデアは幼かったルガレドが思い浮かび───感慨にふけりそうになったが、現状を思い出して気持ちを切り替えた。
聖堂内には、アルゲイド侯爵家を含め、3つの貴族家が待機していた。
それぞれ、離れた場所に陣取っている。どの貴族家も護衛騎士や侍従、侍女が主人一家を厳重に囲み、当主や参拝者は見えない。
入り口付近のベンチを陣取っている集団は、アルゲイド侯爵家だと判っているので───カデアは、他の2つの集団が何処の貴族家か探ることにした。
とはいえ、カデアは現在、【認識妨害】で姿をくらませているので、ただ近づいて家紋を確認するだけで事足りる。
カデアは、まず舞台の真ん前を占領するように陣取る集団へと近づいていった。参拝するのは、ご令嬢のようだ。
眼に痛い派手なドレスを着た化粧の濃い令嬢と、これまた派手なジャケットに身を包んだ贅肉で膨れた父親らしき男───そして、令嬢にそっくりな化粧をした母親らしき女。
その格好だけで、ベイラリオ侯爵家門もしくは傘下の貴族だと判る。
近づいて、彼らを囲う護衛騎士のマントに刺された紋章を確認して、それが、ベイラリオ侯爵家門のグラゼニ子爵家だと判明した。
「ねえ、お父様───本当に、ジェスレム様にお会いできるの?」
何処の貴族家か判ったので離れようとしたカデアの耳に、令嬢のそんな言葉が入り────カデアは足を止めた。
「ああ。参拝の後、お声掛けいただけることになっている」
「それ、本当ですの?」
「本当だよ。この参拝も、ジェスレム殿下直々にお誘いいただいたのだ」
「ジェスレム殿下直々に?まあ────もしや、この子を見初めて…?」
「そうだろう。でなければ、お誘いされるはずがない」
「皇子様に見初められるなんて夢のようだわ…!」
「これで、我が家も安泰ですわね、あなた」
言葉だけを聞いていると“娘が目上の存在に見初められて幸せにはしゃぐ家族”という印象だが、立ち並ぶ護衛騎士の合間から見える三人の笑みは醜く歪んでいて───権力者に阿ることしか考えていないのが一目瞭然だった。
(ジェスレム皇子が直々に誘った…?今日、この時間に、参拝に───教会に来ることを?)
ジェスレムは、ゾブルらによって誘い出されたはずだ。
もしかして────ジェスレム皇子は、グラゼニ子爵家を呼び出すように誘導された?
だが────何のために?
(目撃者にするため……?)
不意にそんな考えが浮かぶ。
皇妃一派のよく使う手だ。誰か陥れるときは、必ず現場に縁者または傘下の者を忍ばせ、目撃者として有利な証言をさせる。
だけど───それが正しいとして、ジェスレムはグラゼニ子爵に何を目撃させ、何を証言させるつもりなのか────まさか、自分が魔獣に襲われるところではあるまい。
それ以上は何も考えが浮かばず、カデアの思考はそこで止まった。
推測すらできないということは、おそらく根幹となる情報が欠けているということだ。今、この場で答えは出そうにない。
(とにかく、もう一つの集団が何処の貴族家か確認して────エデルを探すことが先決ね)
◇◇◇
もう一つの集団が、反皇妃派の中堅ドレアド伯爵家だと確かめたカデアは───改めて、聖堂を見回す。ジェスレムが参拝する瞬間を狙って襲撃させるということは、ここで事を起こすつもりだろう。
地下遺跡と繋がる階段が、この聖堂内もしくはすぐ近くにあるはずだ。
リゼラならば、周囲を観察して何かとっかかりを見つけそうだが───カデアにはできそうもない。
時間もないので、手っ取り早く、リゼラのオリジナル魔術【索敵】を発動させた。作製したばかりの【立体図】を投影してみると、案の定、舞台の向こう側に空間がある。
そこには、男性が一人いるらしい。リゼラの創った腕時計をしているところを見るに、その男性は十中八九エデルだ。
(さて────向こうに行くには、どうすればいいのかしらね?)
【立体図】をよく見てみると、舞台と向こうの空間を隔てる壁が、何重にもなっていることに気づいた。
正面から見ると平面な壁にしか見えないが───右端が右側面の壁まで届いていない。右端に細い隙間がある。
カデアは舞台に上り、壁の途切れているところまで歩み寄る。
壁には繊細な模様がびっしり施されており、すぐ後ろの壁にも同じ模様が施されているため、途切れているようには見えないようだ。
カデアは、迷わずその隙間へと入り込んだ。
手前の壁と次の壁には少しだけ間隔が空いていて、通路のようになっている。ちょっとぽっちゃり体形のカデアには狭かったが、通れないこともない。カデアは壁の合間を進んで行った。
すると、次の壁が先程とは反対側の端で途切れて、同じように隙間が空いていた。そして───その後ろには、また壁がある。
カデアは隙間に入り込み、どんどん通路を進んだ。
光が届かず視界が暗くなってきたので、カデアは【遠隔管理】でランタンを取り寄せて───ランタンの灯を頼りに、次々に現れる壁の隙間を縫うように進む。
何度同じことを繰り返したか判らなくなってきたとき、不意に明るくなり、開けた空間に出た。
そこは、カデアが出て来た隙間以外は、出入り口の類はなく、吹き抜けの天井付近に明かり取りの窓があるだけだ。
カデアから左方向の壁の前に、男性が一人佇んでいる。
「エデル!」
「ああ…、アンタか、カデアさん」
振り向いたエデルを見て、カデアは戸惑った。
エデルは───射るような鋭い眼をして、剥き出しの刃のごとく冷たい雰囲気を纏っている。
髪色や眼の色は変わっていないのに───その雰囲気も佇まいも言葉遣いも、自分が知るエデルとはまるで違う。
夫であるラムルが言っていたことはこれか───とカデアは思い知った。
情報収集を担う“影”が変装をしているところは何度も見たことがあるし、カデアも変装の基本は修めているが、それは───化粧や服装に頼る部分が大きい。
エデルの場合は、化粧もしていないし、服装も今朝と同じだ。
それなのに───表情や仕種、声の出し方、それに姿勢を変えるだけで、こんなにも別人になれるとは────
「アイツら───おそらく、ここから魔獣を入れるつもりだ」
「この壁から?」
「ほら、ここにある───これ」
エデルは、魔獣を入れるはずだという壁に向かって右側の壁を指す。そこには、洗濯物を絞るローラーに取り付けられたハンドルのようなものが壁付けされている。
「これを回すと、この壁が開くみたいだぜ」
エデルがハンドルを掴んで、回し始めた。
壁の向こうで、がしゃがしゃ───と鎖が絡み合うような音が響く。
「ちょ───ちょっとお待ちなさい、エデル。こんな大きい音を出して大丈夫なの?」
「大丈夫、気づかれやしねぇよ。ゾアブラの言うことにゃ、音が外に漏れないよう、壁に色々と細工しているんだと」
「そ、そう」
エデルは、カデアに答えながらも、ハンドルを回す手を止めない。
エデルの言う通り、目の前の壁が徐々に持ち上がっていき、壁だったものが半分以上浮き上がると────その向こうにまた空間があることが、見て取れた。
エデルが屈まずに通り抜けられるくらいまで開くと、エデルはハンドルを回すのを止め、上がりきっていない壁を潜った。
カデアは慌てて、その後に続く。
その空間は先程までいた空間と同程度に広く、ちょうど反対側の位置に、同じようなハンドルが設けられていた。こちら側からも開けることが可能なようだ。
そして────向かって左側に、下に降りる階段が設えられている。
「これが、地下に繋がる階段…!」
「ってことは────これ、もしかして、リゼさんたちがいる地下に繋がってるのか?」
カデアは、エデルと情報を共有していないことを思い出して、現状を報告し────エデルが得た情報の詳細を聴く。
「なるほど、な────そんな事態になってんのか」
階段は聖堂の舞台と同じくらい幅があり────巨大化した魔獣が3頭並んで上り下りできそうだ。
カデアは持ったままだったランタンを灯して階下を照らしてみる。長い階段の先に空間が見えた。照らさないと見えないということは、閉じられた空間のようだ。
壁に取り付けられたハンドルが、視界にちらりと映ったので、壁を開閉して地下遺跡と行き来するのだろう。
「そろそろ、戻りましょう」
カデアはエデルを促し、元いた空間へと戻った。エデルがハンドルを操作して、壁を閉じる。
「ゾアブラがここを開ける手筈となっているのね?」
「ああ、そのようだ」
「では、ここを開ける前にゾアブラたちを捕獲すれば─────魔獣が放たれるのを防げそうね」
どのように魔獣を放つつもりなのかは解らないが、ディルカリド伯爵たちが魔獣と一緒に来て開けるとは思えない。
ここが開いていなければ────魔獣は入ってくることができないのではないだろうか。
カデアがそんな希望を見出したとき────ふと、微かな足音を、カデアの耳が拾った。カデアを取り巻く空気が瞬時に変わる。
エデルは事情を察したらしく、邪魔にならないよう部屋の隅へと移動する。
カデアは、この空間への入り口である壁の切れ目の側に移動し───じっと待つ。
足音も気配も一人分だ。気配や足音を消している様子は感じられないから、やって来るのは────おそらく一人。
足音の主は、何の警戒もしていないようで───躊躇することなく、壁の切れ目から踏み出る。
その人物が片足を床につけ、もう片方の足も床につく瞬間────カデアは素早く手刀を放った。こめかみを正確に打たれたその人物は、あっけなく崩れ落ちた。
「この男は────ゾアブラ?」
「ああ。ソイツがゾアブラだ。今はゾブルと名乗っているらしいがな」
縄を取り寄せて、意識のないゾアブラを縛り上げると────カデアは、ゾアブラを隅に転がした。
「私は、護衛の二人を捕らえてきます。エデル───貴方はお邸へと帰りなさい」
「いや、アンタがアイツらを捕えるのを、ここで待ってる。不測の事態があったら知らせる奴が必要だろ」
「……そうね。でも───何かあったら、構わずお邸へと帰りなさい。いいわね?」
「ああ、解った」
カデアが、壁の間に造られた複雑な通路を抜け、舞台に戻ると───参拝客たちが揉めていた。
どうやら、グラゼニ子爵令嬢がいつまで経っても参拝を始めないのが原因のようだ。先程の言動を見るに、ジェスレム皇子を待っているのだろう。
ドレアド伯爵家が、早く済ませるか順番を譲るかするよう訴えている。
姿をくらませたままのカデアは、二つの集団が揉めている側をすり抜けて、聖堂の出入り口へと足早に向かった。
まずは墓地でさぼっていたペギルを捕えるべく、開け放たれた玄関を潜り抜けた。
玄関前に、新たな馬車が2台並んで、横付けされているのが目に入る。到着したばかりのようだ。
先頭の馬車の御者が降り立ち、馬車の扉を恭しく開けると、護衛と共に中から現れたのは────
(ジェスレム皇子…!)
自分の命が危機に晒されていることも知らず────何処か歪な笑みを浮かべているジェスレム=ケス・オ・レーウェンエルダだった────
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