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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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閑話3 きれいな戦慄 【第100話記念】

 
前書き
お疲れ様です。

前回第100話の前書きに書きました通り、特別編として閑話をお送りいたします。

ジョークとパロディが混ざっている上に、三人称の文章はかなり久しぶりに書いたので、ところどころおかしいところがあると思いますが、
わが征くは薔薇の大海のようなお心でスールしていただければ幸いです。

実際このネタ、リアルタイム(16年前!)でニコ動で観て相当ショックを受けました。
どう考えたらこんな凄いクロス動画ができるんだと、驚いたものです。

実はサブタイトルもそっちにしようか迷ったのですが、流石にダメだろうと思い、こっちにしました。 

 
「おはよう」
「おはよう」

 女性らしからぬ低い声の朝の挨拶が、未だ夜霧の晴れない暗い曙空にこだまする。

 ミネルヴァ様のお庭に集う乙女たちは、今日も泣いたり笑ったり出来そうにもない無表情で、学生舎の前に整列する。
 教練と学習で鍛えられた心身を包むのは、薄緑色の制服。
 スラックスの裾は乱さないように、制服上着の袖を翻さないように、規則正しく足並み揃えて歩くのがここでのたしなみ。
 もちろん遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない候補生など存在していようはずもない。
 だいたいそんなことしたら、総員腕立て用意の声が待っている。

 自由惑星同盟軍士官学校第一女子学生舎 通称『薔薇舎(メゾン・ド・ラ・ローズ)』

 宇宙暦五六〇年創立のこの学生舎は、それまで国勢拡大のために国防任務に就くことが許されなかった女性の参画を目的につくられたという、幾つかある女子寮の中でも最も伝統ある学生舎である。
 テルヌーゼン市内。地上戦演習場の面影を若干残している緑多いこの地区で、軍神に見守られ、一般教養から軍事教練まで一貫した教育を受けるメスゴリラ達の園。

 時代は移り変わり、二〇〇年以上経った今日でさえ、五年間棲み続ければ、『ある意味では』温室育ちの純粋培養メスゴリラが箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な場所である。

 彼女――、ジェイニー=ブライトウェルもそんな平凡なメスゴリラの一人だった……はずだった。



「第〇三〇〇区隊、ブライトウェル一回生! 分隊より外れ!」

 入校より二ヶ月が経過したある日。他の学生舎ではとうに時代遅れとして廃止されている、士官学校キャンパスに向かうまでの課業行進の途中で、ブライトウェルは背後から呼び止められた。

 課業行進中に名乗らぬ相手から声をかけられたところで、本来歩みを止める必要はない。だがその鋭く響く声が旧知の上級生のものだったので、ブライトウェルは言われた通り僚友区隊の行進から外れ、無言で駈足にて来た道を戻っていく。慌てず騒がず、スラックスに皺など寄せぬよう、それでいて可能な限り早く。

 そして相手の顔を真っすぐ捕え、腕を伸ばした長さまで近づいたら、直立不動。背筋を伸ばし、顎を引き、学生鞄を地面に置いて、右肘を地面に水平、右手は伸ばして蟀谷に。入校前の入舎式以降、一週間で徹底的に鍛えられる、基本動作。

「はい。ブライトウェル一回生、参りました」
「休め」
「はい」

 何の用か、と問い返すことはしない。上級生から問われるまでは、必要以上に口を開いてはいけない。容儀点検は済ませたばかりでありながら、しかめ面で直立不動の自分の周りをジロジロ見ながら一周したとしても、だ。

「……ブライトウェル一回生。貴官に聞きたいことがある」
「なんでありましょうか。ボロディン二回生殿」
「先日、戦略研究科内で『候補生同士の喧嘩』があったと、舎長に連絡があった。身に覚えはあるか?」
「ありません」

 ブライトウェルは自分を見上げる上級生を『見下ろして』応えた。その澱みない即答に、上級生のきれいに整った細い眉の間に深い皺が寄った。

 情報分析科二回生、アントニナ=ボロディン。学籍番号八九I〇九八九AB。通称『クレオパトラ』。

 金髪碧眼に褐色肌という特異な容姿の持ち主というだけでなく、士官学校フライングボール部(男子)のエースアタッカーという抜群の運動神経の持ち主でもある。だが通称の基になったのは、そのすらっとした鼻梁にやや大きめの瞳という、美女と謳われた古代女王に等しいと言われる美貌からだけではない。

 士官学校の数多にある学生舎の中でも極めつけに厳しい気風を保持する薔薇舎にあって二回生の総班長を務めながらも、道理の通らないことに対しては礼儀正しく規則に則りつつ上級生に噛みついていくという正義感の持ち主故に、上級生やOG達から「間違いなく四回生の時には舎長になれる器だが、古き伝統もまた彼女によって廃されるだろう」と嘆かせた器量からだ。

 そして軍属から候補生になったブライトウェルにとっては、時として同い年の姉のようでもあり義妹でもあるような人だった。

「……私に嘘をついても、なんの意味もないぞ」
「『嘘は』ついておりません」
「では貴様を名指しで送り届けられてきた診察書類の束と、所属寮長名義の抗議文は一体なんだ?」
「小官にはわかりかねます」

 そんな彼女が金糸のような髪を逆なでながら、ブライトウェルを睨みつけている。その横を慣れない規則と罵声で圧し潰されつつある一回生達は怯えつつ、二回生以上の上級生達は生暖かい眼差しで、課業行進していく。

「重傷者一名、軽傷者二名。重傷者は左膝関節内骨折。軽傷者も打身に捻挫に各所打撲だと」
「そうですか」

 なんだ大したことなかったなと、ブライトウェルはいろいろな意味で思ったが、目の前の先輩の額には青筋が浮いているのを見て、それ以上の口答えは無用と判断し、心持ち殊勝なふりをした。

「そんな心にもない謝罪の表情をしても無駄だぞ」

 だが当のアントニナはそんなことはオミトオシ。さらに一歩、ブライトウェルに近づくと、丁度ブライトウェルの鼻の端あたりにアントニナの長いまつげが届きそうになる。夏空を思わせる突き抜けるような力強さを含んだ碧色の瞳は、女のブライトウェルですら美しいと思わずにはいられない。その瞳がじっと自分の瞳を見つめている。僅かな時間であったはずなのに一時間にも二時間にも感じられる圧力が、その瞳にはある。

「ビュコック中将閣下とディディエ中将閣下と私の兄に誓って、筋の通っていないことはしていないと貴様は言えるか?」

 化粧が一切されていないはずなのに瑞々しい桃色を浮かべる口から出た言葉に、ブライトウェルは背筋に高圧電流が流れたような痺れを感じた。それは一年と半年前。第四四高速機動集団司令部のキッチンで、先輩の従兄上にかけられた言葉以来か。

「言えます」

 人生が五四〇度変わったあの日以降。自分が生きる道を守ってくれた大恩ある老提督と、節を曲げずに生きるための術を教えてくれた英雄将軍と、自分がこれからも生きる意味自体を作ってくれた大切な人。他にも多くの心よき人たちの助力があってこそ、自分は天地の間に存在しても良いことをブライトウェルは『知った』。
 時に方便をつかなければならいことが将来あるにしろ、先の三人の名を汚すような真似はしない。それはブライトウェルにとって唯一といっていい人生の誓いだ。

「誓って、言えます」
「……いいだろう。だが詳細について舎長には貴様の口から説明してもらうぞ。夕食後に、じっくりな」

 そう言うとアントニナ先輩は右手人差し指でブライトウェルの額を小突いた。児戯のような仕草だが、想像以上の力の入れ具合で、ブライトウェルの顎は思わず上を向く。だがそうでなくともブライトウェルは天を仰ぎたくなった。舎長への説明と舎長からの訓示は、肉体言語による会話になることが容易に推測できるが故に。

 ……ちなみに現在の薔薇舎舎長の名前はマリー=フォレストと言い、通称は『サマーガール』。身長一八八センチ、体重八五キロ。長い歴史を持つ薔薇舎でも史上唯一の『陸戦技術科候補生』であり、自他ともに認める本物のメスゴリラだった。





 舎則で許される最大速度での速歩で薔薇舎敷地を抜け、人目のある公道ではゆっくりと、士官学校本敷地内は駆け足で走り抜け、ブライトウェルが一時限の講義室に入ったのは、一限講義一分前だった。
 遅刻ではないが、講義室の扉を開ければほぼ全員が着席していた。エリート揃いの戦略研究科だけあって、行動にすらプライドがある人間も多い。一番遅れて入室してきたブライトウェルに対して、軽蔑の視線すら送ってくる者すらいる。

 こんな人間達の中で五年も暮らして来て、しかも最終学年で首席を獲っておきながら、どうしてあれほどまでに優しくてくだけた人が出来たんだろうと、ブライトウェルは入学以来不思議に思っていた。特に現在空席となっている三つの席に座っていたはずの同期生共の顔を思い出せば、ほとんど奇跡なのではないかと思えてくる。
 そしてその想いが最高潮に達したのは、開始時間ピッタリに講義室に入ってきた講師の、いつ見ても不愉快そうな顔がいつにも増して不愉快そうだったからだった。

「班長候補生。イーモン=エイミス候補生、リュック=ブレーズ候補生、アナトル=カヴェ候補生の欠席理由は既に教官内で共有されているので、報告は不要である」
 起立・敬礼の後、班長が欠席者の報告をしようとしたのを、講師は制して先に口を開いた。
「事故は想像してもないところでも起こりうる。諸君らも十分気を付けて学生生活を全うしてもらいたい。特にジェイニー=ブライトウェル=リンチ候補生」

 さして広くもない講義室で唯一の女性であるブライトウェルに視線を向けて講師は告げる。三人の欠席理由を理解しての名指しであることは誰の目にも明らか。声には出さないが、講師が敢えて既に離婚して籍から外れているブライトウェルの父親の名前を口に出したことに、数人が含み笑いを浮かべている。

 それでもブライトウェルは自分の選んだ道が間違っているとは思えなかった。私は間違っているが世間はもっと間違っているなんて言うつもりもない。人は自分が正しいと思うことを言うのは当たり前のことだ。だからこそ、校舎の裏側に呼び出して『格闘戦の基礎訓練』と抜かした同期生共を無力化したこと自体に間違いはないと思っているし、それでこうやってあてこすられるのは癪に障る。

 講師の態度はすぐに生徒に伝播する。講義で指名されることはほぼない。戦略研究科の上級生の中にはブライトウェルが女というだけで無視をする者もいる。それがさらに同期生達の心を駆り立てる。コイツはバカにしてもいい奴だ、イジメてもいい奴だと。

 それに乗って暴行しようとした奴らを早速病院送りにしてやったブライトウェルとしては、自分が第四四高速機動集団や第五艦隊でどれだけ守られていたのか身に染みて理解できたし、どれだけ出来た人たちに囲まれていたのか、人運が良かったのか、痛感せざるを得なかった。

 二限が終わり昼食になっても、ブライトウェルは孤独だった。戦略研究科の同期生の誰もが昼食に誘おうとしない。ブライトウェルにとって士官学校構内唯一の安らぎは同室戦友や薔薇舎の同期生と会えるこの時間なのだが、今日に限っては講義の遅れか何かで、待ち合わせの時間に来ない。代わりに、食堂の中央よりやや端っこ一回生のスペースでありながら交流スペースに極めて近い場所に座っていたブライトウェルに会いに来たのは、顔も知らない上級生だった。

「ジェイニー=ブライトウェル=リンチ一回生だな?」

 襟についている学年章は三回生。胸に書かれている名前はルング。背の高さは一八〇センチ位。赤黒い顔に筋骨隆々の身体。だがブライトウェルにとっては恩師の一人であるジャワフ少佐よりも『半』まわりは小さい。顔見知りではないが、こちらを名指しで問うている以上、食事の手を止め、起立敬礼するのは規則だ。

「はい。左様です。ルング三回生殿」
「ルピヤ=パトリック=ルングだ。第二学生舎の総務をしている」

 そう言うと、ルングはブライトウェルが座っていた席に腰を下ろした。上級生が「座れ」というまでは座れない。階級と先任順序を骨の髄に染み渡らせるための士官学校の『規則』。しかし後輩を立たせておくのであれば話は手短に、長くなるようならすぐに座らせるのが士官候補生の『マナー』だ。

 しかしルングは太い腕を組み、ブライトウェルに冷たい視線を送ったまま何も言わない。ブライトウェルとしても、友人知人でもない相手からこういう態度を取られることは、困惑以上に軽蔑を覚える。極力無表情でルングの両目を見据えつつ何も応えずにいると、周囲のテーブルからの警戒を感じたのかルングは強く一つ鼻息を吐いて言った。

「昨日、ウチの寮の一回生を可愛がってくれたみたいだな?」
「は?」

 ブライトウェルは一瞬ルングがなにを言っているのかわからなかったが、数秒後に今日欠席している同期生の顔を思い出して納得した。手下がやられたから、若頭が出てきたということだろう。抗議文は寮長が出してきたということだろうから、直接本人に警告を出すのはその下の総務の仕事ということか。ロクデナシの後輩を持つと大変だなぁ、という同情心がブライトウェルの胸の中に沸きあがり、それは自然と微笑となった。

「『格闘戦の基礎訓練』ならいたしましたが、可愛がったつもりはございません」

 そう言って手出ししてきたので、その通りに相手してやったんですよ、とブライトウェルは応えたつもりだったが、ルングの反応は派手に音を立てての机に対する殴打だった。

「貴様、格闘戦と言いながら武器を使っただろう」
「え?」
「三人はそう言っている。当然だな。そうでもなければ士官学校入校したばかりの女子候補生が、一回り以上大きい男子候補生を病院送りにできるわけがない」

 目を血走らせ声を荒げるルングに、ブライトウェルは呆然とした。このデカブツは何を言っているんだろうか、全く理解できない。一人で状況を決めつけて、一人で勝手に怒っている。真実ブライトウェルが武器を使ったというのであればルングの言いようも分かるが、使った武器は拳と肘と脛だけだ。

「小官は武器など使っておりません。当の三名がそのようにルング三回生殿に言ったというのであれば、わが身可愛さに虚偽の報告をしたとしか思えません」
「貴様! 言い訳するか!」
「言い訳などしません。一方の証言のみ信じ、ご自身で見てもいない事実を決めつけることが、ルング三回生殿の正義なのですか?」
「貴様!」

 ルングが勢いよく席を立ちあがり、右拳を握り締め、大きく振りかぶってブライトウェルの左側頭部へ振り下ろそうとする。そんな動きは散々ディディエ中将御用達のジムで見慣れていたので、ブライトウェルは瞬時に右半身として右手でルングのパンチを左に外受けしつつ、左掌底でルングの顎を打ちぬこうとした。
 しかしルングのパンチ自体がブライトウェルの左後ろから伸びてきた第三者の腕によって阻止されたので、外受は空を切り、掌底はルングの左耳横をすり抜ける。

「ねぇ、ブライトウェル。戦略研究科っていうのは大人しく席について食事もできない子供(ガキ)の集まりなのかい?」

 ルングの右腕をがっちりと左手で掴んでいる、ルングよりさらに一回り大きい影が、一七七センチあるブライトウェルを見下ろしている。迷彩柄の候補生服の、大きく盛り上がった胸に輝くAの徽章と『フォレスト』の刺繍。入舎式で遠目に見た『サマーガール』が、目の前で太陽のような明るい笑顔を浮かべていた。

「フォ、フォレスト四回生!」
 明らかに指が右腕に食い込み始めているルングが悲鳴交じりに声を上げると、明らかにわざとらしく目を丸くしてフォレストはルングの方を見つめる。
「おやおや! 戦略研究科のお偉い方は、あたしの名前を知ってくださってるんだね。嬉しいねぇ。これは一生の誇りってもんさ」
 そう言いながらもさらに握力を上げてルングの右腕を締め上げる。歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべるルングに対し、フォレストは笑顔のまま顔をルングに近づけた。
「アンタのところの寮生が、舎(ウチ)のブライトウェルに伸されたっていうのは聞いてるよ。ご丁寧に診断書まで添付してくれたからね。でも舎生に対する注意は、舎長のアタシの仕事だよ」
「だが、そいつは武器を……」
「もしブライトウェルが武器を使ってたら骨折じゃあ済まないよ。たぶん、一生歩けなくなるね」
「……そんなわけ」
「なんなら証明してやってもいいさ。簡単だよ」

 グイと左腕を伸ばして腕から手を離すと、ルングは食堂の床に音を立てて腰から転げ落ちる。あまりにも大きな音と大女の立ち居振る舞いに、食堂中の視線が二人に集中した。

「陸戦技術科から訓練用の装甲戦闘服とトマホークと『ステージ』を今日の課業後に貸し出してあげるから、第二学生寮に居る『戦略研究科の』腕扱きを用意しな。四回生だろうと五回生だろうと戦略研究科なら誰でも構わないよ」
「な……」
「もちろん相手するのはブライトウェル一人さ。どうだい?」

 その言葉にルングの視線がフォレストとブライトウェルの間を数度往復したあと、周囲から浴びせられる興味深い視線に気が付き、慌てて立ち上がって「了解しました」とフォレストに敬礼してから、食堂から大股歩きで出て行った。その後ろ姿を鼻で笑いながら見ていたフォレストは、事態の急変と顛末に頭を抱えるブライトウェルの肩に手を廻した。

「分かっているだろうけど、負けたら半年、薔薇舎のトイレ掃除やらせるからね。自信のほどは?」
 それが冗談ではないことは、右肩に食い込むフォレストの右手の握力でブライトウェルは理解した。恐らくは送られてきた同期生共の診断書から、自分に陸戦経験があることをフォレストは承知した上での問いかけたのだろうと。
「前線配備の陸戦部隊新兵と、第二学生寮の戦略研究科の腕扱きでは、どちらが上手でしょうか?」
「判断が難しいところだね。訓練量と実戦経験を比較しても、それほど差はないとは思うけどね」
「じゃあ、大丈夫だと思います」

 エル=ファシル奪回作戦以降、戦闘時や訓練などの繁忙時以外で、ディディエ中将やジャワフ少佐から与えられた訓練メニューを欠かしたことはない。カプチェランカでは新兵相手のワンサイドタッグマッチを勝ち抜いた。それに大切な人は素手で半個分隊ならば十分叩きのめせると言ってくれた。その経験と信頼が自信に繋がる。

「第四四高速機動集団と第五軍団の名誉にかけて、『ステージ』に上がった奴らを叩きのめしてごらんにいれますよ。『サマーガール』先輩」





「アンタが今も息をしているだけで、もう胸がいっぱいいっぱいだわ……」

 士官学校の敷地の中でもやや外れにある陸戦技術科の校舎の中に複数ある、装甲戦闘服用の戦技訓練施設通称『ステージ』の一つで、女性専用に誂えた装甲戦闘服に身を包んだブライトウェルを前にして、アントニナは肩を落とした。
 舎長から事態を聞いたのが三限後の休憩時間。五限終了後までにフレデリカを含めた女子同期生やつながりのある女子運動部の面々、それに薔薇舎の一回生に連絡してかき集めて(相手方がウソを吹聴しないよう証人としての)応援団を作り、はるばるここまで連れてきた。彼女たちの大半が情報分析科や後方支援科や法務研究科であり、まずもって陸戦技術科の敷地に入ることはカリキュラムにおける最低限の訓練以外ではないから、みんなほとんど物見遊山のノリだ。

「まぁ、フォレスト四回生が色々用意してくれているから、結果以外は心配しなくてもいいと思うけど?」

 元々は同級生でもあるフレデリカはアントニナの横で、『ステージ』の設備に張り付いているフォレストやその同期と思われる陸戦技術科の候補生たちの姿を見て呟いた。

 『ステージ』はあくまでも訓練設備であり、ある程度の気象・重力条件を疑似環境として作ることができる。だからこそ『戦闘訓練中』に自陣に優位になるような変更をさせないよう、フォレストの同期達がぎっちりと筋肉の壁で制御装置の周りを固めている。

 その上、圧倒的に女子率の高いセコンドギャラリーの登場に、ほぼ男しかいない陸戦技術科のボランティアの士気は異様に高まった。どこからともなく足場材を集めてきて、ステージの周りにスタンドを組み上げて茶菓子まで振舞っている。何しろ陸戦技術科の『姫』であるフォレストの舎の後輩が、いけ好かないエリート臭漂う戦略研究科の男を相手に戦うとあって、四回生から一回生までノリノリだ。
 
 そしてそれは戦略研究科側にとってみれば、完全なアウェー状態。まさかこれほどの大事になるとは考えてなかったからセコンドもギャラリーも三〇人ほどしかおらず、肩身を狭くしている。さらに言えば……

「第二学生寮に居る情報分析科から、ジェイニーの相手の詳細が届いてるわ」

 フレデリカはそう言うとブライトウェルの前で、両開きタイプの端末を起動させる。画面には、作りが極めてゴツイ白人候補生の顔とその候補生の成績が映し出されている。明らかに職員関係者限定の機密情報。それが第二学生寮に居る情報分析科からフレデリカの手に届いているということだけで、相手の立場や状況については三人とも理解していた。

「アントニオ=テラサス=マンサネラ三回生。戦略研究科。身長一八九センチ・体重九七キロ。陸戦戦技評価はA-四。意外と高評価ね。ジェイニー、貴女はまだだったかしら?」
「まだですね。来月中間考査があります」
「……まぁ、大怪我だけはしないでね。じゃないと、兄さんに面目が立たないから」

 自分の評価がA-三だったことを思い出したアントニナは、大きく溜息をついた。舎長からはそう分は悪くないと聞いてはいたが、同時に過度に痛めつけられるようなことがあったら助けに行けとも指示されている。幾ら色紙の代価とはいえ、装甲服もつけずに突っ込んで助けにいくことはアントニナでも自信がない。だが目の前のブライトウェルはまるで気にすることなく二本の打撃訓練用トマホークを両手でもてあそんでいる。

「随分と自信がおありのようね。ブライトウェル一回生」
 アントニナの声に厭味の成分が混じっていることは言った当本人も分かっていたが、ブライトウェルはまったく気にすることなく、左手に持っていたトマホークをアントニナに返して応えた。
「戦艦リオ・グランデに乗ったつもりで見ててください」
「……ごめん。私はアイアース級に乗ったことないから、その例えじゃわからないんだけど」
「……すみません。ですが素晴らしく広くて、船体も安定してていいですよ。一度乗ったらもう普通の戦艦には乗りたくないって思うくらいに」

 それじゃあ行ってきますと、右手に持ったトマホークを肩にかけ、左手にヘルメットを持ちブライトウェルは背を翻してステージの中央に向かっていく。その如何にもこなれた、それでいて凛とした後ろ姿を見つめながらアントニナもフレデリカも頬に手を当て小さく溜息をついた。『頼まれて彼女の面倒を見ることになったけど、本当に必要なのか』と思いつつ。

 後ろでそんなふうに同い年の先輩に呆れられているとも知らず、ブライトウェルはステージの中央で、相手とレフリー役のフォレストと向き合った。聞いた通り、相手は頭一つ大きく、体の厚みもブライトウェルより三廻りは大きい。
 だがディディエ中将よりも大きいにもかかわらず、体から噴き出す迫力には天地の開きがある。少しでも無駄に動けば体中が切り刻まれてしまうような、中将の暴風雪のような威圧感に比べれば、春の野原にふりそそぐやわらかい日差しのように生温い。

「何がおかしい?」
 思わず零れた笑みを挑発と受け止めたのか、マンサネラ三回生が太い眉を吊り上げる。
「お前がケガをさせたあの一回生たちと同じだとでも思ったか?」
「まさかそこまで失礼なことは考えておりません」
 あんな奴らの為に出張ってこなければならない貴方のご苦労には頭が下がります、と言ったら火に油を注ぐことになるのは目に見えているので、それ以上口を開かず視線をフォレストに向ける。
「勝敗は降伏するか戦闘不能の判定が下るかアタシが止めるまで。それまで一ラウンド三分間。休憩を挟みながら『戦技訓練』を行う。使用武器は訓練用トマホークと装甲戦闘服のみ。戦闘用ナイフもダメ。他に武器を持っているなら今出しな」
 フォレストが両手を伸ばして双方に差し出すが、ブライトウェルもマンサネラも首を振る。
「次、お互いの訓練用トマホークを出しな。交換だ」
 双方の手から訓練用トマホークが離されて、再びお互いの手に戻る。一応ブライトウェルもマンサネラから渡された訓練用トマホークに目を向ける。傷はついているが重さも太さもブライトウェルが持っていたものと全く変わらない。マンサネラも同じように確認したのか、二人の四つの瞳がフォレストに向けられる。
「双方、不満なしだね。じゃあヘルメット被って、握手しな。一応『同じ学科』の先輩後輩なんだろう?」
 だがブライトウェルもマンサネラも握手するつもりは毛頭ない様子を見て、情けないねぇ、とフォレストは肩を竦めて零した。改めて双方がトマホークを構えたのを見て、フォレストは後ろ脚で二人から離れると右手をゆっくりと振り上げ、素早く振り降ろす。

 先手を取ったのはマンサネラだった。有り余る筋力に任せて、上下左右からトマホークを振り降ろしブライトウェルを圧し潰そうとする。仮設スタンドにいる女子候補生からは悲鳴が上がるが、その周りにいる陸戦技術科の候補生からは呆れと軽蔑の声が漏れる。

 マンサネラは前進し、ブライトウェルは後退している。一見すれば圧倒的にブライトウェルの劣勢に見えるが、マンサネラの重い一撃は、全て体幹で躱されたりトマホークによって打ち逸らされたりして、その威力を全く発揮していない。
 しかもブライトウェルは真っすぐではなく僅かに右斜めに後退しているので、円を描くような形になりステージの端に追い詰められることもない。

 見る者が見れば、二人の力量差は明らかだ。しかしブライトウェルは一切反撃せず、攻撃をひたすら受け流している。三分が経過し最初のラウンドが終わったあと、アントニナやフレデリカの待つセカンドに向かおうとするブライトウェルを、フォレストは呼び止め、小声で囁いた。

「アンタ、このまま無気力試合を続けるなら、負けにするよ?」
「無気力に見えますか?」
「周りにいる陸戦技術科候補生の顔を見なよ。みんな戦技訓練を見に来たんであって、猿回しを見に来たんじゃないんだ」
「ですがフォレスト四回生殿、あんまり早く試合が終わってしまいますと……」
「あっちが納得しないっていうのかい? だったらエリミネーションマッチにしてあげるから、とっとと始末しな」

 ドンとフォレストに背中を押され、足をもつれさせながらセコンドに戻りヘルメットを取ると、ブライトウェルは心配そうに見るアントニナから『メタボメーカー』チューブを受け取り一気に口の中に流し込んだ。

「ちょっと、大丈夫?」
「足りません」
「は?」
 フレデリカがすかさずもう一本の栄養チューブを差し出したが、ブライトウェルは手を振ってそれを断り、アントニナの首に掛かっているタオルをもぎ取って額の汗を拭きながら笑みを浮かべて言った。
「声援が足りないので勝てません。アントニナ先輩、ちょっとスタンドを盛り上げてくださいませんか? お願いします」
「声援って……アンタ」
「あとこれからエリミネーションマッチになりますので、冷えたタオルと水がもっと欲しいです」
「一応用意はしてあるけど……エリミネーションマッチって、何?」
 フレデリカの問いに、対角線上の向こうに集まっている『同学科』のセコンドを見て、ブライトウェルは応えた。
「向こうは三三人います。一人三〇秒以下で始末するのでだいたい一五分。最短五ラウンドってところなんで、水とタオルそれぞれ一〇本ずつお願いします」
「はい? ちょっと、ジェイニー!」

 フレデリカに応えることなく再びブライトウェルはヘルメットを被りトマホークを持ってステージの中央に戻ると、ヘルメットのシェードを開いて勝ち気満々のマンサネラをよそに、無言でトマホークを構えた。興を削がれたと言わんばかりにマンサネラが首を振ると、スタンドから歓声が沸き上がる。

「分かっていると思うけど、アンタ宛じゃないからね。マンサネラ三回生」

 フォレストの一言に舌打ちを隠さずマンサネラはシェードを下ろしトマホークを構え、合図とともに第一ラウンド同様に襲いかかった。手も足も出ずにいる生意気なブライトウェルをこのラウンドで仕留める、そう思って上段に振りかぶった瞬間。マンサネラは腹部に強い衝撃を受けた。

 思わず前のめりに倒れ込むのを、トマホークを杖代わりにして堪えるつもりが、そのトマホーク自体に味わったこともない強烈な一撃が加えられ、マンサネラはそのままステージの床に膝をついてしまう。トマホークの行き先を探そうと首を廻したタイミングで、今度は背骨が折れたような強撃がマンサネラを床に叩きつぶした。

「それまで」
 マンサネラの後ろ首に当てられたブライトウェルのトマホークの柄に手を乗せ、フォレストが宣告する。
「腹部損傷、脊椎断絶、頸部切断。即死だよ。マンサネラ三回生」
「あ、うぁ……」
「あ~強撃サンドイッチ喰らっちゃったもんね。そりゃ喋れないか。わかったわかった」

 フォレストが右腕を上げて肩の上で廻すと、陸戦技術科の候補生が担架を持ってきて、うめき声を上げるマンサネラの巨体を乗せてステージから降ろしていく。

「勝者、ジェイニー=ブライトウェル一回生!」

 ブライトウェルの右腕をぐいと引っ張り上げたフォレストの大声に、スタンドの黄色い歓声が一気に湧き上がる。それに合わせるように陸戦技術科から拍手と野太い喚声が上がった。
 一方でマンサネラ側のセコンドに集まっていた戦略研究科の一団は、目の前で見せられた瞬時の出来事についていけず呆然としていた。真横を担架で運ばれるマンサネラの巨体を見てようやく負けたことに気が付くくらいの者もいる。

「さて、戦略研究科の候補生諸君」
 フォレストはセコンドの位置で動けなくなっている彼らの前まで移動して言った。
「せっかくの機会だ。君達も戦技訓練を受けてみてはどうかな?」
「いや、我々はこれで失礼する」
 一番の腕扱きのつもりで連れてきたマンサネラが一瞬で撃破された。ブライトウェルが尋常ならざる陸戦技術を持っていることを知った以上、長居は無用。一団の指揮官というべきルングが手を上げて断ったが、その前に一団の周りには筋肉の壁が出来ていた。
「どういうつもりですか。フォレスト四回生殿」
「どういうつもり?」
 顔色の変わったルングの問いに、フォレストは首を小さく横に傾けてると、笑顔で答えた。
「第五軍団ディディエ中将閣下の『王女殿下(プリンセス)』に対し、あらぬ疑いと言われなき侮辱を与えた馬鹿共に、陸戦とはいかなるものか教えて差し上げようというつもりだよ。ルング三回生殿」
「彼女の疑いは晴れた。こちらとしても改めて三名について再調査するつもりです」
「その前に王女殿下に自らの非礼を詫びたらどうかね」
「……これは戦略研究科内での話です。陸戦技術科の関与するところでは」
「安心したまえ、蛮族諸君。言葉の通じない君達の分の『正装』はちゃんとこちらで用意してある」

 フォレストが右手で合図すると、筋肉の壁の一部が開き、大型のトランクが人数分、ルング達の前に並べられる。ガチャガチャと蓋が開かれれば、そこにはクリーム色の装甲板とワイヤーと耐火耐熱断熱素材でできた『タキシード(装甲戦闘服)』が収まっていた。

「さぁ諸君、着替えたまえ。『王女殿下(プリンセス)』は『舞踏会の間(ステージ)』にて諸君の到着を、首を長くして待っておられるぞ?」

 そう言うフォレストの顔は満面の笑みであったが、丸いゴリラのような眼だけは笑っていなかった。





 翌日。

 ブライトウェルがしっかりと第一時限の開始五分前に講義室の扉を開けて入った時、室内にいた候補生全員の視線が集中砲火となって浴びせられた。そのいずれもが恐怖と敬遠のモノであることは、ブライトウェルにはわかっていたが、そんなことで優越感に浸るつもりは全くない。

 薔薇舎の規則通り、顔が映るくらいまで磨き上げられた革靴の立てる規則正しい響きだけが、部屋の中にこだまする。指定された席に腰を下ろすと、再びざわめきが息を吹き返す。そのいずれもが自分に棘を向けているようにブライトウェルには思えたが、ただ一つ。自分の隣から浴びせられる視線には敵意を感じなかったので顔を傾けると、いつも見る幼顔の候補生が緊張した面持ちでこちらを見ていた。

「なにか御用ですか? ベニート=ブレツェリ候補生」
「ぶ、ブライトウェル候補生。あ、そ、その……」
 緊張と恐怖を混合して顔に張り付けたブレツェリは、目を一度きつく閉じて数秒経ってから、口を開いた。
「昨日の課業後のことなんだけどさ、もしかしてあの場所にこの分隊の班長も、いた?」
「……あぁ、そういえばいました、ね」

 たしか二八番目か二九番目に現れて、こちらが構えるともうトマホークを持つ両手が震えていたのがわかったので、手早く右小手で叩き落としてから右回し蹴りで左膝を折り、そのまま半身回転しながら背後に回り込んで背中のど真ん中に一撃を打ち込んだのがそうだったとブライトウェルは思いだした。一応自足歩行は出来ていたから、それほど重傷ではないはずだ。

「それがどうかしましたか?」
「あ、ごめん。僕は第六学生寮なんで詳細は聞いていないんだけど、一応この分隊では次席なんで…… 彼が欠席なら僕が号令をかけなくちゃいけなくてね」
「……それは、それは、ご愁傷様です」
 ここにも残念な犠牲者がいたか、と、とびきりの笑顔でブレツェリに応えると、ブレツェリの顔から緊張が消え恐怖一色に染められた。
「どうかしました?」
「あ、そ、そう、そうなんだ……」

 深く肩を落とすブレツェリの肩に手を伸ばそうとした時、講義開始時間のベルが鳴り響き、いつものように講師が時間ピッタリに講義室に入ってきた。

「起立・敬礼!」

 一瞬で感情の切り替えを済ませたブレツェリが殆ど自動機械のように立ち上がると、講義室全体が緊張に包まれる。無言で答礼する講師の顔は、昨日の三倍増しどころではないくらいに苦々しいものだった。

「次席候補生。現在欠席してる八名の事故報告は不要である。昨日も話したが事故は想像してもないところでも起こりうる。諸君らも十分気を付けて学生生活を全うしてもらいたい。以上」

 それだけ言うとさっさと講義に移ってしまう。ブライトウェルに対する意図的な無視であることには違いない。だが都合三六名の候補生が返り討ちで欠席に追いこまれたという不都合で不愉快な現実に加え、陸戦技術科の教官群から何らかの『釘』が刺されたことはおそらく事実だろう。ブライトウェルとしては、日常から当て擦りがなくなっただけでも十分だった。

 むしろブライトウェルにとって不都合になったのは、唯一心休まる昼食の時間だった。

「ジェイニー王女殿下(プリンセス・ジェイニー)、昨日のエリミネーションマッチは実にお見事でした。陸上戦技研究会はプリンセス用にロッカーもトマホークも用意していますよ」
「プリンセス。今度、女子器械体操部に見学参加していただけない? まだ部活を決めていないのでしょう? あの見事な体幹を生かすのは、器械体操をおいて他にないわ!」
「エリミネーションマッチを勝ち抜いた、女子として並外れたスタミナは陸上競技こそ生きるよ、プリンセス。是非とも陸上部に入部してほしい」

「……モテモテじゃない。ぷりんせす・じぇいにー」
「……アントニナ先輩が、女子運動部に一斉号令をかけたからじゃないですか」

『クレオパトラ』の保護下にあるということで、てっきりフライングボール部に入るものと思っていた運動部の幹部面々が、あのエリミネーションマッチを見て、「何としても即戦力が欲しい」と強烈な勧誘攻勢をブライトウェルに仕掛け始めたのだ。時限の間の僅かな休みも遠慮なくかけてくる攻勢に、ブライトウェルは食堂で逃げ回るように動いて、ようやくアントニナの下に辿り着き食事を取ることができた。

「今まで部活を決めていなかったアンタが悪い。大人しくどこかの部活を選べばいいじゃない。アンタならどの運動部に入っても、それなりのモノにはなるし」
「フライングボール部に入れとは仰られないんですか?」
「アンタ経験ないでしょ? いくら運動神経が良くても空間識がないと入ってから苦労するし、チームプレーができるようになるまでにまず一年はかかるわ。そんなの時間が勿体ないじゃない」
「……そんな合理的な理由があったんですね」
「……アンタ、前から思っていたけど、アタシのこと微妙にバカにしてない?」
「とんでもない。アントニナ先輩には感謝してもしきれません」

 実際アントニナとフレデリカ以外、士官学校でブライトウェルには心を許せる味方はいない。正直言えば、フレデリカすら本心を許せる相手かと言えば、彼女の父親の立場を考えると一〇〇パーセントとは言い切れない。
 自分があの父の娘と知りながらも、自らの信念に従って周囲の敵意をものともせずに庇い続けるあの人が、絶対的な信頼を寄せている従妹であるアントニナの存在は、ブライトウェルにとってみれば何物にも代えられない宝物だ。
 結果的に腕力とトマホークで解決したにせよ、言い逃れができないように下準備をし、事前に舎長に状況を説明し、少しでも有利になるように陰ながら動いてくれた。

「今回のこと、本当にありがとうございました。いずれ何らかしらの形でお返しします」

 改めて席から立って深く最敬礼するブライトウェルに、アントニナはいつも自分の兄が自分にしてくれたようにブライトウェルの頭に手を伸ばすと、少しだけ癖のある赤い髪を優しく掻くように梳いた。

「そうね、出来ればちゃんと形のあるものでお願いしたいわね。ジェイニー王女殿下(プリンセス・ジェイニー)」
「……あの、そこはできればジェイニー王太子妃殿下(クラウン・プリンセス・ジェイニー)と」
「おい。どうやら死にたいようだな、貴様ぁ……」

 梳く手を止め、ガッチリと赤毛を左手で握り締めると、そう言ってアントニナは綺麗に揃った歯を剥いて、顔をブライトウェルに引き寄せるのだった。
 
 

 
後書き
2024.05.03 更新

最初メスゴリラはジャガー●田にしようと思ったんですが、やっぱりこっちにしました。 
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