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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
曙計画の結末
  部隊配属 その1

 
前書き
 ご要望のあったアイリスディーナの軍隊生活です。
リクエストを受けて話を書くのに、だいぶ時間がたってしまいました。 

 
 マサキが日本国内で多忙な日々を送るその頃、アイリスディーナも多忙だった。
彼女は教育隊での3か月の訓練を終えた後、ポーランド国境に近いコトブス基地に来ていた。
 このコトブスには、東ドイツ空軍の第一防空師団の主力部隊である第1戦闘航空団が駐留していた。
同地は、1952年にソ連によって作られた兵営警察航空隊の訓練所があり、東独空軍の発祥の地ともいうべき場所であった。
 第1防空師団はコトブスに司令部を置き、空軍主力部隊の1つで、東ドイツ南部の防空を担当した。
それぞれ三個の、航空戦闘団、高射ロケット大隊、通信技術大隊を有し、そのほかに輸送隊や移動基地機能も併せ持っていた。

「おはようございます。
すみません、高いところから失礼します。
この度、赴任になりましたアイリスディーナ・ベルンハルトです」
 彼女の澄み渡るような凛とした声で、あいさつが始まってすぐ、
「高すぎて、全然見えねぇぞ!」
 すると、間もなく、野次の声が整列する兵士の間から聞こえてきた。
台の前に立つ防空師団長は、苦笑を浮かべながら、
「誰だ、今のは!」
と注意した。
一連の出来事から、アイリスはとんでもないところに来たと思ってしまった。
 
 ポーランド国境に配備された前線部隊である。
勿論、士官学校とはいろいろと勝手が違った。
戦術機の整備も、そうだった。
 訓練の合間の出来事である。
郊外の訓練場に着陸をした際、休憩時間にアイリスは自分の訓練中の機体に近寄る。
その際、近くにいる古参兵から声を掛けられた。
「お嬢ちゃん」
「管制ユニットを点検しておきます」
 その古参兵は、兄よりも大分年上だった。
年季が入り、色褪せた迷彩服からすると、下士官上がりであろう。
「ちょっと来な」
 そう声を掛けられたアイリスは男の方に駆け寄る。
立ち止まって、両手を握りしめ直立の姿勢を取る。
「なんですか」
「この仕事で、飯を食っている連中がいる。
連中の邪魔をしないでおくんだな」
 地べたに座る別な男は、タバコをふかしながら、
「整備の連中に嫌われたら、戦術機一つ満足に動かせねえぞ。
そんなことも知らねえのか」
 胸に付けたウイングマークからすると、合同訓練中の第3攻撃ヘリコプター航空団の隊員か。
そんな事を考えていると、また別な兵士から声がかかる。
「その辺に寝そべって、コーヒーでも飲んでなよ」
「いや、牛乳の方がいいんじゃねえか」
男たちのあざ笑う声が響き渡る。
 軍隊は階級社会であると同時に、年功序列社会でもある。
いくら階級が下であっても、現場にいる年数がものをいうのだ。
アイリスは教本のような敬礼をした後、溌溂と答えた。
「分かりました」
 

 アイリスディーナは、生身の軍隊に触れて困惑していた。
女子生徒で構成された陸軍士官学校の班、婦人兵教育隊の時と違い、一般兵と働くのは初めてだった。
兄・ユルゲンという存在がいたから、男女の体力差が存在しているのは知っていた。
だが、部隊配属されて、自分の目の前に見えないガラスの壁が厳然と存在することは、いくら聡明な彼女とは言え、受け入れがたかった。
 どんなに鍛えても、追いつけず、50を過ぎた老兵や古参将校にすら負けた。
彼女はシンクロナイズドの県大会の優勝選手だったが、その水泳すら小柄な兵士に劣った。
勿論、水泳の技量は並の男より勝ったが、その持久力や距離の差は埋めがたかったのだ。
 時には、己が女に生まれたことさえ、恨めしく思うときもあった。
幸いにして月経の症状は軽く、頭痛や熱などは出なかったが、いざ戦争に巻き込まれたらと考えるとぞっとしたものである。
 彼女は、士官学校での、約一週間の野外訓練を思い返す。
泥と硝煙にまみれ、満足な食事と睡眠すらできない不潔な環境。
風呂に入るどころか、シャワーを浴びる事さえ、夢のまた夢という状況。
つくづく、女の体は戦いに向かないと思い知らされた。

 アイリスディーナを苦しめたのは、軍隊における制約の多さであった。
第一線の戦闘部隊に配属されたとは言っても、女性である、婦人兵である。
 彼女は訓練以外にも、行事のたびに接待の要員として、呼び出された。
軍特有の茶の出し方から、行儀作法、躾などが、最先任の婦人古参兵から厳しく指導された。
だが、覚えたころには原隊復帰をするので、簡単に身にはつかなかったのだ。

 土日の休みも、制限されたものであったのはつらいものであった。
休みに関しては、一般兵と違い、将校という立場上、気兼ねなく休めた。
演習や指導があった場合は代休を貰えたし、東ドイツ軍特有の制度で婦人兵は一般将兵に比べて8週間多く有給が取得できる制度があった。

 ベルリンにいた時は地元だったので、日曜日の門限にあたる午後12時前までには簡単に帰れた。
だが、人口10万の小都市コトブスという東ドイツの東端にあっては、外出するのも困難だった。
土地勘のない彼女にとって、基地の門限午後6時までに戻るということは、ハードルの高い事だった。
結局、部隊に慣れるまで30分ほどで帰れる範囲しか外出しなかった。
(注:基地の門限は、宿営地の環境や隊員の状況によって変化する。米軍や自衛隊でも同じである)

 アイリスの軍隊での生活は、マサキの耳には一切入ってこなかった。
それは、それぞれが住む国が東西の陣営に分かれているという政治的な状況ばかりではなく、欧州と日本という地理的な条件もあるためである。
 だが、アメリカに留学中のユルゲンの耳には、アイリスの話は逐一入っていた。
それはユルゲンが現役の将校で、軍隊内の人脈のおかげで、どんな話も聞こえてきた。
 拳銃の射撃訓練で一位を取ったなどのいい話の他に、悪い話もたくさん伝わっていた。 
たとえば、演習先の陸軍基地に行った際、ユルゲンを恨んでいる戦車兵に絡まれた話などである。
 アイリスを心配したのは、ユルゲンばかりではなかった。
ユルゲンと親子の杯を交わした議長も、また彼女の事を非常に案じていたのだ。
 
 共和国宮殿の一室で密議を交わす男たち。 
それは、議長と、50がらみの下士官であった。
「どうだね。アイリスの様子は」
「同志少尉はまじめに勤務しておりますとしか……」
 議長の質問に答えたのは、アイリスの部隊に所属する最先任曹長であった。 
彼は、前の戦争中、国防軍にいた経験のある人物で、議長と同じシベリアの収容所にいたことがあった。
いわば、30年来の戦友と呼べるような仲であった。
「戦術機の衛士として仕上がるころには25を超えてしまうか」
「新兵を一人前の衛士に育てるのに3年、部隊編成をするのに5年はかかります。
ですから……」
 議長が、先ほどからしゃべっていた曹長の言葉を遮った。
「同志曹長。俺はあいつに軍服は似合わないと思っている。
大学でも入って、教職免許でも取って幼稚園の先生でもしているほうがいいんじゃないかと」
「外に出されるつもりはありませんか」
「あれはとびっきりの美人だ。外に出たら出たで苦労するぞ」
 懐より、ゴロワーズ・カポラールの箱を取り出し、タバコを数本抜き取る。
それなく曹長に、タバコを勧めた。
「そんな話をしに私を呼んだわけではありますまい」
「要件を言おう。新機種の導入テストと防空システムに手を入れる専門家を呼んだ」
 議長は言葉を切り、タバコに火をつける。
黒タバコ独特の、何とも言えない野性味のある香りが、部屋中に広がる。、
「今のソ連製の防空システムではいずれ高速化するミサイルや戦術機に対応できなくなる。
近いうち、米国から、その関係者が来る。
なるべくシュタージにも軍情報部にも縁のない人物で、英語のできる人間が欲しい」
 久しぶりに吸うゴロワーズの味は、戦時中に吸ったマホルカやゲルベゾルテとは違う。
トルコ葉やロシアタバコには無い、豊かでコクがあり、ほんのり甘くて香ばしい匂い。
曹長は、紫煙を燻らせながら、30有余年前の遠い日々を思い出していた。
「同志ハイゼンベルクは留学中でしたな……同志大尉(ユルゲン)の夫人に依頼してみてはいかがですか」

「たしかに俺も考えたが……流石に身重の女にファーストレディーの真似事はさせられん。
それに、あれは英語の読み書きは並の男よりできるが、会話には訛りが強すぎてな……」
 
 共産主義国家における国家元首の妻は、基本的に表に出ないのが慣例であった。
ソ連は言うに及ばず、支那、東欧も同じであった。
 支那の様に、首相夫妻が国家元首夫妻の役目を代行したり、ソ連の様に国民的な知名度のある女性がファーストレディの代わりを務める場合がままあった。
 無論、日本でも独身の総理や総理夫人が病弱な場合は代役が立てられた。
妾や実の娘、あるいは姉妹など、そのケースは多種多様であった。

 今の東ドイツの議長は長らく男やもめであった。
ファーストレディー外交のない共産国や中近東にあっては、そのことは問題にはならなかった。
 だが、西側の自由主義国では違った。
かつての王妃や皇后の役割を果たす、米国の大統領夫人(ファーストレディ)
 国際親善の会談に、議長夫人の代行者として出席を求められる。
今、アイリスディーナの双肩には重大な任務が課せられようとしていたのだ。


「では私の方で同志少尉の方を手配するよう頼みましょう」
「ああ。助かる」 
 

 
後書き
連載から2年が経ちました。
その記念として、読者様のご要望を募集します。
検討の結果、小説に反映する場合があります。
(今回のようにご要望を貰ってから時間がかかる場合もあります)
お待ちしております。 
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