コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第十七章―密やかに存在するもの―#4
※※※
翌日───ロルスの授業を少し早めに切り上げたルガレドは、ジグとアーシャを伴い、リゼラの所有する孤児院の【転移門】へと跳んだ。
<何だ、ガルファルリエムの小僧か…。ぬか喜びさせるでないわ>
北棟の中に踏み込むと、矢のように飛んできた白炎がジグの頭に降りて、憮然とした口調で吐き捨てた。
リゼラは、今日もレナスを護衛にして、冒険者として狩りに行っている。リゼラが不在であるのに、ルガレドがこの孤児院に赴いたのには、訳があった。
「鳥…、お前、リゼが来るたび、こうやって飛んでくるのか…」
<当たり前だろう。我が神子と共に過ごすには限りがあるのだ。一瞬すら惜しい>
「リゼの迷惑も考えろ、鳥」
<我が神子は喜んでくれている。おまえこそ、我が神子につき纏い過ぎではないか?>
言い返そうとして────今日の目的を思い出し、ぐっと堪える。
ルガレドは、覚えた───というより、リゼラに共有させてもらっている固定魔法の【結界】を、白炎に施す。
<何だ、小僧もエルフの魔法を覚えたのか。しかし、我が神子に比べると下手だな。我が神子のは、瞬時に編み上げた上、編み目も綺麗だったぞ>
「…うるさいぞ、鳥。リゼの魔法がすごいのは当然だ。何せ、リゼだからな」
<まあ、それもそうだ。おまえなんぞと比べるべくもない>
「わあ…」
北棟から塔へと入ると、アーシャが思わずといった風に、感嘆の声を上げた。
「ここは────随分、変わったな」
ルガレドも興味深げに内部を見回す。ジグだけは、塔がリゼラによって変えられたことを見知っていたので、無反応だ。
<我が神子が、我のために変えてくれたのだ>
塔は、全面簡素な石造りで殺風景だったが───床は芝が敷かれ、吹き抜けの壁には斑に蔦が這い───高い位置に不規則に棒が渡され、平べったい葉を提げた蔓がその棒に絡まるように生えている。
ところどころに、色とりどりの花が咲き、鮮やかな蝶が惑うように飛んでいるのが目に入った。
天蓋に施された窓から眩い陽光が降り注ぎ、ルガレドは、まるで中庭にいるような錯覚に襲われた。
真ん中に円いテーブルとイスが4脚置かれ、端の方には、ベンチ型のブランコが吊り下げられている。
「く、鳥…、おまえ、こんなところでリゼと過ごしているのか…」
<ふふん、羨ましかろう?我が神子は、あのブランコがお気に入りだ>
白炎は、ジグの頭の上でふんぞり返って、翼を羽搏かせた。
ジグの───その何とも言えない微妙な表情が、ルガレドを冷静にさせてくれる。
「…アーシャ、ラムルとカデアを呼んできてくれ」
「解りました」
アーシャが素直に頷いて、塔を出て行った。
「鳥、ここを借りるぞ」
<…構わんが、何をするつもりだ?>
「ちょっと、リゼがいない間に皆に相談したことがあってな…」
<我が神子がいない間に?────小僧、何を企んでいる…?>
「人聞きの悪いことを言うな。俺がリゼに対して悪だくみをするわけがないだろう」
ルガレドは憮然と言い返しながら、イスに腰を下ろした。
「リゼにお礼をしたいと思ってな…。いつも────何かしてもらってばかりだからな」
ルガレドは、自分の左手の薬指に嵌められた指環を見て、口元を緩めた。
リゼラが、自分のために創り上げてくれたものだ。
懐中時計も嬉しかったが────これは、それ以上だ。
リゼラの前世の世界では、結婚した男女が身に着けるものだという。
<ふむ。いい心掛けでないか。我が神子に存分に感謝し、存分に尽くせ>
「お前なんかに、言われるまでもない。感謝は────それこそ、しない日はないくらいだ。リゼには、本当に感謝してもし足りない…」
皇妃の気まぐれで成人することになった、あの日────リゼラが現れて、ルガレドの人生は劇的に変わった。
今ある全ては────リゼラがもたらしてくれたと言っても過言ではない。
「リゼと出逢えなかったらと思うと────本当にぞっとする」
「確かにそうですね。最初の親衛騎士候補だった男───バルラナ子爵令息のままだったら…、全然違った状況だったと思いますね」
ルガレドの心底からの呟きに、ジグが心底から同意するように頷く。
「バルラナ子爵令息…、確か────ジェスレムと諍いを起こしたという騎士だったか?」
「ええ。職務にも忠実で、評判も悪くありません。ですが、少々融通が利かない人物のようですね。ジェスレム皇子に苦言を呈して、顰蹙を買ったとのことです。幸いなことに、その当時、皇妃は自分の侍女を貶めるのに忙しくて、排除を免れたらしいのですが────ルガレド様の親衛騎士を選ぶ際、しつこく恨み続けていたジェスレム皇子が推薦したと聴いています」
「あいつは、本当に迷惑な奴だな」
「それよりも────バルラナ子爵令息がルガレド様の親衛騎士になっていた場合ですよ。まず【契約】ができないでしょうから、改修できず邸も前のまま。夜会服も以前のボロボロのものを着る破目になり、夜会では惨めな思いをしたでしょう。
まあ、バルラナ子爵令息は真面目な人物みたいなので、きっと我々は存在を明かしたでしょうから────そうすると、ムサい男4人で…、経費の件も食事も改善されず───悲惨な生活を送ることになっていたと思いますね。
ああ───リゼラ様で本当に良かった…」
ジグは自分の想像に顔を顰め────しみじみと、最後にそんな言葉を付け加えた。
「確かに、それは想像するだけで嫌だな…」
「本当に────リゼラ様が現れたのは、奇跡ですよ」
「ああ、俺もそう思う。お前の言う通り、リゼでなければ────他の誰かでは、【契約】はできなかっただろうからな」
ルガレドは、溜息を吐く。
黙ってルガレドとジグの話を聞いていた白炎が、首を傾げた。
<【契約】というのは、“魂魄の契り”のことか?>
「多分、そうだと思うが…」
<お前と我が神子は、番うつもりで“魂魄の契り”を交わしたのではないのか?“魂魄の契り”というのは、番うためのものであろう?>
「……そうなのか?」
<“魂魄の契り”は、ガルファルリエムが自分の神子と番うために────神子の魂魄の位階を上げるために編み上げた術のはずだ。
一体、お前たちはどうやって────何のつもりで契りを交わしたのだ?>
白炎の言葉に、ルガレドとジグは眼を見開いた。
「あれは────あの【契約魔術】は、主と守護者が誓いを立てるためではなく…、番うためのもので────ガルファルリエムが編み上げた術だということか…?」
だが、あの【契約】により与えられた能力や魔術、それに支給品のことを考えると────番うためものというのは、違和感がある。
(いや────違う)
能力はいつ付与されたか不明だが────魔術や魔導機構は、【契約】が成立した後に始動した【支援システム】により、もたらされたものだったということを、ルガレドは思い出した。
それでは────【契約】自体は、ガルファルリエムが編み上げたという“術”が使われているということだろうか。
だけど、そう考える方が納得がいくのも事実だ。
叔母であるミレアと、あのロウェルダ公爵家侍女長のマイラでは、【契約】が成立しなかったのも頷ける。同性では成立するはずもない。
「しかし…、それなら、何故────ジェスレムとあの公女では成立しなかったんだ?」
<誰のことかは分からんが、想いを交わしていなかったからだろう?>
「……想いを交わした男女でなければ────成立しないのか…?」
<当たり前だろう。ただ男と女というだけで成立してしまったら、困るだろうが>
白炎のその言葉の意味するところは、つまり─────
「つまり───ルガレド様だけでなく…、リゼラ様の方も一目惚れだった、と」
頭の上にふてぶてしい様子の白炎を寝そべらしたジグが、ルガレドの考えを代弁するように呟いた。
◇◇◇
「ジグ…、旦那様が今朝に増して───ご機嫌に見えるのだが…」
「歓喜に沸いているのです」
「リゼラ様のことで───か?」
「それ以外に、あそこまでご機嫌になることがあると思いますか?」
「いや───思わないな…」
<おい、小僧、いつまで浮かれておる。さっさとしないと、我が神子が戻ってくるぞ>
白炎に頭を羽根で叩かれ────ルガレドは我に返った。
「ああ、そうだった。────すまない、皆に相談に乗って欲しいことがあるんだ」
ルガレドは、いつの間にか目の前に集まっていた───ジグ、ラムル、カデア、アーシャに向かって口を開いた。
「俺は───リゼの献身に対して、何かお礼をしたいと思っている。だが…、何がいいか判らなくてな」
「リゼラ様にお礼ですか…。確かに────お礼したいですね。この時計をいただいたとき、年甲斐もなくはしゃいでしまって、ろくにお礼を言うこともできませんでしたから」
「そういえば…、ラムルもカデアも珍しくはしゃいでいたな」
「旦那様…、魔道具は男のロマンですよ。はしゃいでしまうのは当然なのです」
ラムルが至極───真面目な表情で言う。
カデアも、負けじと言い募る。
「だって、嬉しいではないですか。以前から、時計が欲しいと思っていたんですよ。それが───こんな、綺麗で…、すごいものを創ってくださって───しかも、これは、リゼラ様が私のために創ってくださったんですから」
「そうだな…。俺も────リゼが自分のために創ってくれたということが嬉しい」
カデアがリゼラの意を汲んで喜んでいることが嬉しくて────ルガレドは笑みを浮かべた。
「それで────お礼は何がいいと思う?」
「…難しいですね。今のリゼラ様は、ご自分で何でも創れますし───物欲もなさそうですよね」
ジグは真剣に考えているらしく、口元に手を遣り、眉を寄せた。
「そうなんだよな…。ドレスも装身具も、母上のものだけで十分だと言われてしまったし────他に思いつかないんだ」
「アーシャ、リゼラ様が喜ぶもの────あなたは何か思いつかない?」
カデアが、リゼラと近しい存在のアーシャに話を振るが、アーシャは首を横に振る。
「わたしたちも、前にリゼ姉さんに何かお礼をしようとしたんですけど、やっぱり思いつかなくて…」
ジグが、何かを思いついたらしく────顔を上げた。
「そうだ────皆で出かけるというのは?」
ジグに、皆の視線が集まる。
「ほら…、初めて邸を案内したとき、リゼラ様が仰っていたではないですか。“お気に入りの森”があると────ルガレド様に『いつか一緒に行こう』と」
邸の───森の小道を模した廊下を歩いていたとき、森の中には行ったことがないと言ったルガレドに、リゼラは確かにそう言ってくれた。
その森の奥に水底まで見えるような澄んだ湖があるのだと────そう話してくれた。
「総出でこの孤児院に赴いたとき、リゼラ様はとても楽しそうでした。皆でお気に入りの場所に出かけたら、喜んでいただけるのでは?」
「だが───そんな暇はないと、また断られるのではないか?」
寿命は延びたが────現状は変わっていない。
昨日の鍛練の場で、リゼラに言われたあの言葉は、浮かれていたルガレドたちの目を覚まさせるものだった。
ラムルでさえも、ルガレドの寿命が延びたことで、状況が良くなったように錯覚してしまっていた。
リゼラだけが────冷静に現状を見据えていた。
「リゼラ様の仰ることは尤もです。あと2ヵ月弱、やれることはやっておかねばならないと私も思います。ですが───だからといって、まったく休息をとらないわけにはまいりません。それに、これからもっと忙しくなると思われますし────今のうちに休息をとることは、私は賛成です」
「そうだな…、その通りだ。しかし───リゼにどうやって休息をとらせるか…」
「旦那様、私にお任せくださいませんか?」
「ラムルに?」
「要は────リゼラ様に皆で出かけるのを承諾してもらえれば良いわけでしょう。リゼラ様が出かけざるを得ないように、話を持ち掛ければいいのです」
※※※
「おはようございます、リゼラ様」
翌朝───早速、ラムルはリゼラに話をするべく、邸の厨房へと赴いた。
最近は、お弁当とお弁当がない日の朝食はリゼラが作り、それ以外の食事はすべてカデアが作っている。
リゼラは、今日も冒険者として活動するつもりのようなので、自分とジグとレナスの三人分のお弁当を作っているのだ。
レナスはルガレドの護衛としてつく予定だが、ルガレドはロウェルダ公爵邸で食べさせてもらうことになっているので、レナスには昼食を持たせなければならない。
ちなみに、アーシャは、ロウェルダ公爵邸で侍女修行なので、昼食は公爵邸の使用人と摂らせてもらい───ラムルとカデアは孤児院で、子供たちに指導をするので、子供たちと一緒に昼食を作って食べる。
「おはようございます、ラムル」
振り向いたリゼラは、小さな笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。
「お忙しいところを申し訳ございません。ちょっとご相談したいことがございまして…」
ラムルがそう切り出すと、リゼラは表情を引き締める。
「何でしょう?」
「旦那様のことなのですが───ご相談というより、お願いですね」
「レド様のこと、ですか…?」
「ええ。どうも最近、旦那様はお疲れ気味のようでして────私もカデアも心配なのです」
「確かに、最近疲れていらっしゃる感じですよね…」
ラムルの口から出まかせだったが、リゼラは何か思い当たる節でもあるのか、顔を曇らせる。おそらく、ロルスの授業で気疲れしているところでも思い浮かべているのだろう。
ラムルは自分で言い出しておいて────大切な女性に心配をかけるなど、まったく坊ちゃまは情けない────と、ルガレドに対して理不尽な義憤を覚える。
「旦那様に休息をとっていただくよう進言したのですが、聞き入れてくださらないのです。ですから、リゼラ様───旦那様をどこか静かな場所にでも連れ出してくださいませんか?」
「静かな場所───ですか?」
「ええ。心洗われるような───自然豊かで…、静かな場所で過ごせば、心も休まると思うのです」
「それは…、とてもいいと思います。言われてみれば、レド様は最近休息をとっておりませんし、これから忙しくなることを考えると────休めるうちに休んでいただいた方がいいですよね…」
リゼラは少し考え込んだ後、ラムルにその澄んだ蒼い双眸を向けた。
「解りました。行く当てや、詳細などは決めてあるのですか?」
「そうですね…、護衛やお世話などを踏まえると────総出で行けたらと思っております」
「皆で────いいですね。きっと、レド様も喜びます」
ラムルの言葉を聴いて、リゼラの顔が綻んだ。
ルガレドは皆で行くよりもリゼラと二人だけで過ごす方が喜ぶだろう、とラムルは思ったが────言わずに、ただ笑みを返す。
「それで、行く場所なのですが───リゼラ様、どこか良い場所を知りませんか?」
「それなら、心当たりがあります。深い森なのですが…、奥に綺麗な湖があって────皆にも気に入ってもらえるのではないかと思います」
聴いているこちらも楽しくなるような────弾んだ声音で、リゼラは答えた。
ジグが話していた────リゼラの“お気に入りの森”に違いない。
「全員の日程を合わせなければいけませんね。ロウェルダ公爵邸に寄ったら、ロルスとマイラさんに、レド様とアーシャの都合を伺ってみます」
「いえ────調整など、細かな手配は私が致します。リゼラ様は、旦那様に共に出かけることをお願いしていただくだけで良いのです」
「そうですか。それでは、調整と手配の方はラムルに任せます」
リゼラは軽く首を傾げてそう言って────よほど楽しみなのか、嬉しそうな笑みを零す。
ラムルは、いつもの凛としたリゼラからは考えられない────年相応のその笑みに、微笑ましくなりながら頷いた。
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