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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  シュタージの資金源 その3

 
前書き
 マサキ、大失態の巻。 

 
 マサキは、国家評議会ビルに来ていた。
歩いて駅に向かう途中、運よく人民警察のパトカーに声を掛けられて、乗せてきてもらったのだ。
 軍服姿で目立つこともあったろうが、すぐさまパトカーで乗り付けるとは。
東ドイツの総監視体制に、改めて驚いている自身がいた。
 別な男と歩く、アイリスディーナの姿を見て以来、マサキの口の中は砂を噛んでいるような不快感に襲われていた。
パトカーで送られているときも、ずっとそうだった。
(あんな小童に、アイリスディーナの事を渡せようか)
知れば知るほど、ユルゲンの妹に愛着が湧き、とても手放せない気持ちになっていたのだ。


 

 国家評議会ビルは、共和国宮殿から、ほど近い場所に立つ三階建ての建物である。
護衛兵に議長との面会に来た(むね)を告げると、奥にある応接室にまで案内された。
 その際、マサキと入れ違いに出てくる白人の男と、すれ違った。
 男の顔といえば。
ハリウッドの銀幕の中に出てくるような色白で、鷲鼻(わしばな)の、目の細い顔、典型的な白人。
ニューヨークで数多く見た、ヨーロピアン・ジューそのものであることを、彼は一瞬にして気が付いた。
 
 深い濃紺地に白い線が書かれたチョーク・ストライプのスーツに、純白のシャツ。
金のタイ・バーに挟まれた、紺と銀の(しま)が描かれた上質な絹のネクタイ。
欧州人がバカにする左上がりのストライプを見て、マサキは、あることを確信した。
目の前の男が、アメリカ人で、ウォール街のビジネスマンと言う事を。

 縞模様のネクタイは、16世紀の英国陸軍に起源を求めることが出来る。
元々英国で慣習法で、常備軍の設置が忌避されてきた。
 その為、地域ごとに独自性の強い連隊がおかれ、地方領主や王侯が名誉連隊長に就いた。
(名誉連隊長をColonel-in-Chiefという。Colonelは日本語訳で大佐にあたる)
独自色を示すために、連隊ごとに奇抜な軍旗や、色や形の違う縞模様が作られた。
 その名残が、現代に残るレジメンタル・タイである。
(レジメントとは、軍事用語で連隊を意味する英語である)
 
 このレジメンタル・タイは基本的に右上がりの縞模様であった。
今日では、英軍の各連隊の他に、英国内の有名私立大学の卒業生を示すものでもある。
 その為、各国首脳が集まる場面で、英国人やフランス人は、無地やコモン柄といったネクタイを付けた。
そして、ストライプ柄の由来を知らない、米国人や日本人の首脳を、陰であざ笑っていたものである。


『なんでこんなところに、ニューヨークのビジネスマンが』という不安が頭をよぎった。
 確かに、今の東ドイツは経済的に不安定だ。
ソ連からの資源供給量は大幅に減り、そして今の議長は対ソ自立派だった。
ウォール街のビジネスマンを頼るのは、無理からぬことであろう。
 マサキは、議長があった人物を知らなかったが、ぴんと直感に来たものはあった。
相手は、自分を知っている風だった。

 議長と会いに来た人物は、アメリカの石油財閥の3代目だった。
敵対する二人が、今まさに東ドイツの首脳がいるビルで運命的な出会いをしたのであった。

 マサキは、部屋に入るなり、上座の議長から慇懃な挨拶を受けた。 
「わざわざ、ご足労を掛けましたが……」
「挨拶はいい。要件を済ませよう」 
 マサキは席に着くと、日本の大手ゼネコンが東ベルリンの再開発事業に参加する計画を話した。
ベルリン中心のミッテ区に、25階建ての近代的な高層ビルを、建設しようというものである。
「図面は東ドイツの書いたものを使う予定だ。
建設省まで取りに行ってやるよ」
 それは建前であった。
マサキは、東ベルリンの再開発をする復興管理局の事務所に行って、ちょっとひと暴れするつもりだったからである。
 だが、マサキの甘い考えは、直ぐにうち砕かれた。
「図面の方は、午後までに用意してお届けしますので……
それまで、市中にあるペルガモン博物館にでもご覧になってお待ちください」
 調子を合わせ、マサキは男を揶揄った。
「男一人で、そんなところに行ったところでつまらぬからのう。
誰か、名物であるペルガモンの大祭壇でも、案内してくれるのか」

 議長は、マサキの言葉を待ちかねたように、手を鳴らした。
すると、その途端に後ろの大扉が開き、誰かが入ってきた。
灰色の婦人用冬季勤務服をまとう大柄な女性は、アイリスディーナだった。


 思いもよらない人物の登場に、マサキは、驚愕した。
「あ、アイリスディーナ、どうしてここに!」
艶やかな長い金髪の下で、アイリスディーナは碧い目をひときわ輝かせていた。
(如何したら良いものか。まさかこんな形で再開するとは……) 
マサキの胸の動悸が、(いや)増す。

 二人は、黙ってお互いの顔を見つめていると、そこでドアがノックされ、別な秘書が入ってきた。 
「失礼いたします。同志議長、お電話が入っております」
「ああ、分かった」
 マサキは、複雑な気分で、男たちの会話を聞いていた。
もじもじするばかりのアイリスディーナと二人きりにされるのは、流石に気まずい。
「すみません博士、少し電話してまいりますので、お時間を頂きます。
その間、ご退屈でも、アイリスと話していて下さいませんか」
 連絡を受けたことを汐時(しおどき)とみて、議長は、一旦、席を立った。
そして部屋を出ると、護衛を務める第40降下猟兵大隊の兵士たちに下がるよう命じた。


 ゲスト役を務めているアイリスディーナには、マサキが何で鬱勃としているのか。
 彼女は心外で、ならないらしい。
いまも、マサキが、湯気の立った茶を飲まずに紫煙を燻らせている、その席で、
「察するに、不都合な事でもございましたか。何かお心当りでも?」
 と、彼の胸へ、自己の不満をたたいていた。
「うるさい」
 マサキは、怒気を、青白く眉にみなぎらせた。
「もういうな。
無駄にこうしているのではない。おれにもここへ来ては考えがあることだ。
……それより、アイリスディーナ、後ろを閉めて、こっちへ寄れ」
アイリスディーナはいわれるまま、観音開きの大戸をしめて、恐々とすこし前へすすんだ。
「久しぶりだな」
「お元気そうで……」
としていたものが、どうしても、いまだに、どこかの恐れにある。

「アイリスディーナ」
 マサキは、急に、相好(そうごう)をくずしてみせた。
といって、女の細かな用心は解けようもないのである。
「お前の事を、今日、軍の情報センターで見かけた。
男と一緒に歩いていたが……
あの男、ずいぶん親しそうだったな。一体どういう関係なんだ」
 アイリスディーナは、恥ずかしそうにマサキを見やった。
「えっ、カッツェさんですか。
昔からの知り合いで、色々と親交のある方ですよ」
マサキは、その言葉を(いぶか)った。
「親交、どんな……
お前があんな楽しそうにするのは初めて見た」
アイリスディーナは、頬を赤く染めて、躊躇いがちに答える。
「それは、貴方が、私の事をよく知らないからでは……」
「確かにそうだな……」
(俺は、アイリスディーナの事を驚くほど知らない……
俺の知らぬ男と、親しげに遊んでいたとしても……)
 マサキは、沸々と、腹が煮えてたまらない。
落ち着こうとすればするほど、嫉妬は、逆に込み上げてくるばかり。
「俺は、カッツェという小童に負けたくない」
「何を……カッツェさんは兄の昔からの友人です。」
 白々しいとは憎みながらも、憎み切れぬ程なやさしさ。
いつか、マサキも、ややなだめられていた。
 その上、つい恨みを、はぐらかされもする。
また、何となく気もおちつき、アイリスディーナの人柄までが、これまでになく優雅に思えた。
「俺は、カッツェに嫉妬している。
アイリス、俺はこれほどまでにお前に惹かれたのだ」

 沈黙したまま、見つめあう二人の耳元に壁時計の音ばかりが聞こえてきた。
マサキの口から思わず、ため息が漏れる。
「何としても、お前の心のうちへも、木原マサキという男を焼付けねば、一生、妄執は晴れぬ。
アイリス、これほど男からいわれたら、もうどうしようもあるまい」
 こうなると、その眼には、アイリスディーナの女の美のみ映ってくる。
彼の心にある邪悪なものが、白雪を思わせる彼女の美に、ひそかな舌なめずりを思うのだった。
「兄の友人と一緒に歩いたぐらいで、嫉妬なさるなんて……
いくら天のゼオライマーのパイロットは、言っても……」
 アイリスディーナは、少しずつ、後ろへと、身をずらせた。
そして、女の身をまもるべく、その体を硬めた。
「ばかな。な、何を言うか」
マサキは、するどく直って。
「無敵のスーパーロボット、天のゼオライマーのパイロット。
そんなものを鼻にかけて、、誰が、これほどに手間をかけて女を口説くか。
お前の兄、この東ドイツにしろ、以後も変りなく付き合っているのをみても考えるがいい。
俺はただの男として、お前を口説いているのだよ」 
 
 アイリスディーナの胸は、苦しくなって、下へ崩れかけた。
マサキは、アイリスディーナの体を片手すくいに抱いたまま、ひたと自身の唇を近づける。
彼の焼けつくような唇は、烈しく彼女の甘美な紅唇(こうしん)をむさぼり吸った。
 抱擁もぐんと深くなって、激しくなった。
口付けを交わしながら、マサキは抜け目なく彼女の背中や腰に手を伸ばした。
灰色の勤務服の上着やタイトスカートを、ゆっくりと撫でさする。
 抱きすくめられたアイリスディーナは、陶然となっていく自分に困惑していた。
(「あ……、()けて行ってしまいそう……」)  
 まるで、夢の世界を揺蕩(たゆた)う様なキス。
それは、アイリスディーナが、かつて味わったことのない、情熱の口付けだった。
 アイリスディーナは、深く睫毛を閉じたまま、白い喉を伸ばし、マサキの手に寄りかかる。
興奮した息づかいを漏らしながら、まもなく濡れた瞳で、マサキの顔を丹念に見まわした。

 部屋の外の足音に感づいたマサキは、意識を一気に現実に戻した。
アイリスディーナの両腕を持ったまま、突き放すと、」
「議長が、戻ってきたようだ」

 議長が入って行くと、密かに二人を見くらべてから、席を離れたことをわびた。
「本当に申し訳ない」
 室内の二人は、身仕舞いにうろたえながら、慌てて立ち別れた気配である。
マサキの隣にいた、アイリスディーナを裏口から帰してしまうと、男はさっそく尋ねた。
「どうか、なされましたか」
白々しく、不敵の笑みを浮かべる男に、マサキは、
「いや、何でもない」と笑ってばかりいるのであった。 
 

 
後書き
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