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神々の塔

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第六十一話 曼荼羅その十

「極めて愚かな輩を少しでも減らすこともまた」
「それも教育ですね」
「せめて人が説けば」
「わかる位ですね」
「どの様な人がどの様な教えを語っても無駄であるまでの愚者は」
 今話している輩共はというのだ。
「我等が救う、されど人でなくなり」
「さらに堕ちてですね」
「餓鬼に至れば」
 その時はというと。
「おいそれとは救えぬ」
「餓鬼になってからですか」
「人が救われるのは容易い」
 文殊菩薩は語った。
「それが畜生でもな」
「生きものならですね」
「人と生きものの間にある修羅も然り、されど餓鬼はそうではあらず」
「救いにくいですか」
「餓鬼は地獄の亡者より性根が浅ましく卑しく愚かである」
 そうした存在であるというのだ、事実六道の中で餓鬼道を地獄道よりも下だと言う者すらいる位である。
「そうであるが為に」
「神霊さん達でもですか」
「おいそれとは救えぬ、世には餓鬼も出てしまうが」
「その餓鬼を出来る限る出さへん様にする」
「それも政であり」
 そうであってというのだ。
「教育である、このこと頭に入れてくれるな」
「はい」
 リーは確かな声で答えた。
「そうさせてもらいます」
「ならよし。ではな」
「これからですね」
「そなた達に試練を与える」
 やはり温和だが峻厳な声であった、その声で言うのだった。
「よいな」
「はい、お願いします」
「戦う、準備が整えば」
 一行のそれがというのだ。
「言うのだ」
「そうして戦うんですね」
「試練となる、ではな」
「今からやらせてもらいます」
 リーが応えてだった。
 一行は陣を整えた、そうしてだった。
 仏教の仏達との戦に入った、仏達は術を主に用いてきてだった。
 宙に浮かび座したままで戦う者が多かった、それは文殊菩薩も同じであり。
 座したまま宙を舞う、そうしてであった。
 術に法力も使う、しかもその術の使い方がだ。 
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