邪教、引き継ぎます
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第二章
16.サマルトリアの王子
もしも遭遇してしまった場合。
まずは、逃げられるようなら逃げること。
やむをえず戦う場合は、仲間を呼べるなら呼ぶこと。多ければ多いほどよい。
各個撃破されるような狭い場所では戦わず、開けた場所で、最低でも三対一以上の条件で戦うこと。一対一などはもってのほか。
まともに斬り合うことは避け、なるべく呪文や遠隔攻撃で体力を削っていくこと。
仮に戦いを優勢に運べていたとしても、逃げられると判断したらその時点で躊躇なく逃げること。
教団再建中のロンダルキアでは、対ローレシア王の対策として以上の方針を共有していた。
だが。
「僕はサマルトリアの王子、カイン。敵だね」
この柔和な表情をした金髪の人間。
彼に遭遇することを想定した議論はなされていなかった。
唱えるベギラマの威力はイオナズンすらも凌駕し、猛烈な炎で敵を焼き尽くしたという。
軽やかに振るう剣は誰よりも速く、並の剣士が一振りする間に二振りして敵を切り刻んでいたという。
そんな伝説を残したサマルトリアの王子も、大神官ハーゴン討伐後は王位をすぐに継がず、一人旅に出たという話になっている。サマルトリアの国民ですらその行方を知る者はいないとされていた。
能力的に穴がないとされる彼に対して有効な戦い方が、フォルにはすぐに思いつかない。逃げるにしても位置関係が悪く、逃げ切れる気がしない。
老アークデーモン・ヒースの顔を、チラリと見る。だが彼はわずかに首を振り、硬い表情でサマルトリアの王子に視線を戻すだけだった。戦闘経験豊富であろう彼でも、妙案はすぐに浮かばないようだ。
「行方不明、と聞いていましたが」
先ほどの汗にさらなる冷や汗が加わり、仮面の奥、顎の先から滴り落ちてきた。
「そんな噂が流れてるらしいね。でも、僕はただ、ハーゴン討伐の旅で立ち寄ったところをもう一度のんびり回っていただけだよ」
あのときはゆっくり景色を見ることもできなかったから、とニッコリ笑った。
不敵な笑みなどではなく、大神殿で見たときのような鋭い表情でもなかった。柔らかく、優しい笑いだった。
「この塔が静まり返ってたのはお前の仕業だったか。片っ端から殺してこの階まで上がってきたんだろ?」
斧を構え鋭く彼を見据え、バーサーカーの少女が言う。
すると、フォルは彼の笑みが微妙に変質したことに気がついた。やや寂しそうな色を帯びた気がした。
「一体も殺してないよ。魔物はみんな僕を見ると逃げ出すんだ。僕、そんなに怖い顔してるのかな? ここの魔物とは戦う必要を感じなかったから、剣すら抜いてないのに」
そして彼は表情をさらに変化させる。笑みを微笑の程度まで戻し、続けた。
「でも君たちに対しては逆だね。逃がす理由がない。ハーゴン教団が復活しようとしている。しかも、どうやら君たちがそのリーダー。知ってしまったら仕方ない」
そう言いながら背中に背負っていた盾を左手で持ち、右手で腰に差していた剣を抜く。
「やはり、先ほどの私の話は信用していただけないのですね」
「さっきの鎧さんほどは疑ってないよ。でもごめんね。ここで僕が見逃すと……あいつが、ロスが戦わないといけなくなってしまうから」
剣は鋭い輝きを放つ細身の直剣だった。鍔には隼の意匠が施されている。
盾は金色で縁取られており、中央には宝石が埋め込まれていた。
「教団再建を着手し始める前に、彼に遭いました」
「えっ。あいつにも再会してたんだ? 会話はしたの?」
「はい。改宗してローレシアに来てほしいと言われました。二度と邪教が生まれてこないようにしたいので、教団の、特にハーゴン様についての情報を提供することで協力してほしい、と」
「そのときはひとまず承諾したとか?」
「いいえ。その場で『改宗はしません』とお断りしました。私はハーゴン様がお作りになられた教団の信者で、悪魔神官ハゼリオ様の部下です。ありえません」
サマルトリアの王子は感心したような表情も交ぜてきた。
「その答えかたをして、いま君が生きてるのって、すごいね」
「偶然がいろいろ重なりまして。戦いになりましたが、奇跡的に逃れることができました」
「それはたぶん本当に奇跡だ。でも、あいつは頑固者で、クソがつくほど真面目で、絶対にあきらめない男だよ。一国の王として、勇者ロトの子孫として、ハーゴン教団の再建なんて絶対に許さないだろうね。君たちが教団再建を目指し続ける限り、いつか必ず攻め滅ぼすつもりでいるはずだよ」
「そう、でしょうね……」
「でも僕はもう、あいつには戦ってほしくない。あいつはいつも先頭に立って敵を斬り倒してた。つらそうな顔なんて一度も僕に見せたことなかったけど、世界で一番長くあいつの背中を見てきた僕にはわかる。あれだけ体と心が強くても、戦い続けて、自分の手で命を奪い続けることは、しんどいことなんだ」
今度は、やや遠くを見ているような微笑。
緊張も恐怖も感じていたフォルだったが、サマルトリアの王子が見せる表情を感じ取ることができていた。
「僕はもともと、妹や父さんが何にも怯えずに暮らせるようになればいいという思いでハーゴン討伐の旅に出たけど。あいつと合流してからは、ハーゴンを倒せばあいつが戦わなくていい世界になるから、だから頑張ろうという思いも、同じくらい、いや、それ以上に強くなった気がするよ。
旅の途中でも、あまりあいつに人殺しをさせたくないと思ったから、頑張ってマホトーンを覚えた。そうすれば信者はみんな戦わずに逃げてくれるかもしれないと思ってね。あと、あまりあいつに魔物殺しをさせたくないと思ったから、頑張って剣とベギラマの腕を磨いた。あとはそうだなあ、あいつが倒れるところは絶対に見たくないと思ったから、頑張って自己犠牲呪文の呪文を覚えた……ら、絶対に使うな、死んでも使うなってメチャクチャあいつに怒られた。懐かしい」
これから彼は自身の意思で戦おうというときに、敵であるこちらにいろいろな顔を見せてくる。でもそれらはどれも穏やかで邪気もない。不思議な人だとフォルは思った。
「さてと。無駄話を聞いてくれてありがと。戦おうか」
彼の細身の剣が、光った。
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