コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十四章―妄執の崩壊―#8
前書き
グロテスクな表現があります。苦手な方はご注意ください。
※※※
教会は、皇都を囲う城壁に沿って建ち、南門と東門の間───心持ち東門側に寄った位置にある。
場所的には、平民街の高所得者が住むエリアの側だ。
平民の中でも比較的裕福な者が住むだけあって、整備されて道幅も広く、馬車が走ることに問題はない。
やがて────道の突き当りに教会が現れた。
皇宮や貴族の邸に比べたら小規模ではあったが、建っている場所が平民街であることもあり、色味の濃い石造りであることも相俟って、重厚な印象をもたらしていた。
教会のエントランスに馬車が横付けされ───ファミラは、馬車内のベンチに立てかけていた、契約の儀で授かった魔剣を抱えると、下りる際に手を貸す者がいないことに不満を感じながら馬車から下りた。
すぐ隣に、ジェスレムの乗っていた馬車が留まっているのが目に入る。
ジェスレムはすでに馬車を下りていて────リゼラならば何故こんな場所に教会が建てられたのか疑問に思うところだが、ファミラは特に何も思うことなく、足早にジェスレムの許へと向かう。
「あの───ジェスレム様」
「さて、司祭が待っている。聖堂に行こうか」
ジェスレムはファミラが何か話そうとしていることに気づかないのか、遮るようにそう言って歩き出した。
ファミラは慌てて、ジェスレムの後を追った。
「お待ちください、ジェスレム様!大事なお話が」
ジェスレムは、ファミラの声など聞こえていないかのように、教会の中へと入っていく。行く手には司祭が待ち構えていた。
それは────契約の儀で進行役を務めたあの司祭だった。
司祭は皺だらけの顔に笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました、ジェスレム殿下。本日は、参拝をなさりたいとのことで────殿下のその敬虔なお心を、神はきっと喜ばれることでしょう」
「それは良かった。それでは、早速、聖堂へと案内してくれ」
普段のジェスレムなら、もっと居丈高に命じるところだ。もしかしたら、機嫌がいいのかもしれない。
それなら、今はジェスレムの機嫌は損ねない方がいいだろう────そう判断して、ファミラは口を噤んだ。
(アレのことは、後で話そう)
ファミラは、ジェスレムの後ろ姿を追いかけて、聖堂へと踏み込む。
ここへ来るのは、6歳のとき以来だ。
聖堂内を見回すと───記憶の中のぼんやりとした景色が、きちんとした輪郭を伴ったものに替わる。そうだ、こんな場所だった────という思いが浮かんだ。
改めて聖堂内を見ると、そこは、契約の儀を行った皇城内の聖堂とよく似ていた。奥の方に半円形の舞台があり、その舞台上にガゼボのようなものが設えられている。
皇城内の聖堂と違う点は───そのガゼボのようなものが二つ並んでいることだ。それぞれの床部分に一つずつ魔術陣に似たものが描かれていた。
神託を受けるとき、その片方の魔術陣に乗らされたことを、ファミラは思い出した。もう片方には司祭が乗ったことも。
その後ろ側───つまり聖堂の最奥には、この吹き抜けの高い天井にどうやって吊るされているのか、純白の鎧を身に纏う凛々しい騎士が描かれた巨大なタペストリーが垂れ下がっている。
これは、この教会を大々的に改修したというデノン王を描いたものであることを───不勉強なファミラには知る由もない。
そして───舞台の手前には、皇城と同様に木造りのベンチが規則正しく並んでいる。
ベンチには、護衛を連れた貴族らしい集団が、3ヵ所に分かれて座り込んでいた。ジェスレムと同じく、成人した令息あるいは令嬢のお礼参りのようだった。ジェスレムが来たため、順番が一時中断されているのだろう。
「さあ────ファミラ。参拝をしようか」
ジェスレムが、柔らかい声音で優しく言う。
ジェスレムに優しくされて喜ぶところなのに────ジェスレムのその声音に、その笑顔に、ファミラは何故だか寒気を覚えた。耳の奥で、警告するように鼓動が鳴り響く。
だけど、逆らうことなどできるはずもない。
気のせいだと自分に言い聞かせて、魔剣を抱き締め、振るえる足を叱咤して何とかジェスレムの後に続いた。
「どうした、ファミラ。早く舞台に上がって来い」
舞台の前で立ち止まってしまったファミラに気づき、ジェスレムが苛立ったような声音で命じる。
不思議なことに、その不機嫌そうな声音を耳にしたら、やはりさっきのは気のせいだったのだと思えて、ファミラは安堵した。
気を取り直して、舞台へと上る。
ジェスレムが魔術陣の一つに歩み寄り跪き───右手を胸に添えて、頭を垂れる。その様子を、ファミラは舞台の端でただ眺めていた。
しばらくして───神への祈りを終えたらしいジェスレムが顔を上げた。
そのとき、ジェスレムが視線を僅かに右方向へずらしたことに、ファミラは気づいた。ジェスレムの視線の先を追いかけたが、別に何もない。
勘違いだったかと思い、ジェスレムに眼を戻すと────ジェスレムの口の端が俄かに上がって、笑みを形作った。ファミラの耳の奥で、また鼓動が大きく響き始める。
ジェスレムが不意に立ち上がり、ファミラの方へと振り向く。
ジェスレムは、笑みを浮かべたままだった。ファミラは、ジェスレムのその笑みを正面から見て、先程から何故不穏なものを感じるのか───その理由が、やっと解った。
それは、ジェスレムの眼だ。口元は弧を描き笑っているようなのに───眼が大きく開かれ、笑っているようには見えないからだ。
「さあ────今度は、ファミラの番だよ」
先程と同じ───優しく聞こえる柔らかい声音。
「ぁ、で、でも…、わ、わたしは───わたくしは、新成人では、ない、ので」
鼓動の音が煩くて、自分の声が認識できず、上手く喋れない。
それでも、どうにかファミラがそう答えると────ジェスレムは、その不気味な笑みを深めた。
「参拝とは神に感謝を捧げる行為なんだから────別に、新成人しかやってはいけないというわけではないよ。ねえ、司祭────そうだよね?」
「仰る通りでございます」
舞台の下に控える司祭は、ファミラの様子には何も気づかないようで───穏やかに微笑み、ジェスレムの言葉に肯く。
「さあ、ファミラ────早くしろ」
先程とは打って変わって、唸るような低い声でジェスレムに冷たく命じられ───ファミラは、また震え出した足に力を入れて、踏み出した。のろのろと魔術陣へと歩いていく。
抱えていた魔剣を足元に置いて何とか跪き、ジェスレムの方を横目で窺うと、ジェスレムは、護衛と共に舞台から降りるところだった。
(な、何で…?)
舞台上に一人取り残されたことに、不安が掻き立てられ────ファミラは動揺した。ファミラの身体が、小刻みに震え始める。
それは、恐怖から来るものだと思ったが─────
(違う────これは…、わたしが震えているわけじゃなくて────舞台が揺れているの…?)
揺れは徐々に大きくなり───舞台だけでなく、周囲の壁も音を立てて揺れ始めた。
建物が軋む音に混じって、舞台下の方で小さな悲鳴が聞こえたが、転がらないよう柱にしがみ付くことに精一杯なファミラには認識する余裕もない。
ぴしり───と、妙に不安を煽る音を耳にして、ファミラは反射的に顔を上げて、正面のタペストリーに眼を遣る。
タペストリーの両脇の石壁に、稲妻のように亀裂が走っていくのを、ファミラは意味も解らず────けれど、眼を逸らすこともできずに、ただ見つめていた。
亀裂の入った石壁が崩れるのと、巨大なタペストリーが無残に破かれたのは、ほとんど同時のことだった。
石壁とタペストリーが崩れ落ちると、前方にぽっかりと空間が現れる。
その向こうにまだ壁があることから、最奥だと思っていた壁のさらにその奥に元々空間があったのだと、ファミラでも判った。だが、そんなことはどうでもよかった。というよりも────それどころではなかった。
何故なら、そこに────壁を壊し、タペストリーを破いた存在が佇んでいたからだ。
それは────2頭いた。
どちらも、身の丈が3m近くあり───固そうな角が2本こめかみから生えていて、頭上に向かって大きく湾曲している。面長の顔の上寄りに白目のない濁った大きな眼が並び───噛み締められた大きな歯は軋み、ぎりぎりと微かな音を立てていた。
それが、オーガと呼ばれる魔物が魔獣化したものだということを────ファミラは知らなかった。
「ぁ、ぁ…ぁ…」
初めて相対するその存在に───その威圧感に、今度こそファミラの身体が震えた。歯の根が合わず、ガチガチと鳴った。その合間に、意味をなさない声が漏れる。
よろよろと後退して魔術陣の上からは退いたものの、震えているせいなのか足に力が入らず、ファミラはそれ以上、逃げ出すことすらできない。
(そんな…、そんな───何で…、どうして…)
とりとめもなく、そんな言葉が頭を過る。
ジェスレムは、ルガレド皇子などとは違い、権力を持つ皇子だ。
きっと、たくさんの護衛を侍らせているだろうから────ファミラは、自分が矢面に立って戦うことはないと思っていた。
ただ、ジェスレム皇子の隣で笑っていればいいだけだ───と。
だから───だからこそ、親衛騎士となることを引き受けたのに────
(そ、そうだ…、け、剣…!)
ファミラに授けられた剣は、古代魔術帝国の魔剣だ。もしかしたら、どうにかなるかもしれない。そんな考えが浮かぶ。
運のいいことに、魔剣は先程の揺れで、ファミラの手の届く場所に転がっている。
魔獣たちから目を離さずに身を屈めて、何とか魔剣を拾うことができたのは、果たして幸いだったのか────
ファミラは、震える手で魔剣の鞘を払った。
男性でも振るうには腕力が必要となる幅広の両手剣だ。
両腕で何とか自分の胸辺りまで持ち上げるが、成人してからまともに鍛練をしておらず、とっくに筋力が衰えているファミラにはかなり重く感じた。
剣を構えてみたものの、期待していたような奇跡は起きず────ファミラは絶望を覚える。
魔獣の1頭が、ついにこちらに踏み出した。舞台が魔獣の重みに耐え切れないらしく、魔獣の足元に亀裂が放射状に広がる。
「や、やだ…、こないで…!」
(だ、誰か…!ジェスレム様…!)
助けを求めて、ぎこちない動きで、どうにか後ろに顔を向けると────ジェスレムは、笑っていた。
先程の───眼が笑っていない、不安を掻き立てるような笑みではない。目元と口元を大きく緩めた、本当に楽しそうな笑みだ。
これでは────これでは、まるで…、ジェスレムは、ファミラがこの化け物に殺されることを喜んでいるかのようだ。
ジェスレムのその場違いな笑顔に、ファミラが恐怖を忘れて愕然とした、その次の瞬間────ファミラは背中を硬い何かに叩きつけられていた。
ずるずると身体が滑り落ちて、ファミラは仰向けとなった。
身体が自分のものではないみたいに自由が利かない。感覚が何かを激しく訴えているが、それが大き過ぎて掴めない。
耳鳴りが酷くて周囲の状況も判らなかったが────自分はあの化け物に吹き飛ばされて、壁に激突したのだと理解する。
仰向けに倒れたファミラの視界に、あの化け物が再び入り込んだ。
(に、にげ、なきゃ…、ころされ、ちゃう…っ)
そんな思いが湧き上がり、身体を起こそうと両腕を動かす。
両腕を支えにして起き上がろうと考えていたファミラは、両腕がちゃんと動いたのに、両手が地面に触れないことを不思議に思い────自分の両手を翳した。
「ぁ、そんな────うそ…」
ファミラの目に映ったのは────どちらも、肘から先がちぎれた両腕だった。断面からは、未だに血が噴き出している。
自分の両手がちぎり取られたことを目の当たりにして────ファミラはようやく自分の感覚が何を訴えていたのか知った。
「ぁ、あ、あああああぁあああぁぁぁ…!!」
大き過ぎる痛みがファミラの感覚を焼き────ファミラは絶叫せずにいられなかった。
涙で視界がぼやける中、あの化け物を目の端に捉える。
ファミラは、痛みにのたうち回りながら、頭の隅で────ああ、自分は死ぬのだと悟った。途端に、これまで以上の恐怖が湧き上がる。
(いやだ────いやだ、しにたくない、しにたくない…!だれか…、だれか────おかあさま…!)
浮かんだのは────ファミラの絶対的な味方であった、母レミラだ。
(たすけて────たすけて、おかあさま…!)
「ファミラ…!!」
(おかあさま…、おかあさま────こんなによんでるのに、どうして、たすけにきてくれないの…?)
徐々に薄れていく意識の中、そんな支離滅裂なことを考えながら────ファミラは、誰かが自分の名前を叫んだのを、確かに聞いた────
◇◇◇
(ああ…、何だ────全部、夢だったんだ…。良かった…)
瞼を開けて────自分が眠りから覚めたのだと気づいたとき、ファミラは深い安堵を覚えた。
本当に嫌な夢だったと思いながら、目を伏せて────改めて眼を開いたとき、ふと違和感が走った。
仰向けでベッドに寝ているファミラの眼には天井が映っている。生家の自室も、ジェスレムの皇子邸で宛がわれている部屋も、天蓋が施されているため、天井が目に映ることはありえない。
見知らぬ場所で寝かされていたことに、嫌な予感が湧き上がった。
ファミラは、その嫌な予感に打ち震えながら────あのときのように、両腕を翳した。
目に入ったのは、隙間なく包帯が巻かれた、短すぎる腕。まるで───肘までしかないような。
「ぁ…、そんな…、そんな───夢じゃ、なかっ、た…?」
両腕を失くしたという事実に、ファミラの唇が恐怖で戦慄く。
「う、うそでしょ────そんな…、そんな────わたしは、これからどうすれば────」
これでは、誰かに嫁ぐことなどできないだろう。傷物どころの話じゃない。
それどころか────両手がなければ、何もできない。
晩餐会に参加して食事をすることも───最高級のお菓子を持ってこさせてお茶をすることも───眩い宝石を嵌め込んだアクセサリーを持ち上げることも───もう何も────何ひとつできない。
「あああぁああっぁぁぁあああああぁっぁああああ…!!」
込み上げる激情が叫びとなって、ファミラの喉元から迸る。ファミラは、絶望に囚われ────ただ喚き続けた。
ファミラの喚き声に混じって、荒々しい足音が聞こえたかと思うと、大きな音を立てて扉が開かれた。
傾れ込むように誰かが部屋に入って来たが、ファミラは、意識を向けることなく、絶望に浸っていた。
「ファミラ…!」
聞き慣れた───待ち望んでいたその声に、ファミラは、ぴくりと身体を震わせ、涙に濡れた顔を上げる。
「ぁ、おかあさま…?」
「ええ、わたくしよ、ファミラ!」
レミラの声を聞いて───その姿を目にして、あんなに肥大していたファミラの絶望は、いとも簡単に霧散していった。
(お母様が来てくれた。ああ、もう大丈夫だわ…!)
レミラなら何とかしてくれるはずだと、何の根拠もなく考える。
「お母様…!」
ファミラは、レミラに抱き締めて欲しくて────短くなってしまった両腕を精一杯、レミラに向けて伸ばした。
だけど、レミラは、ファミラを抱き締めてくれることはなく────ファミラの将来について語っていたときのように微笑んだ。
「お母様…?」
見慣れたはずの母の笑顔に───聖堂でのジェスレムに似たものを感じ、ファミラの中に再び不安が湧き上がる。
「ねえ、ファミラ。これは───アレの仕業なのよね?」
「え?」
「ねえ、そうなんでしょう?貴女が、ジェスレム皇子を護れなかったのではなくて────アレに嵌められただけなのよね?そうでなかったら、有能な貴女が失敗するはずなんてないもの。ねえ────そうでしょう?」
「お、お母様…?」
「わたくしは、ちゃんと解っていてよ。貴女は、有能で───皆から尊敬されて、傅かれるべき尊い存在だもの。失敗することなどありえないわ」
レミラは、まるで聞き分けのない子を諭すように続ける。
「正直に言ってもいいのよ。貴女が、庇ってあげる必要なんてないのだから。
アレは、昔から、本当にどうしようもない子だったもの。お母様のネックレスを壊してしまったのをわたしのせいにしたり───わたしの一着しかないドレスを、侍女に命じて猫の寝床に放り込ませたり───わたしが傲慢で我が儘だと社交界で言い触らしたりして…、本当に性悪だったもの。
だから───遠慮することないのよ、ファミラ。正直に言ってちょうだい」
(お母様は、一体、何を───何を言っているの…?)
ファミラには、レミラの言っていることが理解できず────ただ困惑するしかなかった。
レミラはドレスをたくさん所持しているし───そもそも、使用人は誰もリゼラの言うことなどきかない。
それに───リゼラは社交界に参加していなかったのだから、レミラのことを言い触らす機会などなかったはずだ。
それから───父方、母方、どちらの祖母も、リゼラどころかファルロが生まれる前に亡くなっている。その“お母様のネックレス”というのは、一体、誰のものなのか────
(どういうことか、解らない────解らないけど…)
母の言うそれが、リゼラではないことだけは確かだった。
そして、ファミラは────恐ろしいことに、気づいてしまった。
(待って───お母様の話す“アレ”というのが───今までのも、リゼラのことではなかったのだとしたら────)
レミラが、リゼラを“我が儘で傲慢で嘘吐き”と断じたのは、リゼラが6歳のときだ。
神託を受けた後から、リゼラとは一緒に過ごさなくなったけれど、それまでは、兄であるファルロも交えて遊んだりしていた。
あの頃のリゼラは、我が儘でも傲慢でもなかった。むしろ、ファルロやファミラが我が儘を言っても、リゼラは笑って譲ってくれた。
もし、リゼラがあの頃のまま成長していたとしたら────
(嘘を吐いたのは────貶めたのは、わたしの方────)
リゼラに関して、ありもしないことを言い触らしたのは────本当にそういうことをやるような子だと信じていたからだ。
自分の言っていることは嘘だという自覚はあったけれど───罪悪感などなかった。
だけど、もし、そうでないのだとしたら、自分のしたことは──────
「ねえ、正直に言ってちょうだい。大丈夫よ、わたくしが皆に話してあげるから────貴女は失敗したわけではなく、ただ嵌められただけだって。貴女は…、無能だったわけではなく───本当は有能だったのに…、ただ性悪なあの妹に───アミラに嵌められただけだって────」
レミラは、愕然とするファミラの様子に気づくこともなく、場違いな微笑みを浮かべたまま────ただ今回の一件が誰かの仕業であることをファミラに明言させようとするだけで、ファミラのケガのことは一切言及しようとしない。
(ああ、この人は────リゼラだけじゃなくて…、わたしのことも見ていなかったんだ────)
ファミラは、自分が思っていた───“万人に傅かれるような才能を持つ尊い存在”でも、“どうしようもない妹を心配する心優しい姉”でもなかった。
何よりも────“兄妹の中で唯一人、母の愛を一身に受ける娘”などではなかった。
これまでしてきた自分の所業を思えば────兄も妹もファミラのことを許してはくれないだろう。
この腕では結婚もできない。それなのに────誰かに助けてもらわなければ、生活することもままならない身となってしまった。
だけど────きっと、誰にも助けてなどもらえない。
すべての妄執が突き崩されてしまった今───ファミラには、もう絶望しか残されていなかった────
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