金木犀の許嫁
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第三十話 夢で会ってその八
「攘夷派についたら」
「大変ですね」
「警察組織も崩壊するでしょ」
「それだけで」
「だからね」
「幕府は芹沢さんを放っておけなくて」
「それでね」
その為にというのだ。
「粛清したみたいよ」
「近藤さん達に言って」
「そうみたいよ」
「何か漫画や時代劇とは違いますね」
「お世話になった人のお葬式のお手伝いしたりね」
自分から近藤を誘ってそれで一緒に行ったという。
「その時退屈していた子供さんに落書きを描いて一緒に遊んであげたりね」
「気さくな一面もあったんですね」
「お店を焼き討ちした時も」
芹沢の悪事の一つとして批判されていることだ。
「周りに火が及ばない様に配慮して」
「やったんですね」
「そうした人だったのよ」
「それなりに出来た人でしたか」
「あの人はね」
「そうですか」
「それでね」
そのうえでというのだ。
「あの人も和歌をね」
「詠んでましたか」
「そうだったのよ」
「そうでしたか」
「教養もあって当時の武士の人達はね」
「漢詩や和歌を詠めましたか」
「戦前の軍人さん達もね」
武士道を学びその時代の武士であると自覚していた彼等もというのだ。
「ちゃんとね」
「詠めたんですね」
「辞世の句も遺してるけれど」
特攻隊を考えだした大西瀧次郎が有名だろうか。終戦の時に切腹し和歌のそれを遺している。
「他にも何かあるとね」
「詠んでいましたか」
「乃木大将もね」
この人物は文才があったことでも知られている。
「そうだったしね」
「昔の軍人さんも教養があったんですね」
「今の自衛官さん達とはまた違うのよ」
真昼はやや真顔になって述べた。
「どうもね」
「戦前までの軍人さんは」
「それでね」
そうであってというのだ。
「本当に和歌や漢詩をね」
「詠んでいましたか」
「伊藤さんも凄かったけれど」
「他の人達もですか」
「戦前はね」
「軍人さん達も」
「教養あったのよ」
それこそ武士の様にというのだ。
「凄いでしょ」
「はい、確かに」
「何かね」
ここで真昼はこうも言った。
「真田家は和歌とかとは」
「あっ、あまり縁は感じないですね」
「戦国大名の人達も和歌謡ってたけどね」
「信玄公もですね」
「主家にあたるね」
真田家のというのだ。
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