冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
東京サミット その3
前書き
昔は喫煙マナーは今と比べて、非常に悪いものでした。
灰皿のない所でタバコを吸うのはザラで、道路を歩きながら吸うのは当たり前でした。
そういう時代背景を前提に、今回の喫煙シーンを書いています。
諜報戦というのは、実に地味な戦闘方法である。
劇映画のように敵地の奥深くに侵入して目標を破壊したり、機密文書や新兵器を盗むことばかりではない。
その多くは、敵国や第三国の世論を自国に有利なように煽動する情報工作がほとんどである。
日本や米国を代表する自由主義諸国は、ソ連や中共と違い、国民の声を政権に一定数反映する民主主義のシステムを採用している。
その為、対外工作や偽情報工作を受けやすく、KGBが仕掛けた世論誘導によって、政権転覆が起きた例もある。
1980年代の西ドイツの反核運動は、その起源の一つに環境問題を入り口とした偽情報工作があった。
当時の西ドイツでは、出来たばかりの緑の党や環境保護団体が地球寒冷化による気候変動の恐れを必死に説いていた。
中でも熱心に説いたのが、核戦争による核の冬の到来である。
彼らのやり口はこうだった。
いきなり核の冬を主張すれば、ソ連の核の脅威におびえる西ドイツ人でも警戒するので、自然保護運動を入り口に使われた。
自然保護という甘い言葉でくるんだ左翼思想を与え続け、気が付かない様に誘導を行う。
完全に左翼思想に痺れた頃合いを見て、気候変動による地球慣例化を話に挙げる。
そして、そこから核兵器のことを学び、核による気候への深刻な影響を刷り込むのである。
この様な洗脳を受けた人間は、自然と核兵器廃絶や平和運動という差翼活動にも携わっていくという具合であった。
当時の西ドイツは、共産党は非合法で、尚且つ破壊的な活動を行うドイツ赤軍や毛沢東主義者は警戒されていた。
連邦情報局、軍事諜報局、憲法擁護庁と言った諜報機関も設置され、スパイを取り締まる法律もあった。
その為、KGBは正面からの赤化工作や反戦運動ではなく、環境問題を切り口にした工作を行った節がある。
当時の西ドイツでは急速な経済発展で、公害問題が続発しており、KGB工作の入り込める余地が存在していた。
西ドイツ南部に広がる黒い森。
この広大な森林地帯が1970年代に急速に失われ始めており、酸性雨の被害であると連日連夜報道されていた。
だが、シュバルツバルトの大量枯死の原因は、酸性雨による環境破壊ではなく、高地特有の乾燥による枯死だった(注釈)。
西ドイツ以上に、東ドイツやチェコスロバキアの環境汚染の方が深刻だった。
だが環境問題は、東側諸国で国禁であり、シュタージやKGBの管轄だった。
弾圧下であっても一部の知識人や学生が問題化し、西側と連携して情報を公開していくのだが、その話は後日に譲りたいと思う。
(注釈:近年になって旧西ドイツの黒い森の枯死の原因は乾燥によるものだと判明してきている。
1980年代に緑の党が盛んに宣伝してきたことと事実が異なることが判明した好例である。
以下に参考URLを記載したい。
株式会社東環『きょうの東環』2019,07,03, Wednesday「常識が覆されるとき」
http://www.tokan-eco.jp/blog/index.php?e=1667)
アクスマンの遺書という、今回の偽情報工作の目的とは何か。
それはKGBによる対日世論工作であり、また日・米・中の離間工作であった。
ゼオライマーの機密情報をもとにし、反ソで結束しているこの三カ国間の連携を崩すという方策であった。
この作戦は日米間の離間工作だけではなく、ソ連と急速に距離を置き始めていた東独にも向けられたものだった。
東独側は日米と違い、事態を静観しているばかりではなかった。
早速、その対策として、密かに人員を派遣することとしたのだ。
ラインホルト・ダウムは、東独政府団が東京に来る前に日本に来た。
彼は、シュタージの対外諜報部門・中央偵察総局の副局長の一人である。
ダウム自身はシュタージに採用されて、すぐポーランドでの潜入工作員として活躍した老練な諜報員だ。
西ドイツへの積極工作という情報操作を専門とし、わずかな虚偽情報を混ぜた政府機密を意図的に流す事をしている男だった。
これはKGBが良く使う手で、英語でActive measuresとか、露語でАктивные мероприятияと呼ばれる。
防諜機関のない日本では、スパイ天国であることはシュタージの間でも常識だった。
KGBが東京の新聞社に出入りする人間に接触し、言葉巧みに世論誘導することは簡単である。
仮に非公然工作員が捕まっても、それを処罰する法律がない。
だから諜報関係者の間では、日本に来るという事は一種のバカンスである。
という様な政治的小話を、KGBの連絡員によく聞かされたものだ。
今回は東ドイツの雑誌、「Das Magazin」の記者という名目で、ビザ申請し、入国したのであった。
(ダス・マガツィーンという雑誌は、統一後、出版社を変えて存続している。
男性向けの雑誌で、読者層の75パーセントは旧東独となっている。
スイス国内でも同名の雑誌が発行されているが、前出のドイツ紙とは全く無関係である)
日本側も東独の新聞記者や雑誌社の人間を警戒しなかった。
それは日本が、東独では報道が許された数少ない西側先進国という面があったからだ。
東独では、西独の情報は入ってきていたが、大っぴらに語ってはいけないことだった。
住民はおろか、党幹部、軍関係者やシュタージでさえ、西独のテレビを見ていたが、そのことを口にするのはタブーだった。
資本主義的堕落の傾向とみなされ、最悪、懲役刑が待っている可能性があったからだ。
また米国に関して言えば、ソ連の衛星国という事で敵国の宣伝煽動を防ぐ意味合いから、否定的な宣伝以外は回避された。
ソ連とは違い、一応、ロック音楽やジーンズなどは入ってきていたが、当局の意図に沿う形に修正されたものだった。
ソ連のようにボロ布で闇のジーンズを作ったり、レントゲン写真を削ってレコードの音を複製する様な事はしないで済んでいた。
それでも闇屋が横行し、西ベルリン経由でジーンズを輸入したり、教会でロック音楽のレコードを掛けたりしていた。
日本に関する報道が許されたのは、米独と違い、直接の対立関係になく、地理的に遠かったのも大きい。
また日本も敗戦国だったので、その戦後復興や発展ぶりが東独で参考にされた部分もある。
日本人自身も、容共人士を中心に東独を詣でて、共産主義的な教育方針などを視察し、教育現場の参考にしようとしたり、比較対象として研究が進んでいた面もあった。
そういう事もあって、ダウム少佐はすんなりと日本国内に入れたのだ。
無論、内務省や情報省は、この外人に対して何もしなかったわけではない。
密偵を仕立てて、密かに尾行することにしたのだ。
ダウムは、流れ出る汗を拭きながら言った。
半袖姿で、先ほど買ったばかりの扇子で扇いではいるが、暑くてたまらない様子だ。
「君の国は、フィンランドのサウナより酷いところなのだな」
ZDF(ドイツ第二放送)のアナウンサーより流暢なドイツ語が返ってきた。
30度近くだというのに、きっちりとパナマ帽と夏物の背広を着こなしている。
「無茶苦茶な事を言ってくれるな」
ネクタイこそ緩めてはいるが、上着を脱ぐそぶりすら見せない。
日本人は夏の暑さに慣れているというが、本当にそうなのだろう。
「確かに湿度は50パーセント以上あるが……」
「この時期には毎日、日射病で死者が出ていると新聞で報道されているそうじゃないか」
ダウムは、サングラス越しに目を細めた。
上野公園のアスファルトからの日光の照り返しは、比較的涼しい国であるドイツの国民にとって、強烈なものだった。
「極端な話さ」
明瞭なドイツ語で、彼の傍にいた日本人が答えた。
大通りを行き交う車や、道路の反対側にある商店街を見ている。
「建設作業者や運動部に入っている学生が日射病で倒れることはあるが、暑さだけで死ぬ事はないな。
何なら、ラムネでも奢ってやろうか。
ここが温帯であることを忘れるほどの爽やかさだ。
冷えたものなら、多分、米国製のスプライトよりもおいしいぞ」
「冗談じゃない」
その話を聞いて、ダウムは余計に暑さを感じた。
「ソーダ水を飲んだぐらいじゃ、体にまとわりつく湿気は消えない」
「蒸し暑いのは嫌か」
「ここは地獄の窯だ」
「じゃあ、なんで真夏の日本に来たんだ」
「血のつながらない娘が、嫁ぐかもしれない国を見たくなったのさ」
血のつながらない娘とは、アイリスディーナ嬢の事か。
確かに、この男とアイリスディーナ嬢の母とは再婚関係にはあるが……
諜報員、鎧衣左近は笑った。
どうやら男は、自分が誰かと知っていて、身分を隠さないらしい。
「君の使える主人は、あのおままごとを本気でやるつもりなのかね」
「いくら社会主義国だからと言って、国際結婚を禁止する法律はない」
「自由を取り締まる人間が言う言葉じゃないな」
鎧衣は、面白くなさそうに言った。
ダウムは、かすかに笑みを浮かべて返す。
「お互い様だろう」
「ああ、そんな所さ」
鎧衣は、マルボーロと使い捨てライターを差し出した。
ダウムは白と赤いソフトパックとライターを受け取ると、封を開け、タバコに火をつける。
「ところで、君に頼みたいのが……」
鎧衣は、唐突に言った。
「信用出来る人間にこれをみせて、確認を取ってほしい」
そういうと鎧衣はワイシャツの胸ポケットにあるシガレットケースを取り出した。
ケースを開けると、中に挟んである紙をダウムに差し出した。
「目的はなんだ」
鎧衣は、ダウムから受け取った紙を見ると訊ねた。
そこには、アクスマンの遺書が東京の日刊紙に掲載された三日後にソ連で報道されたと書かれていた。
「ゼオライマーに関する偽情報にKGBが絡んでいるか、どうかだ。
アクスマンという男は、君の職場の人間なんだろ……
大方、今回の新聞報道で困っているそうじゃないか」
「損な話じゃないな」
ダウムは扇子であおぐと、首をかしげて言った
「KGBと彼の交友関係か。
それとも彼が二重スパイに仕立てた西ドイツの関係者の事か。
記事を書いた人間は……」
「中堅新聞社の編集局員だ。
その新聞社は、表向きは反共主義を掲げているが……」
「平和のためのスカウトを受けた人間かもしれないな」
平和のためのスカウトとは、中央偵察局長官マックス・ヴォルフが好んで使った表現である。
西側の人間をスパイや協力者に仕立てることを、戦争を防ぐためであると自己弁護したのが始まりだった。
この言葉は、シュタージ内部ではスパイとしての勧誘を意味する隠語となった。
「これがシュタージのやり口か」
「KGB直伝の手法さ。
もっとも、今はミルケ長官の時代ではないから、あまり好まれないがね……」
手練れの工作員は、さも10年来の友人のようにシュタージ少佐に答えた。
「まあ、仕事の話はこれくらいにして、冷えたビールでも飲もうではないか」
ダウムは、顔つきだけをにこやかなものに戻して応じた。
「日本人が作ったビールは、飲んだことがないからな」
後書き
今回の話を書いていて20数年ぶりに酸性雨という言葉を使いました(苦笑)。
今は環境改善が進んだことと科学研究の発達で酸性雨の被害という物の実態が判明し、被害とされてきたものも違うとわかってきたので、ほとんど使われない言葉になってしまいました。
1990年代は盛んに言われていたのですがね……
ご感想お待ちしております。
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