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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
  忌まわしき老チェーカー その5

 
前書き
 なんか今回の話は、西ドイツ諜報史の概要みたいな話になってしまいました。 

 
 場面は変わって、西ドイツの臨時首都・ボン。。
ここから245キロメートル先にあるオランダのハーグへ、暮夜密かに電話をするものがあった。
 西ドイツ大統領の、ヴァルター・シェール。
彼は、ドイツ自由民主党(FDP)の前党首で、政界の陰の実力者であった。
「かかる夜分に申し訳ありません。
実はボンの政府が、強烈な相手に打ちのめされておりまして……
名誉と伝統のあるFDPが、壊滅の危機に瀕しているのでございます」
「さあ、続けたまえ」
 西ドイツ大統領は、蘭王室の王配殿下に事細かにこれまでの経緯を説明した。
米国と合同で行っている戦術機ソフトウエアへのバックドア工作に、マサキが感づいたこと。
その他もろもろを、簡略に説いた。
「今、木原は、バイエルンに来ておりまして……」
「それで……」
「例の二つの荷物は処分できずにおります」
「何だって……」
「は、はい……。
も、申し訳ございません。
ち、ちょっとした手違いがありまして……。
よもやこんなことになろうとは……」
それまで黙って聞いていた王配殿下が口を開く。
「だから私は言ったのだ。
鎧衣と木原を二人まとめて、いますぐにでも始末するように……。
木原は何も知らないから、後でもいい。
……などと、したり顔で言ったのは、君ではないか。
早く消しなさい」
「はい」
 ハーグのノールドアインデ宮殿にいる通話相手は、怒りのあまり、電話機を放り投げる。
物が壊れるような大きな音とともに、電話はそこで切れた。

 
 男は深いため息をついた後、内相の自宅に電話を繋いだ。
当時の内相は、ウェルナー・マイホーファー。
「マイホーファー君、わしじゃ、ヴァルター・シェールじゃ」
「あ、大統領閣下!」
 マイホーファー内相も、またFDPの幹部だった。
彼はヴィリー・ブラント内閣で、連邦特命大臣と連邦首相府長官を歴任。
政治家でもあると同時に、法哲学の学者でもあった。
「BNDのキンケル君から連絡があってな。
しくじったそうではないか……」
 当時のヘルムート・シュミット内閣の閣僚の重要ポストの殆どはFDPで締められていた。
副首相、内相、外相、BND長官、経済相、農相。
これらは、政界で影響力を持つシェール大統領とゲンシャーのおかげでFDPの意のままになっていた。
「もうしわけありません。
それでこちらからは国境警備隊の精鋭100名を送りました。
木原の写真を持たせて」
「殿下と私たちの関係が、公表される前に始末できるかね」
「ご安心を。
空港、駅、タクシー、バス、みんな張り込みしました。
勿論ホテルもです。
今日明日中には片が付きましょう」
 マイホーファーの捜査手法は荒っぽかった。
反政府的な言動のある原子力技術者を、スパイと疑い盗聴させている事件があった。
ジーメンスの子会社、インターアトムの技術者、クラウス・トラウベ博士が、左翼弁護士と交友関係にある。
憲法擁護局の報告が、事件のが発端だった。
 東ドイツの支配下にある、ドイツ赤軍派と関係しているのではないかと睨んでの事であった。
その際、雑誌デア・シュピーゲルなどにも報道され、トラウベ博士は辞任に追い込まれた。
 西ドイツの警察国家化の危険が議員はおろか、知識人の間でも反響を呼ぶようになった。
だが、西ドイツ政府は、BETA戦争を理由に事態のうやむや化を図った。
そういう経緯があったので、マイホーファーはシェール大統領に頭が上がらなかった。
「危険な男は殺すのが一番。
世界の政治の歴史は、倒すか倒されるかの戦争の歴史。
吉報を待っているよ」



 その頃、ゲーレンの邸宅ではマサキ達への別れの宴が行われていた。
参加者は、マサキ達の他に、ゲーレン、ココット。
屋敷の主人であるゲーレンが、乾杯の音頭をとる。
「これからの木原博士の旅路と、その成功を願って……」
続いて一同が一斉に杯を上げる。
乾杯(ブロースト)!」
 一気に、モーゼルワインを呷った。
銘柄は『リースリンク』で、色は白だった。
口当たりは良いものの、一基に流し込むとアルコールが全身に回り、血が騒ぐ。
「ありがとう」
 珍しくマサキから出た感謝の言葉に、一同は驚きの色を浮かべた。
脇にいる鎧衣は思わず失笑を漏らした。
「フフフフ」
 マサキは気にする風もなく、席に着く。
ナイフを取ると、湯気の出るアイスバインに、食指をのばした。
「変わったアイスバインだな」
「シュヴァイネハクセといいます。
バイエルン州の郷土料理で、骨付きの豚肉のローストよ」
「こういう料理を、たまに食うのも悪くないな」
「望むなら毎日作ってあげるわ」
 台所で煮炊きをするココットの姿が、頭の中に浮かんだ。
マサキは、意外な思いで見つめた。
「ねえ、木原。
すべてが終わったら、ここに戻ってきて。
そして……バイエルンのこの屋敷の主人になって、お願い」
 マサキは、ワインでのどを潤し、肉料理を口に運んだ。
肉料理は、バイエルン州の郷土料理で、シュヴァイネブラーテン(Schweinebraten)と呼ばれるドイツ風ローストポークであった。
 食事の間、鎧衣はよくしゃべったが、マサキはほとんど口を利かず、ただ相槌を打つばかり。
ココットの思わぬ言葉に、口をはさんだのは、同席していたキルケだった。
「いいえ、木原はこんな片田舎に留め置くのには惜しい男よ。
ボンやハンブルクに住む方がふさわしいわ。
それはゼオライマーのパイロットとして、当然の事よ」
 ――女とは、本当に図々(ずうずう)しいものだ――
晩餐の席で、マサキはつくづく思った。
 最初にあった時は、キルケもココットもマサキに敵意むき出しだった。
なのに、何事もなかったかのように平然とマサキと会食をしている。
そういう姿を見ていると、マサキは今までの事が夢の中の出来事のように感じた。
 間もなく、ココットとキルケが口喧嘩を始めた。
二人とも、負けていない。
「わかっていないのう。
木原博士が西ドイツから離れるという事は、彼に危機が迫っているからじゃ」
 軽くたしなめるようなゲーレンの口調には、彼女たちの苦悩を理解している気配があった。
「ハーグの奥の院にいる男は、何を欲しがるか。
もうゼオライマーは、どうでもよい……。
木原博士の命を欲しがるのじゃ」
 ゲーレンは椅子から立ち上がって、開け放しにしておいた窓から外を見つめた。
「いままで一度も傷つけられなかった欧州人としての誇り。
それを傷つけた、天のゼオライマーと木原マサキ……」

「それこそ死に物狂いで、木原博士の命を狙おう……」

「とにかく、木原博士は我々を巻き添えにしないために、ここから去るのであろう」

 マサキたちは、ゲーレンの邸宅を後にすることにした。
この場所をかぎつけた官憲が、いつ乗り込んでくるかわからない為である。
「さあ、行こうか」
 マサキが出発をうながすと、鎧衣とキルケが立ち上がる。
鎧衣は、慇懃に頭を下げた後、謝辞を述べた。
「ゲーレン翁、お世話になりました」
「わしとしては、これ以上、何もしてやれんが……」
 つづいて、キルケがゲーレンの手を取って、お礼の言葉を言った。
彼女は運転手役として、秘密裏にマサキが呼び出したのであった。
「本当にご迷惑をおかけして……」
 ゲーレンは、マサキ達に忠告を告げた。
入らぬ親切とは思ったが、道に詳しくない三人のために述べたのだ。
「95号線を通って、オーストリーに駆け込むか……。
あるいは、南に下って、スイスに行く方法もある。
ただ、国境検問は厳重じゃ」
 マサキと鎧衣が外に出ようとしたとき、さっと懐から一枚の書類を取り出す。
ラミネート加工のされたB7版ほどの大きさの書類だった。
「キルケ嬢、これを持っていきなさい」
「これは!」
 それは、バイエルン州の身分証だった。
ゲーレンが、バイエルン州長官から融通してもらったものである。
「バイエルン州発行の特別許可証じゃ。
これがあれば、州警察や州の役人は手出しできん。
何かあれば、この鑑札を差し出せばいい」
 もたもたするキルケに、マサキは声をかけた。
「急げよ」
キルケはゲーレンに一礼をすると、マサキ達の後をすぐに追いかけた。

 闇夜に紛れて、BMWの白の2002ターボが駆け抜けていった。
1973年のオイルショック以前に作られたこの車は、世界初のターボチャージャーを搭載した市販車であった。
だが、今日のようには電子制御もされていない機械式インジェクションシステムであった。
 そのうえ、インタークーラーも付いていなかったため、省燃費エンジンとは程遠かった。
第一次オイルショックの影響もあって、わずか1672台で生産が終了となった幻の車である。
 以前、マサキが西ドイツを訪問した際に中古販売店で買って、キルケに預けておいた車であった。
それをマサキが現代の自動車と同じように、電子制御の緻密化、直噴エンジンや多段ATなどに組み替えた。
ハイパワーによって、レーシングカー並みに改造を施したものである。

 十数時間に及ぶドイツ滞在は、マサキを疲労困憊させるに十分であった。
後部座席にいる彼は、シートベルトを締めると同時に転寝をしてしまうほどだった。 
尾行(つけ)てくる車はいないみたいよ」
「いずれ追ってくるだろう。
彼等も必死だ。
我々を殺せば、ゼオライマーの秘密が手に入るのだから……」
 鎧衣とキルケの会話で目が覚めたマサキは、コーラの瓶を呷った。
そして、懐より煙草を取り出す。
 カーラジオがかかっていたのに目が覚めなかったのは、熟睡した為であろう。
米軍放送の内容からすれば、深夜12時ぐらいか……
「これで、BND、国境警備隊、みんな敵にまわしちゃったわね」
 それまで黙っていたマサキは、脇から口をはさんだ。
「四面楚歌だが、まだ手はある」
言葉を切ると、タバコに火をつける。
「ミュンヘンの日本総領事館に、助けを求めるの?」
「いや、ゼオライマーだ。
美久に来てもらう」
「でも、自動車電話も傍受されている、こんなところから連絡を取る何って」
「仮に美久が駄目でも、対策はしてある。
こっちは深夜12時だが、向こうは朝の6時だ。
そろそろ彩峰や白銀が役所に出向くころさ」
 そういって、キルケの顔を覗いたとき、彼女は少し汗ばんでいた。
キルケは内心の狼狽を知られた気がして、額の汗をハンカチで拭い去る。
「これで行ける所まで行こう。
夜のとばりにまぎれて、逃避行も悪くはあるまい。フハハハハ」 
マサキは、不安な顔をする二人をよそに、不敵の笑みを浮かべて、平然と言った。 
 

 
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