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戦前の野球

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第三章

「殆どね」
「ないわね」
「けれどそのダイナマイト打線のね」
 その呉という選手はというのだ。
「中核の一人だったのよ」
「そうだったの」
「その人が活躍したのは終戦直後で」
 この頃でというのだ。
「厳密に言うと戦前じゃないけれどね」
「それでも台湾の人だったのね」
「そう、それでね」 
 生まれはそうであってというのだ。
「終戦直後食べもののない」
「そんな時になのね」
「打って打って打ちまくって」
「強かったのね」
「四番が藤村さんで」
 藤村冨美男である、初代ミスタータイガースでありその背番号十は阪神では彼が最初に付けそして永久欠番となっている。
「五番だったわね」
「藤村さんの後に売ってたのね」
「そう、それでね」
 そうであってというのだ。
「その呉さんがね」
「台湾の人だったのね」
「そうなの、投打二刀流もやってて」
「そこは大谷さんみたいね」
 呉は投打二刀流と聞いて思わず大谷翔平の名前を出した。
「投打二刀流って」
「戦争前は結構あったみたいよ」
「投打二刀流も」
「それで終戦直後もね」
 この頃もというのだ。
「あったのよ」
「そうだったの」
「この人巨人にいて」 
 そうであってというのだ。
「戦前はね、それで戦後は阪神でもね」
「活躍したの」
「そうした人でね」
「台湾の人ね」
「呉ちゃんと同じ苗字でね」
「そうだったのね」
「そう、本当に戦前はね」
 その頃はとだ、伊月は暮をその場所に案内しながらさらに話した。
「台湾の人も半島の人も日本人で」
「日本の学校に通って」
「甲子園にも出てね」
 学生の野球でというのだ。
「それでね」
「野球してたのね」
「プロ野球でもね」
「日本人として」
「そうだったのよ、それでね」
 伊月はさらに話した。
「戦前の野球っていったら」
「私達がずっと生まれる前の」
「阪神だったら景浦さんで」
「戦死したのよね」
「そう、残念だけれどね」
「その人がいて」
「そしてね」
 そのうえでというのだ。 
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