コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十四章―妄執の崩壊―#1
「おはよう、リゼ」
「おはようございます、レド様」
レド様のお邸の厨房でお弁当を作っていると、レド様が顔を出した。
レド様は───再び料理を手伝ってくださるようになってから、しばらくは私が朝食を担当する日のみ手伝ってもらっていたけれど、ロルスによる授業が終了し精神的に余裕ができたみたいで、お弁当作りにもこうして参加してくださるようになった。
「今日は早いな。もうほとんど作り終えているのか」
「申し訳ありません、せっかく早起きしてくださったのに。今日は、おじ様とも面会の約束をしておりますし、色々とやっておきたいこともありますので、いつもより早めに作ることにしたんです」
「そうなのか。こちらが感謝こそすれ、リゼが謝る必要などない。それより────いつもより早起きして、ちゃんと身体は休めたのか」
「大丈夫ですよ。きちんと睡眠をとりましたから」
“最低三時間睡眠”は守っている。頭もすっきりしているし、体調もすこぶる良好だ。
レド様が気にかけてくれたことが嬉しくて────私が笑みを向けると、レド様も安堵したように口元を緩めた。
「今日のロウェルダ公爵との面会は、公爵の執務終了後だったな」
「はい」
これまでは、おじ様の執務時間直前に面会させてもらっていたが───今日の話は、内容が内容だ。明確な時間制限はない方がいい。
「では───今日の予定のメインは、リゼが昨日言っていた検証だな?」
「はい。その前に、ギルドの方へも顔を出したいと思っています。それと、ウォイド劇団にも。昨夜、エルから【念話】が入りまして───劇団の方へ、エデルのことを聞き込みに男が訪ねて来たそうです。念のため、詳しい人相を確認しておきたいと考えています」
「解った」
頷くレド様に、私は恐る恐る切り出す。
「それと───レド様。エデルに身を護る術を施したいと思っているのですが、お許しいただけますか…?」
また拗ねられてしまうかな。でも───エデルのことは、放っておくと命を落としかねない。
レド様は、一つ溜息を吐いてから、口を開いた。その声音も口調もいつもと変わらないものだったので────ちょっと安心する。
「どうするつもりなんだ?」
「エデルの腕時計に、【認識妨害】と【換装】、それと───新しいお邸の【転移門】に限定した【往還】を追加させていただけたら、と思っています」
たとえ何かあっても、無事逃げ出せるように。
「そうか、解った────許可する」
「ありがとうございます」
すんなり許可をもらえたことに少しだけ不思議に思いながらも、ほっとしたこともあって笑みが零れた。
いつもより早い時間だったが、お弁当を作り終えて、レド様と共に新しいお邸へ跳ぶと───そのことに気づいたラムルとハルド、そしてエデルの三人が出迎えてくれた。
レド様にも許可をもらえたことだし、丁度いいので、ここでエデルの腕時計に機能を追加してしまうことにする。
丁寧に腰を折って朝の挨拶をしてくれた三人に向かって、レド様に続いて挨拶を返すと────私は、エデルを呼び寄せる。
「エデル───ちょっとこちらへ来てもらえますか?」
「かしこまりました」
「左手をこちらへ」
私が言うと、エデルは躊躇いもなく、腕時計を嵌めた左手を私に差し出した。
相変わらず警戒心が薄いことが気になったが───何も言わず、私は【遠隔管理】で昨日創っておいたものを取り寄せた。
「それは、何だ?魔水晶みたいに見えるが────」
「まさに、その魔水晶です。この中に、先程言った魔術が全部、落とし込んであります」
冒険者ライセンスであるコインを深く分析してから、私は【創造】で魔水晶も創り出すことが可能になった。
ちなみにエルドア魔石───【純魔石】もだ。まあ、魔水晶の方が性能がいいので、この先【純魔石】を創ることはなさそうだけど。
「それで───それをどうするんだ?」
「こうするんです」
私は、その───指の関節一つ分くらいの大きさの魔水晶を、エデルの腕時計の文字盤の上に置いた。
すると、魔水晶は文字盤に溶け込み、瞬く間に同化した。腕時計は眩い光を迸らせて、蠢くように振るえ形を少し変える。光が収まった後は、一つだったリューズが、四つに増えていた。
【心眼】で分析してみると、私の思惑通りに、腕時計に機能が追加されている。
機能を追加しようとする度に腕時計やピアスを借りると手間なので、古代魔術帝国の魔導機構を参考に、実験を兼ねて創ってみたのだけど────
「うん、成功したみたい」
私は、エデルに、追加された魔術の機能と、どうやったら発動するかを一つずつ説明していく。
「いいですか────危なくなったら、これで逃げるんですよ?」
私がそう締めくくると、エデルはちょっと驚いた表情を見せた。
「…貴女は、私が危ないことをするのは反対だと思っていましたが」
「勿論、反対ですよ。だけど、どんなに言い聞かせても、貴方には無駄でしょう?それなら────できるだけ、自衛の手段を持たせるしかないじゃないですか」
私が溜息と共にそう告げると、エデルの表情が何故か嬉しそうなものに替わる。口煩い私がようやく諦めたので、喜んでいるのかもしれない。
「まったく、もう…」
何かこれ口癖になりそう…。
◇◇◇
「おはようございます、ルガレドお兄様、リゼ」
「おはようございます、ルガレド様、リゼラ様」
いつもの朝の日課を終えて、【転移門】でベルネオさんの商館へと跳ぶと────エルとベルネオさんが揃って、待ち構えていた。
「おはよう、エル、ベルネオ」
「おはようございます、ベルネオさん────おはよう、エル」
レド様に続いて、私が挨拶を返すと、エルが拗ねたように口を尖らせる。
「ちょっと、リゼ。私はベルネオのついでなの?」
「え、別に何となくベルネオさんが先になっただけだけど」
「リゼは、私のこと、ぞんざいに扱い過ぎじゃない?」
「いや、だって───ねえ?」
レド様にわざと誤解させるような悪ふざけをする人には───ね?
「初顔合わせのときも思ったが────リゼとエルは仲がいいんだな」
レド様が、ちょっと微笑まし気に口元を緩める。
「そんなことはないですよ」
「ちょっと───何でそこで否定するのよ、リゼ」
「え、私たちって仲いいの?」
「仲いいでしょう!」
「ほらほら、そこまでにしてください。時間がなくなりますよ。ウォイドが言っていた通り────エルはリゼラ様の前だと年相応になりますね」
ベルネオさんに止められて、私は我に返る。
しまった────つい、いつものようにエルと応酬してしまった。恐る恐るレド様の方を窺うと、先程よりも笑みが深い気がする。
う───子供っぽく思われたかな…。
「ええっと───リゼラ様、その…、この間のようにイスなどを出していただけないでしょうか」
「解りました」
この間のソファセットは、もう新しいお邸の応接間に設置しちゃったから───常時、共通のアイテムボックスに入れてある円テーブルとイスを4脚取り寄せる。
エルとベルネオさんはまだ朝食を摂っていないということなので、お茶だけでなく、二人には作り置きしている食事も出すことにする。
「エル、今日も公演?」
「ええ。夜にいつもの公演だけど───その前に三日後から始める新しい演目のリハーサルをする予定」
それなら───がっつり食べた方がいいよね。
よし、エルにはオムライス、ベルネオさんにはベーコンエッグとレタスのベイクドサンドウィッチにしよう。
私がオムライスとサンドウィッチを、それぞれエルとベルネオさんの前に置くと────それを見たレド様の表情が悲し気に崩れた。
「リゼ───何故、オムライスとこのベイクドサンドなんだ。他にもあっただろう…?」
あ───いや、他にちょうどいいのがなかったんです。
サンドウィッチは他にもあったけど、ジャムサンドだったり、小さくて量もそれほどなかったりで───軽食用というか、成人男性の朝食には向かないというか…。
「レド様…、近いうちにまた作って差し上げますから────今日は、エルとベルネオさんに譲ってあげてください」
「解った…」
頷くレド様に申し訳ないと思いながらも、子供みたいに悲しむレド様をちょっと可愛く思いつつ────私は、皆にお茶を淹れた。
◇◇◇
「金髪のそこそこ顔立ちが整った若い男か…。おそらく───ゾアブラを護衛していた二人のうちの一人だな」
エルから、劇場にエデルのことを聞き込みに来たという男の人相を聞いて────レド様が呟く。
「その可能性が高いですね…」
ゾアブラを護衛をしていた二人は、エデルの顔を見ている。護衛していた本人が探りに来てもおかしくはない。
「それで、レムトはどうしていますの?」
「今はリゼの───ファルリエム子爵家の執事として、俺の邸にいる」
「ルガレドお兄様の執事でなく、リゼの───ですか?」
「俺の執事はラムルだけで十分だからな…」
レド様は溜息を吐きながら、答える。
「まあ、レムトなら、執事も熟せるとは思うけど────レムトの様子はどうなの?」
エデルが私の執事と知ったからか、エルは今度は私に訊ねる。
「確かに、執事の仕事は教えるまでもないみたい。だけど───あの人…、どうして、あんなに危機感がないのかな」
「それは───仕方がないと思うわ。生家で色々あったのだと思うし…」
エルが苦笑気味に答えると、レド様が思わずといった風に口を挟んだ。
「エルは、エデル───レムトの生い立ちを知っているのか?」
「いえ。レムト本人に聴いたわけではなく、推察ですけれど」
「推察?」
「ええ。レムトは────おそらく、アルドネ王国の悪名高きグルワイト公爵家の縁者ではないかと思うのです」
「何故────そう思うんだ?」
「わたくしがアデミル=サライフだったとき、当時のグルワイト公爵に面識があったのですけれど────レムトは、髪色、眼の色、顔立ちに至るまで、あの公爵にそっくりですのよ。あれで血縁でなかったら────逆に驚きですわ」
エルの言葉に私は衝撃を受ける。
エデルが───グルワイト公爵家の縁者?
エデルは“イーデル”と名乗った。私の直感通り、あれが本名なら────
「まさか────イーデル=ファイ=グルワイト…?」
私の口から、ぽろりと言葉が零れ落ちる。
「“グルワイト公爵家の忌み子”────」
思わず零れた私の言葉を受けて、レド様の眼が見開かれた。
「リゼ────何故それを…?」
レド様の呟きを聴いて───私は、レド様がエデルの生い立ちを知っていることと、エルと私の結論が正しいことを確信した。
「レド様はご存じないようですが────アルドネ王国は、4年前に政変が起こり…、王朝が交代しました。その際、禍根を残さぬよう、旧王族は傍系に至るまで処刑されたのですが────グルワイト公爵家の長男イーデルの行方だけが判らず────詳しく調べた結果、グルワイト公爵家は、長男を“忌み子”として酷い扱いをしていたことが判明し────新王朝は、出奔した長男の行方は追わないことにしたのです」
「リゼは、以前、アルドネ王国の宰相と知り合いだと言っていたが────もしかして、その政変に関わっていたのか?」
「ええ。その政変────新王朝の樹立に、僅かながら助力しました」
その縁で、私はアルドネ王国の現宰相ザーラルさんと知り合った。
ザーラルさんは、その僅かながらの助力を恩に着て────私がSランカーに昇進する際の推薦人も引き受けてくれた。
エルとベルネオさんに驚く様子はない。
アルドネ王国やその周辺では、その政変に“双剣のリゼラ”が参加していたことは、割と知られている。二人とも、その情報は掴んでいるのだろう。
「レムトが────忌み子…。あのグルワイト公爵家に生まれついてしまったというだけでなく────まさか、忌み子という業まで負っていたなんてね」
エルが、何処か納得したように言う。
だけど────私も腑に落ちた思いだ。だから…、エデルはあんなに危機感が薄いんだ。もしかしたら、生に執着が持てないのかもしれない。
「先程も悪名高いと言っていたが───グルワイト公爵家というのは、そんなに酷かったのか?」
「ええ。グルワイト公爵家は、王族の傍系だったので、王位継承権を有していたこともあり───選民意識が強く、以前の王族と共に、悪行を重ねていました。国民の血税で贅沢三昧しているくせに、何も還元せず───権利ばかり行使して、義務は果たさない。誰も裁くことができないから、公然と悪逆非道なことを行っていましたわ」
エルの前世の時代でも、グルワイト公爵家の行いは相当酷かったようだ。
まあ、4年前の時点でも、ちょっと聞きかじっただけでも気分が悪くなるような罪状ばかりで────かなり酷かったけれど。
「でも────レムトにとってみれば…、忌み子だったのは幸いだったのかもしれないわね。忌み子でなかったら────グルワイト公爵家の家風に染まって、今頃はもう処刑されてしまっていたかもしれないもの」
「…………」
エルの言葉には一理あったが、私は素直に賛同できなかった。
エデルがどう扱われていたか────私は調査結果を聞いたから、ある程度は知っている。
家族だけでなく使用人にすら、顧みられることのない────まるで自分の存在がないかのように扱われる────そんな生活を、エデルは送っていたのだと考えると────心が締め付けられる思いがした。
「…その“忌み子”というのは、一体何なんだ?俺には───正直、レムトは普通と変わらないように見える。レムトは、三つの月が同時に昇る日に生まれたから、忌むべき子だとされたと言っていたが────」
「そうですわね。結局のところ────迷信ですわ。カイバルス王国が隆盛だった時代だから────もう900年近く前になりますかしら。アルドネ王国の辺境で起こった出来事が元になっておりますのよ。
ある村で生まれた娘がとんでもない魔力を持っていると噂になって、当時の王子がその村に赴いたそうですわ。当時は、何処の国も魔術の研究に力を入れていましたから、強制的に研究に協力させる心づもりだったのでしょう。
娘はまだ幼かったらしいのですけど、病気の母親を一人置いては行けないと抵抗しました。すると────その王子は非情にも娘の母親を殺し、これで一緒に行けるだろうと宣った。
母親の無残な遺体を前にして────娘は、その膨大な魔力を三日三晩に渡って暴走させて、王子は勿論、王子の悪行を止めようともしなかった騎士たちを殺傷し、そして────周辺の村々をも壊滅させてしまったのだそうです。
その娘は、三つの月が同時に昇る日に生まれたらしく────それ以来、王家に連なる者たちは、その日に誕生した子供を恐れるようになったのですわ」
「その娘は、どうなったの?」
何となくその娘のことが気になった私は、エルに訊ねる。
「それは、伝わっていないけど────魔力を暴走させて、そのまま亡くなったんじゃないの?」
「そう…」
だとしたら、救いのない────悲しい話だ。
「可哀相よね、その子。悪いのは、その馬鹿王子なのに────未だに“青い悪魔”とか呼ばれて、その事件も“サリルの惨劇”とか言われているのよ。どうせなら、その馬鹿王子の名前とか悪行とかで」
「エル!今、何て────何て言った…?」
「え?」
「何で…、何で────その子は“青い悪魔”なんて呼ばれてるの?」
「ああ、何でも、青い髪色をしていたそうよ」
「それじゃ────“サリル”というのは…、その子の名前?」
「ええ」
膨大な魔力を生まれ持った“サリル”という名の────青い髪色の少女。
ディルカリダ側妃に魔力の高さを見出されたという───ディルカリド伯爵家の始祖は“サリル”という名だった。
エルダニア王国第31代バナドル王の治世は────約900年前だ。
もし、この二人が同一人物であるなら────【青髪の魔女】は、ディルカリダ側妃ではなく────
「リゼ?その娘がどうかしたのか?」
「あ───いえ…」
レド様に声をかけられ、思考を中断する。
ディルカリダ側妃のことは遺跡にも関係してくるはずだ。後で、ちゃんと調べてみた方がいいかもしれない。
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