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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
冷戦の陰翳
  東京サミット その1

 
前書き
 某事件をモデルにした話です。
気になる方は、「周恩来の遺書」事件でググってください 

 
 1975年に始まった先進国首脳会議。
この度、極東で初めて開催されることとなり、その会議の場は日本第二の都市、東京と決まった。
 首都の京都ではなく、なぜ東京になったのか。
それは、外国要人の京都訪問を嫌がった、武家の都合によるところが大きい。 
 明治維新を経験していない、この世界では、いびつな形での攘夷思想が存続された。
万世(ばんせい)(きみ)を頂く帝都に、不埒な異人を入れるとは。
 その様な意見が、帝室に近い堂上(どうじょう)公家(くげ)や武家から出されたため、政府は彼らをなだめるために、会議の場を東京に移した。
 また、交通の面からも東京は京都より優れていた。
古い中世の遺構の残る京都と違って、東京は関東大震災で街の殆どが焼けたため、比較的早い段階で近代的な街並みを作ることに成功していた。

 マサキは、今回のサミットにあたっても、関わらざるを得なかった。
武家でも、官僚でもない、一人の雇われ軍人ではあったが、G7各国とは関係を持っていた。
 そういう事で、ふたたび榊政務次官の公設秘書的な役割で、所属している城内省から国防省に出向扱いになっていたのだ。
榊次官と共に、マサキ達は、東京に滞在することとなったのだ。
 さて、当のマサキ本人といえば、東京市内を、美久と共にドライブしている最中であった。
二台の750㏄の大型バイクにまたがり、夜の首都高を爆走していたのだ。
 戦前のアールデコ様式のビルディングが並ぶ中に浮かぶようにある、江戸城と靖国神社。
江戸時代に建てられた徳川氏の霊廟や、大小さまざまな武家屋敷なども、そのまま残っている。
 まるで、昭和初期の時代に、タイムスリップしたような感覚に襲われる。
実に奇妙な体験であった。
 この世界では1944年に日本が降伏したので、1945年の東京大空襲がなく、既存のインフラが残ったのも大きかった。
東京の再開発は、関東大震災以降行われず、せいぜい首都高が整備されたぐらい。
 大きな違いは、10本に渡る環状道路が、すでに戦前の時点で実現している点であった。
現実の世界では、2024年の段階で、計画から70年以上たつのに、いまだ外郭環状線が未完成の状態である。

 翌日、マサキは鎧衣に英国領事館近くのダイヤモンドホテルに呼び出された。
半蔵門線からすぐそばにあり、1階にある中華レストラン「金剛飯店」で食事をする約束になっていた。 
 席に案内されたマサキを待っていたのは、白いスーツに灰色のネクタイをした人物だった。
白人で、気障ったらしいレイバンのサングラスをかけているも、精悍な顔立ちがはっきりわかるほどだった。
「君が木原マサキ君だね。ゲーレンとの一件は聞いているよ」
 マサキに挨拶をしてきた五十がらみの男は、ビジネスマン風の感じだった。
だがマサキ自身は、これまでの経験から男が諜報の世界に身を置く人間だと察知した。
 さしずめ、MI6の諜報員といった所か。
おそらくジェームズ・ボンドや、その類であろう。 
「俺に何の用だ」
「新聞雑誌は、どんなものを読むのかね」
 アメリカ風のスーツを着こなす男は、胸ポケットからシガレットケースを取り出す
言葉を切るとタバコに火をつけた。
「俺は岩波の世界とアサヒグラフしか読まないことにしている。
その方が女にもてるからな」
 1950年代から60年代の大学生や知識人の間では、岩波の月刊誌「世界」と朝日新聞社のアサヒグラフがもてはやされた。
左翼的な内容は元より内容の小難しさから、インテリ層の本として評価が高く、読まなくても持ち歩い ているだけで、進歩的という評価を受けた。
 現代風に言えば、自意識の高い人々が、大型のタブレット端末や英字新聞を持ち歩く姿に近いものがある。
「まあ、こいつを読んでくれ。
酷い偽情報工作の見本さ」 
 男が投げ渡したのは、題号がカタカナ表記の全国紙で、3日前の朝刊であった。
東京大手町と大阪堂島にそれぞれ本社を持つ工業系新聞社で、戦後は民族的な言動で有名な新聞だった。
 それは、東京編集局次長の署名入りの記事だった。
褐色の野獣こと、シュタージ少佐のハインツ・アクスマン。
彼が、78年の3月にベルリンでソ連兵に銃殺される前に遺書を残したという物である。
遺書の中で、中共経由で西ドイツからゼオライマーに関する機密情報を得たことを示唆する内容だった。
「ハインツ・アクスマン?ドイツ人か。
シュタージ将校の遺書など、俺に見せて、どうする」
 新聞の一面には筆記体で書かれたドイツ語の手紙と、アクスマンの顔写真が載っていた。
そして、手紙の内容を翻訳したものが、3面に記されていた。
 その内容は、アクスマン少佐は、シュタージ将校で中央偵察総局勤務である事。
中央偵察総局で、西ドイツの軍事政策の専門家という記述から始まるものだった。
 中共でのゼオライマーの活躍を知った西ドイツにいる内通者が、アクスマンに知らせた。
そして彼から、シュタージ本部にいるKGBの連絡員に密告したという記事であった。
 マサキはアクスマンという男の人相も知らなければ、彼がどういう人物かも知らなかった。
ミルケ、ヴォルフ、ゴルドコフスキ―、グロースマンという主要な人物は、認知していた。
 また、アイリスディーナに護衛役と称して付きまとっていたゾーネ少尉。
彼女と兄ユルゲンの人生を狂わせた一因となったダウム少佐の事も把握はしていた。
 だがマサキが、シュタージ本部から文書を盗み出したとき、アスクマンはその場にいなかった。
正確に言えば、瀕死の重傷で、幹部専用の第一政府病院の病室に、軟禁に近い形で隔離されていた。

(東ベルリンには、幹部とシュタージ専用の第一政府病院と、芸人などの自由業者向けの第二政府病院があった。
そこに勤務した人物の証言によれば、一般病院の5倍の数の薬剤が揃っていた。
全国より選抜された優秀な医師と看護婦が24時間体制でおり、高額報酬が支払われていた。
ソ連や東欧製の医療機器ではなく、最新の欧米製の医療機器が備えられていたという)

 そして褐色の野獣は、長官の手づからによって死刑を宣告され、毒杯を賜った。
この一連の簡易裁判は、議長もSEDもあずかり知らぬ場所で起きた惨劇だった。
 SEDは、事実を隠蔽(いんぺい)すべく、虚偽の報告書をまとめた。
シュタージの公式見解では、アクスマンの死因はソ連兵による銃撃が元とされ、最終的にKGBの責任とされた。
アクスマンの遺体はほかの犠牲者と共に国葬され、遺族には僅かばかりの見舞金と勲章が送られた。
まさにソ連が行った「殺した後に祀り上げる」というKGB機関の伝統行事が、醜悪な形で再現されたものだった。

 結論から言えば、その新聞に書かれたことは、根も葉もない事実だった。
日本と西ドイツの関係悪化を狙った何者かがアクスマンという男の名前を借りて作った偽情報だった。
「こいつは、中々の出来だろう。
早速、今日発売のソ連の月刊誌、「新時代(ノーボエ・ブレーミヤ)」に、紹介記事が載っているという具合さ」
 ソ連時代からあるロシアの月刊誌新時代(ノーボエ・ブレーミヤ)は、今でこそ反体制的な雰囲気の雑誌だが、ソ連時代は違った。
ここの海外特派員はKGB第一総局対抗諜報部選り抜きの将校であり、多くが非合法工作員だった。
 後に日本を騒がすこととなったレフチェンコ事件のレフチェンコ少佐は、モスクワの東洋学院の出の日本専門家だった。
1993年に亡命先の米国で没したべズメノフによれば、東洋学院の生徒の75パーセントがKGB将校だったという。
教授や講師も無論、KGB将校で、その多くが定年者やスパイであることが発覚して引退した者たちだった。
 スパイであることが外国の捜査機関により発覚したものの事を、KGBは感光と呼んでいた。
これはフィルム式カメラのフィルムが、太陽光線の作用を受け、化学変化を起こし、使い物にならなくなったことに由来する言葉である。
つまりKGB将校という身元が割れてしまったので、スパイとして使い物にならなくなったことを指し示した。
  

 諜報員と思しき男は、断片的な情報しか言わなかった。
マサキは、その偽記事の出どころが気になっていた。
金剛飯店自慢の中華の味も、食事と一緒に饗された酒の味も感じなかった。
 ホープの箱からタバコを抜き出すと、使い捨てライターで火をつける。
かすかに感じる蜂蜜の風味を味わいながら、思考を再び過去に戻していた。
 前の世界でも似たようなことがあったな。
日本政府の世界征服計画と称する怪文書が出回り、世界中に流布された田中上奏文事件。
 事情に通じた日本人が一目見れば、はっきりとした偽造文書と分かるが、何も知らない人間は信じてしまう作りだった。
あの事件は国家合同政治総本部(OGPU)――当時のKGB機関――の渾身の一作で、最初に出回ったのは日本だった。
日本から世界中に伝達する形で、拡大して報道され、いつの間にか既成事実化された。
 今回のアクスマンの遺書という物も、おそらくはソ連の偽文書だ。
最終的には対ソで協力関係にある日中間の離間を目的とし、日本と西ドイツの関係を悪化させる。
それがこの偽造文書の最終目的だ。
 下手したらシュタージ自身が知らないところで話が進んでいるのかもしれない。
ユルゲンやヤウクがこのアクスマンという木っ端役人の事を知っているのだろうか。
シュタージとの関係が深いアーベルにでも聞くか……
いや、俺がシュタージファイルを返し読みすればいいだけか……

 とりとめのない会話の内に食事が終わると、酒席はお開きになった。
金剛飯店からの去り際に、諜報員は真面目な顔をして言った。
「木原君、アクスマンという男の事を調べてごらんなさい。
色々と面白いことが分かりますよ」 
 マサキは、つぶれかけたホープの箱からタバコを抜き出す。
口にくわえて火をつけると、興味を覚えた顔つきで尋ねた。
「アイリスディーナの為になるのか」
 男は、なぜか楽しそうに答えた。
「アイリスディーナ嬢を幸せにしてやるには、その因果から解放してやるしかありません」 
 

 
後書き
 まあ、このところ諜報戦というか、情報戦のような地味な話しか書いてません。
よそ様はbeta戦だ、何だとやっているのに、政治の話ですからね。
 久しぶりにご要望などありましたら、お聞かせください。
ご感想お待ちしております。 
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