コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十二章―明かされる因縁―#6
「私は───イルノラド公爵が嫡子ファルロと申します。…ファルリエム子爵の────血縁上の兄となります」
イルノラド公爵公子は、脱いだ兜を右腕に抱え、再び首を垂れた。
「お前が────イルノラド公爵家のファルロか。お前…、リゼの兄などと────よく宣えるな。俺が────お前たちイルノラド公爵家のリゼへの仕打ちを────知らないとでも思っているのか…?」
レド様の声音は────先程の皇子然とした感情を削ぎ落したものとは違い、烈しくも底冷えするような怒りを孕んでいた。
レド様が…、私のために────自分のことのように怒ってくれている。そのことが、過去に囚われそうになっていた私を───感情に呑まれそうになっていた私を、押し止めた。
「ルガレド殿下、お怒りになるのは当然のことかと思います。ですが────何卒、ファルロの話を聴いていただけないでしょうか」
イルノラド公爵公子の後ろで片膝をつく騎士が、思わずといった風に、口を挟んだ。
「黙れ。お前に発言を許した覚えはない」
レド様は、ぴしゃりと言い放つと───イルノラド公爵公子に、その怒りに塗れた右眼を戻した。
「今更、リゼに何を言うつもりだ?リゼは、除籍され───すでにイルノラド公爵家とは絶縁した。お前には、リゼに関わる資格も権利もない。当然───傷つける権利もだ」
「…心得ております。元より───傷つけるつもりはありません。私はただ、ファルリエム子爵に────謝罪をしたいのです」
イルノラド公爵公子は、そこで言葉を切り────父親譲りのその蒼い双眸に静かな決意を湛えた。
「謝罪だけでなく────私が放った酷い言葉の数々を…、撤回したいのです」
「謝罪と撤回だと…?それは、随分────虫のいい話だな」
「虫のいい話だと判っております。ですが…、どうか────ファルリエム子爵にお話しする機会を与えてはいただけないでしょうか」
食い下がるイルノラド公爵公子に───レド様の怒りに苛立ちが混じり始める。
「レド様」
私は、レド様の腕に、そっと触れる。
「リゼ?」
「私のために怒ってくれて────ありがとうございます、レド様」
私が感謝を告げて微笑むと、レド様は私の意志が判ったのだろう。怒りに塗れていたものが、心配そうな表情に取って替わる。
「話を聴くつもりか?」
「はい」
聴く気になったのは、先程のイルノラド公爵公子の様子が───今朝のハルドに重なったからだ。
もしかしたら────この人も…、ハルドと同じように、私への態度や言い放った言葉を、本当に────後悔しているのかもしれないと、思ったからだ。
「…イルノラド公爵公子閣下、お話を聴きます。ですが、その前に───場所を変えましょう」
いつまでも、こんな場所で話しているわけにはいかない。それに────他の騎士たちを、私事につきあわせるのは気が引ける。
イルノラド公爵公子は、私の提案に黙って頷いた。
◇◇◇
騎士の一人が、皇都を囲う城壁の北門に設えられている兵士の詰め所を借りて来てくれたので、レド様と私、イルノラド公爵公子と先程、会話に口を挟んだ騎士の4人で移動することになった。
勿論、姿をくらませたジグとレナスもだ。二人とも、イルノラド公爵公子が名乗った瞬間から、剣呑な気配を発している。
ジグもレナスも私の事情を知っているから────レド様のように、公子に対して怒りを感じてくれているのかもしれない。
北門に辿り着いたとき────イルノラド公爵公子が、門まで同行していた騎士たちに指示を出す。
「今日は、ご苦労だった。先に詰め所に帰って───十分に手当てをして、ゆっくり休んでくれ。ミムス、俺たちの馬を頼む」
「了解。────悔いが残らないようにな」
「ああ。ありがとう」
意外なことに、“デノンの騎士”は上下の関係がそこまで厳しくないようだ。それとも────この小隊だけなのか。
他の騎士たちは何も言いはしなかったが、それぞれ公子の肩を叩いて、離れていく。公子は、仲間たちと良い関係を築いているらしい。
騎士たちは、レド様と私に頭を下げるだけの挨拶をしてから───次々と門を潜って皇都へと入っていった。
「それでは、参りましょう」
公子と共に残った騎士が先導して、城門に埋め込まれるように建つ塔の出入り口に踏み入り、狭い階段を上り始めた。
公子、私、レド様───それから、姿をくらませたジグとレナスが続く。
階段を上り切ったところに設えられた兵士の詰め所は、思ったよりも広く、部屋の中央に簡素なテーブルとイスがあるだけだった。
北門に詰めていた兵士は、これ幸いと昼食を摂りに街に行ったとのことで、誰もいない。
私は、念のため、こっそり【心眼】を発動させて、安全を確かめる。
公子とついてきた騎士の心根に関しては、もう確認済みだ。二人とも、性根は濁ってはおらず、敵意とか害意は視えない。
私は一番清潔そうなイスを手前に持ってくると、後ろから詰め所に入って来たレド様を、そのイスに誘導する。
「どうぞ、レド様」
「ありがとう、リゼ」
レド様がイスに座ると、私はレド様の斜め後ろへと控えた。イルノラド公爵公子がテーブルを挟んで向かい側に佇み、その斜め後ろに騎士が控える。
「イルノラド公子────さあ、話せ」
レド様が公子を睥睨して、冷たい声音で促す。
「その…、ファルリエム子爵と直接話をさせていただけないでしょうか」
少し困ったようにそう言った公子に、レド様は、相手を射殺すことができそうなほど凍てついた視線を向けた。
いや、まあ、レド様のお気持ちは嬉しいけど────公子の言う通り、直接話すべきだろう。
「レド様」
レド様は溜息を一つ吐き、口を噤む。私は、半歩だけ前に出て、レド様に替わり口を開いた。
「イルノラド公爵公子、お話を伺いましょう」
私が言うと、公子は、がばりと音がしそうなほど、勢いよく────全身に鎧を纏っているにも関わらず、器用に腰を折って頭を下げた。
「これまで、本当に────すまなかった。お前に対して、俺が言い放った罵詈雑言の数々────そして…、お前の苦境を知っていたのに、見て見ぬ振りをしたこと────本当に…、本当に────すまない…」
公子の声は震えていた。
親衛騎士としてレド様に忠誠を誓ったあの日────イルノラド公爵の側近が、謝罪をされても私は不快なだけだろうと言っていた。私自身、そう思っていた。
だけど────不快感は湧き上がってはこなかった。
「許して欲しいわけじゃない。許してくれなくてもいい。ただ────俺の話を聴いて欲しいんだ」
私は無言で頷き、先を促す。
「俺は…、ずっと────自分の神託を恥じていたんだ。父上の“剣聖”や、ファミラの“剣姫”に比べたら────小物のように感じていた。英雄伝に出てくるような“将軍”や、父上のような“騎士団長”にはなれないのだと────将来はただの平凡な一騎士で終わるのだと────そう決められてしまったようで…、ずっと────絶望していたんだ」
公子は言葉を切って、痛みを感じているような表情を浮かべる。
「母上が…、ファミラの神託を褒めるたび────ファミラの華々しい将来を思い描いてそれを語るたび…、俺は…、羨ましくて────妬ましくて仕方がなかったんだ。あの頃────俺は、神託がすべてだと信じていた。王侯貴族も、平民ですらも────人は皆、神託の通りに生き────神託で告げられた職業にしか就かないのだと…、本気で信じていた。だから────お前のことも…、不完全な神託を与えられた出来損ないの子だと────母上が言うがまま…、本当に信じていた────」
そうして────再び言葉を切った公子の表情が…、自嘲するような表情に替わった。
そうだ───この人も、ハルドと同じだ。
母親が世界の大半を占める幼少期にあって───その母親から…、偏った価値観を押し付けられただけだ。
あの狭い世界で────他の見方や考え方を育めるはずがない。
私の置かれた環境の事情を推察していて────そうだろうとは、頭で考えていた。でも────実感はしていなかった。
だけど────ようやくそう思える。
この人は、あの母親にそう言い聞かされて育ったから、ああいう風になってしまったのだと────
「15歳になって───騎士見習いとなったとき…、俺は、驚いた。見習い仲間は───神託になど…、誰も重きを置いてはいなかったんだ。自分の神託が“農民”でも、“馬屋”でも…、気にも留めていなくて───中には受けてすらいないという者までいて────本当に…、驚いた」
当時のことを思い出しているのか────公子は、口元に小さく笑みを浮かべる。
「神託に拘っていた自分がバカバカしくなってな…。だって────神託が“木こり”だっていう奴の方が、俺より強いんだぜ?」
私に語っているのだということを一瞬忘れていたのか、公子の笑みが深くなる。公子の声音には親しみが滲んでいて────ピンとくるものがあり、公子の傍に控えている騎士に、私は目を向けた。
私の視線に気づいた騎士は、何となく決まり悪そうに、身じろいだ。
あ、やっぱり────この人のことなんだ。
「俺は────今…、毎日がとても充実している。神託を気にすることなく───ただ、がむしゃらに修行して…、こうして────“デノンの騎士”となることができた。今は、小隊長を任され────仲間もいい奴らばかりだ」
公子は表情を引き締めて、俯き加減だった顔を上げて────私を見る。
「ずっと────お前のことが気にかかっていた…。俺たちの───俺が言った言葉のせいで…、お前が、自分のことを“出来損ない”と思い込んでしまっているのではないか───と」
「え…?」
「お前を“出来損ない”と言った、俺たちの言葉は嘘だ。この世界は────神託がすべてじゃない。お前は…、“出来損ない”ではないと────ただ、それだけ伝えておきたかったんだ」
「ただ────それを…、私に伝えるだけのために…?」
「ああ」
謝罪して…、自分の罪悪感を消すためではなく────私にその言葉を、伝えるだけのために…?怒りを露にしたレド様に逆らってまで…?
「………」
込み上げる複雑な思いを噛み砕くように────私は瞼を閉じる。
この人に言われた数々の言葉を───あのときの…、何処にも持っていきようのない悔しい気持ちを───心の底で燻っている怒りを、忘れられたわけではない。だけど────もう、いい。
この人は────私を思いやってくれた。
だから────もう、いい。
私は、自分の複雑な思いを呑み下すと────瞼を開き、視線を上げた。
「…貴方が気に病む必要はないです。私は────自分が“出来損ない”などとは思っていませんから」
この人には、話しても────いや、話しておいた方がいいかもしれない。
「私は───自分の神託の意味を知っているんです。神託に使われた言葉が、エルディアナ語ではなかったというだけで────あれは…、不完全な神託などではありません」
「そうなのか…?」
「ええ。私は…、イルノラド公爵家の誰にも伝えていなかったけれど、“記憶持ち”です。あれは───あの言葉は…、私の前世の故郷の言葉なんです」
公子────ファルロが眼を見開く。
「確かに…、大人びた子供だとは思っていたが────何故、言わなかったんだ?」
「私の前世の故郷では、“記憶持ち”は…、少なくとも表立っては存在していませんでした。そのため、私は前世の記憶があることを異常なことだと認識していたので────誰にも告げませんでした」
今思えば────私は…、結局のところ、両親のことも───使用人たちのことも、ただ信用していなかったのかもしれない。
「だから…、神託を受けたとき────私には、その言葉の意味がすぐに解りました」
「どういう意味なんだ…?」
「そうですね…、この国の言葉で言うならば────“女性の神官”です」
「神官…」
まあ、あのとき、神託の内容をあの人たちに伝えたところで────どの道、公爵閣下と公爵夫人の期待には沿えなかっただろうけど。
だけど────私がファルロに今伝えたいのは、そんなことではなかった。私は再び口を開き────問いかける。
「不思議に思いませんか?何故、私が授かった神託が…、私の前世の故郷で使われていた言語で告げられたのか────」
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