冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
夏日
前書き
いろいろ悩んだ結果、公務として日本に行かせることにしました。
ドイツの天気は、日本と違って暦通りの物ではない。
7月に摂氏30度に迫る好天が続いたかと思えば、8月には20度を切る日がある。
また南部と北部では気候が違い、ベルリンなどでは海風の影響が強く降雨量も多い。
ただし、それとて我らが住む日本のそれより湿度が低く、降雨量も少なかった。
地上の陰鬱な天気を別として、上空は常に澄み渡るような晴天だった。
鮮烈な青い色合いが迫ってくるような感覚に陥る。
「ブラウ1より、ブラウ10へ、しっかりとついて来い」
「了解!」
気密装甲兜のレシーバーから響いた編隊長の声に返答したアイリスディーナ・ベルンハルト少尉。
MIG-21のコックピットで居心地の悪そうに背中を動かす。
網膜投射に移る画像から、右前方を飛ぶ編隊長機を見る。
向こうからこっちは見えないはずなのに、一体どこから目を付けているのだろうか。
経験豊富な古参兵だからだろうか、それとも戦場を生き残ってきた素質だろうか。
彼女は、北方の守りを任せられた東独コットブス空軍基地で、一番若いMIG-23の衛士だった。
第1防空師団第1戦闘航空団に配属されて、まだ1年もたたない。
この半年間、気の抜けない日々の連続だった。
第1戦闘航空団に配属されるという事は、将来の展望が開けていると同意義だった。
しかしそれは、ソ連帰りの実戦経験者から手荒い訓練を受けることを意味していた。
アイリスディーナの訓練を受け持つ人々は、普段は優しく、酒が入れば率直な人間だ。
だがひとたび空に上がれば、それ以上の力で物事に対処し、躊躇なく彼女の欠点を指摘してきた。
アイリスディーナが訓練していた日は、大規模な実働演習の開始日だった。
東独軍では数年ぶりに行うもので、空軍司令官の視察も兼ねていた。
実はワルシャワ条約機構軍の間では、1970年代の後半に西方77という軍事演習を行うつもりだった。
だがBETA侵攻でそれも取りやめになり、東側諸国の軍隊の練度は低下した。
そこで東独軍は新たに友好国となった米国やポーランドとの間で軍事演習を2年おきに実施する事にした。
実際に部隊を動かす実働演習と、地図上で部隊を動かす図上演習である。
米軍との相互理解・信頼関係の強化を目的とした実働演習が始まるとコットブス空軍基地は緊張に包まれた。
アイリスディーナが勤務する第1防空師団の庁舎は、いつもよりも騒々しかった。
基地を行き交う兵士の数が多く、彼らの足取りは早かった。
実働演習のメインは部隊であるが、司令部の中もあわただしかった。
報告や決済に訪れる幕僚の数も多く、副官室の前に並んで待つほどだった。
その日の昼間、司令部庁舎の車寄せに黒塗りの高級車が止まった。
東ドイツの国産車・ヴァルトブルク311ではなく、ソ連製のジル114だった。
このソ連製の高級車を、東独の要人たちは、GAZのチャイカと共に好んで使った。
中から降りてきたのは、薄い水色のシャツに灰色のスラックスという略装の航空軍司令官。
この四角い眼鏡をかけた男は、国防副大臣の一人でもあった。
そしてもう一人の陸軍将官は、シュトラハヴィッツだった。
彼は、真夏というのにワイシャツ型の略装ではなく、杉綾織のジャケットに、乗馬ズボン。
灰色の姿は、まるで1940年のフランス戦でのドイツ軍のそれであり、国章以外は全く同じつくりであった。
二人の来訪で、基地の機能は完全に止まった。
司令部への報告や決済は後回しにされて、近くにいた将校はその対応に追われた。
わずか二人のVIPのために、師団司令部が混乱したのはなぜか
東独軍は、ソ連式の軍事ドクトリンを採用しており、そのすべてが上意下達型だ。
大隊、連隊規模では考えることはなく、ベルリンにある最高司令部の命令で動く。
その為、司令部要員の数も、司令部の規模も小さく、中隊長が大隊の幕僚を務めた。
また、訓練された下士官団は存在したが、それは西独軍に比して規模が小さかった。
そして、本家本元であるソ連赤軍では、下士官団が存在しなかった。
ゆえに、下級将校は西側でいうところの下士官の仕事をせねばならず、負担が大きかった。
ソ連赤軍や衛星国の軍隊では、下士官とは、あくまで志願兵やその類である。
特殊な技能を持つ兵士や、定期雇用の一つでしかなかった。
「総員、傾注!」
裂帛一声、その場にいた将兵は気を付けの姿勢をとる。
「同志副大臣並びに、同志将軍に敬礼!」
彼等は、壇上の上にいる人物に礼を行い、それを受けた副大臣は教本のような見事な返礼を送った。
男の名前は、ハインツ・ゾルン(1912~1993)。
彼はかつて第三帝国時代のドイツ空軍に将校として10年間勤務した後、ソ連軍の捕虜になった人物だった。
1949年までソ連に抑留され、反ファシスト学校での再教育後に、東独に戻った。
SEDの幹部となった後、兵営人民警察に入隊し、1956年に人民航空軍少将になった人物である。
だがゾルン少将の様な旧軍人は、SEDお気に入りの新将校と違い、手ひどい扱いを受けた
1957年2月15日のSED政治局の決定により、旧軍関係者は、段階的に退役させられることとなったのだ。
旧軍関係者を信用できない指導部は、段階的に彼等を退役させ、実戦経験のない人物に任せることとしたのだ。
この結果、軍上層部は、参謀経験のある老練な将校が払底し、党や指導部におべっかを使う人物であふれた。
またゾルンが追放されたのは、当時の国防相ヴィリー・シュトフとの不仲によるものだった。
兵卒上がりの大臣と、このエースパイロットはそりが合わなかったのだ。
だが今の議長は、退役させられていたゾルンを現役復帰させ、航空軍および防空軍の中核へ彼を送った。
議長は、この事によって、三軍全てを自分の派閥の人事で固めることとなったのだ。
基地の総員は、不意の来訪にもかかわらず、うまく対応して見せた。
アイロンのかかった制服に、磨き上げられた軍靴、それらを見せつける様なガチョウ足行進。
奇麗に塗装し直された戦術機や自走ロケット砲などを展示し、副大臣を満足させ、彼からの感謝の意を受け取った。
共産国の軍隊の常として、このような政治指導者への接待は、訓練よりも重要視されたのだ。
一連の儀式が終わった後、アイリスディーナは師団長室に呼び出された。
彼女の服装は、濃紺の強化装備から男物の戦闘服に着替えていた。
アイリスディーナが、男物の戎衣を着ているのには訳があった。
彼女の172センチの身長と、98センチという豊満すぎるバストサイズのためである。
婦人用野戦服では、肩幅や胸周りがきつく、腕が思うように上がらなかったのも大きかった。
また基地の将兵や関係者のほとんどが男性だったので、彼等からの好機の目を避ける意味合いもあったのだ。
しかしその服装は、本人の意思を別として、大変に目立つものであったのは間違いがなかった。
政治将校に会うたびに風紀面で気を付けてほしいと、くだらない話をされたものだった。
アイリスディーナが部屋に入るなり、上座のゾルン副大臣兼防空軍司令から声を掛けられた。
室内には師団長の他に、シュトラハヴィッツ中将が、何故かいた。
「同志ベルンハルト少尉、君の着陸は、墜落かね」
かつてのドイツ空軍パイロットからの言葉は、非常に厳しいものだった。
その声と姿勢は、ソ連での抑留生活や長い退役生活を感じさせない軍人のそれであった。
空軍司令官は言葉を切ると、ゲルベ・ゾルテの箱を開け、両切りタバコを口に咥える。
楕円状の紙巻煙草に火をつけると、甘い独特の香りが室内に広がった。
数分の沈黙ののち、司令官が再び口を開いた。
それまでかけていた型の古い四角いフレームの老眼鏡を、ゆっくりと机の上に置く。
その眉と眼差しの間に、ふと、音の発するような感情が露出していた。
「君は国家人民軍の宣誓を覚えているかね」
アイリスディーナは、老将軍の視線に見つめられ、俄然、おののきを覚えた。
明らかな狼狽えを表し、新兵特有のコチコチの態度になり、やや間をおいてから答えた。
ゾルンの声と態度に、ついつい士官学校で教え込まれた習慣が顔を出したのだ。
「宣誓!
私はドイツ民主共和国に忠誠を誓い、労農政府の命令に従い、常にいかなる敵から……」
「答えなくて良いぞ」
ゾルンは、空軍大将の声と態度で、アイリスディーナの声を遮った。
老将の声は、そこが第1防空師団長室ではないかのように、堂々と響いた。
「要するに、君は国家と軍に忠誠を誓っているという態度は本物だという事だろう」
「その通りであります、同志ゾルン大将。
このアイリスディーナ・ベルンハルト少尉が、絶対の自信をもって確約いたします」
「よろしい!
私は、第一航空戦闘団の同志たちに全幅の信頼を置いている」
ゾルン大将が沈黙する間、アイリスディーナに遅れて、オズヴァルド・カッツェ中尉が入ってきた。
彼は、病気療養中のハンニバル大尉の後任として、大隊長代理についていた。
「強行軍で済まないが、同志ベルンハルト、同志カッツェの二人には明日中に東京に飛んでもらう」
カッツェが入室した頃合いを見て、それまで黙っていたシュトラハヴィッツ中将が口を開く。
「同志カッツェ、ちょうどよいところに来た。
君には、同志ベルンハルトと共に東京サミットの随行員として参加してほしいと同志議長から下命があった。
これは東西融和の一環と思ってくれればいい。
また向こうの政威大将軍御自らが東独軍の英雄にお会いになりたいとご所望になられている」
東独軍のソ連派遣部隊である第1戦車軍団の評判の高さは、ワルシャワ条約機構だけではなかった。
砲弾やミサイルが少ない状況下で光線級を撃破し、航空爆撃を可能とした光線級吶喊を行った部隊の名前は広く知れ渡っていた。
「随行員として参加し、向こうのショーグンとお会いできるのは、大変この上ない名誉と心得ますが……
僭越ですが……本官が行ってどうにかなるのでしょうか」
カッツェは、恥じ入って言う。
「同志カッツェ中尉、実をいうとな、私も君の考えに賛成なのだ。
完熟訓練も終えていない衛士を、そのような国際会議の場に引っ張り出すのはふさわしくない」
アイリスディーナが、めずらしく不機嫌な顔をしているのが気が付いた。
だがシュトラハヴィッツは穏やかな口調で、この若い少尉を諭すことにした。
「私としては、心苦しいのだが、しかし日本政府の要請を断れば、今後の国際関係に傷をつけかねない事態になる。
東西融和を行い、友好関係を保つのも、また祖国のためになるのだ。
これも任務だと思ってほしい」
シュトラハヴィッツは、若い将校たちにこれまでの交渉経緯を詳らかにした。
この話の四日前、東独政府首脳に秘密裏に日本大使が接触した。
そこで対ソ宣伝煽動として、東独軍精鋭であった第40戦術機実験中隊の関係者の訪日を要請されたのだ。
だがシュトラハヴィッツは、衛士たちの機密保護という観点から、その提案を固辞した。
大使から再三の提案がなされたが、アーベルを通じて日本側に連絡し、その提案を下げさせた経緯があった。
そこで日本側は宣伝戦ではなく、将軍個人による引見を希望したという形をとることにした。
(引見とは、身分の高い人間が身分の低い人間と会う事を示す言葉である)
日本との関係拡大を願っているのは、東ドイツ側である。
すでに日本の大手ゼネコンによる東ベルリンの再開発や、合弁会社による半導体工場の建設などが決まっている。
もしここで日本側から資本を引き揚げられたら、困るのは東ドイツである。
将軍の鶴の一声で、合弁事業が中止になれば、日本からの技術導入が不可能になる。
合弁事業を進めている大規模集積回路以外にも、東ドイツが必要としている技術は多数ある。
小規模な基地局を経由する無線電話を始めとする高性能な通信機器や、最新鋭の自動車生産設備。
どれを一つとっても、今後の経済発展には必要なものばかりだ。
日本との友好関係は、長い目で見なければならない。
その為に、将軍からの無体ともいえる要求を受け入れざるを得なかった。
そこで、送り出しても一番実害の少ないアイリスディーナが、カッツェ中尉と共に選ばれたのだ。
彼等は、戦術機部隊のメンバーとして訪日することが、軍指導部によって決められた。
「そういう事情ならば、日本に行きます」
カッツェは微笑を浮かべ、返答した。
「このような機会がなければ、日本の首都を訪れるなど、二度とないかもしれません。
ましてや国家元首に会えるなど、望外の僥倖です。
カッツェ中尉以下、喜んでご招待に与ります」
「そう言ってくれると助かる」
後書き
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ただし、19日中の返事は遅れます。
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