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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
  シュヴァルツェスマーケンの主要人物の考察

 
前書き
 ここで、一旦シュヴァルツェスマーケンの主要人物の考察をわかる範囲で書き記したいと思います。
読んでいて、誰の子供で、誰の父親か、判らない場合もあるでしょう。
 

 
 アイリスディーナ・ベルンハルトの家族。

 父:ヨーゼフ
 母:メルツィーデス
 兄:ユルゲン(1954年7月1日生。『隻影のベルンハルト』の主人公)

 すでに作中で散々述べたので、簡単にまとめて書く。
 ヨーゼフは外交官だったが、東ドイツや東欧の国家公務員の中で蔓延しがちだったアルコール依存症の患者だった。
 ユルゲンの口からは、母が浮気してからアルコール依存症が始まったように言及しているが、恐らくそれ以前から傾向があったのではなかろうか。
息子であるユルゲンも、勤務中に幾度も飲酒をする傾向にあるからだ。 
 母であるメルツィーデスに近づいたダウムは、言及はされていないが、海外で彼女に接近したことを考えると中央偵察総局(HVA)のロメオ工作員であることは疑いの余地がない。
 メルツィーデスの年齢は言及されていないが、ダウムとの再婚後に男の子を設けていることを考えると、ヨーゼフとの結婚は20歳前後だったのであろう。
そしてユルゲンとアイリスディーナを捨てて、ダウムと結婚したときは30代後半だったのではなかろうか。
30代後半であれば、ギリギリ子供が産める年齢だからだ。
(50年前の、西側の医療水準に劣る東独で、40歳を超える高齢出産の子供は健康に育つ方が難しいからだ)
 HVAは、局長のマックス・ヴォルフの方針で、そのほとんどが大卒者で固められていた。
 なお、長官のエーリッヒ・ミルケは無学文盲の出で、正式な大学教育を受けていなかった。
のちに東独のスパイ学校の学長の地位に昇り、ヴォルフに学位を授与した。



 ベアトリクス・ブレーメの家族

 父:アーベル
 母:ザビーネ
 
 アベール・ブレーメは経済企画委員会に名を連ねる官僚。
経済企画委員会は、1960年代後半には解散している団体。
 年齢の言及はないが、父親(ベアトリクスの祖父)がソ連に家族ごと亡命をしていることを考えると、1920年代から1930年代生まれと考えられる。
 ベアトリクスが父親の事に関して年齢的な不満がないところを見ると1930年前後の生まれと考えられる。
 妻ザビーネも同じくらいであろう。
なお、ザビーネの職業に関しては言及はない。
 
 アーベル・ブレーメのモデルは、経済官僚のエーリッヒ・アーペル(Erich Apel)(1917年10月3日~1965年12月3日)。
なおアーペルは、ソ連との貿易協定の署名の数時間前に、自動拳銃で自殺したとされる。
(KGBおよび、シュタージによる暗殺説あり)





 カティア・ヴァルトハイムこと、ウルスラ・シュトラハヴィッツ
  
 父:アルフレート
 母:エルネスティーネ(作中ではすでに故人。1968年1月8日に死去)

 シュトラハヴィッツ少将は、ハイム少将とほぼ同年代で従軍経験があることから、作中では恐らく50代。
 エルネスティーネは、婦人兵か、軍属。
シュトラハヴィッツ少将は、ハイム将軍の仲人(なこうど)で、エルネスティーネと結婚した。
原作中での明確な言及はなかったが、将軍と夫人とはかなり年齢差があった事がうかがえる。
 エルネスティーネの死因は、本編では明らかにされていないが、産後の医療ミスによる事故死であることが、『隻影のベルンハルト』の雑誌掲載分で明らかになった。
 シュトラハヴィッツ少将は、1968年当時、チェコスロバキアに派兵された経験がある第7装甲師団の師団長。
史実での師団長は少将で、従軍経験のある人物だった。
(モデルとなったヴェルナー・ヴィンター(Werner Winter)氏は1923年生まれで、101歳。
今もご健在のようだ)



 リィズ・ホーエンシュタイン

 父:トーマス
 母:マレーネ
 
 トーマスは劇作家で、マレーネは女優。
映画「善き人のためのソナタ」(原題: Das Leben der Anderen.2006年)をモデルにして作られた節がある。
原作中では、冬季の危険な越境を行い、シュタージ配下の国境警備隊に射殺される。 

 なお、史実では越境以外にも公式の亡命ルートがあり、弾圧に耐えて、待てば、出国できた。
人質のために西ドイツは1万ドル相当の身代金を払い、東ドイツから購入していた。
 ちなみに国境警備隊は、1961年の創設以降、国防省の管轄であった。
劇中の国家保安省(シュタージ)の下部組織というのは、明確な誤りである。
 東独国境での越境は危険で、無警告で射殺するようにホーネッカーが指示を出していた。
ミルケやヴォルフは、ホーネッカーによる射殺命令を知っていたが、知らぬと答えて、後に虚偽罪で収監された。
(後にミルケは高齢のため、ヴォルフは恩赦で出獄した)



 キルケ・シュタインホフ

 祖父:ヨハネス・シュタインホフ将軍

 キルケの家族構成は、公務員の両親と年の離れた弟である。
婚姻に際して夫の姓を名乗る西ドイツの制度を考えれば、キルケの父親は、シュタインホフ将軍の子息である。
(西ドイツの民法で統合姓が認められたのは1975年以降。夫婦別姓は1992年以降)

 シュタインホフ将軍は実在の人物で、ルフトバッフェのエースパイロットだった人物。
ヨハネス・シュタインホフ(1913年9月15日-1994年2月21日)。
178機撃墜のエースパイロットだったが、終戦直前の航空機事故で大やけどを負い、全身に跡が残った。
その為、戦後の肖像写真ではいつもサングラスをかけるようになってしまった。
1969年に、靖国神社を公式参拝した際に記念植樹をしたことで知られる。
 

 
 

 
後書き
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