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帝国兵となってしまった。

作者:連邦士官
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40

 「遅すぎたようだがまだ間に合うかね?ジシュカ大将。昇進の前払いだよ。私は元帥だそうだ。」
 バーグマンは手に持った杖を振る。どう見ても金色に輝くのは元帥杖なんだよなソレ。表面上見る限りはバーグマンは笑っている。雨が窓を叩いている。

 しかし、バーグマンは笑ってるが帝国が置かれた現状はかなり厳しい。フランソワにいる帝国軍の状態は何時でもフランソワ軍を挟み撃ちが出来るが、逆にフランソワの帝国侵攻軍がこちらに来たら帝国軍が挟み撃ちをされる場所にいる。わかることがこの状況こそが帝国にとっての天下分け目の天王山であり、関ヶ原であり、ルビコンでもあるのが今の立場だ。眼の前にある餌に食いついてただ南下すれば背後を突かれる。後顧の憂いを断つ為に北上しても背後を突かれる。それはフランソワにも言えたことだ。それだからにらみ合いをしている。

 マッケンゼン軍団を敵の新しいフランソワ軍総司令官が囮として見てるのか、それとも本命としてみているのかで動きは変わる。そう、動きが変わる?動き……。なるほどなつまりは…。

 「バーグマン元帥。この戦い、こちらの私達は先に動きません。それだけです。」
 簡単だ。敵が無茶な攻勢に出るまでこちらは囮を使いながら、我慢比べをすればいい。根比べだ。そうしていればフランソワは攻勢に出るか我慢するかを司令部と議会でコンクラーベをするだろう。帝国とフランソワの違いは帝国は曲がりなりにも侵略を受けた形だけは、帝国という国は専制主義寡頭制実際は議会は纏まりがなく責任を他者に求めて荒れそうな議題は皇帝や軍に投げる権力者は官僚にある形だけの立憲君主制国家。
 では、フランソワはどうかと言うとこちらも責任を取りたくない議員達が集まる共和制国家。やはり、主体は官僚だが責任を投げる上で法的根拠や心理的根拠になる皇帝がいる帝国と違い彼らは単なる烏合の衆の貴族権が停止された体の貴族達は何も出来ない。彼らがフランソワ革命を起こして国を作ったと言う建国神話のナラティブが破壊されてしまうので、無茶はできない。何故ならば、その結果何処にでも軍隊を送ってフランソワ陸軍はやはりナポレオン的迷走ボードゲームをした結果、一時的に帝国を押し込んだがダヴーなどが居なく権力闘争はナポレオン時代のフランス並だった当時のフランソワは帝国とあの島国にロマノフスキーなどを含めた連合が大軍でやってくると次々に来る増援に負けた経歴がある。

 故に国民世論は無視できないポピュリズム共和制風味貴族主義的官僚主体国家と言う責任が誰にあるのかわからない違法建築をしてる彼らは自尊心と建国神話を守るために意見を集めるだろうが大一番の決断では、国が割れるだろうから性急に事が求められると柔軟に対応できない。が、ズルズルとフランソワ侵攻軍を彼らフランソワ本国軍が助けに行かないといけなくなるのは日々のフランソワ侵攻軍からの悲鳴と議会制国家を語る以上は有権者の家族は兵士一人につき四人は投票に関係するので明白。籠るフランソワ軍を穴倉から引きずり出して出てきたところを叩く。お互いに籠城戦は後詰めがなければ勝てない。そして、多くの場合戦争は野戦と火力優勢と機動力で決まるのだ。

 なぜ、戦略ゲームにおいてプレイヤーが強いのか?それは情報を染み渡らせて判断の多くを決めてそれを即座に動かせるからだ。しかし、現実はそうではない。フランソワには悪いが帝国の方が判断は早い傾向にある上に大軍であれば大軍であるほどに単純で明快な動きしかできないのだ。故に大軍を寡兵で破る話は多々あるのだ。俺は歴史という巨人の肩に乗っかった一般人でしかない。

 ワンダに出てくる巨像や乗っかった巨人がエレンじゃないのを願うしかないが。後詰めは帝国はまだまだ出せる。フランソワは余力が少ない、なぜならば農業国だからだ。工業力が乏しく武器の生産数も帝国やアルビオンにも勝てず、植民地があるのにもかかわらず国民総生産(何故か論文で書いたら大ウケした。)でも負けている。

 しかし、そんなフランソワが帝国やアルビオンに勝っているのは自尊心、自尊心がゆえに彼らは戦える。武器を取れる。農業国という理由が故に彼らは戦う地表が彼らを支えているのだ。それに自尊心が故に無理な徴兵もできる。

 帝国かアルビオンに頭を下げるくらいなら死を選ぶ高潔さもあるだろう。それを意固地と言うかもしれないが、忍耐強さや我慢強さはないが世論の沸騰力は強い。だから、馬鹿にできないし、馬鹿にしてはいけない。フランソワにあるのは世論による鉛の嵐だ。彼らは強さがある。数字や文字に表せない強さがある強かさもある。我々がやるべき形は小早川秀秋だ。詰まるべきは鎮座すべき。そして、敵を誘い出す。
 
 小早川秀秋はどちらを攻めるべきか見極めていたのだ。あのまま徳川が崩れるなら徳川を叩いただろうし、詰まるところはどちらも選べる保険だ。ゆえに動かない。先に動けば負ける。負けるからこそ、こちらが焦って動いたように見せて釣り出すしかない。ここに来て俺はコーヒーを見る。

 コーヒーは黒い。横を見る。バーグマンが砂糖を入れていた。何個も連続で入れられる波紋が広がり大きくなる。スプーンがかき混ぜられるコーヒーの中に渦潮を作る。渦潮……車懸り……実際は雁行による多段階突撃などと言われるが車懸りと波紋、突破力…ズール戦争かな。

 波紋の広がりは一つ一つは小さくても集まれば波になる。波はやがて大海を動かす。つまりは、これは天啓か。これこそが作戦。鶏肋だ。多くの人間は合理的ではなく、判断を急がれたら同じ判断を下す。何故ならば歴史がそれを示している。だが、時流や歴史の一滴の水が集まり生み出す大河の歴史に逆らう流されない人間もいる。流されずに逆らう人間を人は英傑などと呼ぶのかも知れない。空気に水を差すこともおかしな事をしてる人間を笑って知らしめることも出来ない俺は一般人だ。

 だから、歴史という巨人の肩に乗ってるだけだ。その中で一つでも人命が助かる方を取るしかあるまい。水の地球が育んだ命を簡単に奪い合い、取り合い、殺し合い、恨み合いそんな合いが続いて愛を忘れ合い、愛国や忠義を理由に戦火は際限無く広がる。

 人の業で人のあり方で変わらない明日かもしれない。しかし、これを続けては進歩しない、人の世が間違っているなら人が直して見せる!何より一般人が直さないといけない。それが人が人であり、獣ではない薄皮一枚の所以だから……合理を語るとこれが見えなくなる。ヒューマニズムというものを、合理で覆い尽くせば合理は人殺しの言い訳になり、管理された機械同士の合理的な一般人が関係ないショー的な殺し合いになる。

 管理された兵士が管理された機械のごとく、管理された環境で管理された武器で管理された様に戦うショーハウスを管理された市場で、管理する側が見て制御されて管理された余剰物資で代理戦争をし、物余りを消費するための経済のための戦争が始まってしまう。そんなことは許されるわけがない。人間は神ではないのだから、神も人間ではないのだから、ヒューマニズムを忘れた人間がない、人が人として死ねない殺し合いになんの意味がある?大国間のガス抜きや経済のために血が流れるのを良しとするカミになったニンゲンのクニを俺が許せるわけがない。

 血が通ったお互いに痛みを感じ涙を流せるヒューマニズムがある人間の国でありたい。人間を辞めたニンゲンが作り出す国ではないクニに人類の愛はない。あるのは騙し合い、押し付け合い、嫉妬し合い、妬み合い、羨まし合い、殺し合い責任がないから毎日数分間の憎悪をネットなどに書いて正しさを確かめ合い傷つけ合うのを助長し合う監視社会だ。どちらかの賛成か反対かで二者択一を迫り二極化を迫り、正義の名のもとに解決策も模索せずに罵り合って譲り合えない世界になってしまう。

 他責性と付和雷同から来る近代大衆社会だ。大衆は責任を取らなくていいと義務と責任を放棄してショーに参加する歪んだパンとサーカスが行われて、誰かが解決できるはずだと大衆性を発揮する人間じゃないニンゲンたちの山、自らの責任で発言せずに野次を飛ばすだけ、行動した大衆性を持たない流れに逆らう水を差すヒューマニズムを持った人間を排斥して監視し合う、ビッグブラザーすら居ないオセアニアの大衆性が作り出す全体主義がもたらす永久闘争だ。

 だから、そうはならないように責任を取る人間を見せねばならない、愛なき世界に愛を語らなければならない、人なき世界に人を語らなければならない、大衆を否定し国民という責任と義務を持った人間が再生産されねばならない。大量生産社会は物質的な豊かさをもたらしたが、精神的な貧困をもたらした。故に物質的欠損を精神的な正しさで穴埋めしようとするニンゲンと精神的欠損を物質的な正しさで穴埋めしようとするニンゲンが蔓延したのだ。

 人間は神ではないから真の合理性を持たない、しかし、人間には人間足らしめるヒューマニズムがある。合理性の奴隷ではない。主体性と責任と義務を持つ素晴らしき存在だ。だから、護るためにも、それを護るためにもフランソワという国を短期で陥落させる。合理と他責性の塊の大量生産された民を持ち、歪んだナショナリズムと他者を操るマキャヴェリストで拝金主義のマンモニズムが生んだアルビオン連合王国も倒す。

 心を攻むるを上と為し、城を攻むるを下と為す。心もて戦うを上と為し、兵もて戦うを下と為すだ。馬謖が優秀と言われた所以だ。心を持って心を攻める。まずはフランソワを片付ける。

 「であるならば、ここで全軍待機か?予備戦力の降下歩兵10個師団を持ってくるか?」
 バーグマンがコーヒーを持ちながら聞いてくる。答えはコーヒーにあるのだ。

 「お願いいたします。釣り餌はあります。引き釣りだして見せますよ。」
 書簡にあったが遊撃軍団を指揮してるだろうオルトー・スコールェを使う。そして、オルトーの部下にはバーグマンが溜め込んでいる武器と本国にある予備戦力にて作戦をしてもらう。

 こちらが動いたようにして、バーグマンが鍛えた空挺部隊定員8000人で一個師団とされている彼らを10個師団降下させる。バーグマンの戦闘を知っているならば、初期戦闘戦による守備兵を拘束のための撹乱に出してきた戦力としてフランソワ陸軍は早めに排除しようとするはず。そして、空挺師団は撤退する。撤退すると議会や国民に言い訳も何も立たない後悔すら立ってない壊れきったフランソワ軍は戦果に対する渇望のあまりに追いかけてきて突出するはずだ。俺達はそこを叩く徹底的に。

 今フランソワ軍が欲しくて欲しくてたまらないのは、変わった局面に変化を可能とする士気を維持する為の戦果、新指導者が示すパワーだ。勝利を知る兵士、恐れを無くした戦士。つまりは成功経験のはずだ。だからこそ奴らは我慢できないと予想される。それに俺達の部隊の排除ができれば合流出来ると思うはず。100万の遊兵はなくしたい、それができるであろう手段が眼の前に提示されていて実績がほしい新しい指揮官。これだけで材料は揃ってる。

 猟師は穴倉に入って熊とは戦わない。熊の穴倉の前で待つのだ何日もかけて飢えと友人になり、渇きと恋人になり雨で唇を潤し微動だにせず自然と共になる。マタギだ。

 フランソワは猟師でも猟犬でもない。今は単なる獲物だ。大地は母で、空は父で、海は人民である大衆つまりは国家の子どもだ。それを忘れたフランソワは必ず負ける。

 「良い面構えだ。流石は将軍だな。」
 バーグマンにそんな事を言われたがこのフランソワ戦役が終わったら俺は退職するから関係ない。俺は軍人でも誰かを率いることが出来る人間でもない。生き残りたいだけの卑しさを隠しきれない臆病すぎる勇気を持ったただの人間なんだ。それはこの戦いに動員された兵士たちも同じだろう。だから、一人でも多く故郷に帰してやりたいという野望を持ってるに過ぎない。帰してやりたいなんて上から目線すぎるな。俺は彼らに帰ってほしいんだ。フランソワ人も含めて。

 無益な戦いの先にあるのは破滅だけ。戦いはただお互いにとても腹を空かせてしまう。パンとスープとチーズなどを子どもが不足なく食べれる社会を壊してしまう。それを俺はたまらなく悔しいのかも知れない。が、俺がこのフランソワ攻勢を凌ぎ切り、ノルマンディーされなければだ。尊い犠牲は出るがフランソワの精神的主柱が無くなり、島国も介入できなくなるだろう。

 その為にこのヤン・ジシュカいや、肥田慎吾が多数の命を奪った罪で地獄の閻魔に拷問されるなら、この肥田慎吾……それを甘んじて受け入れてやる。これ以上大戦が続けばもっと多くの人が、動物が、森が死ぬ。可能性が死んでいく、手を取り合い助け合うはずの隣人が憎しみ合うのはとても悲しい話だろう。こんなに悲しい話はあるか?いや、俺には経験がない。

 「バーグマン将軍、私ヤン・ジシュカは将軍ではありません。兵の奉仕者に成りたいのです。我々の一番の目的はフランソワに勝つことではなく、帝国臣民を守ることのはずです。兵士たちも帝国臣民だ。帝国臣民の彼らを棺桶に入れずに家に帰らせるのが最大の仕事でしょう。」
 そう伝えるとバーグマンは高笑いをして、俺の肩を軽く叩いた。彼なりの返事なんだろう。

 俺はそのままにバーグマンに笑いかけた。バーグマンは笑いて返してきた。今のうちにこの大陸における島国の作戦を終わらせるつもりだ。この戦いを終わりにさせる。

 「バーグマン将軍、ここで防御を固めてください。小官は降下部隊と共に司令部と部隊を率いて囮になります。人が死傷するのだから誰よりも小官が前に出ます。大将首が無ければ食い付かないと言うのもありますが、何よりこれらは距離的情報伝達の遅れが致命的になるのです。ゆえに小官が向かいます。」
 俺はそう言うと準備を始めることにした。この世に神が居なくてもサンタ・クロースが居なくても奇跡を起こそうとしたならば奇跡は起こせると彼らに教えてやる。

 人の意志は何よりも強いのだと。窓を見ると雨はやんでいた。止まない雨はないと言うことがただ俺には嬉しかった。 
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