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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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激闘編
  第九十四話 下準備 Ⅰ

帝国暦487年2月20日12:00
フォルゲン宙域、オルテンベルク星系、銀河帝国、銀河帝国軍、ケスラー艦隊旗艦フォルセティ、
ウルリッヒ・ケスラー

 「複数の商船を臨検しましたが、武器弾薬、禁制品の類いは積んでおらず、積荷の殆どは小麦等の糧食品の類い、そして穀物生産プラントの部品でした」
「所属はどうなっている?」
「はっ、懸念された通りフェザーン船籍ではありますが叛乱軍の民間輸送会社の所属となっております」
「そうか…どの船でもいい、船長をここへ連れて来れるか」
「可能です。ですが尋問の結果も特に不明な点はありませんでしたが…」
「分かっている。直接話を聞いてみたいのだ、参謀長」
「了解致しました」

 ミューゼル閣下の命を受け、シャンタウからここフォルゲンのオルテンベルク星系に移動した。叛乱軍の商船が出没しているという。私の艦隊はシャンタウに居たから、一番近いという事で調査を命じられた。当然ながら訓練も継続しているが、調査の中に臨検も含まれるとなると通常の哨戒行動と変わらない。それにフォルゲンの先はアムリッツァだ。ここフォルゲンにも叛乱軍艦艇は出没するから、哨戒どころか遭遇戦が生起する事も腹案として持っておかねばならない。骨の折れる任務だ…。
 連れて参りました、というブレンターノ参謀長の報告と共に姿を現したのは、背が高く恰幅もいい筋骨隆々とした黒い肌の男だった。民間人とは思えない程、堂々としている。
「名前を教えてくれないか」
そう言うと、男は軽く一礼してデア=デッケンと名乗った。古い姓だが、帝国にもある姓だ。
「デッケンさん、貴方は叛乱軍の輸送会社の所属でありながら、帝国内を航行していましたね。何故ですか」
「…尋問で答えた通りですよ。糧食品の輸送です」
「それはそうかも知れないが、帝国と叛乱軍…失礼、自由惑星同盟は戦争中の間柄だ。民間人で直接戦闘行為に関係が無いとしても看過する事は出来ないのです。航路データによると貴方の船はアムリッツァを出発してオルテンベルクに向かう事になっていた。同盟軍からの依頼によるものですか?」
「いいえ、違います」

 見た目同様、この男は頑なな性格の様だ。独航の商船の船長ともなると自然に肝が据わるのだろうが、叛乱軍からの依頼ではなく叛乱軍そのものなのかもしれない。尋問で判明した事実をまとめた書類をめくってみると…これは…。
「デッケンさん、貴方の出身はクラインゲルトなのですか?」
「そうですが、何か」
クラインゲルト…フィーアは元気だろうか。叛乱軍のアムリッツァ占領の時も逃げ出す暇はなかった筈だ。そもそも辺境過ぎて定期便すらまばらだった。
「奇遇ですね、私もクラインゲルト出身なのですよ。今のクラインゲルトはどうなっていますか?」
男の表情が僅かに動いた。同郷と知って驚いたか、嘘の経歴がバレると恐れたか…。
「…お陰様で帝国が時代より栄えていますよ。人も増えました。おそらく閣下の知っている頃のクラインゲルトとは全く様変わりしていると思います」
「そうですか。叛乱…同盟軍の統治は行き届いている様ですね」
「はい。母をちゃんと病院に通わせる事が出来る様になりました。給料もちゃんと貰えるし有難い事だらけですよ」
そう言うとデッケンと名乗る男は初めて笑顔を見せた。男の言う事は本当なのだろう。
「それはよかった。デッケンさん、改めて聞きます、目的は何ですか。敵であっても貴方は民間人だ、私の上官からも民間人の拘束は禁じられています。私は本当の事が知りたいのです、同郷の誼だ、教えてはいただけませんか」
デッケンと名乗った男は暫く下を向いて考えていたが、意を決したのだろう、緊張した顔で話し始めた。
「同胞を…今は敵味方ですが、同胞を救う為です」

 「閣下、宜しいのですか、放免してしまっても」
「構わん。独航の商船では何も出来ぬし、たとえ敵性分子でもあの男は民間人だ。ミューゼル閣下からも非戦闘員を無闇に捕らえるなと言われている」
「ですが、あの男は明らかに軍人ですよ」
「だろうな。ルドルフ大帝が『劣悪遺伝子排除法』を発布された結果、有色人種は流刑地に流されたかして帝国領域から居なくなってしまったからな」
「では…」
「独航の商船では何程の事も出来んし、あの男の任務も本当に糧食品の輸送だろう。拿捕された時の事を考慮して他の任務は与えられていないと考えるべきだ。下手に拘束しては次が来なくなるとは思わないか?」
「成程、敢えて泳がすと…」
「そうだ。それに、あの態度を見ただろう?敵中囚われているにも関わらず、毅然とした見事な態度だった。帝国軍は勇者を遇する方法を知らぬと思われても嫌なのでな」


 ”同胞を助ける為、罪滅ぼしだと?”

「はい。同盟に属した後のアムリッツァは、帝国時代より数段栄えている、以前の様に暮らしに困る事はなくなった。であれば以前のアムリッツァの様に日々の生活に困っている帝国辺境の同胞に援助の手を差し伸べるのは当然だと。それが同盟に降ってしまった我々の、帝国に対する罪滅ぼしだと。クラインゲルト氏からの依頼によって援助が行われている様です。この事は叛乱軍は黙認している、と尋問した商船の船長は申しておりました。実際に他の商船にも武器弾薬、危険物の類いは積載されておりませんでした」

”首肯出来る部分と、出来かねる部分があるな“

「はい。それに民間人を装ってはおりますが、尋問した船長は叛乱軍の軍人か、叛乱軍に所属している者で間違いありません」

”ほう…何故だ?“

「黒人でした。有色人種は帝国領域には居りません」

”…そうか、そうだな“

「もう少し調査を進めて、全容の把握に努めたいと思います」

”宜しく頼む。だが無理はするな、アムリッツァはすぐそこだ“

「心得ております」



2月21日10:00
ヴァルハラ星系、オーディン、ミュッケンベルガー元帥府、宇宙艦隊司令長官公室、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 「叛乱軍は黙認しているというが、黙認ではなく奴等の軍事行動の一環だろうな」
ミュッケンベルガーの顔は険しい。確かに険しくならざるを得ない。叛乱軍は謀略によって辺境を引き寄せようとしている…。
「辺境を援助…叛乱軍としては当然取り得る選択だと考えます」
「同盟に降った罪滅ぼしとは…芸が細かいな」
「心情的にはそうだと思います。確かに辺境は貧しいですから」
「それで叛乱軍も黙認か…言い訳としては成り立つな。放置は出来ん。だが…」
ミュッケンベルガーはその先を口にしなかった。結果が容易に想像出来るからだ。叛乱軍と通じたと辺境の貴族を処罰すれば、本当に辺境は叛乱軍に通じてしまうだろう。別の事態も想像出来る。仮に辺境の貴族を処罰を行ったとする。辺境の領地を治める者が居なくなるのだ、大貴族達が我先にと実力で奪うかもしれなかった。結果、辺境の混乱が帝国中枢にまで波及し、皇位継承問題とは別に力を伴う宮廷闘争が始まる事になる…嫌らしい手だった。時間はかかる、だが確実に帝国にダメージを与える事が出来るのだ。
「叛乱軍が実際に援助を行う範囲や規模はそれほど大きくないと思われますが、いずれは辺境全体に叛乱軍の援助の話が伝わるでしょう。そうなればドミノ倒しの様に我先に援助にありつこうとする辺境の在地領主が現れるかもしれません」
「…そうなると帝国中枢の大貴族にも話が伝わるのは時間の問題だな」
「はい…事は軍が処理する範囲を越えていると思いますが」
帝国の統治の根幹を揺るがす問題だった。帝国は、戦争にかまけて辺境を放置してきたツケを払わされようとしているのだ…。

 ミュッケンベルガーは従卒を呼び入れると、コーヒーを用意させた。従卒が出ていくと小さなため息を吐いて再び口を開いた。
「もう一つ問題がある」
「問題、ですか」
「基本的にはいい話なのだがな、卿からのこの報告を聞いた後では問題と言わざるを得ん。叛乱軍がフェザーンを通じて捕虜交換を打診してきた」
捕虜交換だと?目的は何だ?謀略を仕掛ける一方で捕虜交換の打診…これも謀略の一環なのか?
「捕虜交換に際して、叛乱軍は何か条件をつけたりはしていないのですか」
「いや、単純に捕虜の交換のみだ。上層部はそれで真意を図りかねている」
叛乱軍との捕虜交換など、知り得る限りでは聞いた事が無い。
「捕虜はどれ程存在するのでしょう?」
「此方には二百万人程ではなかったかな。あちら側も似た様な数字の筈だ」
二百万…そんなに居るのか。叛乱軍はどうか分からないが、公式には帝国軍人の捕虜は存在しない事になっている。宇宙空間の戦闘での行方不明者は戦死扱いになるし、帝国の国是として叛乱軍…政治犯に降伏するなど許されないからだ。消息が伝わって来たとしても、余程の高位の者でないと残された家族に伝えられる事はなかった。それに、捕虜交換と言ってもただ交換するだけでは終わらない。捕虜になった経緯…降伏したのか、負傷等でやむを得ず囚われの身になったのか…帰国後の彼等の処遇に関わる膨大な事務作業が発生するのだ。
「この休憩が終わり次第リヒテンラーデ侯の許へ向かう。卿も同行せよ」
「はっ」

新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)の北苑にある国務尚書執務室に通されると、そこには既に軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部長シュタインホフ元帥が到着していた。
「副司令長官が来るとは聞いていないが」
「私が同行を許可した。叛乱軍への対処は副司令長官に一任してある、後から話すより手間が省けるのでな。宜しいか、軍務尚書」
エーレンベルクはフンと鼻を鳴らしただけで、ミュッケンベルガーの言葉に応える事はなかった。やりとりを見ているエーレンベルクも肩をすくめただけだ…どうやらこの二人からはまだ信用されていない様だ…部屋の主であるリヒテンラーデ侯が一つ咳をした後、口を開く。
「卿等を呼んだのは他でもない、捕虜交換の件だ。前例の無い事なのでな、専門家たる卿等の意見を聞こうと思ったのだ」
部屋の中には我々の他にもワイツ補佐官、ゲルラッハ財務尚書が同席している。二人はリヒテンラーデ侯の腹臣だ。
「その件につきまして、ご報告がございます」
「何かな、ミュッケンベルガー元帥」
ミュッケンベルガーが俺に目を向けた…俺に報告しろという事か…。
「初めて御意を得ます。宇宙艦隊副司令長官、ミューゼル大将であります。おそれながら、辺境にて由々しき事態が発生しております」
「由々しき事態とか」
「はい。自由惑星同盟を僭称する叛徒共が、我が帝国の辺境の在地領主の方々に物資援助を行っております」
部屋の中が静まりかえる。内心皆驚いているのだろうが、それを表に出す者は居ない。
「辺境に叛乱軍が援助…辺境の貴族を罰するも下策、放置も下策…嫌らしい手をうってきたものよの」
リヒテンラーデ侯はそう言って薄く笑った。報告を聞いて瞬時に判断した…流石は帝国の国務尚書と言うべきだろうが、無策ではいられないのも事実だ。
「侯、笑っている場合ではありますまい。捕虜交換を持ちかけておきながら一方では帝国領土を蚕食する…彼奴等の好き勝手にさせておく訳にはいきませんぞ」
「では何か策がお有りかな、軍務尚書」
「それは…」
逆に問いかけられてエーレンベルクが言い澱む…ふん、こういう時は黙っておくのが一番なのだがな…捕虜交換を持ちかける一方で辺境の援助…何かある筈だ…。
「まあよい。辺境の件はひとまず置いて、捕虜交換について話し合うとしようではないか。まず軍務尚書、卿はどう思われる」
「私は反対ですな。捕虜と申しましても、軍では戦死者として扱っております。仮に、此方にいる叛乱軍の捕虜と同程度の人数が戻って来るとすれば、その者達をどう扱うのか…単純に軍に復帰させる訳にも参りません、中には共和主義に逆洗脳された者も一定数は存在する筈です、混乱を招きますぞ」
「ふむ。統帥本部長はどうか」
「半ば賛成、半ば反対ですな。軍務尚書の仰る通り共和主義に毒された者も居るでしょう。ですが節を曲げずに帝国への忠節を守り通した者も居る筈…叛乱軍の目的が奈辺にあるか、交渉の中でそれを明らかにするのが先決でしょう」
「そうか。司令長官はどうかな」
「私は賛成です。彼等は叛乱軍の虜囚となりながらも捕虜の地位に甘んじて来た。帝国の為に戦い、力尽きてやむを得ず囚われたのです。それを我々が拒否するとなれば、むしろ彼等を叛乱軍に追いやる結果となりましょう。軍務尚書の言う様に共和主義にかぶれた者も存在するでしょうが、それは杞憂に過ぎない。そういう者達に対しては帰国させた上で改めて対処すればよい」

 三者三様…リヒテンラーデ侯はどう決心するのだろう。俺は賛成だ。ミュッケンベルガーの意見が一番近い。帝国の為に戦い抜いた者を厚く遇せずして、今戦っている兵達に戦いの意義をどう問うのか。捕虜の帰還を認めないとなれば、兵士の命は使い捨てと公言する様なものだ。そんな国家に誰が忠誠を誓うというのか…国内で新たな不穏分子を育てる結果になるだろう。
「ミューゼル大将はどうかな」
思わず背筋が伸びる。本来俺はこの場には呼ばれてはいない、答えてもいいのだろうか。思わずミュッケンベルガーに目をやった。
「構わん、卿の思うところを述べよ」
「はっ……小官は賛成であります。皇帝陛下の御為、帝国の為に戦った者達の帰還を認めない…これでは兵士達は安心して戦えません。更には何の為に戦うのかと兵士達に疑心を抱かせる結果となりましょう。生還を褒め称え、厚く遇するべきではないかと思う所存であります」
「ふむ…ミュッケンベルガー元帥も卿も、流石は直に兵を率いて戦う者の意見よの」
「ありがとうございます。ただ、注意すべき点もございます。叛乱軍が帰還兵の中に工作員を紛れ込ませるかもしれません。捕虜交換の実行時には所要の事務手続もございますれば、その際身元確認には細心の注意を払うべきかと存じます」
「成程、工作員か…此方がその手を使ってもよいかもしれぬな。皆ご苦労であった、軍の皆は散会して構わん」

 移動の地上車に乗り込むと、ミュッケンベルガーは大きな息を吐いた。
「工作員か…卿の言う通り、考えられない事ではない。卿自身はどれくらいの可能性があると思っているのだ?」
「あくまでも可能性の話ですから…問題提起しておいて何ですが、叛乱軍が此方に工作員を送り込むメリットは余り無い様に感じています」
「それは何故だ?」
「帝国は叛乱軍が自ら標榜するような自由と平等の国家ではありません。潜入した工作員が諜報活動を行うとすれば、ある程度此方の権力中枢に食い込めるだけの地位が必要になりますが、その点での身分擬装が難しいと思うのです。協力者も居らずコネも無いのでは権力中枢に食い込むのは難しいでしょう」
「そうだな…であれば、むしろリヒテンラーデ侯も仰った様に此方から送り込む事を考えた方がいいかもしれんな」
「はい。叛乱軍を構成しているのは皆平民です。平民であっても高級士官、将官という地位にあってもおかしくはない。権力中枢に近付く事も可能です」
「…捕虜交換が実現するかどうかは分からんが、捕虜の中から人選を進めよう。任せてもよいか」
「了解致しました」



宇宙暦796年2月26日14:00
バーラト星系、ハイネセン、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍、ハイネセンポリス郊外、統合作戦本部ビル、宇宙艦隊副司令長官公室、
ヤマト・ウィンチェスター

 “帝国側の反応は悪く無い様だ。あちらさんも兵力の補充には難儀している様だね。あと例のアンケート結果が後方勤務本部から上がって来た。そちらにデータを送るから、目を通しておいてくれ”

「ありがとうございます」

グリーンヒル本部長からの電話が終わると同時に、ミリアムちゃんが質問してきた。
「例のアンケートというのは、我々に囚われている帝国軍捕虜の件でしょうか?」
「うん、そうだね。さて、どんな結果になったものやら」
PCのメールフォルダを開くと、確かに本部長からのメールが届いていた。添付データを開く……捕虜の総数、百九十七万五千二百人……帰国を望む者、百六十七万八百四十六人……同盟への亡命を望む者、二十五万二千六百五人……残り五万千七百四十九人…残りの約五万人は分からないと答えたのか…紙に出力した添付データをミリアムちゃんも見ている。
「ローザス少佐、どう思う、これを」
「およそ二十五万人もの帝国軍人が亡命を望んでいるというのは意外です。分からないと答えた者達が五万人も存在するのも意外でしたが」
「うん。帰国希望の者達は、帰国後の展望がある人達だろうね。家族が待っているとか、貴族階級なら家を継ぐとかね」
「では、亡命希望者は帰国後の人生設計において悲観的な人々…という事でしょうか」
「そういう人も居るだろう。帰国しても係累が居ないとかね。でも今まで戦ってきた敵国に亡命するというのは余程の事だよ。幸運な事に同盟の捕虜収容所の待遇はいいとは言えないが、悪くはない。中の下、と言った所だろう。それに、捕虜は収容所の外に働きに出ているんだ。収容所の中も捕虜の自治に任せている所がほとんどの様だ。敵性軍人だからといって罰せられる事もない。帝国の様に階級社会という訳でもない。同盟も悪くない、と思ってくれたんじゃないかな」
「はあ…」
「住めば都、という言葉もあるしね」
「では、分からないと答えた人々はどうなのでしょう」
「そこは本人達にしか分からないさ。分からないと答えた捕虜達には再度希望調査をする事になっている。いずれ結果は出るよ」
「そうですね……ですが何故本部長は閣下にこのデータを?閣下が捕虜交換を提案なさったからですか?」
「それもあるけどね…面倒な事は私が処理する事になっているらしい。シトレ前本部長からの申し送り事項なんだと」
既にフェザーンを通じて帝国には打診済みだから、実現するしないに関わらず早急に準備を整える必要がある…事務処理と捕虜の移動に一ヶ月、帰還兵の収容と移動に一ヶ月……。
「少佐、本部長にアポを取ってくれ」
返事と共にミリアムちゃんが本部長に電話を入れる…各艦隊の面倒はビュコック長官に見て貰うしかないな、長官だってこんな面倒臭い事やるよりそっちの方がいいだろう…。
「一五〇〇時以降でしたら時間が取れるそうです」
「ありがとう、了解した」

 グリーンヒル本部長の執務室に行くと、既にコーヒーが用意されていた。
「アンケート結果は見たかね?」
「はい。それについてですが、そろそろ事務局を立ち上げませんと。私が事務局長をやります」
「君が事務局長をやるというのか?まあそれは構わないが、いいのかね?」
「各艦隊の方はビュコック長官にお任せします。面倒臭さではこっちの方が上でしょうから」
「そうだな。ビュコック長官もそちらの方がやりやすいだろう」
「はい…ところで質問なのですが、捕虜交換についてフェザーンは何も言っていないのでしょうか」
「フェザーンが?何か気になる事でもあるのかね?」
捕虜交換の打診はフェザーンを通じて行われた。外交のチャンネルがそこだけだから仕方ないのだけど、こういうチャンスを陰謀好きのルビンスキーが見逃す筈は無いと思うんだよな…。
「いえ…ただ、フェザーンが絡むとロクな事がありませんからね。トリューニヒト委員長から何かお聞きではありませんか?」
「フェザーン絡みの話は特に聞いていないな。ただ、捕虜交換の全権代表を誰にするかで揉めている様だ」
本部長によると、サンフォード最高評議会議長とトリューニヒト国防委員長とで揉めているという。政府主体で行うのか、軍主体で行うのか…という事らしい。
「成功させれば政治家としての株は上がるからな」
「確かにそうですが、相手…帝国がなんと言うか」
「君はどう思うかね」
帝国は同盟を対等の存在として認めてはいない。フェザーンを通じて捕虜交換の話が来た…話は聞いても実行するとなると、帝国政府主体ではなく帝国軍にやらせるのではないだろうか。
「帝国にも面子がありますからね、互いの政府同士ではまとまる物もまとまらないのではないでしょうか。あちら側は門閥貴族が黙ってはいないでしょう。叛乱軍に膝を屈した、と大騒ぎするかもしれません」
「…もしかして君はそれを狙っていたのか?」
「いや、ただの思いつきですよ。思いつきの副次効果としては否定しませんけどね。人口の少ない同盟が帝国に勝つには、政治的にも戦闘においても主導権を握り続けなければなりません。帝国を引っ掻き回すしかないんです。帝国内部が一つにならない様な手を打って」
「帝国辺境に対する援助もそうだな」
「はい。その通りです」
「ところで、同盟へ亡命希望の捕虜達はどうするのだ?」
「本人達の希望にもよりますが、軍属または軍人として迎えいれたいと思います。何年か兵役を務め軍で得た技能を社会で活かす事が出来れば、同盟での生活に困る事はないでしょう」
「職業訓練の様な物か。向こうでも軍人だったのだから、似た環境に居た方が慣れるのは早いかもしれんな」
「もう一つ目的があります。亡命した者達の覚悟を問う事です」
そう、帝国を捨て同盟市民になるという事は極端な話、市民になったその日から帝国と戦う、という事なのだ。その覚悟を問わねばならない。
「そうだな、大事な事だ。祖国を敵とするのだからな。だが当面は後方勤務に就けた方がいいだろう」
「そうですね。ですがそれはおいおい決めましょう。彼等の受け入れも重要ですが、帰還兵の処遇も決めねばなりません」
「そうだな」

 空になったカップに二杯目のコーヒーを注いだ。俺の分だけではなく、本部長の分も用意する。本部長はデスクから応接ソファに移動すると、深々と腰をおろした。
「帰還兵か…帝国での捕虜生活はどうなのだろうな。想像もつかん」
「はい。帝国では我々は犯罪者、反逆者扱いです。そもそも帝国と同盟の間には捕虜の処遇に関する取り決めがありません。無事である事を祈るばかりです」
同盟軍は女性兵士も前線勤務に就く。当然捕虜の中には女性兵士も存在する。捕虜といっても処遇が定まっていないのだ、女性に限った事ではないが死んだ方がマシ、という扱いをされる事もあるだろう。
「中には軍を恨む者も居るかもしれませんね。上層部がしっかりしていれば、捕虜になる事はなかった、と」
「だろうな。一概に軍に復帰させる、という訳にはいかないかもしれない」
原作での捕虜交換の際もこういった事があったのかもしれない。だからアーサー・リンチは工作員として利用された…。
「帝国軍は帰還兵の中に工作員を紛れ込ませるかもしれません」
「工作員?破壊工作か?」
「目的は破壊工作とは限りません。情報収集、欺瞞工作…様々な目的が考えられます」
原作での捕虜交換は帝国…ラインハルトから同盟に持ちかけられた。内戦状態に入った帝国に対して、同盟に余計な手出しをさせない為だった。自分で問題提起しておいてアレだけど、今帝国が同盟に工作員を潜入させるメリットはあるのだろうか?原作のあの時期、同盟は揺れていた。アムリッツァでの大敗のあとで、国防体制の再構築もままならず、政治不信も加速していた。結果ラインハルトから策を授かったリンチの暗躍でグリーンヒルがクーデターを起こした…本人を目の前して言うのもアレだけどね…。

 今の同盟はそれほど追い詰められてはいない。心理的に追い詰められいる、と思うのは帝国だろう。先日の戦いで此方に一矢報いたものの、アムリッツァもイゼルローンも取り戻してはいないのだ。しかもラインハルトを宇宙艦隊副司令長官に抜擢して、同盟に対する盾として使おうとしている。三バカ提督が言った通りミュッケンベルガーはすぐには前線には出てこない。時期的に考えると皇帝の体調やらを気にしての事だろう。ラインハルトとしては願ったり叶ったりだろうが、麾下の兵力が少ないから、能動的に此方に何か仕掛けるという訳にもいかない筈だ。となると、もし工作員を潜入させるとなると同盟そのものではなく同盟軍に対する工作になる可能性が高いな…。
「此方からも工作員を送り込んではどうだろうか?」
本部長が思いつきを口にした。
「いいお考えだとは思いますが、難しいでしょう」
「何故かね?」
「帝国が階級社会だからです。身分擬装が難しい。権力中枢に潜り込めるある程度の身分と、帝国の現体制を覆そうという信念と気概のある者でないと厳しいでしょう。平民階級であれば擬装は簡単ですが、工作員としての行動範囲が限定されてしまいます。それに…」
「それに?」
「事が露見した場合、帝国の同盟に対する態度は硬化するでしょう。帝国政府はどうでもいいが、平民階級へのマイナスイメージは避けたいのです。彼等は帝国に対する潜在的な反乱階級ですからね」
「なるほどな…君の言う通り、あくまでも誠実に事に望んだ方がいいだろうな。事務局長の件は了解した。欲しい人材や必要な物があれば言ってくれ。トリューニヒト委員長にも話をしておくから、辞令はすぐに下りるだろう。ビュコック長官には君からも話をしておいてくれ」
「了解いたしました」

 




 
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