ハッピークローバー
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第百二十一話 どう違うのかその六
「それでね」
「いいのね」
「人種とかね」
それこそというのだ。
「意味ないわよ、それで運動神経決まる?」
「黒人の人はいいっていうわね」
「けれど努力次第でね」
個人のそれでというのだ。
「変わるでしょ」
「それはね」
イスラエルの娘も否定しなかった。
「元々の才能もあるけれど」
「でしょ?頭だってね」
これもというのだ。
「努力次第でね」
「変わるっていうのね」
「でしょ?大事なのはね」
「努力ね」
「その人のね。人種とか民族がどうでも」
「本人の努力次第でね」
「それによってね」
うどんを食べてお握りを食べつつ話した。
「本当によ」
「どうとでもなるわね」
「そんなのこの学校いたらわかるわよ」
留奈は言い切った。
「どんな人種の人でもね」
「普通にお勉強したら成績よくなるし」
「スポーツも練習したらね」
「よくなるわね」
「もう人種とかに関係なく」
それでというのだ。
「努力次第でね」
「何とでもなるわね」
「ならないのはね」
それはというと。
「ないでしょ」
「努力で」
「そりゃ音楽でモーツァルトさんに勝てるか」
「それは無理ね」
イスラエルの娘もきっぱりとした口調で答えた。
「こと音楽についてはね」
「あの人は天才だったからね」
「子供のの頃にもう作曲してたし」
「そんな人だとね」
「作曲していないと苦しかったそうだし」
「そうは至れないわね」
「あの人の域はね、まあこんな人は例外だし」
イスラエルの人はさらに言った。
「そもそもこの人音楽以外はね」
「駄目な人よね」
「そっちの才能は凄かったけれど」
このことは紛れもない事実である、天才という言葉はモーツァルトの為にあると言っていい程までである。
「ビリヤードとかね」
「生活とかよね」
「そっちの才能はね」
「全然なかったわね」
「努力しようともね」
尚ビリヤードは生涯下手の横好きだったというのだ。
「しなかったし」
「そうした意味でも凄いわね」
「というかね」
「というか?」
「モーツァルトさんって発達障害だったのよね」
「ああ、そうだったの」
「日本だと長嶋さんね」
長嶋茂雄、日本でも最も有名な人の一人であろう。
「あの人もね」
「天才だけれど」
「発達障害なのよね」
「そうなのね」
「というか滅茶苦茶変でしょ、長嶋さん」
「有名ね、何か色々逸話あるのよね」
留奈もそれはと答えた。
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