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コントラクト・ガーディアン─Over the World─

作者:tea4
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第一部 皇都編
  第十三章―愚か者たちの戯言―#5

 
前書き
管理官ビバル編―前編―となります 

 

※※※


「あーあ…、俺の負けか」
「ひひ、わりぃな。金貨7枚だぜ」

 負けて金貨7枚もの大金を払わなければならないという状況にも関わらず─────ビバルはそれほど気にした様子もなく溜息を吐いた。

 ビバルと目の前のどう見てもチンピラとしか言いようのない男────ゲドがしていたのは、この国だけでなく周辺国でも嗜まれているボードゲームの────“賭け試合”だ。

 ゲームの勝敗に金貨を賭けるこの“賭けゲーム”は、ベイラリオ侯爵家が台頭し始めた頃、皇都の繁華街でされるようになった。

 広まるにつれ────賭ける金額が大きくなり、それに伴って(たち)の悪いものへとなっていった。

 現在、この“賭けゲーム”を好んでするのは、裏稼業に係わる人間か、スリルを求めて身持ちを崩すタイプの人間だけだ。

 もっとも身持ちを崩しそうなタイプの人間────ビバルが、こうして下手の横好きで、弱いくせにこの“賭けゲーム”で身持ちを崩すことなく続けていられるのには、訳があった。

「後で、ちゃんと払えよ。金貨7枚だからな」
「わかってるって。明日にでも引き出してくるからよ」
「いいよな、お前は。いい金蔓があってよ」
「まあな」

 ビバルは、中年に差し掛かったばかりの────ぎょろりとした目つきで、あまり人好きしなさそうな男だが、列記とした皇城に勤める文官だ。それも、財務管理に関わる部署で、管理官をしている。

(そういや、ここんとこ、あの皇子来てねぇな…)

 あの皇子というのは、この国の第二皇子ルガレドのことだ。

 補佐官も専属の侍従も持たないルガレドが経費を申請する際、ビバルが担当することが暗黙の了解となっていた。

 ルガレド皇子は、後ろ盾もなく、皇妃に疎まれているため、他の管理官たちが関わりたがらないためだ。

(皆、バカだよな。あんないい金蔓いねぇのに)

 そう───先程、ゲドが言っていた“いい金蔓”というのは────ルガレド皇子のことだった。



 翌日─────

 ビバルは出仕すると、早速、昨日の負けを補うために、書類を作成し始めた。

 ()()()()()()()、経費を申請する書類だ。

(さて、何の申請にするかな…。“外壁の塗り直し”は、ちょっと前に()()()ばかりだから、またやるのはおかしいし────あ、そういや、あの皇子、婚約したんだっけ…。我が儘で傲慢な公爵家の次女っつってたよな────それを使うか。我が儘娘が散財しても、おかしくはないもんな)

 ビバルは、自分の思いついた考えが、とても上等に思えて────にたりと笑った。

 ドレスや装身具だと金額は高が知れている。やはり、ここは───部屋の改装だろう。

 ビバルは、いつも通り、先人が作成した同じような内容の申請書を取り出し────ほぼ丸写しして、さほど時間をかけずに、“ルガレド皇子の邸の改装を申請する”旨の書類を書き上げる。申請する金額は金貨15枚にしておく。

 後は────これを“管理課”に提出して許可をもらい、許可書を持って金を受け取りに行くだけだ。

 あたかもルガレド皇子本人が申請したように装って、偽の申請で許可をもらって、ルガレド皇子の予算から金を引き出す────管理官としての立場を利用した偽造と詐欺。これが────ビバルの手口だった。

 ルガレド皇子が、ビバルが偽造で使えそうな申請をしてきたときは、『許可が下りない』と言って却下してある。

 だから、ビバルは好きなときに自由に申請を偽造することができた。

(今年度も、あと2ヵ月ちょっとか。確か、予算の残りは金貨270枚だったよな。新年度で新しい予算がつく前に、出来るだけ引き出しておくか…。使い切らなきゃ勿体ない)

 ビバルはそんなことを考えながら────自分の所属する“申請課”を出ると、同じ階層にある同じ部署の“管理課”へと向かった。


「許可できません」
「は?」

 管理課でいつものように申請書を提出し────当然許可が下りるだろうと思っていたビバルは、顔見知りの管理官の言葉に耳を疑った。

 その管理官は少々生真面目過ぎるところがあり、融通が利かない奴なので、些細な不備でもあったのかと考えたが────以前、同じ文書を丸写ししたときは通ったことを思い出し、ビバルは顔を歪めた。

(嫌がらせかよ)

「…何故ですか?」
「ルガレド殿下の予算は、現在、この部署の管理下にはありません」
「……は?」

 ビバルは言われたことの意味がすぐには理解できず、間抜けな顔を晒す。

「ルガレド殿下の補佐官が、全てを管理しておりますので────こちらでは申請は受けられません」
「ルガレド皇子の補佐官……?」

 言葉を繰り返し────驚きに呆然としているビバルに、相対する管理官は眉を顰めた。訝しむ管理官に気づかず、我に返ったビバルは詰め寄る。

「ど、どういうことだ!?何で、ルガレド皇子に補佐官なんか────この俺に一言も断らず…!」

「いや、貴方に断る義務はないとは思いますが────この申請を受けたときに補佐官のこと、お聞きにならなかったんですか?
いえ────そもそも…、補佐官が管理しているのに、ルガレド殿下は、何故、貴方のところに────この部署に申請に来たんですか?」

 管理官の疑わし気な声音と表情に、ビバルは自分がへまをやってしまったことを悟る。

「あ、いや…。これ、実は、少し前に申請されたものでして。ルガレド皇子も補佐官がついて、この申請、必要なくなったんなら連絡して欲しかったな、と」
「…そうですか。それなら────その申請、もう必要ありませんよね?」

 暗に早く帰れと言われて、ビバルは憮然としたが、訊かなければいけないことがあるので、表情を戻す。平静を装って、ビバルは口を開いた。

「ところで…、ルガレド皇子の補佐官というのは誰が?」
「…それを知って────どうするんです?」

 生真面目な管理官は、疑いを越えて、ビバルを警戒し始めているようだった。これ以上はまずいと考えたビバルは、あっさりと引き下がる。

「いや。どんな方がなったのかな、と興味があっただけです。────それじゃ、私はこれで」

 軽い口調でそう答えて、ビバルは管理課を出た。内心の焦りを表すように、足取りも荒々しくなる。

(くそっ。あんないい金蔓、逃してたまるか)


 その後、管理課の別の管理官を捉まえて、何とか聞き出したところによると────ルガレドの補佐官というのは、ルガレドの婚約者であることが判った。

 そう────あの我が儘で傲慢だという公爵家の次女だ。

 ビバルは、それを知って歯噛みする思いだった。

 きっと、その我が儘娘が、ルガレドに充てられた予算を自由に使うために、無理言って補佐官に就任したに違いない。

 自分の金蔓を横取りされた────そう思うと怒りが込み上げてくる。

(どうにかして、その女に接触しないと────)

 横取りされてしまったのは悔しいが────相手は、ろくに教育も受けていない世間知らずのお嬢様だ。

 会うことさえできれば、何とでも言い包めて────共犯に収まるなり、支配下に置くなりできると、ビバルには根拠のない自信があった。

 その女は、すでにルガレドの邸に住んでいるという。

 ルガレドは、確か────毎食、下級使用人用食堂で摂っているはずだ。

 その女も食堂で食べるのか、それとも食堂の不味い食事を拒否して自分で調達しているのかは知らないが、食事時が接触のチャンスだと考え────ビバルは昼食時、夕食時とルガレドの邸の近くで張っていた。

 しかし────どちらも現れずじまいで、結局その日は姿すら確認できずに終わった。



「よお、ビバル。金は持ってきたか?」

 皇城から行きつけの酒場に直行し、ビバルが遅めの夕食を摂っていると、ゲドがやって来て、勝手に相席に座った。

「それがよ、ちょっとトラブルがあってな」

 ビバルは軽い気持ちで切り出す。

 “賭けゲーム”を通してしか付き合いはないとはいえ、ゲドとは知り合って、それなりに長い。

 だから、ゲドは金の受け渡しを待ってくれる────当然のように、そう思っていた。

「…なんだと?まさか…、持ってこなかったのか?────お前、今日、持ってくるっつったよな…?」

 ゲドの顔から笑みが消え、こめかみに太い血管が走るように浮き上がる。

 眼は見開かれているのに、瞳孔が縮まっていて、ゲドの怒りに塗れた表情はビバルを恐怖させるに十分な迫力があった。

 この表情には見覚えがある。初めてゲドと“賭けゲーム”をしたとき───大負けして、手持ちの金がないと告げたら、された表情だ。

 翌日に必ず支払うことを約束させられ────そんな大金を用意できるはずもなく、どうしようもなくなって、ルガレドの予算に手をつけた。

 そうだ────あれが、始まりだった…。

 ゲドがこういう性質だと────何故、忘れていたのか。それは、金さえきちんと渡していれば、怒りを見せられることがなかったからだ。

 だから────ビバルは、そのことを忘れているばかりか、ゲドと友人にでもなったような錯覚をしてしまったのだ。

 ゲドが、ビバルに寄ってくるのは────ルガレドの予算から引き出す多額の金が目当てなだけなのに。

(金が引き出せないと解ったら────殺される…!)

 そこらを這う虫けらでも見るような────ゲドのビバルを見る目の非情さに、そう直感する。

 ゲドが、ビバルを、自分と同じ“人間”だと考えていないのだと見て取れて────心の底からぞっとした。

「い───いや、今日は部署にトラブルがあって、申請できなかったんだ!明日────明日にはちゃんと引き出してくるから…!」

 ビバルは首と両手を忙しなく左右に振りながら、叫んだ。

「ホントだな…?明日には────持ってこいよ」

 ゲドの言葉に、ビバルは今度は縦に首を何度も振る。湧き上がる冷や汗が散って、気持ち悪かった。

 その後、ゲドに“賭けゲーム”に誘われたが、ビバルは丁重に断って自宅に帰った。古い集合住宅で、借りているのは独身者が多い。ビバルも例に漏れず、一人で住んでいる。

(まずい、まずい───まずい…。どうしたら───どうしたらいいんだ…)

 帰り道でも自室に戻ってからも、そんな言葉が巡るばかりだった。


◇◇◇


 とにかく、ルガレド皇子の補佐官である女に会わなければならない。

 焦っているビバルは、怪しまれるのも構わず、下級使用人用食堂に赴き、ルガレド皇子の婚約者が現れないか────下級使用人たちに聞いて回った。

 婚約者は一度しかここに来ていないという。婚約者だけでなく、ルガレド皇子も最近はここに食べに来ることがないみたいだった。

(くそっ、どうしたらいいんだ…!)

 他に接点となるような情報はないかと────ダメ元で、さらに聞き回っていると、意外な情報を聞けた。

 情報元は女の下級使用人だったが、情報源はその恋人である下級兵士だ。

 何でも、ルガレド皇子とその婚約者は、毎朝、下級兵士用調練場で手合わせをしているらしい。

 そういえば────ルガレド皇子の婚約者は武門イルノラド公爵家の出で、婚約者である前にルガレド皇子の親衛騎士だったと、ビバルは思い出した。

(我が儘で────勉強も修行もしなかったって話じゃなかったか…?)

 情報の齟齬に、一瞬、違和感が走ったが────すぐに、頭の隅に追いやってしまった。

 その日の夜は、ゲドが怖くて────皇城から出ず、職場で夜を明かした。

 そして────翌日、ビバルが下級兵士用調練場に行ってみると、下級兵士がいるだけで、ルガレド皇子もその婚約者の姿もなかった。

 下級兵士の一人を捉まえて訊くと、ルガレド皇子たちが鍛練を行うのは、兵士たちが集まる前────早朝とのことだった。

(もっと早く来なけりゃダメだったか…)

 そして────さらに翌日。ビバルはまたもや職場で夜を明かし、日が昇らないうちに下級兵士用調練場に向かった。

 2日連続で、職場の硬い椅子を繋げて仮眠をとっただけのビバルは、首と腰の痛みに顔を顰めた。

 歩いていると、夜の闇に日の光が混じり始めて、闇が段々と薄まるようにして夜が明けていった。

 調練場に辿り着くと、すでにルガレド皇子とその婚約者が手合わせを始めているようだった。

(ようやく会えたのはいいが────これから、どうするか…。どうやって、ルガレド皇子と引き離して、二人で話をするか…)

 悩んでいると、調練場の片隅に下級兵士たちが集まっているのが目に入った。

(何をしているんだ?)

 近寄ってみると、兵士たちは────ルガレドとその婚約者の手合わせを、熱心に見ていた。

 その中に、昨日、ルガレドたちのことを訊ねた兵士を見つけ───また訊ねてみる。

「あんたら、一体、何してんだ?まだ、鍛練の時間じゃないだろ?」
「ああ、昨日の…。いえ、ルガレド殿下たちの手合わせを見ているだけです。あの二人────すごいなんてものじゃないんです」

 兵士の声音は上擦っていて、まるでルガレド皇子とその婚約者に心酔しているかのようだ。

 見回せば、そこにいる兵士たちすべてが、そんな感じだった。

 ビバルは────視線を戻した兵士につられるようにして、ルガレド皇子とその婚約者に眼を遣り────見開いた。

 ルガレド皇子が手にしているのは、両手剣だ。対するルガレド皇子の婚約者は、ショートソードを両手に1本ずつ手にしている。

 その攻防は、二人とも体重がないのではないかというくらい────流れるような滑らかな動きで、事前に示し合わせているかのように剣を打ち合う。それは、さながら演舞のようで、兵士たちが見惚れるのも解る気がした。

(あれが…、ルガレド皇子の婚約者─────)

 ハーフアップにして後ろに流したままの───艶やかな黒髪が、動く度に宙に舞う。ビバルがこれまで目にしたことのないほどの────美しい少女だ。

 凛とした表情には知性が感じられ、その嫋やかな身体が流麗に動く様は長いこと鍛練を重ねてきたのだと────武芸とは縁遠いビバルでさえ判る。

 勉強も修行もしたことがない────我が儘で傲慢な公爵家の次女。

 この噂が事実でないことを理解して────あの少女は、ルガレド皇子の予算を自分の恣にするために補佐官になったわけではないと判明して────ビバルは深く暗い絶望を覚えた。

 あれは駄目だ────

 ベイラリオ侯爵家によって腐敗する皇宮にあっても、管理課のあの管理官のように、朱に交わることなく清廉潔白な輩が一定数いるが────あの少女の醸す空気は、彼らとよく似ていた。

 あの少女は、ビバルがどんなに言葉を尽くしたところで、ビバルの横領に手を貸しはしないだろう。それどころか────ビバルを罪に問おうとするに違いない。

 ああ…、もう───ルガレド皇子を食い物にすることはできない───
 
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