邪教、引き継ぎます
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第三章
21.加護
船室から出てきたローレシア王・ロスは、マストの見張り台にいる兵士に目をやってから、ゆっくりと甲板の縁へと歩いた。
そこではすでに、緑色の服を着た金髪の青年が、手すりに両肘を置いて海を眺めていた。
ロスは何も言わずに隣に立ち、同じく海を眺めた。
天気は曇りだが、風はそこまで激しくは吹いていない。静かな波の音に、海鳥の鳴き声が心地よく交じっている。
「カイン、気分はどうだ」
やがてロスがそう問うと、サマルトリアの王子・カインは海を見たまま反問した。
「船酔いしてないかどうかを答えるべき? それとも、またロンダルキアまで旅することになったのはどんな気持ちなのかを答えるべき? どっち?」
「任せる」
放り投げたような言い方。
金髪の青年は海から青い剣士の横顔に視線を移すと、柔和な顔で微笑んだ。
「どっちも答えるよ。船は苦手だから、このへんがウッとくる感じ」
「相変わらずだな」
みぞおちのあたりを軽く押さえたカインに対し、ロスは無愛想に返した。
「もう一度ロンダルキアに行くことについては……そうだね、また戦わないといけない君が気の毒だし心配だって感じかな」
「お前自身は?」
「んー、僕個人はちょっとうれしい。また友達と一緒に旅ができるから」
「変な奴だ」
また無愛想な言い方をして、ロスは海を見る。晴れていないために遠景は灰色で何も見えないが、その顔はムーンブルク城の方向を向いていた。
カインも、同じ方向を見る。
「ロスは迷ってたりするの? やっぱりアイリンを誘ったほうがいいのかって」
それは、ともにハーゴンやシドーを打ち滅ぼした戦友、ムーンブルクの王女の名だった。
「迷ってはいない。今回は誘わないさ。ムーンブルク城の復興が始まったばかりみたいだからな」
「それは賛成。アイリンは僕たちと違って親もいなければ兄弟もいない。もしものことがあると、せっかく始まった復興が頓挫する」
「もしものこと? 何か思うところでもあるのか」
「まあね」
「聞かせてほしい」
ロスは、敵の規模や能力を考えれば、今船に乗っている人間たちだけでも余裕のはず――という意味で言ったため、カインの口からそんな言葉が出てきたことが意外だったようだ。海を見るのをやめ、首を回した。
金髪の青年は、それを受け止める。
「精霊ルビスや善き神々は今、僕たちの側についてくれているのかな? って思ってる」
「どういう意味だ」
「うん。僕たちはロンダルキアで無数の魔物を倒して回って、ハーゴンの神殿に乗り込んで、教祖以下ほぼ全員を打ち滅ぼしたわけでしょ。もしもルビスや神々が、すでにロンダルキアはハーゴンの悪行の報いを受け終わっていると考えていたら? その場合、まだ外の国に対して何もしていないロンダルキア新教団を討伐しようという僕たちは、ルビスや神々から見てどんな位置づけになってるんだろ」
「……そんなことを考えていたのか」
ロスは驚きの表情を浮かべた。だがそれをすぐに戻す。
「どうであろうがやるべきことは変わらない。俺はハーゴン教団再建の動きを放っておける立場ではないからな。この先世界に禍をもたらす可能性が否定できない以上、今のうちに滅ぼさなければ国民は安心して暮らせない」
うなずきながらも、カインは言葉を返す。
「そうだね。こうなった以上、君は人々のために、国のために、戦わなきゃいけない。だから不安なのさ。なんの加護もないのに、民に盛大に見送られ、少人数とはいえ親征として戦地に赴こうとしている――それが今の君なのかもしれない、って思うとさ」
そして、付け加えた。
「僕はあの魔術師の首は簡単には取れないと思ってる。油断はしないようにね」
◇
新しい神殿は一階建てで、狭い通路もなく、例外を除いては完全に区切られた部屋もない。広く開放的で、極めて単純な造りになっている。これは、旧大神殿でロトの子孫三人組の襲撃を受けた際、階・通路・部屋といった区切りで各個撃破された反省を生かしたものである。
その例外が、フォルが使っている執務室であった。扉こそ大きいもののきちんと壁で囲われたその部屋では、中央やや奥に机が置かれており、壁際には本棚に悪魔神官が遺した研究資料がびっしりと詰められていた。
机の奥のやや広い空間には、臨時でベッドが置かれていた。
いま、一人の少年がその上で横になっている。フォルだった。
そしてベッドの横に座り、額に手を当てて体温を診たり、手首を触って脈診をしているのは、ロンダルキアの祠の少女・ミグアである。自称キラーマシン使いのタクトが土下座して急遽来てもらっていた。
「そろそろ倒れる頃合いとは思ってたけど。キミ、こういうところは期待を裏切らないね」
「す、すみません」
外見から受ける印象よりは根性がある。それが、杖の使い方を教えている老アークデーモン・ヒースや、体の鍛え方を教えているバーサーカーの少女・シェーラによる対フォル評の一つだった。
が、やはり、改善しているとはいえ体力の絶対量の低さについては、なかなか気力では補い切れないようである。
「ひどい熱」
「シルバーデビルのベホマも効かんし、致命的な病じゃろうかとみんな心配しとる」
「それは多分大丈夫。過労だと思うから、休めば治ると思う」
「おお、そうか。それは安心じゃ」
ヒースだけでなく、同じくベッドのまわりにいたシェーラやタクトも、ホッとした様子を見せた。
「ミグアちゃん、君は病気にも詳しそうだ。いいねー」
「タクト。わたしの直感ではアンタもなんとなく詳しそうな気がしたんだけど」
「うーん、おれの住んでたところでは病気がなかったからなあ。倒れた人を生で見るのは初めてでさ。本でしか知らないってやつ?」
「キラーマシンは動かせるのに?」
そのとき、開けられていた扉から声がした。
「フォルは起きているか」
「あ、デビルロードの首領さん」
フォルがあわてて上半身を起こした。
中に入ってきたのは、黄白色の体毛をした猿のような体に、羽と長い尻尾を持つデビル族。デビルロードの首領だった。
「見張り台の設置はすべて終わった。可能な状態になったらでいいので確認を頼む」
「はい。大丈夫ですので。準備してすぐ行きます」
ベッドから出ようとしたフォルの体を、白い少女が手で押さえる。
「『すぐ行きます』じゃなくてさ。寝とこうよ」
「しかし早めに戦える準備を整えないといけませんし」
「回復が遅れたら意味ない。というか、そもそもなんでここで寝てたの。神殿の外に家があるんだよね」
「あれは旧大神殿のときの倉庫をそのまま使っているものなので、狭くて皆さんが入れませんし……それにここにいないといろいろ不便といいますか」
「……。タクト」
少女の指名に、この場の全員が彼を見た。
「ん?」
「計画は一応把握してるの?」
「まあね」
「じゃあフォル、治るまで外の仕事は彼に行ってもらって、キミは寝てるほうがいい」
「おれもそう言ったんだけどねえ」
「タクトさんには他にも仕事を頼んでまして……ちょっと申し訳ないので、やはり私が」
「却下。キミは寝て、外回りはタクト。それで決まり」
「あ、はい」
「了解ー! でも人間が一人だけじゃ心細いからね。ミグアちゃんにもついてきてもらおうかなー。もちろん言い出した以上は断らないよね?」
タクトはニヤニヤしながら仮面を着けた。
見張り台の設置工事。
この地へ侵入者が現れた場合、すぐに発見し、すぐに神殿までその情報が入り、先手を取れるような体制の構築。その一環として進められていたものである。
「うん。全部大丈夫そうだね。担当も決まったし、死角のないロンダルキア常時監視体制のできあがりだ」
完成したものを一つずつ回り、最後の見張り台の確認を終えたタクトは、振り返って満足そうに笑う。
振り返った先は、デビルロード一人と、シルバーデビル三人、キラーマシン六体、そしてロンダルキアの少女ミグアである。
「ミグアちゃん。ずっとムスッとしてたように見えたけど、気分悪い?」
「最悪、だね」
「ふふふ。ごめんね。寒い中連れまわして」
「あのアークデーモンもそうだけど、わたしを巻き込んで既成事実を積み上げようという作戦はバレバレだからね?」
「まあまあ、そんなこと言わずに。君はこっち側についたほうが絶対面白い人生を送れるって。今日だってまあまあ楽しかったでしょ?」
「どうだか。デビルロードは嫌いだし。いつメガンテするかヒヤヒヤしてた」
デビルロードの首領にはもちろん丸聞こえである。それを受けて彼が白い少女のほうを向いた。
「心配はいらない。メガンテはいかなる窮地においても使ってはならないとフォルに命じられている」
「あっそう」
「え! そんなこと言ってたんだ、フォル君」
初めての話はだいたい面白そうに聞くタクト。そして興味はだいたい横に広がる。
「ねえねえ。デビルロードやシルバーデビルから見て、フォル君ってどうなの? どんな風に思ってるのか興味あるんだけど」
「腕一振りでロンダルキアの外まで飛びそうな、脆弱な人間だ」
「うわ、意外に辛辣だね」
「事実を言った。批判したつもりはない。我々はハーゴン殿に忠誠を誓った。ならばハーゴン殿を継ぐ者にも従うことが筋だ」
「へー! 面白いなあ。じゃあ、おれのことは?」
「胡散臭い人間だ」
ロンダルキアの祠の少女が、「デビルロードは嫌いじゃなくなった」と、白い息とともにこぼした。
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