ハッピークローバー
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第百二十話 客家その三
「通じるからね」
「いけるのね」
「けれど客家語を喋れっていわれたら」
自分のルーツのこの言語をというのだ。
「かなりね」
「難しいのね」
「ええ、だって周り広東語だったのよ」
「高雄では」
「それに今はね」
日本に留学してからはというのだ。
「日本語でしょ」
「今も日本語喋ってるしね」
「だからね」
そうした状況だからだというのだ。
「客家語はね」
「苦手になってるのね」
「ええ、というかあんた客家についてどう思ってるのよ」
台湾の娘は富美子と一緒に部室を出つつ彼女に尋ねた。
「一体」
「一体って何がよ」
富美子は何でもないという顔と声で問い返した。
「そもそも」
「だから嫌とかね、そうしたことは」
「何でもないわよ」
これが富美子の返事だった。
「別にね」
「そうなのね」
「いや、本当にね」
実際にというのだ。
「あんたが客家でもね」
「何でもないのね」
「台湾の人なら」
それならというのだ。
「私的には誰もがね」
「同じ台湾の人?」
「そうでしょ」
こう言うのだった。
「漢民族で客家の人でも」
「他の民族の人でも」
「ええ、高砂の人達も」
富美子はかつて日本が統治していた頃の名称を出して話した。
「同じでしょ」
「そうした感覚ね」
「台湾じゃ違うみたいだけれど」
「私は差別とか感じなかったけれど」
「やっぱりあるのよね」
「その客家の人へのそれとか」
そちらの差別にというのだ。
「その少数民族の人達も」
「差別されてるのよね」
「本省人と外省人とかね」
「新しく中国に来た人達ね」
「そう、そうした差別もね」
これもというのだ。
「あるのよ」
「聞いたことあるけれど」
「あんたとしてはなのね」
「どうでもいってね」
富美子は本当にそうした顔で話した、今は二人で共に後者の中を校門に向かって並んで歩いている。
「思ってるわ」
「そうよね」
「というか何処でもいい人がいれば」
「悪い人もいるわね」
「そうでしょ」
こう言うのだった。
「民族とか宗教に関わらず」
「いい人もいれば」
「悪い人もいるでしょ、極悪人の方がね」
「民族がどうかより」
「嫌でしょ、無茶苦茶性格が悪いなら」
そうであるならというのだ。
「日本人でもね」
「嫌なのね」
「そうよ」
こう言うのだった。
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