冥王来訪 補遺集
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第二部 1978年
ソ連編
修羅の道 全世界を恫喝するソ連の核戦力
前書き
ソ連首脳部が、米国のG元素爆弾とマサキの行動に関して討議し合う話です。
これは読者リクエストというより、完全に私の趣味で書きました。
原作キャラも全く出ませんし、マサキも出ませんから、本当に外伝的な話ですが、ソ連がG元素をどう考えているか、ということを想像したらどういう話になるかと思って書いた話になります。
本編に追加してもよかったのですが、やはり冗長になるので、外伝にしました。
1978年11月15日。
マサキが、ベルリンを再訪問した話は、その夕方にソ連にまで伝わっていた。
ウラジオストックの共産党本部では、怒声が響き渡る。
「木原が、G元素の研究を完成させた。嘘だ。嘘であろう?」
ソ連最高議長のチェルネンコは、信じない顔つきであった。
「そんなバカな話は信じられぬ。
我々と同じく、ナチスの科学者を連れ帰った米国人なら、ともかく……
あの黄色猿どもに、G元素の研究開発などできるはずがない」
議長の問いかけに、KGB長官はあきれたと言わぬばかりの、冷たい一瞥を返した。
「同志議長。
ブルジョアの疑似科学を研究する、木原マサキという日本野郎。
あの男は、恐るべき超マシンゼオライマーを建造して、我々に挑戦して来ております。
先のミンスクハイヴにおいて、100万のBETAを撃滅させたのは、記憶に新しいところです。
日本野郎といえども、侮るべきではございません」
KGB長官は、ゼオライマーの事を知らぬ議長を、せせら笑いながら答えた。
人を人とも思わない彼の態度に、議長は不快感を顕わにし、きつく睨み付ける。
「その情報は、確度の高いものなのかね」
「KGBの情報網によりますと。
日本に潜入させた特殊工作員を通じて、元枢府の中から直接聞いたものだと言う事です」
「確実な証拠をつかめ、それも急いでだ」
その後、KGB長官は、まもなく部屋を出て行った。
ソ連の科学技術を一手に引き受ける、科学アカデミー総裁はそれに答えて、
「率直に申し上げて、日本でのG元素研究の可能性はあると言う事です」
「何!」
「G元素爆弾は、原水爆と同様に、G元素さえあれば、簡単に作れるのです。
バウマン技術学校を出ていない普通の学生でも、時間と場所さえあれば可能です」
正式名称、N.E.バウマン名称モスクワ高等技術学校。
西欧に著しい科学技術の遅れを自覚したロシア帝国は、工科専門大学を設ける。
1830年にモスクワにできた工芸大学を基とするこの学校は、赤色革命後も存続を許された。
1930年3月20日、ソ連最高国民経済会議の命令第1053号に従い、大改革がなされた。
機械工学、航空機械工学、電力工学、土木工学、化学工学の5つの独立した高等技術学校に分割された。
モスクワ航空研究所、モスクワ動力工学研究所、モスクワ工学建設研究所、赤軍軍事化学アカデミーなどである
この事は、ソ連の軍事発展と航空技術の開発に寄与した。
そして、冷戦後の1948年。
世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の開発者であり、ソ連宇宙飛行学の創始者であるS.P.コロレフ。
彼の活動に関連する、飛行理論分野のロケット先端研究学部が設立された。
その様な経緯もあって、同校の出身者の多くは、軍事技術と縁が深かった。
卒業者の多くは、最初期の核技術、ロケット技術者に道を進んだ。
それ故に、科学アカデミー総裁は、その名前を例示したのであった。
「一体、それはどういうことなのだね。
何故、米国は、驚くばかりの科学者を集め、膨大な費用を必要としているのだ」
「自動車のように操縦できぬのですよ。
この未知の新元素を、我らの発展のために使用できません」
「科学アカデミーの同志諸君らは、爆弾を作っているのではないのか。
この国家存亡の危機に際して、温水プールでも作るつもりなのかね」
科学アカデミー総裁は逆らうことなく、ただ党の為に、また同僚の為に、こう言い足した。
「同志議長、G元素は原水爆同様、平和利用されるべきです……」
「ええい、黙れ。出ていけ、このブルジョアの似非学者、屑野郎め」
「失礼いたします」
何しても、もってのほかな立腹なので、科学アカデミー総裁にも扱いようがなかった。
むなしく悶々の情を抱いて、彼は科学アカデミーへ立ち帰った。
一人残された参謀総長に、議長は不愉快な顔をした。
「参謀総長、どういうことなのかね。
なぜ、社会主義を嫌悪する木原が、これほどまでに東ドイツに肩入れするのかね」
「申し訳ありません。木原の真意は全く持って不可解です」
「日本野郎は、我らに理解できない思考をするようだな」
参謀総長は、気の毒そうに告げた。
「同志議長、私を解任してください」
「何」
「先のノボシビルスクの件も、ございますが……、
相手の心を読めぬ以上……、作戦の立案は、できません」
「参謀総長。まだESP発現体という、怪しげなものに頼ろうというのか。
祖国を、党を裏切るつもりなのかね」
参謀総長は、初めて、色にも言葉にも、感情をあらわした。
「いいえ、木原および日本野郎関連に関しては、私は不適任だと申しているのです」
「この期に及んで、君は日本野郎と和睦を結べというのかね」
「冷静に考えるなら、日本に詫び状を出すべきです。
我が赤軍は、BETAとの戦争に全力を注ぐべきです」
「再び黄色猿に敗れるくらいなら、BETAの餌になる方がマシだ」
議長は口にこそ出さないが、憤然、そう思わずにいられなかった。
これ以上の屈辱はしのび得るところでない。
彼の眉は、はっきりそういうものをただよわせながら、
「いや……何、さしつかえがあれば、またの機会といたそう。
戦争の先は長い。ひとまず、君は休みたまえ」
「わかりました。同志議長。小官は退席させていただきます」
参謀総長は、議長に一礼をした後、あきらめた様子で、ドアに向かった。
ドアノブに手をかけたかと思うと、静かに部屋を去っていった。
信任していた参謀総長まで……、自分を裏切るのか。
チェルネンコ議長は、思い知らされた。
ソ連国内にも、いや政治局という己の足元にも、多数敵が存在することを。
執務室に取り残されたチェルネンコは、思い悩んでいた。
『わが最強の第43戦術機甲師団ヴォールク連隊が、たった一機の戦術機に敗れ去った。
この事実が、冷戦という構造に与える影響は計り知れない……』
彼は、思考の合間に眺望に目をやり、黯然銷魂に沈んでいった。
ゼオライマーの存在は、この世界に多くの利益をもたらした。
100万を超える精兵をもってしても攻略できなかったハイヴの撃滅。
しかもほぼ無傷__。議長の心は揺れた。
どうせ黄色猿の作ったマシンだし、ろくな実績もないと、高を括っていたのだ。
『ゼオライマーは史上最強のマシンとして、月面攻略に向かうであろう。
木原がどう動き、日本が我らにどう立ち向かうか、予想はつかないが……』
ソ連の自尊心は大いに傷つけられたが、ここはひとまず東欧から撤退しよう。
あまり東欧問題に時間をかけ、全世界から孤立する前に。
ブレジネフの直弟子であるチェルネンコにとっては、複雑な思いである。
『チェコ事件』――別名、『プラハの春』。1968年8月20日深夜にソ連軍がチェコスロバキアに軍事侵攻した事件――で、ブレジネフは、社会主義国間の引き締めを図った。
このソ連の一大原則、主権制限論――元は、1968年9月26日付のソ連共産党機関紙『プラウダ』に載った「社会主義諸国の主権と国際的義務について」による――を捨て去ればどうなるか。
第二、第三の反乱が起きるのは、目に見えている。
プラハの春事件を受けて、1968年11月12日に開催されたポーランド統一労働者党第5回党大会に出席したブレジネフは、『個々の社会主義国は、社会主義共同体全体に対し責任を負っている』という論評を発表したほどであった。
かつてないほどの怒りで、チェルネンコの身は震えた。
木原マサキと、そのマシン、天のゼオライマー。
たった一人の男に、自分が身を置いている世界を否定され、嘲笑された。
今まで築きあげた社会主義体制、友好協力相互援助条約機構、経済相互援助会議……。
このまま黙って見過ごせば、惨めな敗北に変わることは、彼には分っていた。
それでも、彼はあきらめなかった。
『ここで我らが怯めば、東ドイツの追従者を生み、ソ連の権威が揺らぐばかりだ。
その方がもっと恐ろしい。
だが、我らは数千の優れた核弾頭搭載のМБР(大陸間弾道ロケット)を所有している』
ソ連の核兵器数に関して、簡単に述べておこう。
1989年6月の段階において、ソ連は世界最大の核保有国であった。
大陸間弾道弾、6572発。潜水艦発射弾道弾、3456発。
核搭載可能な戦略爆撃機、Ту-95各760機。Ту-160各240機。
合計、10998発の核弾頭――2023年現在においても世界最大の核保有国はロシア連邦である。米国科学者連盟の推定では5977個に上る核弾頭を保有しているとされる――を所有していたのだ。
『望めば、あの蛮人どもが住まう日本列島を、何百回として焦土にできる。
我がソビエトが、依然として世界を二分する覇者である事実は、間違いない』
それならば、何かの機会に乗じて、ゼオライマーを葬れば、変わる。
再び、チェルネンコ議長の中で、野心が首を擡げ始めた。
いつしか、外の天気は荒れ狂っていた。
窓へ打ち付ける強烈な雨を見ながら、チェルネンコ議長は、邪悪な笑みを漏らすのだった。
後書き
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