ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第103話 憂国 その3
前書き
いつもありがとうございます。
何となくもやもやするような、『ここすき』が全くつきそうにない暗い話ばかりですみません。
あと2話か3話ぐらいでなんとか目途が立ちそうです。
たぶん。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリスから
人事異動の二月が過ぎて、連絡のなかった俺は現職に留まることになった。爺さまは半年待てとは言ってくれたが、こればっかりは人事部の仕事だ。現時点で来期予算審議は進んでいるし、レポートの件もあればヴィリアーズ氏の件もある。トリューニヒトも暫く俺を手放すつもりはないということだろう。
またこの時期は宇宙暦七九二年二月時点での同窓名簿速報も発せられる。正式なものは毎年八月に発表されるが、任官拒否六七名を含めた卒業生四五三六名の内、八九六名が赤字に変わっていた。任務に関係ない事故死や病死も勿論あるが、既に一九.七パーセントの死亡率。灰色の行方不明も含めると生存が確認できない人数は四桁に達してしまった。
二六歳から二七歳。幼い子供を残して死んだ同期もいる。両親ともに軍人(つまり士官学校同期の結婚)で両方とも亡くなり、軍人子女福祉戦時特例法の適用となった子もいる。こんなのアリかよと、教えてくれたウィッティ自身がベソをかいていた。ちなみに士官学校同期に七歳の子供がいる奴は、今のところ確認されていない。
「来年には大佐になられるのかしら? 無事息災で結構な事ね」
貨物用のシャトルが飛び交うハイネセン第四民間宇宙港の屋上展望デッキ。久しぶりに会う彼女は、いつもの通りつまらなさそうな表情で、軍服を着た俺に厭味を飛ばしてくる。俺が小さく肩を竦めて、ボロさの変わらない白い椅子に腰を下ろすと、いつものように実に嫌なタイミングでハンドバックから封書を取り出し『座ったまま』俺に差し出す。
四半期に一回届くラブレター。だが今回はいつものように便箋一枚に揶揄が込められた一文が添えられているものではない。封筒自身にしっかりとした重さがあり、いつものように糊を弾くと濃厚なライラックの香りと共に複数枚の便箋が現れる。二つ折りではなく三つ折りで、揶揄を抜きにしたそれなりの量の文章が、便箋の裏に回した指に感じられるほど高い筆圧で書き込まれていた。
「できれば返事は早くほしい、と言ってらしたわ。船も準備出来次第、出港する予定。今のところ二日後の午後には、ハイネセンの周回軌道から離脱したいと考えている」
「……今日の夜はどうなんだ?」
「夜にこんな寒い屋上で待つのはごめんだわ」
問答無用とばかりに二一歳の人妻は席を立つと、肩に掛けるハンドバックの中から、ホテルの名刺と見開き式の金属板を取り出した。
見開きの内側に掘り込みのあるこの金属板は、おそらくレーダー透過機能のある細工品だ。当然市販品ではない。手紙を挟みこんで閉じどこかにある(恐らくリモコン)スイッチを押せば、重力波計測と触覚以外では引っ掛からなくなる。機内持ち込みの手荷物検査だとバレる可能性はあるが、積荷や船体を加工して詰め込めばいい。ただ麻薬や非合法商品を運ぶ用に使われやすいので、正確には非合法品ではないが航路保安局も麻薬取締局も、所持者は被疑者というくらい神経質になっている。マーロヴィアで初めて現物を見た時、ちょっと感動した代物だ。
名刺に書いてあるホテルの名前にも聞き覚えはある。ハイネセンではミドルクラスのホテルで、中産階級がちょっと贅沢してもいいかなというコンセプトだった筈。確か軍人系ではない。書かれている住所はメープルヒルにかなり近いところ。
「夫は朝早いし、夜も早いの。来るなら二〇時前には来る事ね」
そう言うと彼女は規則正しくパンプスがカツカツと音を立てて引き止める間もなく立ち去っていく。その活動的な後ろ姿は、身長は別としてアントニナに似ていなくもない。若い二年目航宙士夫婦の『地上での夜』にお邪魔をするのはキャゼルヌ家だけにしておきたいので、早々に背後に壁がある席へと移動して改めて便箋を開いた。
今まで見たこともない時節の挨拶と強めの筆圧はドミニクらしくない。しかも一部が箇条書きで、量も多い。とても本人が書いたとは思えないような代物だ。しかし繊細で強弱のハッキリしている字体は明らかにドミニクのもの。筆圧が均等ではないから間違いなく手書き(アナログ)。それにミリアムは手紙を常にドミニクから『直接手渡し』で受け取っている。
一見しただけで矛盾する要素がある手紙。他に特徴的な透かしや隠し文字などは見当たらないので、いつも使用している便箋とペンを使って、ドミニクに書くよう別の誰かが指示をした、と考えるべきだろうか。ドミニクと俺の間に第三者が介在する可能性があるという事実に不快感と嫉妬を覚えつつ、文面を読み進め……最後の一文を読んで、慌てて周囲に誰もいないことを確認せざるを得なかった。
「……ダニイル=イヴァノヴィッチ=ワレンコフ、か」
現フェザーン自治領主。どこにでもいる温和そうな、少しやせ気味のロシア系壮年男性という外皮を纏った、百戦錬磨の外交巧者。強烈な個性の持ち主であるルビンスキーとは一見正反対のように見えて、中身は大して変わらないという矛盾の塊だ。原作ではルビンスキーの先代で、フェザーンの執政における地球教のコントロールを嫌い暗殺されたことが、ルビンスキーの独白に現れているだけ。ルビンスキーがフェザーン自治領主になったのは三六歳……逆算すれば『今年』ワレンコフは暗殺される。
そのワレンコフが態々、三年半前に俺との仲を引き裂いたドミニクに代筆させてまで俺にこれを寄越した。しかもミリアムの船に早急に返答するよう言い含めてまでいる。それだけでも実に不愉快な話だ。
しかし手紙の内容は俺がトリューニヒトに去年予算成立の折、議員会館で話した内容の再確認と、それに対する同盟軍内部とくに戦略部からのリアクションの想定を問うもの。勝手に『Bファイル』などという名称を付け、ご丁寧にフェザーン(自治政府)がこのドクトリンに対して出資可能な額と、建造可能な自動攻撃衛星の数にメンテナンス費用まで想定していただいている。
つまりはトリューニヒトとワレンコフの間にはどこかで繋がりがあり、俺の口から滑った話が伝わった。国家としてのフェザーンとしては、別に帝国と同盟が対立していれば熱戦だろうが冷戦だろうが関係はないし、巨額の投資チャンスと、人口増による市場拡大は実に魅力的だから出来れば状況を進めたい。ただ組織としてのフェザーンとしては、銀河の世情がそれなりに安定してしまっては『創業以来の大株主』の目的が達せられないという矛盾がある。
その矛盾をいかに解決するか。いろいろ考えたのであろうが結局ワレンコフは、八〇〇年待った怨霊達を説得するより調伏を狙ったと考えられる。そしてワレンコフの離反的な動きに勘づいた怨霊は、異端な教義を吹き込もうとしている相手は誰か調査し、同盟の若手有力政治家であるトリューニヒトに行きつき、その膝元に監視役として悪霊を送り込んだ。気の長い怨霊のくせに、行動力とアンテナは実に鋭い。
ということは、Bファイル(笑)自体が悪霊の手にあるわけだから、俺がこの手紙にどう答えようと距離と時差で敗北した可能性が高い。結局は返事を渋った俺の罪だ。
この件についてのトリューニヒトのスタンスははっきりとは分からない。しかし地球教徒側としては同盟をコントロールする為には実に良い手駒だと思っているだろう。俺がトリューニヒトの忠実な賢い犬であるなら見逃してくれるかもしれないが、先だってのヴィリアーズ氏の目付きを見る限りそれは難しそうだ。
またこれで女狐の主人が誰だかハッキリとわかった。ダブル・トリプルどころかクワトロスパイなんて、一体どんな神経をしてたら耐えられるというのか。今のところは敵ではないか、あるいは敵の敵は味方という点だけは安心できるが、共同戦線を敷いてもここから逆転ホームランを打つにはあまりにも遅く手数も足りない。しかし暗殺を防げるかどうかは分からないにしても、今打てる出来る限りの手は打つべきだ……ドミニクやミリアム達の為にも。
映話で女狐の所在を確認し昼過ぎに変装して会うことを伝え、リニアを乗り継ぎ駆け足で官舎に戻りドミニク宛の手紙を書く。一応ワレンコフに問われた内容の返事も書くが、それとは別に遠慮一切なしに一文で。たとえルビンスキーに寝取られるような未来であったとしても、ドミニクもミリアム達もここで死んで貰いたくはない。
午後三時。官舎近くの公共トイレで髪を掻きほぐし、付け顎髭にサングラスに薄汚れたボロといった底辺青年労働者の装いに着替え、手紙を着替えた軍服のジャケットと一緒にクロスバッグに入れる。幾つかの路線を乗り継いで向かう先はコーンウェル公園の川縁にあるベンチの一つ。俺はミハイロフの店ではないスタンドでビールを買い、ベンチに腰を下ろす。
「……お隣よろしいかしら? ミスター・レーシィ」
買ったビールを傾け、固いベンチの背に首を預けて空をぼんやり眺め黄昏ていると、左肩の上からチェン秘書官の声が聞こえてくる。口を開けたまま首を傾けてみれば、赤丹色のウェーヴのヴィッグを付け、厚化粧した如何にも『出勤前』のいでたちをしたチェン秘書官が、肩に小さなピンク色のミニバックを掛けて立っていた。
「ここはパブリックの公園だ。どうぞお好きに。ミス・ホアシォ(化蛇)」
俺の回答におほほほほと右手を口元に当て、品がありそうで全くない笑い声を上げて、変装したチェン秘書官は俺の隣に座る。ベンチに座る肉体底辺労働者と安スナックのホステスのペアを見て、こいつらが国防政策局戦略企画参事補佐官とその秘書官と見抜けるのは、監視カメラで宿舎から追跡している暇人ぐらいなものだろう。俺もチェン秘書官も、あえて視線も合わせず、他人のふりで少しずつ落ちてきた陽光を反射する川の輝きを見つめる。
「なかなか分かりませんでしたわ。素人さんにしては堂に入ってますわよ」
「そのいでたちも中々だ。意識して見なければ貴女とは思えない。ただその髪の色はどうにも気に入らないが」
「あら。お好きだと思っていたんですけれど、お気に召しませんでしたかしら?」
「好きだから、気に召さないんだ」
「よかったですわ。間違ってなくて」
バッグから出した香水のスプレーを自分の顔に吹きかけるチェン秘書官に、俺は顔を向けることなく舌打ちをする。少ない休日に呼び出した訳だから嫌味の一つや二つは当然だろうが、当て擦りのやり方が実にキツイ。
「お話しがあると、伺いましたが」
「貴女の忠誠を誓うボスについて、一応ね」
「私のボスは中佐ですわよ?」
嘲笑というよりは、分かっていてもそれが誰だか分からないだろうと高をくくったような口ぶりだったが、俺は気にせずビールを飲み、水紋を眺めつつ話し続ける。
「今年中に暗殺される可能性がある。即座に身辺警護を厚くするよう伝えてくれ」
俺が言い終えるよりも前にベキッという鈍い音と共に、フローラルの香りがベンチ周辺に濃厚に漂う。透明性の高い硬質プラ容器であろうが、握っていた右手から香水と共に赤いものが流れ出ていたので、俺は何も言わずクロスバッグのポケットからタオルハンカチを取り出して左手で差し出す。
「……期日・方法は?」
タオルハンカチを右手に当てるチェン秘書官の声は、いつもの妖艶でもなければポヤポヤしたものでもない、殺し屋のような凄みのある低い声に変わっていた。間にクロスバッグを挟んでいるとはいえ、殺気という以外に言葉が見つからない気配が、俺の左半身に纏わりついてくる。
「地球の怨霊共はどうやってあの人を殺すつもりだ?」
「そこまではわからない」
「チッ、ただの勘かよ」
「少なくとも貴女を通さず、俺に例の話について連絡してきた」
「ハッ、赤毛の小娘か」
さらに俺が手紙を出そうとすれば、首を廻し『バカか』と言わんばかりの視線で仕舞うように視線で促してくる。確かに渡されたところで彼女にはその真偽を確認しようがないし、内容は百も承知のことだろう。
そして血が止まったのか、ミニバックから色物のハンカチを取り出し、口と左手で器用に短冊状にして包帯のようにタオルハンカチの周りを縛っていく。痛みの確認なのだろう右手を閉じたり開いたりしながら、チェン秘書官は大きく溜息をついた。
「あの人も意外と抜けている」
「長期休暇をとってもいいんだぞ」
彼女にとってワレンコフは『あの人』というほどに忠誠を捧げている相手のだろう。ただの組織の上司というよりもさらにずっと深い信頼関係があるのかもしれない。だったら四五〇〇光年離れた場所で若造の秘書官として情報収集に勤しむよりも、より『やりよう』がある筈だ。そう言ったつもりだったが、あるいはそれを理解したのか、少しだけ哀愁の成分が含まれた諦めの顔をしてチェン秘書官は応えた。
「あの若造がトリューニヒトの傍に来た時点で警告は出している。今更、私一人が護衛に増えたところで危険が去るわけではない」
絶望的なまでの距離。自分の連絡経路が既に地球教に傍受されているとしてもどれだか分からない。しかも自分を通さずに俺へ連絡を取ろうとしたというある意味では信頼の欠如が、彼女にとって一番堪えているのかもしれない。
「それに命の危険があるのは貴様も同じだ。まさかそこまで分からないほどマヌケではあるまい」
「俺はいい。少なくとも俺が怨霊共に殺されたら、犯人を絞め殺してやろうとしてくれる親類知人はそれなりにいる」
グレゴリー叔父さん、シトレの腹黒親父、ビュコック爺様、おそらくウィッティとバグダッシュ、それにアントニナとブライトウェル嬢。時々の地位や立場もあるだろうけど、少なくとも俺がこれまで生きてきた中で、彼らが地球教に対し報復を躊躇するほどの悪行を俺は積んでいない。遺書を残しておけば、いきなり市中で狙撃されたとしても、草の根を分けて犯人を捜してくれるだろう。殺せるものなら殺してみろ、それは八〇〇年の捲土重来を全て焼け野原にしてやるぞと自信をもって言える。
「信頼できる盾は一枚でも多くあるべきだ。その最後の一枚が凶弾を防ぐことだってある」
もしヤン=ウェンリーがあの三人に加えてユリアンを連れていたらどうだったか。あるいはフレデリカやマシュンゴ、ポプランを連れていたら……結果は変わらなかったかもしれないが、変わっていた可能性の方が高い。ヤンは睡眠薬など飲まず夜中までユリアンとこれからの戦略談義で盛り上がってただろうし、ユリアンのブラスターが『最期の』地球教徒の額をぶち抜いてシェーンコップの到着までヤンを守り切っただろう。
俺とドミニクの間を引き裂いたのは恐らくルビンスキーであろうが、他国の駐在武官の人事に警告したのはフェザーン自治政府であり、その当時も最高責任者はワレンコフだ。それを知っていてドミニクを使って俺に連絡を取っているのだから、偶然であるとはいえ人間として好意的になる要素はあまりない。
だとしても地球教の幹部達が考えている未来と、俺が望んでいる未来は全く以て異なる。サイオキシン麻薬を信者達に平然と使うような奴らと同じ次元に居たいとは思わない。もっと単純に言えばルビンスキーよりはワレンコフの方がマシだ。もう間に合わないかもしれないし、引き金になって暗殺が早まる可能性もあるが、それだとしても……
「……とつぜん申し訳ありませ~ん、中佐ぁ。私ぃ、今日ぉ、料理しててぇ~包丁で手を切ってしまったみたいなんですぅ。明日は病院に寄ってからぁ~出勤してもぉ~いいですかぁ?」
「……あぁ、そりゃあ、大変だね。いいよいいよ。なんなら明日一日ゆっくり休んでいいよ。使ってない有給休暇をドンドン消費してくれないと、僕が総務部からいろいろ言われちゃうからね」
「えへ。ありがとうございますぅ~中佐って優しい~んですね☆」
“きらーん”とか本当に言いそうな笑顔で二〇代前半のホステスが、腰を折り上目遣いで首を傾け小さく敬礼するのを見て、俺もやる気なさそうに手を振って応えた。
ここに留まって悪霊共の情報収集をしながら暗殺阻止の援護射撃をするのか、即座に船に乗ってフェザーンに向かうのか。決断するのは彼女だ。時間に余裕がないのも確かだが、短慮に走るよりははるかにいい。直ぐにフェザーンに発てる船のアテは勿論あるが、途中で襲われる可能性を考えれば、彼女に勧めない方がいいだろう。バイバーイと小さく手を振って去っていくチェン秘書官の姿を見送りつつ、着替えてホテルに向かう準備をするためベンチから腰を上げた。
それにしても人格の切り替えの速さもさることながら、外見二〇代前半、公称三三歳(実年齢四六歳)のギャル語にはとてつもない破壊力があるのだと、ボロの積層装甲下で総毛立っている自分の両腕を摩りながら思い知ったのだった。
◆
ホテルで無事に手紙をミリアムに手渡した後、イケメンの旦那も含めボランティアを続けるのは極めて危険な状況であると話したにもかかわらず、まったく意に介さない若夫婦と別れて二日後。いつものように出勤すると、いつものようにチェン秘書官も出勤していた。脇目で右手を見てみたが、人工皮膚なのか僅かに盛り上がってはいるものの、まったく不自由なく資料を纏め、面会者を誘導し、お茶を入れてくれている。
「ボロディン中佐。昨日は私事で急なお休みをいただき、誠に申し訳ございませんでした」
面会と書類提出が一段落し、隣室の部下二人の気配がなくなったタイミング。超一流企業の社長秘書と言っても差し支えない清楚と品格の見事な結晶というべきお辞儀に、つい昨日中身を知った俺は一瞬顔が引き攣ったが、軽く咳払いをして心を立て直してチェン秘書官に向き合った。
「いや、こちらも『所用』で休みの日に迷惑をかけた。代休というわけではないが、もう少し長く休んでも良かったのだが」
「これからが『本番』なのですから、中佐も私も早々休むわけにはいきませんわ」
えい・えい・むんと腕を絞るような真似はせず淡々と答えるのは余裕のなさの表れか。もっともそれが正常なのであって、今まではナメられていたのかもしれないが。
「中佐。それも踏まえまして、まだ日程的に余裕があるうちにお決めいただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんです?」
「中佐個人宛に取材依頼書が届いております」
思わず口に運んでいたジャスミンティーを吹き出しそうになる。前世の俺はごく普通の社畜で取材を受けるようなことは一度もなく、今世では士官学校卒業成績優秀者のお決まり取材以外は受けたことがない。マーロヴィアでは海賊対策もあって司令部に対する取材は一切お断りであったし、エル=ファシル奪回作戦では爺様やモンシャルマン参謀長が応対していて俺はどちらかというとコーディネート側だった。
「些か問題のある人物ではありますが、特定の団体が背後にいるわけではなさそうです」
相手の身体検査は済んでいますよ、ということ。つまり受け答えさえ間違えなければ大して問題が起きるとは思えない相手である、とすれば軍の広報誌かなと高をくくってチェン秘書官が手渡した取材依頼書に目を通して……自然と唇の右端が吊り上がった。
「……誰が紹介したか、少し問い詰める必要がありそうだな」
「私ではありませんが、お知り合いでしたか?」
「士官学校の後輩の父親だ。それなりに名の通ったジャーナリストとして知られている、と聞いたことがある」
「反軍的思想の持ち主のようです。それでも取材を受けられますか?」
あまりお勧めしませんと言った口調ではあったが、俺としては望むところの相手だ。揚げ足を取られることもあるかもしれないが、最近とかく周辺に増えてきた魑魅魍魎の類ではない、筈だ。あんまり遅らせて予算審議の邪魔になったり、『後輩』が父親から愚痴られたりするのは忍びない。
「受けましょう。既に決まっている予定を優先の上で調整してください」
「かしこまりました」
それから四日後の夕刻。俺のオフィスに鉄灰色の髪を持つ壮年男性が、人好きするような、それでいて眼だけはこちらを品定めするような顔つきで現れた。
「どうも。取材を快くお受けいただきありがとうございます。ウィークリー・ニュータイズのパトリック=アッテンボローです」
そう言って差し出された手を俺が無意識に取ると、アッテンボロー氏は一瞬体を硬直させ、ちょっと驚いたように握手した手と俺の顔を見比べる。
「どうかしましたか?」
お互い応接のソファに座り、チェン秘書官が淹れた珈琲とジャスミンティーの芳香が漂う中で俺が問うと、アッテンボロー氏は皮肉そうな笑みを浮かべてつつ肩を竦めた。
「いや、失礼。軍の高官の方に対して、いきなり握手はどうかなと思ってたんですが、あっさりとしていただいたのでちょっと驚いているんですよ」
「軍の高官なんて。小官は何処にでもいる一中佐に過ぎません」
「中佐と言えば戦艦の艦長か、巡航艦分隊の先任指揮艦長でしょう。部下だけでざっと一〇〇人から五〇〇人。民間で言えばちょっとした会社の社長ですよ?」
世間知らずだな、と言わんばかりの口調。まぁ、数え二七歳の若造で、軍以外の世界を知らないとなれば、普通はそうなのかもしれないし、いままでアッテンボロー氏が相手にしてきた高級軍人達もそうだったのだろう。たかが民間会社の社長と一緒にするな、とか馬鹿な勘違いをして怒った奴が以前居たのかもしれない。
が、生憎前世の記憶のある俺からするととてもそんな気にはなれないし、現時点で部下は三人でうち二人は勝手に仕事しているし、もう一人は手に負えない化蛇だから、数多くの部下を持っているというイメージがどうしても沸かないのだが。
「軍にお詳しいんですね」
とりあえずそんな内心は隠しておいて、人当たりのいい優しい青年将校の微笑みを浮かべつつ応えると、アッテンボロー氏は苦笑を浮かべて頭を掻く。
「私も徴兵は経験していますが、その辺の実情に詳しいのは、妻の父が軍人で、息子も軍人をしているからでして」
「ダスティ君は実に優秀な軍人ですよ。恐らく三〇歳になる頃には、閣下と呼ばれていると思います」
「……ご存知でしたか。あぁ、いや、愚息のことをですが」
「間に一人入ってますが、直接話したこともありますよ。『軍人じゃなくてジャーナリストになりたかった』って言ってたのをよく覚えてます」
実際は欠片すらも言ってはいないのだが、これくらいのイジワルはダスティ君(笑)も許してくれるはずだ。だいいち嘘は言ってはいない。
「アイツ、本当にそんなことを言ってたんですか? よりにもよって軍人貴族のお坊ちゃま……失礼」
「仰る通り軍人貴族のお坊ちゃまで、士官学校時代には『悪魔王子』と呼ばれてましたよ」
キッチンのある方からカチンと陶器を弾く音が聞こえてきたので、慌てて被せるように大きめの笑い声をあげる。わざわざ報復に化蛇を呼び込む必要はないし、俺のことをバカにしたというよりもアッテンボロー氏の今までの経験から作られた俺に対する先入観が零れ落ちただけだろう。怒ったところで、気が晴れるような話でもない。
だが言った方のアッテンボロー氏の顔は、半分恐縮と半分悔恨。表情を作っている感じがしないわけでもないが、状況は意図したものではないとは推測できる。俺はこれを理由に取材を断ることすらできるのだから、氏の立場からすると不利になったと言えるので、その悔恨ということだろう。ダスティ君の名前で口が滑ったというわけだ。
出会う機会を作ってくれてありがとうと、俺はヤンに対して胸の内で感謝しつつ、空前の好機を前にさらに踏み込んでおきたいわけで。
「それにダスティ君には、ウチの妹の面倒を見てもらいましたよ。士官学校へ立ち寄った時と、キャゼルヌ先輩の結婚式の時でしたか。実に好青年ぶりで、気難しい妹も随分と懐いていたと思います」
「は? え? ちょっと、それは初耳なんですが……ちなみに妹さんはお幾つで?」
「イロナは今年で一四だったと思います」
「な゛……」
自分が軍人である妻の父親と一〇〇度の口論と三回の殴り合いと特殊前借契約でようやく結婚できたというのに、自分の息子はいつの間にか高官(グレゴリー叔父)の娘とあっさり仲良くなっている。しかも兄公認で、八歳違いという。そんな誤解が氏の脳裏で渦巻き、勝手に苦悶しているのを傍目で見るのは実に悪魔的に楽しい。
「その、いや大変申し訳ないことを……」
「お世話になったのはこちらですから、パトリックさんが謝られるようなことではないですよ」
「はぁ……」
世代もかなり違うし、赴任先でも重なっているところがないのに、アイツ何で知りあいなんだよクソッ、という文字が浮かんでいる氏の顔をティーカップ越しに眺める。まぁここ最近人間とは思えない人達と心温まる交流をしてきたので、そんな普通のオッサンの反応にほっとした気になってくる。
「さて、それで取材依頼書の件なのですが……三年前のマーロヴィアにおける治安回復作戦について伺いたいとか」
「ええ、そうです」
ようやく本題に入ってくれるかと、安心して溜息をついて応じるアッテンボロー氏に、俺は敢えて首を傾げて言った。
「こう言っては何ですがパトリックさん。今更ド辺境の治安回復作戦を知りたい理由って何です?」
「正直言えば、方便です」
「方便?」
「最初は国防委員会理事のトリューニヒト氏について『いろいろと興味が湧き』、関係者周りを取材していたのですが、まぁガードが固いこと固いこと。で、調べられる範囲で公文書を初めとしたトリューニヒト氏の関連する事業や関与した話を虱潰しに当たったんです」
それまでもその端正で計算しつくされた所作や、聞く者の心を高ぶらせる滑らかで情緒あふれる弁舌で頭角を現し、与党内における派閥の一角を構成する力を見せてきたが、ここ最近一気に羽振りが良くなっているのが目についた。派閥の一角から有力派閥の頭領として伸し上がってきた背景に何があるのか。そのタイミングはどのあたりか……
「それがマーロヴィアの治安回復作戦を成功させたあたりからです。トリューニヒト氏本人の政界におけるタフな力量は注目されるところでしたが、マーロヴィア以降は『トリューニヒト派』という次元にランクアップしている」
「なるほど」
ぶっちゃけ星間運輸業界のバックアップが本格化し、それにつられて公共事業に関わる他の産業もトリューニヒトへの支援を始めたからだ……が、それを氏に言う必要はない。
「マーロヴィアの治安回復作戦……確かコードは『草刈り』でしたか。ちゃんと軍公文書館に申請したのに、出てきた書類は墨塗りの機密だらけ。まぁ海賊相手ですからな、情報の出し渋りがあるのは仕方ありません」
「で、小官に聞きに来たと?」
「私は軍人ではありません。作戦の内容を事細かに見ても良し悪しなど理解できません。ですが以降のマーロヴィア星域の経済規模拡大は、ここ数年では特異な数値を出している」
「経済産業長官のイレネ=パルッキ女史は、まさに女傑というべき人物ですよ」
「『辺境流刑地の女王様』ですな。実際にお会いしてきましたよ」
「ほう。わざわざ五〇〇〇光年も?」
「なにしろジャーナリストというのは好奇心の塊が人間の恰好をしているような者でして……で、女王様に拝謁して経済発展の要因を率直に伺いましたら、絵図を作ったのは管区司令だったビュコック提督ではなく、管区次席参謀だった中佐であると仰いましてね」
女史は意外と煽られ耐性がない人だったから、パトリック氏の挑発に上手い具合乗せられて喋ってしまったのかもしれない。頭キレキレ心カリカリの、薄い胸をしたパルッキ女史を思い浮かべると自然に頬が緩む。だが言い終えたパトリック氏の目はそれまでにないほど真剣なものに変わっていた。
「それでボロディン中佐。『女王様の懐刀』だったあなたにお伺いしたい」
「なんでしょう」
恐らく面倒な質問であろうとは想定できるが、どう答えるにしろちゃんと手続きをしてきた以上、こちらも真剣に応対しなければならない。ティーカップを皿に戻してパトリック氏の目を正面から見据えると、氏は一度唾を飲み込んでから口を開いた。
「トリューニヒト氏は実際のところ、マーロヴィアでどれほどのことを成し遂げられたんです?」
氏の口から出た問いは、やはり面倒で、色々な意味で答えにくいものだった。
後書き
2024.05.27 更新
パトリック・アッテンボロー CV:谷山紀章
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