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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  シュタージの資金源 その6

 
前書き
 6回でまとまりませんので、本作品の連載史上、一番長い話になりそうです……
読者の皆様、もう少しばかりお付き合いのほう、よろしくお願いします。
 

 
 マサキは、内心焦っていた。
西ドイツより、シュタージに流れた、多額の金。
このカラクリさえつかめれば、シュタージがどう動こうと、シュタージの息の根を止められる。
 これから捜すわけだが、しかし、証拠がなければ、ただの流言飛語にされてしまう。
もはや今日の戦いは、マサキ対シュミットという個人の物ではなかった。
一日も早く、シュタージが組織的に関与した証拠を示さぬことには……
 我に大義名分がないのは、軍に旗がないのに等しい。
 大きな弱みだ。
 
 詰めが甘ければ、次はない。
東ドイツが窓口としている西側の銀行や企業には、間違いなくシュタージの手が伸びているだろう。
シュタージでなくとも、KGBの影響力が及んでいるのは間違いない。
一撃のもとに、抹殺せねば、己も危うい。
 アイリスディーナとの一件を、変な形で西側のマスコミに報道されれば、一巻の終わりだ。
マサキは、その点では、無条件に楽観してはいられなかった。
「はて、負ければさんざん、勝ってもこの(ざま)
とにかく戦いとは、次から次へと難しいことが起るものだ」
と、マサキは、つらつら痛感していた。

 そうしたうちに、迎えの兵士たちが来ていた。
「同志将軍、そろそろベルリンに戻りましょう。
博士の滞在日程も迫っておりますし……」
 マサキは、その連絡には当惑していた。
今日も、つい、貴重な時間を、あてのない捜索に、過ごしてしまった形だった。
 証拠集めは容易でない。
まして敵地だ。
立ち去り際に、総裁に尋ねてみることにした。
「3月に死んだシュミットは、何も残していなかったのか」
「ああ……この件に関する書類は、ものの見事に姿を消している」
と、シュトラハヴィッツも今は半ばあきらめ顔に。
「では、やはり……」
総裁も、さじ投げ気味で。
「そうか……だが、なお、望みはないでもない」
「何だと……」
「モスクワ派の重鎮で、先日のクーデターに関わり、以来、ドレスデンに隠れて居る人物がいる」
「誰だ」
「俺が知る限り、裏金作りに関わってるのは、ザンデルリングだよ。
シュミットの反乱直前に、シュタージ本部から関係書類を持って行ったのはザンデルリングだ」
「ザ、ザンデルリング!」
「SEDの衛星政党ドイツ民主農民党、モスクワ派のザンデルリング。
現在は、ドイツ民主農民党に属しているが、その前はシュミットの腰ぎんちゃくと呼ばれた男……
常に、時の最大勢力を誇る派閥に所属し、SEDの策士とも、政界の寝業師とも呼ばれる人物さ」
それまで黙っていた、ハイム少将が口を開く。
「その日和見主義のザンデルリングが、KGBへの裏献金を知っているのか。
厄介な奴だ、一筋縄ではいかん、したたかな奴だぞ」
 シュトラハヴィッツは、にわかに一縷(いちる)の光を見いだしたようだった。
もうほかに手段もない切迫(せっぱ)つまった状況では、どうしてもその関係書類が必要なのだ。
「いや、それは絶好のチャンスだ。高潔な男なら、どんな餌にも転ばない。
だが、ザンデルリングは、高潔とは無縁の貪欲な野心家だ。
こっちが与える餌によっては、今の飼い主を、平気で噛みつけることもある」
 ついにシュトラハヴィッツ将軍みずから、この問題に踏み込んでいく。
マサキは紫煙を燻らせながら、会心の笑みを漏らした。


 さて。
 エルベ川の谷間に位置する、古都ドレスデン。
エルベ川の真珠とも呼ばれる、この町は、日本人にもなじみの深い町であった。
青年期の森鷗外も学び、同地に半年間滞在したほどでもある。
 ドレスデンは、かつては、ザクセン王国の中心地として栄えた古都でもあった。
同地には、ザクセン選帝侯アウグスト2世こと、アウグスト強王により作られた日本宮殿があった。
宮殿の中には、所狭しと東洋より持ち込まれた白磁が並んでいた。
 アウグスト強王は白磁に惚れこむあまり、自身でその白磁の生産に乗り出すほどの愛好家であった。
1710年に王立ザクセン磁器工場を設け、その研究に乗り出した。
後に、『白い黄金』として知られるマイセン陶磁器は、この酔狂人のおかげで発展したのである。

 ドレスデンは、ワイマール共和国、第三帝国の時代を通じ、ドイツでもっとも重要な都市のひとつであった。
戦前の1939年には、63万人の人口を擁し、華麗な文化都市として栄えた。
 だが、1945年2月13日から14日にかけて、米英軍の激しい空爆により壊滅的な被害を受けた。
この2昼夜の空襲の被害は、10万といわれる犠牲者を出した。
かつて、アウグスト強王により作られた古都は、その美しさから「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれていた。
しかし、英空軍の激しい爆撃により、そのほとんどは灰燼に帰した。

 東ドイツ政府は、チェコ国境に近い、この都市を政治的に注目した。
戦後復興として、社会主義的な町づくりをした。
市の中心部に文化センターを建設し、ソ連式の集合住宅を立ち並べた。
 しかし、ほんとうの戦後復興にはまだまだ遠く、いたるところは焼け跡だらけであった。
名跡であるフラウエン教会やツヴィンガー宮殿などは、瓦礫の山と廃墟が放置されていた。

 マサキたちは、空路ドレスデンに入った。
高速を使っても2時間は書かる175キロの道を、ヘリのおかげで30分弱で移動した。
最大速度、時速320キロを誇るMI-24の恩恵はすさまじかった。
ドレスデン市内にあるクロッチェ飛行場に降りたつと、基地の中で夜を待った。

 クロッチェ基地には、物資・人員の空輸を主任務にする第24輸送航空隊が置かれていた。
大隊規模の航空隊で、ヘリとセスナ機の他に、16機のイリューシン14を所有していた。
 イリューシン14は、東ドイツがライセンス生産した数少ない航空機である。
1956年から1959年までの間、人民公社ドレスデン航空機工場(VEB Flugzeugwerke Dresden)で80機が生産された。
(ドレスデン航空製作所は、今日のエアバス傘下のエルベ・フルークツォークヴェルケ社である)
 1955年に設立された、人民公社航空製作所(VVB Flugzeugbau)。
同社は、1950年代後半に、国中から集められた戦前からの技術者とともに航空機開発に望んだ。
 しかし、開発の遅れと、ソ連の援助中止という形で東ドイツの国産飛行機は立ち消えになった。
目指していたアフリカ、中南米諸国への販売も、市場原理を無視した社会主義ゆえの国際市場への甘い見通しの為、失敗した。
 1961年以後、ドレスデン航空機工場と社名を改め、航空機とヘリコプターの修理工場になった。
同社はワルシャワ条約機構軍と国家人民軍向けに、航空機の整備を専門とした。

 総裁が言った通り、ザンデルリングは、ドレスデンにいた。
シュタージが運営するホテルに潜み、そこで半月に渡る綿密な逃亡計画を練っていた。
 その日、シュタージ少将と、ホテルの一室で飲んでいるときだった。
不意に、官帽にオーバーコート姿の将校たちが現れて、
「お時間を頂けないでしょうか」と声をかけてきた。
  
 シュタージ少将は、ドレスデン県本部長で、KGBと近しい人物であった。
でっぷりと太った体躯に、剃り上げた頭からは、とても想像も付かない。
ザンデルリングをはじめとする党幹部とのつながりが噂される男であった。
   
 肥満漢のシュタージ少将を追い出した後、ザンデルリングはいらだちを隠さなかった。  
突如として現れたシュトラハヴィッツ将軍に、敵意をむき出しにする。
「何だね。君たち、これは少し失礼じゃないかね」 

「無礼は重々承知しております
単刀直入に申し上げましょう、同志ザンデルリング。
同志はSEDの主席、国政の首班になる気はございませんか」
「な、何だって」
ザンデルリングは、途端に驚愕の色をあらわした。
「何を言い出すかといえば、同志シュトラハヴィッツ将軍。
君がどういう考えで、シュタージと対決し……
どの思って、こういう若い軍人たちと徒党を組んでいるのか、分からない」
ザンデルリングは冷たく言い、曲がったネクタイに手をやる。
「だがね、君がどんなに行動を起こそうとも、党と癒着したシュタージは動かない」
「一党独裁体制は盤石と言う事ですか」
「その通り」

「シュタージは、国家、国政の上に根を張った巨樹なのだよ。
簡単に倒せる相手じゃない……。
利口な人間なら、倒す事よりもその大きな幹の下に入って、利益に甘んじることを選ぶ。
それが、政治家の選択というものじゃないのかね」
「もしその木を切り倒す道具があるとしたら、どうする」

 沈黙を破るように、マサキが口を開く。
彼は、今にも吹き出しそうなのをこらえて言った。  
「知らねえとは言わせねえぜ。
シュミットと近い貴様は、この計画にも絡んでいるはずだろう」

「同志ザンデルリング。
貴方はシュミットの事を可愛がっていたから、KGBにも認められている……
そう思っていたら、大間違いですよ。
いくらKGBに取り入ったところで、所詮あなたは、モスクワ派の外様。
ソ連人じゃない、ドイツ人。外国人だ。
いざとなったら、トカゲのしっぽきりで、ばっさりってことも……」
 シュトラハヴィッツの眼差しの真摯さに、ザンデルリングも動かされたようだった。 
 

 
後書き
 フリードリヒ・ザンデルリングは、原作小説第七巻でシュミットが立てた傀儡政権の首班です。
またKGBに近い少将は、外伝小説『REQUIEM-願い-』第二巻に出てくる武装警察軍少将です。

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