冥王来訪
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
卑劣なテロ作戦 その1
前書き
久しぶりに休日投稿します。
なお作中の史実上の人物は、全員物故者です。
歓迎の宴は深更まで続き、キルケは酒に酔いつぶれて、眠ってしまった。
白人種のキルケは、決して酒に弱い方ではない。
今までに経験したことのないような連日の逃避行の疲労から、深い眠りについてしまった。
マサキは、このような歓待に乗じて、旨酒に媚薬や眠り薬を入れる手段を想定した。
そこで、密かにビタミン剤を飲んで、酔いを緩和していたのだ。
敵の陰謀や暗殺隊という物は、決まって深夜に動き出すものである。
前の世界での、KGBによるアフガン書記長暗殺事件も夕方から夜半だった。
ザイン城の近くに、渋いブルーグレーの車が止まった。
車種はメルセデス・ベンツの280SEセダン。
運転していたのは東洋人で、運転席と、助手席にそれぞれ一人づつ乗っていた。
「私は、大使館に連絡する。
君は、あの城の中に潜入して、偵察を頼む」
「分かりました」
そうして外套姿の男は、自動車電話をとった。
受話器を取り、ダイヤルを回す。
「もしもし、私です。
これから白銀君と、ザイン城をあたります」
受話器の向こうの相手は、短く返答した。
「そうか。
気を付けて、木原を確保しろ」
「では大尉殿、了解しました」
午前2時ごろ、ザイン城の邸宅にある呼び鈴がなった。
ドリスがドアを開けると、そこには二人の男が立っていた。
「あの失礼ですけど、こんな夜更けに、どちら様ですか」
目の前に立つ男は、東洋人で、真夏の夜というのに、分厚いトレンチコート。
後ろの若い男は、半袖のシャンブレーシャツに、裾がラッパのように広がったズボン。
若い男が履いていたのは、ベルボトムと言われるジーンズ。
米海軍の作業が起源で、1970年代に若い男女の間で流行し、ヒッピーなどが好んで身に着けていた。
「私が主人ですが、要件は何ですか」
男爵は、煙草入れからパイプに煙草を詰めながら、外套姿の男にこう尋ねた。
男は右手を出しながら、
「要件はただ一つ。
ここに滞在している男を、私たちに引き合わせたまえ」
あまりの言葉に、ドリスと男爵は驚愕した。
姿と言い、言動と言い、まともな男ではない。
これはおそらく薬物中毒か、ヒッピーだと、彼らは結論付けた。
「藪から棒に、何を言い出すんだ。
君たちは、気違いか」
外套姿の男は、机の上にある1000マルク紙幣の束を取る。
弄ぶようにして、金額を数えながら、
「ふむ、500万マルクか。
こいつは大金だな……まあよかろう」
男は、不敵の笑みを浮かべながら、男爵の方を向く。
「木原君は、この家のどこかだな。
よし家探しをさせてもらおうか」
男爵にも、これは、ちょッと不可解な相手であった。
本気か、威嚇か、理解しかねていた。
「冗談を言うな。
勝手な真似はさせんぞ!」
男爵は、ちょっとイライラした様子で返した。
外套姿の男は、不気味な笑いを浮かべつつも、男爵の目をねめつける。
「私が冗談を言っていると思うか!
本当に怪我をしたいのか」
飛び出した男の手には、ブルーイング仕上げで、箒の柄に似た木製の銃把が付いた自動拳銃!
モーゼル・シュネルフォイヤーで知られる、M172自動拳銃である。
「何時までも、勝手な真似はさせんぞ」
男爵は、腰のホルスターに手を書けようとする。
そしてもう一人の男の動きを見て、手をホルスターから離した。
「あッ……」
後ろに立つもう一人の男の手には、フォアグリップとドラムマガジンのついた短機関銃。
シカゴ・タイプライターといった通称を持つ、M1928トンプソン・サブマシンガンである。
男爵は、自分の妻に危害が及ぶのを恐れ、止む無く銃を持つのを諦めたのだ。
「手荒いのは我慢してもらおう。
それが、我々の務めだからな」
その内、物音に気が付いたマサキがドアの向こうから出てきた。
途端にあきれ顔になったマサキは、こう言い放つ。
「よせ、そいつらは俺の仲間だ」
その時、ドリスと男爵は顔を見合わせた。
場所を大広間に移して、話し合いが行われた。
マサキの話は、こうだった。
外套姿の男はマサキの仲間で、所要があって自分たちと別行動をしていた。
そして、マサキとキルケの事を迎えに来たという。
事情を知らないドリスと男爵は、彼らを左翼系の過激派だと早合点して、銃を出しそうになった。
マサキが来なかったら、流血の事態は避けられなかったとも……
「ハハハハ、そういう訳だったのか。
そいつは、どうも気の毒にな!」
マサキは、腹を抱えて笑い止まないのである。
むっとした男爵が顔を向けると、マサキはなお笑って答えた。
「さっきは、相当手荒いやり方で入って来たらしいな」
マサキが糺すと、今度はむしろ気の毒になったように、外套姿の男も真顔になっていった。
「いや、どうも申し訳ございません。
実は事情があったのです」
男は、平謝りに詫びいった。
「改めて紹介しましょう。
私は、鎧衣左近。東京から来たビジネスマンさ。
こっちの彼は白銀君だ」
「旦那様、奥様、大変お騒がせしました」
こんどは、ドリスの方がほんとに怒ってしまう。
そしてマサキを、普通の礼儀を知らない馬鹿者と見なした。
「以後、こういう事がないように気を付けてください!」
ドリスの怒りももっともである。
興奮して言う彼女に、笑って答えた。
「まあ、夜に機関銃を持ってくるのは強盗か、左翼のテロリストぐらいだからな。
用心には越したことはないか。フハハハハ」
場面は変わって、西ドイツのボン。
マサキ事件の対応を巡って、西ドイツ首脳は夜を徹して、密議を凝らしていた。
「二人の足取りは、つかめんのか。
不愉快だ!」
西ドイツ首相、ヘルムート・シュミットは満腔の怒りを込めて、こう言い放つ。
ボンの首相府に集まった、閣僚たちの顔色は優れなかった。
間もなく、伝令が、一大事一大事と、告げ渡って、飛んで来た。
「し、失礼します。
BNDのラインラント=プファルツ州局長から、緊急連絡が入ってきました!」
「何!」
「報告によれば、ゼオライマーで、そのままマイエン=コブレンツ郡に逃亡したそうです。
土地の貴族のザイン=ヴィトゲンシュタインと、接触を持ったそうです」
彼の報は、急電より詳細だった。
しかもみじめにまで殲滅をうけた国境警備隊の運命に、いまは疑う余地もない。
「奴らはそろそろ、シュトゥットガルトあたりだろう」
官邸に集まった閣僚たちが、ぴくりと体を一瞬動かす。
その内、マイホーファー内相が、重々しい声で言った。
「それがプッツリと足跡を消してしまいまして……」
首相は、背広から、総象牙で出来たベント型のパイプを取り出す。
パイプに、上等なたばこをつめて、くゆらしながら、答えた。
「国境警備隊とBNDを相手にして、あの科学者はしぶとい奴よの!」
内相は、目にいぶる煙に、顔をそむけて、沈黙していた。
首相は、いよいよ怒って、閣僚たちを問い詰めた。
「問題は木原だ。
何としても探し出せ!」
西ドイツ首脳が、帷幕の内で、こんな密談を交わしていたことがあってから、2時間後あった。
工作員オルフこと、ウィリアム・ボルム下院議員は、数名の男たちを私宅に呼び寄せていた。
「ところで、下院議員。GSG-9が全滅させられたそうですな」
「だから君に頼んでるんじゃないか、ドゥチュケ君」
アルフレート・ヴィリ・ルディ・ドゥチュケは、西ドイツで名の知られた極左活動家の大物。
東ドイツ出身で、イタリアの思想家、アントニオ・グラムシの「ヘゲモニー論」に共鳴した人物だった。
1960年当時、東ドイツの徴兵制度に嫌気がさし、ベルリンの壁建設の前日に西ベルリンに逃亡した。
政府や社会の中から過激な変革を実現するという「制度内への長征」を提唱した男である。
そして長征という思想的な表現から解る通り、毛沢東思想を本心から礼賛した過激な人物だった。
西ドイツで再建されたドイツ共産党のグループ、Kグルッペに所属し、理論的指導者のひとり。
そんな彼を危険視した右翼活動家によって、脳に3発の銃弾を受け、重い言語障害を負うことになった。
史実の世界では、脳障害が治らず、1979年にそのことが原因で死去する。
だが、この異界では違った。
デンマークに渡った後、KGBのてびきによって、ソ連に密入国する。
そしてソ連科学アカデミーの手によって、最新の脳手術を受けた。
彼は、毛沢東思想の活動家から、ソ連KGBの破壊工作員として復活したのだ。
共産主義者や過激派にとって、木原マサキは、宿敵である。
ブルジョアの似非科学者であり、憎むべき日本帝国主義者であった。
ゆえに、マサキの抹殺の機会を伺がっていた彼は、西ドイツの依頼に応じたのであった。
「外人の木原は、私とシュタージの関係を洗い出すつもりだ。
もしこのことが、野党のキリスト教民主同盟に知られたら、下院議員としての立場は無くなる。
何が何でも抹殺するのだ」
「はい。
では下院議員、私の条件を飲んでもらえますかな」
「たしか、選挙協力の代わりとして、ドイツ赤軍派の戦闘員を動員する。
刑務所に捕らえられているKグルッペの囚人、250名の即時出獄と武器供与だね」
「彼らの手助けがあれば、あの木原とかいう黄色い猿めは、殺してごらんに入れましょう」
「吉報を楽しみに待っているよ」
「SPDだけじゃなくて、Kグルッペの様な、毛沢東主義者たちと手を組むつもりなのかね。」
ドゥチュケとオルフのやり取りに、ゲルト・バスティアン陸軍少将が口をはさんだ。
件の人物は、ドイツ連邦軍第12装甲師団長。
史実では、男やもめになった後、24歳も年下の緑の党の女党首を愛人にし、同棲していた。
バスティアン自身は、陸軍勤務中に思想が左傾化し、中距離弾道ミサイルの配備反対運動を始めるほどだった。
そして数名の将官たちと、「平和のための将軍団」という反戦組織の創設した。
また1980年代以降、緑の党の女党首と共に、東ドイツの野党勢力を支援するなど、元軍人らしからぬ行動をした人物であった。
――のちに、この反戦組織の実態が、1994年4月26日付のインディペンデント紙で、暴露された。
シュタージに26年間勤務したギュンター・ボーンサック中佐の証言によると以下の通りだった。
彼は、中央偵察局で積極工作に関与し、偽情報工作の専門家だった――
「平和のための将軍団は、シュタージによって構想され、資金提供された。
これによりモスクワの考えに沿った団体が組織され、常にモスクワと東ベルリンの諜報機関を通じて、管理した」
ドイツ連邦は、このように政府機関、警察はおろか、軍まで急速に左傾化していたのだ。
その事を憂いたゲーレンら、もと国防軍関係者や一部の財界人は、マサキの事を頼ったのは致し方のない事でもあった。
そんなことは、シュタージのスパイたちの知ったわけのものでないが、マサキが左翼を嫌いなのも分っている。
また、ゲーレンも元国防軍将校であるから、マサキに近寄るのは不審には思わなかった。
だが、今、突如として現れた天のゼオライマーには、恐ろしい疑念がわいた。
忌々しい黄色い猿。
殺してしまわないと、また襲ってくる。
そう思ったからオルフ達は、この機に乗じて、どこまでも追いかけることにしたのだ。
バスティアンは、オルフがゼオライマーの恐ろしさを知らないことを、却っていぶかり顔にいう。
「木原は人間じゃない、奴は悪魔だ。
人間に悪魔が殺せるのかね。
全学連とかなんだかしらないけど、彼らに木原は殺せないぞ!」
ドゥチュケは、もう勘弁ならぬという顔を示して、バスティアンをねめつけた。
オルフは、ドゥチュケを利用したいがために、弁護した。
「今話題の、ヒッピー集団、緑の党に加入戦術を進めている、ドゥチュケ君は優秀だ。
左翼学生運動活動家の信任も厚い。
左派の票を取り込むことが出来れば、CDUに勝てる。
私の議員としての再選は確実だ。
といっても、SPDの君たちの協力があってこそだ」
緑の党は、2020年現在、ドイツ議会に118議席を持つ第三の政党である。
環境意識の高まった1970年代末期、主に右派や保守派が中心となって、環境グループを組織した。
そこに毛沢東主義者や、1968年の学生運動に関わったドイツ国内の左派グループも参加し始めた。
この加入戦術は成功し、1979年11月4日の党大会で左翼過激派の加入が認められるほどだった。
党を組織した右派は、過激派の参加を拒んで反対動議を提出したものの、僅差で否決されるほど浸透されていた。
1980年1月13日の党大会での結党メンバーには、件のルディ・ドゥチュケも名を連ねた。
するとバスティアンは、そういう種類の男が、何を目的にうろついているのか、元より知っているので、
「このヒッピー野郎、帰れ」
ルディ・ドゥチュケは、他にも、機嫌のわるいものが胸にあったところとみえて、怒鳴った。
「うるせぇ!スケベ爺。
この、色きちがいが!」
あわてて、オルフは、反目しあう二人をなだめた。
自分が当選するまでは、緑の党は必要なのだ。
もしマサキに負けても、ルディ・ドゥチュケは極左の活動家だ。
マサキに消してもらえばいい、としか思っていなかった。
「そう反目せずに、私に力を貸してくれ。
栄光あるドイツのために!」
後書き
しばらく、隔週連載を続けます。
ご意見、ご感想お待ちしております。
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