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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
  卑劣なテロ作戦 その2

 
前書き
 シュタージ関連の資料を調べると、まあスパイ戦が激しい事。
という訳で、史実を反映した話になります。
 一応、登場する実在の人物は全員物故者です。
まあ、50年前が舞台の小説ですからね…… 

 
 西ドイツにおける騒動は、遠く極東にあるウラジオストックのソ連KGB本部にも伝わっていた。
一連の事件の対応策が、KGB首脳の間で練られていた。
「ほう、やりますな」
 失笑を漏らした第一総局長をたしなめるように、KGB長官が言った。
「ど、どうするのだ!」
神妙な顔をするKGB長官に、第一総局長は問いただした。
「木原は、ベンドルフ郊外のザイン城ですか」
「そうらしい」
「少し電話を貸していただけますか」
 そういうと、男は黒電話のダイヤルを回して、ボンの駐独ソ連大使館に電話した。 
「ボンにいる、オルフに仕事だ」
 オルフとは、ドイツ連邦議会下院議員であるウィリアム・ボルムのコードネームである。
1950年代から、KGB、シュタージのスパイとなって、西ドイツ議会に潜入した。
「ま、まさか……」
KGB長官は、驚いたような声を出した。、
「そういう事もあろうかと段取りをつけておきました。
西ドイツ議会に潜入中のオルフを通じて、緑の党のメンバーを集めます。
そして木原をドカンとやります。
みんな、東ドイツの支援を受けたドイツ赤軍派の仕業だと思いますでしょう」

 当時のKGBは、圧倒する米国の最新軍事技術に対抗する政策として、テロリズムを堂々と推し進めていた。
それを裏付けるような東側の情報機関当局者の発言もある。
 証言者は、イオン・ミハイ・パチェパ(1928~2021)。
ルーマニアの対外情報機関長で、チャウシェスク大統領の政治顧問でもあった人物だ。
 パチェパの証言によれば。
1956年から1971年までKGB第一総局長であったアレクサンドル・サハロフスキーKGB大将が、よく発言したとされる言葉である。
「核兵器のために軍事力が陳腐化した今は、テロリズムが我々の最大の武器になるであろう」


 
 KGBは、ドイツ赤軍、日本赤軍などの極左暴力集団の支援を行った。
友邦の東ドイツや、シリア、レバノン、南イエメン、北鮮などを通じて、武器、資金、訓練所を提供させた。
ソ連が、テロリスト支援国家という、評判を防ぐためである。
 数々の国際テロ事件を起こした、パレスチナ解放人民戦線(PLFP)は、無論の事。
1970年台に頻発した国際ハイジャック事件の裏には、常に赤色勢力の魔の手が伸びていたのである。
 つまり、シュタージのミルケやヴォルフは、甘言で西ドイツの善男善女を非公式協力者にリクルートする傍ら、テロ集団であるドイツ赤軍に資金と武器を提供し、西ドイツの市民を恐怖のどん底に陥れていたのだ。
 キルケが東ドイツを犯罪国家と表現したことは、全くの正論であり、事実であった。
ソ連にとって、東独のシュタージを使ってのテロは最大の国家機密の一つであった。
 日夜、ソ連の宣伝部門は、「ソ連は平和友好国家」とか「ソ連は反テロリズム国家」と喧伝していた。
だが、それは、自らの犯罪行為をカバーする偽装工作であったのだ。
 西ドイツにおけるドイツ赤軍のテロ事件は、西側社会の不安定化工作の一端であった。
盤石と見えたソ連の支配体制が揺らぎだしたこの時代において、ドイツ赤軍の行動はKGBの利益を守るものであったのだ。
  
 KGB長官は、第一総局長に皮肉交じりに答える。
第一総局長は、冷笑をもらした。
「大勢の犠牲者が出る事だろうな」
「ホホホホホ。
やむを得ない事です。
木原が、わがソビエトの要求を呑んでいれば、爆破されずに済んだことですから」
「すべての非難は、東西ドイツに集まるという事か。
かつてドイツ赤軍を支援した東ドイツと、警備体制が不十分な西ドイツ当局……
黄色猿(マカーキ)に下った犬畜生(サバーカ)どもも、いい気味よ!」
 当時のKGBは、西ドイツに対して深い敵意を抱いていた。
ルーマニアの対外諜報機関長パチェパが、ヘルムート・シュミットの手を経て、米国に政治亡命した為である。
これにより、ルーマニアの対外諜報は勿論のこと。
KGB、GRU、シュタージの、一連の対外テロ工作などの悪行が、白日の下にさらされた。
「左様です」
「よかろう。フハハハハ」

 西ドイツ政界の上院議長を通じての、マサキ暗殺作戦。
 なぜソ連秘密情報部は、そのような事が可能であったのか。
それはKGB、GRU、シュタージと言った東側のスパイが、西ドイツ諜報の奥底に入り込んでいた為である。
 史実を基に関係者の名前を列挙したい。

 オットー・ヨーン(憲法擁護庁長官)
戦前からの弁護士で、ルフトハンザ航空の顧問弁護士出身。
ヒトラー暗殺計画に参加後、亡命し、ロンドンに移住。
 1950年に帰国後、憲法擁護庁の初代長官になる。
しかしまもなくKGBの調略により、スパイとなり、東ベルリンでシュタージに情報提供をしていた。
 1954年にKGBの手引きで東ベルリンへ亡命未遂事件を起こすも、帰国し、逮捕される。
4年半の実刑判決を受けるも、後に恩赦。
1997年に死去。

 ヨハイム・クラーゼ(軍事防諜局副局長)
戦前はナチス党員で、戦後は正式な将校教育を受けずに高級将校になった。
 ソ連軍により家族を殺害されるも、金欲しさから東ドイツに近づき、2重スパイになる。
東ドイツと接触するたびに5000ドイツマルクを受けとっていた。 
1988年にがんで死亡するまで、スパイであることが露見しなかった。

 ハンス・ヨアヒム・ティートゲ(憲法擁護庁対外防諜局長)
 別名:ヘルムート・フィッシャー。
 1979年に東ドイツ防諜責任者になるも、妻の死によりうつ病に陥る。
(シュタージの尋問調書によれば、妻の死はティートゲの家庭内暴力だという)
多額の借金とアルコール中毒を抱えた彼に、KGBが近づき、スパイにリクルートした。
 ティートゲは、1985年東ドイツに亡命し、東ベルリンのフンボルト大学で博士号を取得する。
1990年にKGBの手引きによりソ連に再移住し、当局の手配で大豪邸に暮らした。
最晩年は、ドイツ当局から逮捕におびえ、望郷の念を募らせたまま、2011年にモスクワで死去。

 クラウス・エドゥアルド・クロン(憲法擁護庁)
金欲しさで、シュタージとKGBのスパイになった人物。
 KGBによってソ連国内に移送される瞬間に心変わりし、自首する。
1992年に12年の刑を受けた後、1998年に恩赦で出獄。
2020年に死去。

 ソーニャ・リューネブルクこと、ヨハンナ・オルブリッヒ(連邦議会議員秘書)
ドイツ連邦議会議員ウィリアム・ボルム及び、マルティン・バンゲマンの秘書。
2004年に死去するも、葬儀にはマックス・ヴォルフが参列した。

 ウィリアム・ボルム(ドイツ連邦議会下院議員)
ボルム自身は、1950年代からシュタージの工作員で、オルフというコードネームで活躍していた。
 ドイツ自由民主党から、ドイツ社会自由党に移籍し、1988年に死去。
スパイであることが露見したのは、東独崩壊後であった。

 ウルスラ・リヒターこと、エリカ・リースマン(ドイツ追放者連盟書記長)
 西ドイツにあるドイツ追放者連盟の書記長を務めていた。
その関係上、西ドイツの東側政策の裏側を知ることが出来、順次シュタージに報告されていた。
 シュタージは前出のクラウス・クロンを守るために彼女を帰国させたくなかった。
だが、情勢悪化を理由に帰国した。
東ドイツに隠れ住むも、1992年に暴露され、罰金刑に処される。
2004年に死去。

 アルフレッド・ハンス・ペーター・シュプーラー(ドイツ連邦情報局工作偵察部)
 1968年から1989年までBND勤務の傍ら、シュタージのスパイを続けた2重スパイ。
BNDでの偽名は、アルフレッド・ペルガウ。
1971年にソ連とワルシャワ条約機構の監視任務に就く。
 ドイツ連邦軍とBNDの連絡員を務める傍ら、ドイツ共産党に近づき、シュタージと連絡を取る。
シュタージでの偽名は、ピーター・フロリアンで、中央偵察総局の将校となった。
 彼の報告書は、膨大で、未翻訳のまま、シュタージを通してKGBに譲渡された。
後に正規雇用のシュタージ中佐となり、特別に東ドイツの外交旅券を配布された。
褒賞として、33万マルクの大金の他に、数個の勲章を授与される。
 1991年に逮捕され、1994年まで収監。2021年に死去するまで保護観察処分を受けていた。

 著名な死没者だけでも、これである。
記録によれば、シュタージの非公式協力者は、西ドイツだけで6000人以上いたとされる。
 立派な防諜組織のあるドイツでこれである。
スパイ防止法のないわが日本では、恐ろしいほどの非合法工作員による赤い蜘蛛の糸が張り巡らされていることやら。
 KGBやGRUなど、敵国のスパイ機関から国民を守る組織がないのだ。
実に恐ろしい話である。
 
 さて、閑話休題。
話をソ連の外交政策に戻してみよう。
  ソ連の外交政策は、一貫して、近隣国家の弱体化である。
それは、日米欧の離間であり、急速に接近する日米中の関係崩壊である。
今回のマサキと西ドイツでの事件は、結果としてソ連を、KGBを元気づけることとなった。
 ソ連は帝政ロシア以来、スパイ工作を外交方針の重要局面に置いた。
ソ連の諜報機関であるKGBでは、その傾向が強く、スパイに対するある種の信仰ともいえる思想が根付ていた。
 その思想はチェーカー主義(チェキズム)とも呼ばれるもので、全世界のどこにでも、敵のスパイが潜入し、体制転換の陰謀を企てているとする世界観である。
 KGB長官、ユーリ・アンドロポフも、その例から漏れなかった。
彼はソ連の核戦力を質で凌駕する米国の核戦力、コンピューター技術を前にして、ある結論に至った。
それは、米国がソ連に対して先制核攻撃を仕掛けるという物であった。
 このことはアンドロポフに東ドイツへの介入をすすめさせる遠因となった。
必死になってソ連の先制核攻撃を止め、スパイ工作での弱体化を図ろうとしてたソ連の幹部や東側諸国を信用していなかった。
 ソ連指導部どころか、KGBも信用しなかった男である。
シュタージ幹部のミルケやヴォルフ達の事は、なおさら疑う事となった。
そこで、自らの甥であるエーリッヒ・シュミットこと、グレゴリー・アンドロポフを強引にシュタージに送り込み、東ドイツの再教育を狙ったのだ。
 その際、予想外の事が起きる。
 BETA戦争の真っ只中に現れた天のゼオライマーと、木原マサキという存在である。
マサキ自身も、謀略を用いて世界征服を狙った人物であったので、ソ連の弱体化を狙って、東ドイツに接近した。
 そして、KGBからの妨害を受けると、これ幸いと、ソ連に乗り込み、大暴れする。
白昼堂々、ハバロフスク空港で、ブレジネフとアンドロポフを暗殺してしまった。
 アンドロポフの妄想は、自らの死をもって、図らずも実現してしまうこととなった。
この事は、KGB職員たちの胸に、まぎれもない事実として、刻まれたのだ。
 ある種、KGBの病的な誇大妄想は、ソ連国内のみならず、外国にも向けられた。
西欧最大の対ソ国家・西ドイツと、極東最大の自由の拠点である日本に対してである。
 彼らは戦後の混乱期、いや戦前から長い時間をかけて、網の目の様なスパイ網を構築し、日独に対して、秘密作戦を実施した。
ことに、防諜機関も防諜法もない日本に対して、合法、違法を問わず苛烈な有害活動を行った。

 その明朝。
 ベンドルフ郊外のザイン城には、複数のボンネットトラックが向かっていた。
ドイツ連邦軍のトラックに偽装した20台の車列には、武装したドイツ赤軍のテロリストおよそ250名。
 白いヘルメットにRAFとの黒い文字を書き、誤射を防ぐために赤い星の書かれた白地のゼッケンをつけていた。
そして身に着けた木綿製で紺地のプルオーバーのヤッケとオーバーズボンの下には、それぞれ私服を着ていた。
 マサキにつかまった際に民間人だと言い張るためであり、また逃亡しやすくするためでもあった。
それは、国際法で否定されていた便衣兵という存在そのものであった。
 
 運転席に座っていたRAF戦闘員のヴォルフガング・グラムスは、激しい機械音に気が付いた。
年代物のM54 5tトラックのエンジンとは明らかに違う音だ。
「もしや……」
 今日は、早朝からの濃霧だ。
視界は、全く悪い。
車のライトで、2メートル先の道路がかろうじて見えるほどだ。
「どうした」
「爆音らしきものが聞こえます」
 部下の報告に気づいたのであろう。
訝しげな声をかけた部隊長のクラウス・クロワッサンに、大声で声をかけた。
 クロワッサンは、耳をそばだてた。
前方からは激しいエンジンの音が伝わってくるが、その音に混ざって遠くよりジェットエンジンらしい響きが聞こえてくる。
「間違いなさそうだな」
クロワッサンは、頷き、携帯型の無線機を取り上げた。
「こちら一号車から、各車両へ。
爆音らしきものを確認。
目視不可能なれど、敵の戦術機と思われる」
 グラムスは、車を路肩に止めると、荷台に飛び乗った。
荷台の幌を外すと、M33対空2連装機関銃架を準備する。
 敵の姿は依然肉眼で炉らえられないが、爆音はそれまでよりもはっきり聞こえる。
「射撃準備!」
 誰かが叫んだ。
二連装のブローニング機関銃が空に向けられる。
 12.7ミリの銃弾は、至近距離から射撃すれば、F-4ファントムの分厚い装甲板を穿つ能力をもつ。
霧の中より浮かび上がる戦術機の姿を見た。
「戦術機です。敵です!」
「何をしている!撃て」
 号令(ごうれい)一下(いっか)、20台のトラックから一斉に銃砲が火を噴いた。
重重しい発射音と共に、赤い線が一直線に戦術機に向かって飛ぶ。
 続けざまに手投げ弾と火炎瓶が投げつけられ、火焔と黒煙が上がる。
沸き起こる炎が、戦術機を照らし出す。
 グラムスと数名のRAFのテロリストは米軍製の手投げ弾を投げる。
駐留米軍から横流しで手に入れたマーク2手榴弾で、形からパイナップルと呼ばれるものである。
 クロワッサンが外したかと思った瞬間、戦術機の多目的追加装甲に火焔が躍った。
一拍置いて炸裂音が響き、黒煙が上がる。
手投げ弾の一発が当たって、爆発したのだ。
 期せずして、テロリストたちの間に歓声が沸き起こり、こぶしを突き上げて、喝采した。
その声を標的にしたかのように、トラックの近くに銃火が(ひらめ)いた。
 別な戦術機が、応射をしてきたのだ。
腹に(こた)える様な砲声が、周囲に響く。
 20ミリ突撃砲のそれとは違う発射炎が煌めいた。
モーターに似た鋭い飛翔音が響き、M54トラックの正面や左右に爆炎が躍り、泥と土煙が飛び散った。
 GAU-8 アヴェンジャーから出る30×177ミリ弾が通り抜けるや、周囲の地面が吹き飛ばされ、テロリストたちは苦鳴(くめい)を発して倒れていく。
砲火を発していたM2重機関銃は、閃光と共に木っ端みじんとなり、機関銃手は朱に染まって倒れる。
 バズーカ砲や、迫撃砲、重機関銃が随所で爆砕され、沈黙を強いられていく。
鋭い爆発音とともに火焔が躍り、RAFのトラック20台は、金属製のたいまつに代わった。
 
 首領のルディ・ドゥチュケは、少数の手勢と共に脱出した。
火焔で全身が燃える部下たちを見捨てて、命からがら、近くにあったワーゲン・ビートルに乗り込む。
ライトをつけ、エンジンをかけると、そのままオーストリー方面に向かった。
 RAFの一群を襲った中に、例の白い機体はなかった。
みな銀面塗装で、国籍表示のない戦術機……
米軍のファントムと、見たことのないずんぐりむっくりとした機体だった。
 他に戦術機がいた様子はなかったから、手ごわいと思って撤退したのか……
 走るビートルの後ろ上方から、地上に向かって黒い影が伸びた。
路面の影を見て、ドゥチュケの喉から悲鳴じみた声が漏れた。
「ああああ!!……」
 最初に見た戦術機よりもはるかに大きな機影だ。
まっしぐらに、こちらに向かっている。
 後部座席に乗っていた部下の一人が、サンルーフから身を乗り出す。
携帯用バズーカのM72 LAWの砲身を伸ばし、肩に担ぐ。 
 轟然たる砲声が上がり、戦術機の頭部に閃光が走る。
戦術機は砲撃をものともせずに、突き進んで来る。
この車に突っ込んでくるつもりなのだろう!
「撃ちまくれ!近寄らせるな」
 その号令と共に運転手以外の人間は、ピストルや小銃でめいめいに攻撃を始める。
胸部装甲や肩に火花が散るが、阻止するには至らない。
 巨大な機体は、銃弾を蹴散らすようにして突っ込んでくる。
やがて地響きと共に、戦術機が道路に乗り上げてきた。

 呆然とするドゥチュケ達の前に、戦術機から二人の男が下りてきた。
 先に出てきた男は、半袖シャツを身に着け、ベルボトムのジーンズを履いていた。
背中に赤い鞘の刀を一振り背負っており、手にはドラムマガジンの機関銃を引っ提げていた。
 もう一人の男は、灰色の長袖開襟シャツに、黒のスラックス。
右手には、火のついたタバコ。
左手で、30連マガジンのついたM16A1自動小銃のキャリングハンドルを握っている。
「う、撃てッ!
て、敵は、た、たった二人だ……」
 その場にいる賊の全員が銃を向けるも、硝煙の一つも上がらなかった。
白い戦術機を追い返そうとして、銃弾も手投げ弾も使い果たしてしまったのだ。
 M16を持った男は、小銃を向けながら、不敵の笑みを浮かべる。
タバコを地面に投げ捨てると、こう切り出した。
「撃てないなら、消えてもらうぜ」
ドゥチュケは恐怖して、悲鳴をもらした。 
「ひッ!!」
 その叫びも終らないうちに、後ろにまわっていた男の手から、戛然(かつぜん)、大剣は鳴った。
ドゥチュケの首すじへ振り落され、ぱあっと、すさまじい(くれない)の閃きが光った。
つづいて、逃げようとした別の者たちの首も、一刀両断のもとに転がっていた。
 剣を振るったのは、白銀だった。
正面に立ってすさまじい血煙を被ったマサキは、強いて豪笑しながら、こう(うそぶ)く。
「あははは。
俺の命を狙わねば、こんなことにはならなかったものを……」
 しかもさすがに、そこの惨劇からは、眼をそらした。
やがて白銀の肩を叩くと、大股でゼオライマーの方に立ち去っていく。
 陽光の中に浮かび上がった屍に、地面をどす黒く染める血の池。
その中から白銀は、その首を取ったかと思うと、ふたたびマサキの元へ馳けもどった。 
 

 
後書き
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