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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
戦争の陰翳
  東京サミット その2

 
前書き
 今回も6000字超えました。 

 
 マサキがあった英国のMI6の諜報員。
彼を、伝説的なスパイ小説「007」にあやかって、仮にジェームズ・ボンドと呼ぶとしよう。 
 ジェームズ・ボンドと別れて、マサキは半蔵門から桜田門に来ていた。
桜田門は、江戸城の内堀の一つで、かつては桜田土門と呼ばれた場所である。
 幕末の井伊大老暗殺の桜田門外の変に始まり、大正時代の桜田門事件など日本史上を揺るがす大事件の場所であった。
 我々の世界では、桜田門の正面に警視庁の庁舎、国道を挟んで法務省の赤レンガ庁舎が立っている。
この地名から、警視庁は隠語で桜田門と呼ばれることとなった。
 さて、この宇宙怪獣に荒らされた異界も、奇妙な事に、桜田門に警察施設はあった。
内務省の本庁舎と警視庁は京都だが、東京府警本部として設置された。
 何とも言えない懐かしい気持ちに浸りながら、マサキは桜田門に向かう。
前の世界なら建て替え工事中なのだが、あの茶色い薄汚れたビルディングが残っていたからだ。

 府警本部長室にマサキはいた。
本部長の他に、外事課長以外は人はいなかった。
 こういう国際諜報の世界ではいつどこにスパイがいるか、わからない。
なので、最低限の人員だけしか部屋に招かれなかった。
 本部長は紫煙を燻らせながら、机の上の電気を消した。
ジェームズ・ボンドが持って来た資料に目を通した後、呆れたようにつぶやく。
「本当に、このような人物が中堅新聞社の編集委員にいるというのですか」
 資料によれば、アクスマンの遺書という偽記事を書いた人物は、帝大出のエリート。
戦争中は陸軍士官学校にいて、敗戦後、帝大に編入した本当の秀才だった。
「間違いありませんか」
 本部長からの問いに、鎧衣は理路整然と答えた。
「敗戦のショックで、それまで後生大事に温められてきた忠君愛国の価値観は打ち砕かれた。
そこに代用品として、共産主義思想を求めたとしても不思議ではありません」 
 敗戦の衝撃で、価値観の崩壊が起きたのは事実だった。
前途有望な若者の多くが進歩思想に触れ、その毒に痺れてしまったのだ。
 マサキはシガレットケースから、ホープを一本取り出すと、口にくわえ、火をつけた。
 東大法学部にいる様なガリ勉型の秀才は、とかく極端から極端に走りがちだ。
知識は豊富だが、知見に乏しいから、どういう結果になるか想像が出来ない。
 外事課長は、鎧衣の言に(ばつ)を合わせる。
「陸軍士官学校は学費免除ですから、その多くが貧農出身ですからね。
特別な訓練を受けていなければ、ソ連の宣伝に、簡単に乗ってしまう……
その様な可能性は、大いにあるでしょう」
 最後の質問は、マサキに向けたものだった。
「やはり、今回の事件の裏にはKGBだと……」
 マサキは暗がりの中で座っている捜査官に応えた。
「レーニン全集を読んですぐに、赤い旗を持ち、ヘルメットをかぶって徒党を組んで歩く。
そんなにわか仕立ての連中は、それほど怖くない。
本当に怖いのは、後から赤い麻疹(はしか)を発病した連中だ……
長い潜伏期間を経て、重要な地位に就いた後、確信犯的に左翼運動に精を出す……
潜伏期間が長ければ、隔離することも出来なければ、急に発病するまでこっちも動けん」

 2時間ほどレクチャーを受けた後、マサキは桜田門を後にした。
美久が運転する遠田の最新式セダンの後部座席に座りながら、ぼんやり外を眺めていた。
 このノッチバックの4ドアサルーンの外見は、前世のホンダ・アコードそのものであった。
排気量1・8リッターのエンジンを搭載し、パワーウインドウとフルオートエアコンが装備されている中型車だ。
その内側は、総革製の座席に始まり、自動車電話に至る内装が施された特注品である。
 
 東京府警本部での話は、結論から言えば有益だった。
マサキが知らない、日本国内の治安情報が手に入ったからだ。 
 アクスマンの偽遺書事件を追う過程で、ソ連の対日スパイとその協力者が浮かび上がってきた。
それは、河崎重工の技術者から五摂家の姻戚という具合である。
 そのスパイと思しき人物の名前が書かれた名簿を見ながら、マサキは誰から殺そうかとばかり考えていた。
 
 気になる人物は、以下の通りだった。
 1人は、大野何某(なにがし)なる貿易商で、与党・立憲政友会の代議士の孫だった。
(立憲政友会は、今日の自民党の元となった中道右派よりの政党である)
 妻は白系ロシア人、あるいはウクライナ人とも。
噂ではGRUの工作員の妹を(めと)ったとされるが、この異界では財界要人とソ連人との婚姻は珍しくなかった。
 1941年の日ソ不可侵条約が、40年近く更新されているためである。
この5年ごとの条約を、ソ連は珍しく維持していた。
恐らく条約を守る代わりに日本政府から有利な条件を引き出しているのだろう。
 大野はソ連貿易ばかりなく、東欧にもいろいろ手を伸ばしていた。
大野の生母はドイツ人だった関係で、東独にも支社を置いていた。
 ココム規制のせいもあろう。
国家人民軍や人民警察とは、さすがに表立っての貿易はしなかった。
 だが、ゴルドコフスキ―の闇貿易には協力関係にあった。
文書や写真も残されており、逮捕する証拠も十分だ。
 なんといっても、それに関するシュタージファイルをマサキが持っているのが大きい。
あとはシュタージ関係者の証言が二、三欲しいところである。
 
 二人目は、穂積(ほずみ)という人物で、機械部品会社の社長だった。
その会社は、戦術機のコックピットに備え付けてある強化外骨格の77式機械化装甲を作っていた。
 機械化装甲とは、GEが1965年に作ったハーディマンを起源にもつ外骨格型強化服(パワードスーツ)である。
史実の世界では油圧駆動の未発達と、680キログラムというその重量から、開発が中止された。
 この異世界では、宇宙開発での利用で商用化に成功し、米軍で正式採用された。
そういう事もあってか、日本でもライセンス生産がなされ、戦術機の脱出装置に採用されたのだ。
 強化外骨格の事は、マサキにはどうでもよかった。
実際の戦場や工事現場で使われているのはユンボやフォークリフトだったからだ。
ハーディマンや外骨格は、月面戦争という特殊な環境で使われた時代のあだ花にしか過ぎない。
 マサキはそう考えて、無視していたが、ソ連との関係があると聞いたら話は別だった。
穂積何某は、ソ連に技術提供する見返りとして、ソ連人のバレーダンサーを関連会社や自宅に雇い入れていた。
 バレーダンサーや舞踏家などというのは、KGBやGRUの隠れ蓑だ。
あるいはソ連が開発した超能力兵士をレンタルという形で借りているのかもしれない。
鎧衣の話によれば、ソ連の超能力兵士の殆どは、決まりきったように銀髪の女だという。 
 その話を聞いたマサキは、ある推論を立てた。
大元になる、女催眠術師や超能力者のミトコンドリアDNAから作った複製人間。
アーベルに前に聞いた話からすれば、美男美女も選考の対象にあるから、恐らく美女なのであろう。
 それを1日1万円から2万円で、借りているのかもしれない。
あるいは、500万円相当のものと交換したのかもしれない。
ソ連はバーター取引の材料として、廃船予定の軍艦と石油などというとんでもない実例がある。
 人間など2億もいるのだ、女一人ぐらい安いものだと思っているのかもしれない。
 あるいは、共産主義思想の言うところの真理の一つである、量は質を凌駕する。
という事で、山のように複製人間を作って、持て余した分を売りさばいていたのかもしれない。
 なにせ、フォードやオペルの複製品を堂々と西側で売るほどの厚顔無恥ぶりである。
フィアットからライセンスを借りていたVAZ(ヴァズ)のラーダは、本家本元のフィアット124より多くの国に輸出。
捨て値同然の価格設定で、見境もなく売りさばき、利益を上げていたほどだったのだ。

 三人目は、八楠(やぐす)という人物。
三菱で作っているF-4ファントムの改良案を、城内省に持ち込んだ人物である。
 城内省にデータを持ち込むことはよくある話だ。
前にはF‐5フリーダムファイターの改良版であるトーネードの図面を、自作と偽って持ちこんだ事件が起きたばかりだった。
 今回の図面は、ソ連の影響があるのは一目でわかるデザインだった。
西側では一般的ではないカーボンブレードが、全身に追加されていたのだ。
 だがその情報の出どころが、問題になった。
ユルゲンが東ドイツで鹵獲した新型のソ連機・MIG-23にそっくりだったからである。
 MIG-23は、ソ連の最新鋭戦術機で、主な配備先はKGBだった。
ソ連赤軍にも配備されていないものを、なぜ日本の企業人が持っているのだろう。
 考えられるのは、KGB工作員から報酬代わりに渡されたという事だ。
ソ連への情報の見返りで貰うほかに、日本側を混乱させる偽情報をつかまさせらるケースも否定できない。
何にせよ、危険な香りのする案件だ。
 八楠も表向きは貿易商で、ナホトカに事務所を置いている。
彼の親ソぶりは有名で、BETA戦争で頓挫したシベリアの資源開発交渉に参加した経験がある。
この時代にロシア関係に携わる者は、基本的に容共親ソ思想の持ち主だった。
 八楠は、女性問題ではなく、思想的に共鳴して、ソ連を援助している。
三人の中で、一番危険な部類である。

 資料に目を落としていたマサキは、わずかに口元をゆがめる。
着ている開襟シャツの右胸ポケットから、ロングサイズ用のシガレットケースを取り出す。
 電解アルマイト加工がされた黒いパネルのついた真鍮製のケースから、ホープを一本ぬきだす。
煙草の長さが70ミリと短く、100ミリのケースにあっていないことは承知している。
だが、この坪田パールが作っている日本製のケースが、好みなので仕方がない。 
 煙草のフィルターをくわえたマサキは、100円ライターの火を顔に近づけながら、こう思った。
 殺してもよい人物とは、存在するものだ。
 そして、この俺にはそれだけの事を行う力も能力もある。

 早速、マサキは丸の内にある八楠の本社ビルをたずねた。
しがないソ連相手の貿易商にしては、金回りのよさそうな感じを受けた。 
 資本金500万円ほどなのに、丸の内に大きなビルを持っており、多数の従業員を抱えている。
彼の経営手腕も関係あるだろうが、裏に金を貸す銀行なども絡んでいるのだろう。
 ビルの受付に行くと、ちょっとした騒ぎがあった。
白い(かみしも)姿の男が、従業員を人質にとって、立てこもり事件を起こしていた。
「わ、私は、ほ、本気だぞ!
ここで、拳銃自殺をすれば、嫌でも明日の朝刊の一面に載る」
 男の手には、2インチの銃身をもつ、コルト社製の回転拳銃(リボルバー)、パイソンが握られていた。
.357マグナム弾を発射できる小型拳銃で、1955年に発売された。
 ほかのコルト社製回転拳銃と違い、ほぼすべての工程が、熟練工による手作業での組み立て。
その高品質と、高価格帯から、「拳銃のロールスロイス」と評された。
「そうすれば、八楠の汚いやり口が、白日の下に晒されるだろう」
「好きにすればいい。
なんなら、今から在京キー局のテレビカメラマンを呼んでやろうか」
「な、何!」
「株式買い取りを通じた合併は、合法的な企業戦術にしかすぎん。
それに敗れたお前は、ただの負け犬ってことさ」
「この()に及んで、何を言うか!
人が心血を注いで築き上げた会社を、二束三文の金で奪い取ることの、どこが合法的なんだ」
 激昂した男は、リボルバーの撃鉄をゆっくりと上げた。
ほぼ同時に、輪胴式の弾倉が、連動して回転する。
「頼む、八楠さん。
後生(ごしょう)だ、私から……会社を奪わないでくれ」
「俺は忙しいんでね。
それに商人(あきんど)の自殺というのは、この目で見るのは初めてなんでね」
「き、貴様、正体を現したな。
青年実業家などと、()(はや)されているが、薄汚い政商(せいしょう)なんだ」
 政商とは、政府や官僚との縁故や癒着により、優位に事業を進めた事業家や企業のことである。
俗に、御用商人とも呼ばれ、公共事業や新規発展の目覚ましい産業に食い込んだりもした。
 明治期の御用商人として代表的な人物として、薩摩藩士であった五代(ごだい)友厚(ともあつ)などが有名である。
 もっとも彼は、事業の負債を抱えてまで、商船三井や南海鉄道などの、今日にまで残る仕事をした。
だが晩年は、重度の糖尿病に侵され、49歳で亡くなるという、あっけのない最期であった。

「こうなったら、地獄で待っているぜ。あばよ」
 男は周囲の人間が止めるよりも早く、コルト・パイソンをこめかみに当てる。
その途端、ピューンという音とともに、手裏剣が拳銃をかすめた。
 男は手裏剣の衝撃で、持っていた回転拳銃を取り落とした。
周囲の人間は、一瞬の出来事に理解が追いついていないようだった。
 まもなくすると、その場に、拍手が鳴り響く。
野次馬として来ていた八楠の社員たちが振り向くと、数人の男女が立っていた。
 1人は、季節外れの、茶色いトレンチコートを手にした、壮年の男。
薄い灰色の背広に、パナマハットなどを被っているところを見ると、サラリーマン風である。
「何だ、貴様らは!」
 警備員の問いかけに、鎧衣は持ち前のユーモアをたっぷりと披露した。
「いや、東京は恐ろしいところですな。
ビルの中に入ってみれば、自殺未遂。
京都では考えられませんな」
 藪から棒に変な事を口走る男。
人々は気違いと思って相手にしなかったが、社長の八楠はこう返した。 
「京都から来たんだって?
じゃあ、大空寺の総帥、大空寺真龍は知っているかい。
総帥と俺は義理の兄弟なんだ」
 マサキは苦笑すると、八楠の方を向いた。
手をのばせばすぐ届く距離に、肥満漢の大男が立っていた。
「知らんね。
俺には、お前の様な関取(せきとり)の知り合いはいないんだ」
 男のだらしのない体型をあざ笑った後、タバコに火をつけた。
八楠は落ちているコルト・パイソンを拾うと怒りに任せ、拳銃をマサキに向ける。
 引き金を引くと爆音が響いたが、当たったかどうかは判らない。
確認をする前に、彼自身が撃たれたためであった。 
 拳銃を持った八楠は、事件の通報を受けてきた警官に射殺された。
債権者の狂言を見て、美久が手配しておいたのだ。
 事情を知らない警官は、八楠を立てこもり犯と勘違いした。
マサキに向けて発砲した直後、八楠の脳天を警告なしに撃ったのだ。
 撃たれたマサキに被害はなかった。
次元連結システムのちょっとした応用で、難を逃れたのだった。

 マサキは、流れ去ってゆく新宿の街並みに顔を向けた。
 外はすっかり陽が落ちて、暗くなっていた。
高速道路から見える街の灯りは、星のまたたきのように美しい。   
 この大東京の繁栄ぶりを、いつかアイリスディーナに見せてやりたい。
いや、みせるどころか、銀座や有楽町と言った街中を二人でぶらぶら歩いてみたい。
 デートまではいかないが、誰に気兼ねすることなく朝から晩まで連れまわしてみたいものだ。
 別に東京じゃなくてもいい。
紅葉の時期に、京都の金閣寺や、日光の中禅寺湖に連れて行ってのもよかろう。
 真冬に沖縄でバカンスなども、楽しかろう。
彼女の眼の色と同じ海で泳ぐのも、また一興だ。
 ソ連の後ろ盾のなくなった東独は、10年もしないうちに滅ぶ。
石油や天然資源が格安で入らなくなり、経済的に立ち行かなくなるのは目に見えている。
だから、焦る必要はない。
 だが、アイリスディーナの年齢を考えれば、悠長なことも言えまい。
今は19歳の美少女だが、10年もすれば29歳だ。
 若い女の1年は、男の5年にあたる価値がある。
10年も無駄に過ごせば、50年を無為に過ごしたことと同じになる。
 この黄金の日々を、あのくすんだ色の軍服を着て過ごさせるような真似は避けたい。
彼女に似合うのは、レインドロップ模様の迷彩服ではなく、パールホワイトのドレスだ。
 胸を飾るのは略綬やメダルではなく、神々しい光を放つジュエリーでなくてはならない。
トレンチコートではなく、練り絹やメリノウールで編んだストールをまとってほしい。
 細い腕には、ソ連製の自動小銃・AKMではなく、いとし子を(いだ)く方がふさわしい。
そこまで思って、マサキは静かな笑みを浮かべた。 
 

 
後書き
 夏が過ぎれば、仕事が落ち着くと思ったのですが忙しくてまとまった執筆時間がありません。
なので、10月以降も当面隔週連載になると思います。
 
 ご感想お待ちしております。
ご要望等ございましたら、コメント欄にご記入ください。 
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